風の生まれる場所

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言葉へ置き換えていけたら・・・

報道の傾向

2008年06月09日 19時02分48秒 | 社会(労働問題含む)




事件の際、必ずといっていいほど報道機関を介して
「母親が厳しすぎた」とか「母親が甘かった」という表現を耳にする。
“父親が・・・”とはまず第一声としては聞いたためしがない。
暗黙の了解が報道のあり方にも少なからず影響しているのだろうけど、
“父親は仕事をしているため、子育ての責任はすべて『母親にある』”と私には聞こえる。
時代がかわろうと、女性が社会進出して共働きになろうと、
基本的に子供の養育にかかわること=母親の役割りとして、
社会は厳しく見張っているように思えるのは、私だけなのだろうか?

母子家庭の問題の取り上げ方ひとつとっても、女性ばかりの責任が叫ばれる中で
そこには必ず“男の関与”がなければ派生しないのに、それは棚上げのままだ。
なにかおかしくないか?

その父親は・・・といえば、居酒屋タクシーで接待を受けているかもしれないし、
ガード下の飲み屋で、上司や同僚や部下にぐだぐだやっているおやじかもしれない。
もしかしたらキャバクラで鼻の下を伸ばしてにやけているかもしれないし、
帰宅後に茶碗を洗って、洗濯をたたむ世の鏡かもしれない。

そんなことはさておき、私事で恐縮だが、
父親や母親世代が受けた家庭内でのしつけや教育を調べると
報道自体がその世代という時代錯誤のまま、現在に至っているのではないか?と疑いたくなる。
むろん、法律は時代が進化しているというのに古い体質のままだし、
それに関わってみると、女性の地位向上を今でも訴えたい衝動に駆られるのは事実だ。

なんで女ばかりが責められるのだ?
覚せい剤使用で捕まった芸能人の母親も謝罪会見していたが
そもそも男の甘っちょろさは語られることなく、
女ばかりが強いとか弱いとか詰られるのは納得がいかん。

そもそもなんでこの時期に“居酒屋タクシー”なんだ?
そこにはもちろん問題はあるのだろう。
けれど・・・なのだ。
こんな書き方をすると、私のような馬鹿がいるから官僚が税金を無駄に使うのだ!!と
言われかねないのだろうけど、
不穏な密告社会の空気を嗅いでしまうとき、
問題は別にあるように思えて仕方ないのだが・・・・・・






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