風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

20年という歳月の介護

2008年08月19日 11時49分34秒 | 医療





ふたりの訪問看護師がお隣へ入って行った。
颯爽として、女からみても格好のいい、素敵な女性ふたりだった。

通りすがりに私が杖をついていることに気付いたようで、
道を譲ってくれた。
私は「ありがとうございます」と挨拶をして、自宅の玄関を開けた。

母は私を産んでからずっと「女とはこうあるべきだ」という妄想をぶつけ続けてきた。
娘としての「私」ではなく「女」として。
赤子の私は、当然のことながら母は母であり、女ではなかった。
だから私は・・・・・といえば「母親とはなんだろう?」という疑問を
常に小脇に抱えた状態で生活し
ライバルのように振舞う母をどんどんと遠ざけていくようになっていった。

この2週間、自力では歩行が困難な状況が続く。
昨日は検査のための通院があったため、どうにか杖をつきながら病院のある新宿へ向かった。
が、やっぱり人の流れにはついていけないせいか、
ゆっくりとしか歩けないものを、油と水の関係のように、混ざり合うことがないのだと痛感した。
何度も人が私にぶつかりそうになる。
でも、表情ひとつかえない。
まるで、ぶつかるような場所にいる私の方が悪いのだと言いたげだ。
人形のように、無機質で、表情がないのはむしろ健康な人たちだ。
私にはそう見えてしまう。
なぜだろう・・・・・・

そんな状態だから、下着も満足に自分で脱ぎ着できない。
で、娘に「悪いんだけど・・・・」と言って、お風呂に入る手助けや下着などの着脱をさせている。
「これって介護みたい」とへらへらとしている娘。
「介護みたい・・・じゃなくて、立派な介護です!!」と私。
「ありゃりゃ、いくつなのさ?」と娘。
「うるせー!!痛いときは痛いんじゃー!!さっさと脱がせろー!!」と私。

闘病4年・・・・・にもかかわらず、元気な印象しかない私に向かって
「写真撮ってもいい?」だと。
「いつか絶対にぶっとばしてやるーーーっ!!」と言われながらも
けらけらと声を出して笑い、
「まいちゃんの介護なら楽しい」とぬかした。
ふざけるな!!と私は毒を吐きながら、頭を洗ってもらい、その後、湯船につかった。

隣のばあちゃんが元気な頃の記憶がすでに失せている。
でも、部屋の中ではちゃんと生きている。
きっと、天井を眺める視線もおぼつかない中で、流動食の味気ない食事、
男しかいない息子たちに下の世話にもなり、さぞかし情けないだろうと思う。

私がふと思い出すのはばあちゃんの言葉なのだが、
元気な頃、裏のじいちゃんが寝たきりになったとき、
「あたしゃ、あんなじーさんの姿をみると反吐がでる」と繰り返し言っていた。
たぶん、私はまだ中学生で、東京大空襲の話を聞いた後、
ばあちゃんは裏のじいちゃんの悪口をいいはじめたのだった。
あたしゃ、あんなじーさんのようにはなりっこないから、と何度も何度も繰り返し言った。

そのばーちゃんが隣のうちで寝たきりになって20年になる。
ばーちゃんの息子4人のうち、ふたりは介護のために会社を早期退職した。
それは結婚していないため、自分たちで介護をしなければならない状況のためだ。
(お嫁さんがやるのが当然だという意味ではありません)

車椅子で散歩ができていたときはまだましだったものの、
それすらできなくなって15年。
でも、ばーちゃんは今日も生きている。
あの日の言葉を悔いているかもしれないし、まだまだ私は死ねないと歯を食いしばって
気丈に振舞っているかもしれない。

甘いものでも差し入れしに行こう。





考えるという趣味

2008年08月19日 11時09分57秒 | 医療





「君がなにを考えているのか頭の中をいつかかち割ってみてみたいと思う」と言われた。
今日でかれこれ10回になる。
しかも、同一人物に・・・・・だ。

その人は還暦を迎えてから3年を経過した元売れっ子編集長だ。
その人が言う。
「僕は物事を考えないという主義で今まで生きてきたから、
君のようにいろいろなことに疑問を持ったり、それを追求したり、探求していく姿勢は
作家のはしくれにでもなったつもりだから、やれていることか?」と。

すこし残念に思った。
いいや、残念ではなく、腹が立って仕方なくなってしまった。
久しぶりにまん丸の月をインドから持ち帰ったオーガンジーのコットンカーテン越しに眺めた。
白檀の香をたき、いつの間にか祖母の口癖“どっこいしょ”と言った。
どっこいしょのあとは起き上がって、ベランダに出るだけだ。
椅子に腰を掛けた。
寝ぼけた状態でとぼとぼと歩いて近づくシエルをそっと持ち上げ、抱きしめて、頬擦りした。
柔らかな風に月色の毛が私をくすぐるように首筋をなぞる。

書けなくなってしまったのではなく、
記憶力が日本語をまでも奪ってしまう結果に過ぎない。
きっと、これは経験した者でなければわからないのだろうが、
脳の伝達物質の異常は、私から記憶や根気やときに感情を波のように
一瞬にさらっていく瞬間がある。

ひとりごとを言っていても誰かに指摘されない限り自覚はない。
約束をしたことも然り、本人はまったく記憶になかったりする。
本を読む際、漢字がまったく読めない。
だから、前へ進むのに躓いてばかりいる。
それを自覚するのは、脳の伝達物質がどうの・・・というよりも前に
どうして自分がこんなにバカなのか?という情けない気持ちの方が一歩前へ出る。
そして、なにをどのように手をつけたらいいのか
今やるべきことにおいては思考が停止するのに、
常になにかを考えずにはいられない衝動に駆られる。
格好よくいえば、世界に無関心でいられない。
だからといって、積極的に偽善を振りまくつもりも、
行動を起こす体力も資金もないわけなのだが。

「考えるってそんなに馬鹿げたことに映りますか?」
すこしおどけてみせた。
「今の私のままでは作家になどなれっこないですよ。
なんの所為にもしません。言い訳もしません。
力がないというだけのことです。
でも、考えることはやめるつもりはないですし、趣味みたいなものですね」
わざとおどけてみせたのは、わかり難い私の優しさのつもりだったが、
「特殊な人間にしかみえない・・・・・」
と言われたとき、がくんと肩の力が落ちた。

優しさという積み木が、砂の城が、完成したジグソーパズルが、
跡形もなく消去してしまったときのように。

医療とかかわってしまった現在、
自分の権利を主張するだけでは物事がぐちゃぐちゃとなるだけだと学んだのだ。
医師も本当に過酷な労働下で「命」という有限を取り扱うにあたり、
なにかあれば(故意ではない結果でも)訴訟を起こされてしまえば
患者が恐怖にしかみえてはこないだろう。

患者も同様だ。
なにをされ、なにを見逃され、なにをどのように取り扱われるのかを考えない限り、
医師には当然のごとく、不信を抱く。
そして、それが双方が血だらけになる序章となり、
小さな“戦争”がはじまってしまう。

どうか私から“考えるという趣味”を奪わないでください。