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ある疾患と治療とリスク

2008年08月06日 07時13分36秒 | 医療




さらりと。
それはせせらぎのように、思わず「はい」と返答しそうになるほど、さらりとだった。

ある疾患における検査や治療について、
私が薬漬けになっていないことや一度も治療を行わずに
体力の底上げを実現できた成功を祝して、
“検査や治療後の変化について、大変に興味を持ちます”と言われた。

医師なら当然だろう。
しかも、この疾患について医学会で口演を行っている医師だ。

私も言った。
“私自身も医学的見地では非常に関心深いですし、どのような変化が顕著にあわられるか
知りたいと思っています”と。
“でも・・・・”と続けた。

“腰椎穿刺(硬膜外硬に注射針を刺す)を必要とする検査では、
針の太さは医療機関によって相違する。
成功率は高いといいながらも、失敗は20%~30%存在し、
その患者はその後、治療をするしか方法がないようですが、悪循環に迷い込む、
よくなっている人を知らないという意味では、
私は医学会で発表された内容と対峙する立場です”

医師は“確かによくなっていると言う背景には、僕たちは入院中しか診ていない”と言った。
“それでしか判断できないし、患者さんにもいろいろな人がいるから、
なんども治療(手術)を希望する人もいれば、通院しなくなる人もいる。
だから、把握しきれていないのが残念ながら現状です・・・・・”

正直な医師だと思った。
そして、ある大学病院の著名な教授からの紹介とはいえ、口演を聞いていたとはいえ、
真正面から向き合い、私にとって“なにがリスクないか”をふたりで考えていた。

発生率0.1%という造影剤による重い副作用に見舞われた私だ。
そして、もうあの重篤な疾患の症状に戻ることは死を意味すると同じだ。
完治を目指さず、この心身との付き合い方がわかった今、
制限がありながらも昨日よりは今日、確実に軽快している。

長期的視野で物事をみなければならず、約束なども即答を避けなければならないが、
心身の声にまず耳を傾けることは、決して私にとって苦ではなくなっている。

検査や治療や失敗した患者はどのように取り扱っているのですか?と最後の質問に宛てた。
同意書にも書いてあるとおり、その可能性、
つまり、合併症を引き起こす確率や再度、この手術とは違う処置が必要になる場合があるなど
この病院は私が知っている限りの情報を文書として提示し、患者に渡し、
説明している上での手術だと。

そこまで説明され、決断を下すのは患者自身になる。
リスクについてもわかるまで説明をするという。
その後、同意書を書く以上は「やる」「やらない」の判断は、患者自身が下したに等しい。

余談だが、脳血流を活性化させるために、
竹ふみのような足裏のつぼに強い刺激を与える自然素材のものを使っている。
20分程度/1日2回~3回を繰り返しているが、
それだけで頚椎痛や頭痛は激減した。
脚のむくみも軽快する。
別の主治医は興味深いと言って、せっせとカルテに書き、
他患者に参考事項として伝えてみよう、と笑った。

考える力が試される。
私が医療に関わる上で、それを痛感させられた。
自分を護るために、考えることを。