いつものように病院へ向かった。
恋人に会うよりも頻繁に。
無機質で冷たい雰囲気の、コンクリートの箱だけでしかない建物、
自動ドアが開く。
杖をついた人もいれば、車椅子の人もいて、
病気になるという現実を突きつけられる過酷さは想像以上だった。
また、治癒するためだと自分には言い聞かせながら通院するのだが、
病院を後にする頃には、切り刻まれた“私”が、亡霊のように夕日に向かって
とぼとぼと、惨めに、背中を丸めて、息を切らしながら歩くだけ。
かわいそうな私。
誰も抱きしめてくれる者もいなければ、誰かの胸を借りて泣くこともできない。
いっそ、医療にとって敗北である死へ誘って欲しいと願うのだが、
それも許されず、かといって、生きているのかといえば、ただ息をして、
すこしの食べ物をやっと口に運び、天井を眺めているだけ。
点滴の落ちる速度をじっと目で追いながら、
私のいるケアルームのとなりで診療をしている医師の怒鳴り声に耳を塞ぎ、
ギリシャ以来の西洋医学が患者になにをするのか・・・を
自分の心身をつかって、実験しているような心境と必死に闘った。
闘うというのは違っていて、苦痛や絶望が過ぎ去ってくれるのを、ただじっと待つだけ。
それが私の人生となった。
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