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自殺、その実情を知る②

2008年07月08日 11時07分29秒 | 社会(労働問題含む)





先日、社会保険事務所から一通の書面が届いた。
封を開けるとそこには“傷病手当金の不支給について”と題した一枚の味気ない通知で
なぜ“不支給であるか”が簡潔に記されていた。

そして、私はその理由が、つまり、“不支給”である理由と現実との間には
まったく別の事実が通用してしまっていることに気付き、
社会保険事務所へ問い合わせをし調査を依頼した。

結果はこうだった。
“有給を使ったことになっているため、約2ヶ月近い期間、給与の支払いがなされている”と。

それは事実とは反する。
私は当初、復職するつもりで体調不良を理由に休業した。
が、有給扱いは認められなかったし、会社都合で退職したのは今年2月、
退職日時も遡って去年末とされ、会社の都合で話し合いができなかった間の保険料も支払い、
また、退職日時が去年末とされていたために、
国保への切り替え時も、保険料は今年初めから支払う羽目になった。
総額にして、100万以上の金額を、
障害を抱えた私へ、確信犯的に会社は押し付けてきたのだ。
それが現実だった。

でも実際には“会社の都合”で日付の変更を操作されていた。
もちろん、私はその事実を知る術を持たずに、最近まで過ごしてきたのだった。

去年のものですら、勤務した給与が支払われたのは、実際には今年2月になってだ。
それまで“傷病手当”について会社側の担当者へ何度問い合わせしても対応せず、
書面(実際には社印)を捺すことすらしなかった。
でも、私は医療を受けるためにお金は必要だったし、もちろん、生活をしていく上でも。

でも、体調が悪く、仕事はできない。
起き上がれないほどの不調、それは会社は知っていた。
障害を抱えていること、その障害を抱えたままでは転職は難しいことなど、
それを知った上で手段選ばずであったのだから、
私は人間を怖いと思った。
しかし、それは畏怖の領域ではなく、人間の欲のなせる業だと考えさせられた。

私は結果的には自殺を考えてこなかった。
それは娘がいたこともあるだろう。
盟友の存在も大きい。
けれど、一番大きな要因としては、
卑怯な人間たちのために“なぜ私が死を選ばなければならないのか?”という意地に過ぎない。

とはいえ、その意地を持ち続けるには体調は容赦してくれず、
なんども折れそうになり、
終いにはすーっと、電車に吸い込まれていくような感覚すら持つほどだった。
私は鬱ではない。
しかし、その私ですら、吸い込まれていく感覚に、自分の意思など通用しないと悟ったのだ。

自殺の問題は、自己責任という安易な言葉で片付けられるほど単純ではない。
それが自己へ向かう場合は“自殺”となるが、それが他者へ向かう場合は“殺人”となる。

何食わぬ顔で生きていて、自分は病気とも自殺とも関係ないと思っている人も多いだろうが、
間接的に人を死に追いやっているかもしれないという意識は、
この問題を語る上で、必要であり、最重要課題であると私は考えている。




 


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