風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

夏の便り

2008年08月03日 19時39分01秒 | エッセイ、随筆、小説





今日は誠二が来たので梅を送ります。
私なりに一生懸命漬けたつもりですが、
みんなには気に入ってもらえるかどうか・・・すこし心配です。

甘いものもすこし入れておきました。
らっきょも入れたのですが、
汁がもれないまま届けばいいのですが。
すぐに冷蔵庫に入れてくださいね。
昔は冷蔵庫なんてなかったから、今は本当に便利になったものだとつくづく思いました。

インゲンは農協に出荷したあとの“くず”ですが、
油いためや胡麻和えにでもして、食べてみてください。

ジャガイモも決してよいものではないのですが
たまねぎもすこし。
太陽の下で育った野菜を食べて、夏を乗り切ってください。

日照りにも、色鮮やかに咲く花にも
語りかけたり、元気をもらう。

暑い折、くれぐれも体には気をつけてね。


叔母から届いた野菜と新聞広告の裏に書かれた手紙。
じんわりと熱いものがこみ上げてくる。

丹精込めてつくった野菜が育ちすぎたときっと苦笑していたのだろう。
叔母は父の姉にあたる人で、この家族は心の奥底にすんなりと浸透する言葉を、文章を
すらすらと書き、
私に語りかけ、元気を運ぶ。
日照りにも、色鮮やかに咲く花へ、叔母が語りかけるように・・・・・



医師の激務

2008年08月01日 20時45分09秒 | 医療




医師4人に1人が36時間以上連続勤務
8月1日17時11分配信 
医療介護CBニュース


 地域の中核病院に勤務する医師の4人に1人が36時間以上の連続勤務を行い、
今の仕事について半数近くが「忙し過ぎる」と感じていることが、
現役医師らでつくるNPO法人(特定非営利活動法人)「医療制度研究会」
(理事長・中澤堅次済生会宇都宮病院院長)がまとめた「医師の勤務状況調査」で分かった。

 調査には、関東、東北地方の救急指定、研修指定などの
17病院に勤務する489人の医師が協力した。

 過去1週間で最も長かった連続勤務時間については、「36時間以上」が25%、
「30時間以上36時間未満」が26%と、
過半数の医師が30時間以上の連続勤務をこなしていた。
しかし、連続勤務の代休を「取れる」はわずか4%にとどまった。

 一週間の労働時間でも、「70時間以上」が26%、「60時間以上70時間未満」が28%などと、
過半数の医師が長時間勤務をしていることが明らかになった。
週休については、「取れない」が29%に上った。

 こうした勤務実態の中、仕事が「忙し過ぎる」が46%と半数近くに達し、
「限界に近い」も14%あった。

 自由意見では、▽「忙しい仕事の中で、手術件数は増やせ、
医療事故は起こすなには無理がある」
「年々、仕事がきつくなっており、せめて当直明けはゆっくり休みたい。
現在の当直は、夜間勤務に近い」
「仕事には誇りを持っているが、今の生活が続くと、
自分の体が壊れてしまうのではないかと心配」
「心臓外科を2人でやっており、定例の手術に緊急手術が加わると、
週の平均勤務時間が80時間を超えることもある。
2人で行う仕事量としては限界」-など、労働実態の改善を求める声が相次いだ。

 国に対しては、「医療費抑制のみにとらわれず、本当に必要な医療の需要と供給の均等化、
適切な人材、診療報酬の確保に努め、
そのために予算配分をしてほしい」という要望が寄せられた。

 同研究会では、
「医療現場の過剰な忙しさは、サービスの低下につながり、
患者への“危害”になる可能性があることを考えなければならない。

現場の考えが、なぜ政策に反映されないのか。
患者に対する医師の責任として真剣に考えよう」と呼び掛けている。


※すべてニュース記事からの引用



医療不信払拭への第一歩

2008年08月01日 09時41分11秒 | 医療





まず私が医療を必要としている理由は、
交通事故処理のため、不調を証明しなければ“詐病”で片付けられてしまう結果を
なんども突きつけられてきたためだ。

ある医師からは“俺に任せておけ!!”といいながら危険な麻酔治療を行い、
膨大な金額を儲けた人もいる。
また別の医師は“医療依存するな””医療の限界だ”として、私を叱咤した。

先にも記したように、昨日お会いした某大学病院の医師でもある教授は
私を他院に紹介しながらも、
同時に自分も責任をもって最後まで診るという意思表示をしてくれた。
診断に納得がいかない患者が起こす事件も多い昨今、
診察室には医師しかいない。
私はその勇気、腹の据わり方をみせられ、この医師となら二人三脚ができると確信した。

他院への紹介状もオープンだ。
通常は封印をして患者には内容をみせない場合が多い。
というか、それが当たり前だ。

が、内容を確認して、紹介先の医師も評判がいいし腕もいい。
その後の結果はこちらにも連絡が入るだろうけど、自分自身でも知りたいだろう。
だから、なにひとつ隠す必要がないと僕も思っているから、
なにを書き、どのような紹介をしたのかを僕も君にはみせられる、と言った。

すごい自信だ。
と共に苦労人であるこの医師の軌跡を考えざるを得なかった。
私はひとえにこの医師の下では医療不信のままでは終わりたくない、と考えていた。
だから、結果的に責任者である教授に迷惑がかかることに心を痛めながらも
食い下がらずにきた経過がある。

なぜ、同じ画像を診て、診断が相違するのだろう?
なぜ、わからない・・・としても、患者を突き放す医師もいれば、
患者を護ろうとする医師の存在もある。

その相違は“人間性”でしか語ることができない。
私は今回の出来事を通して、その“人間性”について考えさせられ、
学習し、医療不信を払拭できる第一歩という機会を与えてもらえた。

病気とは、なにも急性期のものばかりではなく、慢性的な疾患の方が果てしなく多い。
それは直接命の長短に関わらなくても、生活の質や日常生活を送る上では
非常に障害となり、困難を強いられ、困窮する。
その現実を知り、寄り添える医師しか、患者を診る資格はないのだろう。

対立ではなく共存を。
医師も過酷な状況下で激務をこなしているのは忘れてはならない。
そうした現実を私たちが知ることも、今後、必要であり、
また医師を理解する上では患者として最低限求めてもいい、必須事項なのではないだろうか。

余談だが、診察時間に30分も費やしてくれた教授、
その姿勢に心を打たれ、診察後、トイレに駆け込み涙した。
ひとつ間違えれば、私はクレーマーで片付けられていた患者だからだ。



深謝