風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

遺伝子のONとOFF

2008年12月07日 19時39分15秒 | エッセイ、随筆、小説





4年も病気と付き合っていると、自分の調子がよくわかる。
当初は天候に左右されていたものが、今ではストレス以外、如実に出現する感情変化はない。
が、もちろん、これは油断ない・・・が前提の話であって、
完治したわけではないので、このくらいにして。

でも、自分でも痛感するのは、遺伝子に手伝ってもらい、
自分にとって、心地よい状況をつくることが、遺伝子のON、
すなわち、免疫力向上につながるのはあなどれないと結論つけた。
ひとつの細胞の免疫が開花することによって、
私は少なくとも「健康なとき」を思い出す瞬間を得てきたわけだから。

今まで痛みによって引き起こされてきた状況や限界を超えた痛みによって鬱になったとき、
化粧すらできず、通院先には新宿へも表参道へも多少おしゃれとはいえ、
スポーツウェアでいくのがやっとだった。
深々と芸能人のように帽子を被り、化粧をしていない目元はサングラスで隠す。
それでやっと外出できるのだ。

人と接触したくないために、美容院へも行けず(首がそもそももたない)
ネイルサロンもエステにも足は遠のいた。
今でも無条件に出れる電話は3件にとどまり、体調が悪化するとその数一件にまで。
人と会うにも条件が必要であることはかわりない。

が、変化があった。
クイックネイルはそもそも低価格のネイルサロンだが、指先をきれいにしていることが
私にとって遺伝子ONには欠かせないことで、作用するのだと気づいた。
座っている時間も30分程度で身体に負担はなく、
価格も安いので、半月に一度は“通院”して遺伝子の作用を向上させているのだ。

病気がよくなれば・・・との思いから、どれだけの人の紹介を受け、
いろいろな施術を受けた。
が、結局は「私なら治せます」という人はいんちきだったし、
費用はとてつもなく莫大な金額に膨れ上がった。

気の持ちよう・・・になるまでには、病気の経過時間が必要だ。
発症したすぐ後から「病は気から」では治るものも治らない。
それは土台となる前払い金のような痛みや不具合を出し切った後の、
あるタイミングからが効果があるのだと、私の場合は思うようになった。
そして、そのとおり、今がある。






サムシング・グレート

2008年12月07日 18時02分29秒 | エッセイ、随筆、小説




旅立つ日まで一ヶ月をきった。
体調管理と安定と、補償問題の着手、今年までにつくった土台は
来年に生かされるだろう。
そう、なにか大いなる力によって。

今回、当初、ロスからのオファーだったはずの渡航がNYと変化し、
内容もプライベート一色になった。
もちろん、今後、私の将来における移住地や仕事などの選定において
婚約者と話合う必要もあるが、そもそも一緒になる手続きに踏み切るのだと感じてしまうのだ。

どちらが、私が、いや、あいてが言い出したことではない。
が、私たちはずっと片思いでいた胸のうちを明かさずに10年近くを一緒に過ごしてきた。
いち友人として。

そして、心地よい、大切な関係に発展したのは、私の障害を告白し、
心が一緒なら問題ないと受け入れた彼の寛容さの恩恵による。

私は残念なことに、日本ではそうした寛容さに恵まれてはこなかった。
むろん、他者よりも人には恵まれてきたし、大切にもされてきたと思う。
が、プライベートで甘える人はひとりもいなかった。
できなかったといった方が正解かもしれない。

医師の了解もとりつけ、いざ、ニューヨークへ。
7年ぶりの街は、このサムシング・グレート、大いなる力によって
私たちをどのように仕上げていくのだろう。