風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

存在の底

2008年08月17日 09時06分31秒 | 医療




東京は雷とバケツをひっくり返したような豪雨、
しばしそれが続いた後はけろっとして青空が広がる。
豪雨の中を娘と買い物にでかけ、子供のようにわざと水溜りに入り、
ばしゃばしゃと足を濡らした。

裸でマラソンしている人もいれば、
突然の雨、シャワーを浴びるように早足の人もいる。
でも傍目にはそれが気持ちよさそうにみえる。
空が怒っているのか、それとも恵みの雨か?
私たち親子にとっては後者だろう。
だって、子供にかえったようにきゃっきゃと声をあげて、はしゃいで、楽しんでいたのだから。

さて、明日は検査だ。
造影剤でショック症状を起こした後だから、正直、単純撮影MRIだとしても、
あの窮屈な空間で気力が持つのか・・・・自分でもわからない。

医師は紹介元の大学病院から「疑い・・・」という文言だけで、
すぐさま治療のための入院が4ヶ月先、費用の説明をしてきた。
私はといえば「ちょっと待ってください」とその治療への流れを遮って、
「完治した人を知らないし、リスクの高い治療はもとより検査もしません」と伝え、
リスクのない検査のみ行うことになった。

この医師はある程度の症例数を持っている。
だから、治療後の悪化なども口にはしないまでも、知らないはずがない。
まして、正直な人だから“医療が放置した私の予後や今後”を予想できるだろう。
きっと、治療時間ではままならないはずだから、面談でも申し入れ、意見交換をしたいと思う。

さて、4年にわたる検査漬けの日々。
不調を目前にしても所見がでないかぎり「ないもの」になってしまう怖さを学んだ。
そして、検査すらリスクが伴うことを身をもって知った今、
明日の検査は気が重いが、
検査後に新宿にあるタイ料理と花男(ちなみに花より男子の略・映画)でも再度観るから
頑張れと自分を誤魔化して、言い聞かせ、楽しみをみつけないとやりきれないような気がした。

とはいえ、よく頑張ってきた。
休息が最大の治療だと言われながらも、自宅療養で、大学受験前の娘と受験先を絞り、
作戦を立て、勉強をみる。
掃除も食事も誰かがつくってくれるわけではなく、
同居する両親ですら、病状の重篤さに気付かず月日だけが流れた。

悲観することはなにもないし、自分の体調との付き合い方や長い長い夏休みのような時間を
有意義に過ごしながら、
いろいろあったけど・・・・と笑っている自分が浮ぶ。
やっぱり私はしぶといらしい(笑