この季節、毎日、あなたがかけた呪いと闘っています。
顔は山芋でかぶれたようにじくじくと赤く腫れ上がっているし、
くしゃみが止まらないので、人と話すこともできずに困っています。
花粉症の季節になるとなぜかあなたを思い出し、
はやく呪いを解いて欲しいと願うのですが、いやはや、どうにかならないものでしょうか?
呪いを解くには私のキスしか方法がないと勝手に決め付けた男からの連絡に、
こうして口説くというのはなかなか粋だなぁ~と感心していた。
もし私がこの男とキスをしたいと思ったら、一言、
では、花粉症の呪いを解いてあげますよ!と言えば成立する。
どこでどのようにキスをするのか知らないが、こんな寒空の下、まさか路上じゃあるまいし、
けれど、どこか安宿に連れ込むわけにもいかないだろう。
さして考えたわけでもないが、やっぱり呪いは解けそうになかったので、
私ではなく、どこかの女性の呪いでもかかってしまったのでしょう、お気の毒に・・・と
誰かわからないが人の所為にしてみた。
すると、すねた背中が脳裏に浮かんでは消えていった。
臆面もなく「キスはいつかしてやる!」と意味のない気合十分な声を張り上げるものだから、
「夢の中ならあり得るんじゃないの?」と夜気に髪を揺らしながら、
私は月のない空を眺めて、コーヒーを啜った。
「そうそう、今日ね・・・」と私が買った浅田次郎さんの『月島慕情』の話題にすりかえた。
「すごく素敵な文章だったんだけど、読んだ?」と尋ねると、
受話器の向こう側からくしゃみが二回続けて発射されたので、
直撃を受けた私の聴覚はくしゃみのこだまみたいな変な耳鳴りがきんきんと鳴って
こびりついたフライパンの掃除が大変だと、なぜかシンク内の洗物を思い出してしまったのだった。
「ごめん、声が二重に聞こえるから話ができそうにない・・・・・」
だから、本を読んでから内容について話をしよう、という意味で「じゃぁね!!」と言った。
なんだかむりやり話に安売りシールを付けたかと思ったら、
売れないと察した店主が閉店よりもだいぶ早い時間に、ガラガラとシャッターを引っ張り出すように
「今日はこれでおしまいよ!!」と、商品を買いに来た客を追い払う光景に似ていたので、
「はいはい、今日は店じまいよ!!」と私は手を叩いて、そのまま調子に乗った。
今はインターネットで24時間、どこにいても、本が買えるらしい。
「早速、今注文したから、読んだら近所のカフェで店を追い出されるまで語ろう!!」と
女子高生に負けないくらいの黄色い声を弾ませていたので、
我ながらぞんざいな態度だ、と内省しつつも、
それでもやっぱり「いつか・・・・・な!!」と、私は悪びれもなく返答にあてた。
いかにも都会的な美しい東京の夜ではないにしても、
静寂に佇むきらきらとした夜の帳は、
マンションから漏れ出す光が初夏の蛍や山頂でみた無数の星や
月明かりに映える海のプランクトンを思い出させたし、
一瞬だけでも、私の体から痛みを取り払っていった。
ふと思いを巡らす。
呪いをかけられているのは、もしかして私?
そしたら、キスしかその呪いを解ける術がないとお願いをしなければならないじゃないの。
そんなのは嫌だ。
今度は私の方が意味のない気合を入れて、携帯の発信ボタンを押す。
呼び出し音が滾る流れのようにざあざあと鳴っている。
「もしもし?」
私は無言のまま、次の言葉を出しそびれてしまった。
では、花粉症の呪いを解いてあげますよ!と言えば成立する。
どこでどのようにキスをするのか知らないが、こんな寒空の下、まさか路上じゃあるまいし、
けれど、どこか安宿に連れ込むわけにもいかないだろう。