rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

前提がおかしい

2009-10-02 22:30:03 | その他
世の中には冷静に考えれば「いんちき」や虚像であることが明確であるのに真剣に信用してしまい取り返しの付かない大きな誤りをしてしまうことがあります。占いを信じてつまらない物を買ってしまう程度ならば可愛いものですが、高価な壺やら現世利益を求めて高額な喜捨をしたり、カルト宗教に心酔したり傍目から見て何故いんちきに気づかないのだろうと不思議に思う事も多々あります。

医学においても明らかにいんちきな健康食品やエセ医療に高額な金をかける人達が後を絶たないのが現実です。西洋医学は自然科学の一分野であり、分析の科学です。個体は臓器からなり、臓器は組織からなり、組織は細胞からなるので、病気の治療は細胞にまで遡って考えられます。西洋医学がともすれば体の部分に対する対症療法と批判される原因もそこにありますが、西洋医学の信頼性はその科学的分析にあるといえるでしょう。

西洋医学が唯一絶対正しいものだとは言いません。個体を臓器に腑分けした時点でもとの個体とは違うものになってしまうのですから、その個体そのものの病気を見ているのとは違うことになってしまう。その点個体を個体のまま観察して診断を下す東洋医学の方がより病気の実体に近い場合もあります。しかし世の中にはこの西洋医学の衣をかぶった怪しげなものがたくさんあって、西洋医学の手法によって付けられるべき病名をそのまま用いてその分析手法と全く関係のない方法で診断したり治療したりするものもあるので素人は簡単にだまされてしまうのです。

東洋医学の話題が出ましたが、東洋医学は西洋医学とは全く異なる理論(前提)の上に診断、治療を行うもので、いたずらに西洋医学の理論をくっつけて補充しようという考えはありません。東洋医学を西洋医学的に解明することはかなり行われていますが、これはあくまで西洋医学的手法を用いているもので、西洋医学の一部です。よく患者さんに「漢方薬も効果がありますか。」と聞かれる事がありますが、正しい答えは「東洋医学に基づく疾患概念には効きます。」というものです。しかし東洋医学も同じ人間を扱う医療であり、疾患概念にはオーバーラップしているものもあるのでけっこうそのまま効いてしまう漢方薬もあるため「漢方がとても良く効く場合もあります。」と答えることにしています。

科学とはある前提となる「定理」があって、そこから合理的な論理の展開によって「結論」が導かれます。しかしこの「前提」がおかしいと途中経過の論理展開がいかに正しくても導かれる結論がおかしなものになってしまいます。オウム心理教のように「ハルマゲドンが来る」ことが前提ならば「ポアされてよかった」という結論になります。「資本主義が絶対悪」であれば歴史の必然は「原始共産制」に向かって突き進むことになります。世の中で、理論がしっかりしているようだけれど、結論がおかしいと思われるもの、何か怪しげなものを突き詰めてゆくと、「前提がおかしい」ことに気付きます。その怪しげな前提を納得させるために、世の中に既にある「権威」が利用されたり、超常現象を用いたり、人々の不安が利用されたりします。ねずみ講の場合は「儲けたい」という下心が利用されますね。

「自然科学が本当に正しいか」というのも実は怪しいものです。これは副島隆彦氏がよく理系人間を戒める時に言うことですが、自然科学もその前提となる定理が正しいとする範囲において、正しい論理展開によって導かれる結論が正しいということにすぎないのであって、日常生活上その定理があてはまる範囲がかなり広いから一般論として「自然科学は正しい」としているにすぎないのです。これが社会科学になると前提自体が沢山立てられるので正しい論理展開によって導かれる結論も「正しい結論」が沢山あることになります。経済学なども社会科学と自然科学の中間みたいなもので、様々な正しい結論が出されるようですがなかなか現実と一致しませんね。米国の金融工学という経済学などやはり金融で国家が成り立つという前提が100%間違っていたということでしょう。

我々は「合理的な論理の展開」には弱いものです。途中経過が正しそうだと間違っている結論を真実と思ってしまうことがあります。人間の健康を扱う医学においてはせめてこのような手法は使わないでいただきたいものです。
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和して同ぜず

2009-08-12 22:37:19 | その他
論語に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という言葉があります。付和雷同はすべきではなく、意見が異なる場合は堂々と表明するけれども、全体の調和も考えて無益な争いはしない、という意味であると思います。日本のような小国は国内で戦争や殺し合いをしていては国力自体を削いでしまいかねないので徳川三百年の治世の中で「和を重んずる知恵」が日本人のDNAに刻み込まれたのだろうと前に述べました。和を何より重んずることはえてして「付和雷同」の悪弊になりかねないのですが、正しくは「和して同ぜず」の精神であることは間違いないでしょう。

組織内の権力争いのために敵対勢力の不祥事をマスコミにリークし、怪文書を流し、社会問題化させて反対者を葬るといった事態がありました。結果的に目的は達成されたのですが、組織自体が大きなダメージを受けてしまい権力争いに勝った一部の人間を除いて、組織自体と多くの組織の構成員達が多大な被害を受けてしまいました。社会に出て20年以上経ちますが「見下げ果てた奴というのもいるものだ」と思いました。良い年して「人としての懐の深さ」とか考えたこともなく、論語のろの字も読んだ事ないのでしょう。

具体的な事を書くと全て判ってしまうのですが、これは医療界で起きた事です。しかし医療界に限らず、どう見ても無益な争いで組織や国家全体が疲弊してしまっている現実というのが見渡して見るとずいぶんあるようです。政治家、官僚の社会、一般の企業でもその手の事は日常茶飯事ではないでしょうか。第3者としてながめている分にはけっこう面白かったりするのですが、国家規模の事態になって魚夫の利で結果的に日本が損をして外国が美味しい所をもってゆくような事態になると、このような権力争いをした連中は国家反逆罪と言えますし、会社であれば明らかな背任行為です。

自浄能力のない組織において、「正義のため」に敢えて内部告発をして悪弊を正すということは結果的に組織や社会をより良いものにしようとする行為なので赦されることだと思います。医療の世界でも必要な場合があると私も思います。警察や官僚、一時話題になった食品関係の企業など「社会正義のための内部告発」、「マスコミのバッシングによる矯正」は必要な場合が多々あると思います。これが「正義のため」か「権力争い」かは事態の成り行きをみれば判る事であって難しい問題ではありません。マスコミ業界も「記事になってなんぼ」の世界ですから、単に利用されているだけであっても「記事になる」内容であれば取り上げるものなのでしょう。金をもらって一方の側に有利になる記事を書き、もう一方の側に「こんな記事ができたんですけど。」と持ちかけてより多くの金をもらって記事をもみ消すというライターゴロのような例も前に見た事があります。社会人も長くやっていると世の中のいやな部分を多く見てしまうものだと思いますが、自分なりに社会人として生きるスタイル、流儀というものは作ってきたつもりなのでこれからも事態に流されず納得できる生き方を続けたいものです。
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MacかWindowsか

2009-04-29 20:53:05 | その他
コンピュータを使うならMacかWindowsかという問題はとうの昔に答えが出ていて何をいまさらという感じかと思います。答えはWindowsに決まってます。機種やソフトの多さ、何よりインターネット環境など各種デバイスはWindowsを基準(スタンダード)にして作られているのですから。しかしコンピュータとして優れているのはどちらかと言えば、私なら迷わずMacに軍配をあげるでしょう。

もともとWindowsの見たままの状態でソフトが使えるようにという発想はMacがオリジナルであって、1990年位に当時1台100万円したMacのパソコンがMacintosh Classicとして20万円で買えるようになった時以来、私はMacを使い続けています。現在も職場ではMac、家ではWindowsを使っていますが、論文を書いたり学会発表の準備をするのは使い慣れたMacが一番です。

Macユーザーは説明書を読まない、というのが昔からの評判ですが、私もWindowsを使うまで説明書を読んだ事はなかったです。音楽を聞くiPodやコンピュータ上の音楽管理ソフトのiTunesはWindows使用者でも汎用されていますが、あれらは説明書など読まなくても使えると思います。あの使い勝手がそのままコンピュータ全部にあてはまるのがMacの特徴と言えるでしょう。職場では4年前に購入したiMacをまだ使用しているのですが、最近Windows Vistaのパソコンと最新のMac book(白)を購入してみて、やはりMacの方が使い勝手は数段上だと確信しました。

Windowsで不満なのは頻繁にOSが書き換えられてその度にどんどん重くなってゆくこと。職場で使っているMacはOS10.4を入れてから全くシステムは変えていません。Macユーザーにとってはシステムをいじるなどというのは全てを理解しているコアなユーザー以外ご法度であり、恐ろしい爆弾マークが出ないようにOSには近づかないのが常識でした。Windowsのように終了の度にインターネットの遠隔操作で改善と称して何か勝手に入れられてしまうというのはどうもMacユーザーには否な所作です。まあそれだけ汎用されていて悪意をもった人によってセキュリティに穴ができるのでしょうが、本当に勝手に人のコンピュータをいじくるMicrosoftが信用できるのか、Microsoftは善意の塊であり邪悪な意思は一かけらも持たないのか、はなはだ疑問に感じるところです。

最近You TubeでDownloadしたビデオを家のDVDで大きい画面の良い音で聞けないものかと思っていたところ、Macにおまけで付いていたiDVDというソフトが簡単に解決してくれました。MPEG4をMPEG2に自動的に変換してくれますし、ドラッグ&ドロップでiTunesから直接入れたいビデオを持ってくるだけという気軽さで改めてMacの良さを認めたというか・・・どうもアップルの回し者のようなブログ記事になってしまいました。

最近のMacに苦言を呈するとすれば、いやにWindowsにすり寄っていること。昔からMac上でWindowsを動かすソフトはあったのですが、OS自体をWindowsで開始するboot campなるものを装備してしまって、「Windowsも快適に操作できるMac」とか言ってもそれじゃ始めからWindowsで良いじゃんと思ってしまいます。またOS9のClassic環境が使えなくなったのも大きな減点。Power PCの時には付いていたOS9を使う機能がなくなってしまったので昔からの資料を仕事で使いたい小生には今後もPower PC G4のiMacを使い続けるしかないということでしょうか。RAMが500Kb、ハードディスク40MB(GBでない)のMac Classicで作った文章も最新のMacで読めるというのが良さだったのですが残念です。
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不昧因果が大切です

2008-11-23 18:12:38 | その他
不昧因果(ふまいいんが)とは禅問答において不落因果に対する概念として語られるもので「因果をごまかさない」という意味で使われます。ブログなどでも「無門関」第2則「百丈野狐」の公案という出展が記されていますが、私は尊敬する安岡正篤氏の書物に書かれていた時に知った言葉です。かいつまんで出展を述べると、野狐にされた僧が高僧に対して「あなたのように因果を超越した存在になるにはどのような修業をすれば良いのか」と尋ねた所、高僧は「不昧因果」とのみ答えた。野狐は「ああ、そうか」と悟りを開き成仏した、という話しです。

何の事やらという感じですが、解説すると、修業を積めば因果を超越して、不老不死、現世利益、物理の法則も無視して空も飛べるなどというのは人を騙す「野狐」の如く全て嘘いつわりである。ひとつひとつの因果を全てごまかさず、ありのままを受け入れて対応することが悟りを開いた者のありかたである、と高僧に言われて因果に落ちないことが素晴らしいことであるという誤りを悟ったという話しです。単純な話しですが不昧因果というのはそれ自体が修業のようなものでなかなか出来ないことであると常々思います。

ジャズピアニストのチックコリアは、自分の音楽は「素晴らしい」と言われようが、「どんくさい」と言われようが全ての評価は受け入れなければいけない、それがプロの音楽家というものだ、と語ったと言います。これはある意味「不昧因果」を実践したことばと言えましょう。

医師の仕事においても、自分の治療、手術が上手く行く事もあり、合併症をおこしてしまうこともあります。上手く行けば患者さんからも感謝され、自分としても気分が良いのですが、上手く行かなかった場合患者さんからも信頼関係を損ねる場合があります。そんな時つい「この患者さんは他に合併症があったから」とか「進行していて難しかったから」とか言い訳をしてしまいがちです。まあそれが本当にそうであったとしても、患者さんにとってはうまく行かなかった結果は結果であって変えようがない事実です。私はやや辛いのですが、自分が治療した結果については「不昧因果」を貫いてとことん付き合うことが医者として大事だと思っています。「合併症から逃げない」ことが結局は患者さんに信頼しつづけてもらう上で一番大事だと思いますし、それがプロとしての勤めだろうと考えています。

会員制雑誌「選択」に評論家米沢慧氏の「還りのいのち還りの医療」というコラムがあります。表題の通り医療を語る上で「ただ治れば良い、生命を永らえれば良い」という視点でなく「死を意識した医療のありかた」を論じていていつも愛読しています。「選択」11月号のコラムでは、この十月に亡くなった俳優、緒形拳さんの死について論じていました。緒形さんが病気と壮絶な戦いをしながら生きたというよりも病気をそのまま受け入れながら自分の俳優としての生を全うした点が素晴らしいと評していて、「老いる」が老いをいきる、という意味とすれば病いを生きる「病いる」という生き方があってもよいのではないかと提言しています。遺伝子変異が全くない人間はいないのと同様に全く病気がない人間は本人が健康と思っていてもありえないことです。辛い苦しいは困りますが、それが何とか解決がつくならば医療によって死に至る病が見つけられてしまったとしても、それをありのまま受け入れて病とともに平常心で生きることができればこれは「不昧因果」そのものではないかと感じました。

翻って現実の世の中は、いかに因果をごまかそうという事態が多い事か。修業の結果空を飛んだり、現世利益を謳って喜捨ばかり要求するエセ宗教の氾濫、エセ錬金術による経済破綻を各国の借金でとりあえずフタをする人達、争いを根本原因の解決でなく「力」でねじふせようとする国家や集団、などなど日々のニュースの殆どは「不昧因果」を外していると言えます。

世の中、修業が足りないぞ。
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飲み屋の女性はいくつまでお姐さんと呼ぶか

2008-07-04 18:39:36 | その他
韜晦した話題です。飲み屋さんや街の食堂に勤めている女性に声をかける時は何歳位の人までお姉さんと呼んでよいか、時に迷います。

どこかで話題になったような記憶もあるのですが、定説はないように思います。私は見た目50歳までは「お姐さん」でよいかと、「おばさん」ではきっとその後の愛想が悪そうな気がします。それ以上で見た目70歳位までは「お母さん」、それ以上はさすがに店に出てないと思いますが、万一出ていたら「ご隠居」か「大おかみ」と呼ぶしかないでしょうね。

医療の世界では、看護師を始め、コメディカルの各種技師さん達に女性が多くいるのですが、彼女達はさすがに「お姐さん」呼ばわりする訳には行かないので、名前か職名で呼ぶのが普通です。デパガはお姐さんで良いかもしれませんが、銀行やホテルのフロント係をどう呼ぶかは微妙な所でしょう。スチュアデスさんや婦警さんは「お姐さん」では睨まれそうです。要は専門性がある職種ほど「お姐さん」では失礼にあたるということでしょう。

究極の医療職である女医さんは、ふつう「先生」以外呼びようがありません。よほど親しくなれば「・・ちゃん」も許されるでしょうが、それは希な例。女医さんは医者と結婚する以外のカップルを見た事がありませんが、「・・ちゃん」呼ばわりをずっとさせてくれるような大人の女医さんならうまくゆくのでしょうが、だんだん貫録が着いてくると旦那さんからも独り立ちしてしまう人が多いのも事実です。私は女医さんとは縁がなくてその手の苦労はなかったです、はい。
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I 君のこと

2008-05-27 19:20:34 | その他
 患者さんのことをブログに書くというのは個人が特定されたり、誹謗する内容だったり、またその人の今後に不利な状況が起こる可能性があるようなことは絶対あってはならないと自覚している。しかしもう大分時間も経過したこともあり、しかも昨今の若い人達が自らの命を絶つ、或いは自分を大事にしていないと思われるような軽率な行動から犯罪の犠牲者になる報道に接すると、自らは生きたいと必死に癌と戦ったのに亡くなっていったこの患者さんのことをどうしても記して置きたいと思うようになった。

 医者をやっている上で忘れられない患者さん、心に残る患者さんというのがいる。I君もそんな一人だ。I君は16歳、高校一年である。初めの出会いはまだ真冬の1月下旬、病院の忙しい外来のさ中、看護師から「処置室のベッドで患者さんが痛くて苦しんでます。」という一言からだった。

 「また結石の発作が運ばれてきたか。」と思いながら、近所の病院からの紹介状を読んで驚いてしまった。精巣癌、肝転移、肺転移、後腹膜リンパ節転移、脊椎、脊髄転移、乳酸脱水素酵素(LDH)4千台、αフェトプロテイン700、人絨毛性ゴナドトロピン(HCG)6万6千、しかも無治療とある。「ひええ、これは初診で末期の睾丸腫瘍でもう助からない。」2年前位から睾丸に異常を訴えていたようだが放置、数カ月前から腰痛が出てきたが整形外科では単なる腰痛と言われて放置され前病院を受診した時にはこの状態でCTだけとってこちらに回されてきたのだった。しかし同じ総合病院の泌尿器科医として、せめて連絡をしてこちらの受け入れを確認して送るのが礼儀ではないか、まるで「この子を宜しく」と手紙をつけて赤子を乳児院の玄関に放り込むような送り方である。

 後腹膜の転移が脊椎の何倍もの塊になり、激しい痛みを起こしていて脊髄転移が脊髄本体を圧迫して下半身麻痺が既に起きかかっていた。「これは100%助からない、えらいのが来てしまった。」新患は外来をしている3名の医師が順にみてゆくことになっていた。これから起こるであろういろいろな面倒や不幸な結末を思うと隣で診療している同僚医師のカルテの山の下にそっとこの患者のカルテを入れたい誘惑にかられるが看護師に「どうしましょう」とせっつかれていまさら人に押し付ける訳にも行かず。私の若いときの恩師は「俺が診なくて誰が診る」という気質の尊敬すべき医師でどんな面倒な患者も嫌がらず診ていたことに薫陶を受けていた私は「俺が診ないで誰が診るのだ」と覚悟を決めた。

 精巣癌でも精上皮腫というタイプならば進行していても助かる可能性があるがHCGを出す絨毛癌を多く含むタイプは極めて予後が悪い。精巣腫瘍の経験はいままでも年に数人はあったがここまで進行し、しかもHCGの高い例は初めてだった。同伴してきた母親に「まず10中9助かりません。このまま痛み止めだけで様子を見るか、化学療法死を覚悟で一度退院することを目標に治療してみますか。」と厳しい話しから始めなければいけなかった。

 泌尿器科医をしていて感ずるのは睾丸腫瘍になる男性は決まって「ナイスガイ」である、ことだ。見た目だけではなく気立てが良く、所謂男気のある付き合っていて気持ちの良い「漢」が多いという印象を持っている。女々しい卑怯な奴は見た事がないのである。睾丸腫瘍の患者さんと結婚した看護師もいる。このような性格やホルモンの値と腫瘍とが関係があるのかどうかは定かではないが、この印象を持っている泌尿器科医はどうも私だけではないようだ。このI君も16歳にして例外ではなかった。背が高く、鼻筋の通った色男で性格も極めて良い。本人に「もう駄目です」とはさすがに言えなかったが、癌があること、転移があること、厳しい化学療法をして、少なくとも半年は入院生活になることなどを話し、彼は冷静に受け止めた。この先彼とは長い付き合いになるのだが辛い時にも彼は主治医の私についぞ愚痴めいたこをを言った事が無かった。

 翌日から治療が始まった。片側尿管がリンパ節転移で閉塞していたから皮膚から鉛筆の芯ほどの太さの腎瘻を入れた。化学療法には腎機能が保たれていることが必須である。痛みのために横を向くのがやっとでうつ伏せにはなれなかった。全身麻酔で腫大した精巣を摘除した。転移の割に正常の1.5倍程度にしか大きくない。小児頭大になることもあるのにこの大きさでしかなかったのは発見が遅れた原因の一つでもある。原発巣を取るのは病理組織を確認するためである。下半身麻痺が進行してきている、完全麻痺になる前に、傷が癒えるのを待たずに緊急で病理組織を確認してもらい早々に化学療法を開始した。

 予想通り初回の化学療法は命がけであった。投与量はレジュメ通りPVBである。全身状態が悪かったが手加減せず全量投与で行った。モルヒネが注射で一日量200mgを超えており、毎日40度の発熱が続く。食事は取れないので中心静脈栄養で全て治療する。抗生物質もγグロブリンも使った。できることは何でもした。顆粒球刺激因子を大量に使っても白血球が200-300のまま上がってこない。血圧が50を切り夜中に呼び出される事もあった。しかし若い体力と本人の気力が勝った。倍以上の時間がかかったが熱が引き、白血球が上がり出した。

 休薬期間をおいて2コース目に、2コース目は初回に比べると楽であった。化学療法が劇的に効いたのである。麻痺した下肢の感覚がもどり歩けるようになった。痛みが少しずつ引いてきて痛み止めが不要になり、食事も取れるようになって尿管閉塞もなくなり腎瘻も抜去できた。4コース目が終わる頃にはCT上の肺、肝の転移が消失し、後腹膜で大きく一塊になったリンパ節も二分の一位の大きさに縮小した。LDH、αフェトプロテインもほぼ正常になった。しかしHCGだけが10位を維持して正常の0.2以下まで下らない。癌はまだあるのだ。

 ここまで来ると「もしかしたら」という欲が出る。もしかしたら治るかも知れない。家族や本人が思うのは当然だが、我々も何とかなるかも知れないと希望を持ち始める。しかし既に化学療法は4コースしており、使える抗がん剤も一個体に使える量の限界に近くなっているものもある。もう一押し決定的な化学療法ができないか。そこで「別の化学療法レジュメを用いた末梢血幹細胞輸血」を行うことにした。この末梢血幹細胞輸血は血液の癌治療の分野では骨髄輸血に次いで広く行われており、本人の末梢血から白血球の元になる幹細胞を採取しておいて増やし、大量の化学療法後白血球がゼロになった際に戻してやることで抗がん剤使用後の回復を早める治療である。

 既に半年近く学校を休み淡々と抗がん剤治療を繰り返してきた彼も体調が良くなってどこも痛くないのだからもう退院して学校に行きたいだろう。高校1年の3学期に入院してから2年になって一度も登校していない。体調が良くなった夏休み頃には時々友達は面会に来てくれるが、頭髪も眉も全て抜け落ちた姿は痛々しく、やはり長居はしにくいらしい。末梢血幹細胞輸血を行うにはもう一回化学療法を行って白血球が上昇する時に白血球をフィルターで採取しないといけない。都合あと2回化学療法をやる。しかも2回目は今までで一番辛いかも知れない。彼はこちらの申し出を納得してくれた。

 新しいレジュメを用いて化学療法を行った。血液内科の協力を得て末梢血幹細胞の採取も行った。そして本番の強力な化学療法を行った。白血球が500を切り、100、殆どゼロに近くなり本人の末梢血幹細胞を戻す。幸い危機的状況は短時日で戻り始めた。大事なのは効果である。癌マーカーのLDH、αフェトプロテインは既に正常化していたが、問題のHCGが1の辺りまで下るが完全には陰性化しないのである。これでは治ったと言えない。画像診断では腹部のリンパ節だけが少し大きい塊として残っていたが、これは線維化した塊かも知れず、他の転移巣が肝臓も含めて全く消えていたので全体としては悪くない状況であった。いろいろ文献を調べるが、ここまで酷いとやはり完全に治癒した例は殆どなかった。しかし6回の化学療法に黙って耐えて我々の治療に付いてきてくれた彼に、自覚症状が何もない状態であるのにこれ以上のことを要求する事は無理であった。精神的にも限界だと思った。「帰るのは今しかないかも知れない。できるだけ長くこの状態が持って欲しい。」そう願って一度退院とした。1月に入院してから既に10月を回って冬が近づきつつあった。


 I君が激しい腰痛を訴えて救急外来を受診したのは退院してから2週間が過ぎた頃であった。8ヶ月以上の苦しい入院生活の後である。いろいろ遊んだり、運動も少しずつ始めたこともあるだろう。急に動きすぎたから腰を痛めたのだろうか。それでも尋常でない痛がり方であった。取り合えず再入院として血液検査、骨のレントゲン検査を行う。何れも特に大きな異常は認めない。ガンマーカーのHCGは退院した時よりもやや高値になって3くらいである。2週間で既に3倍は早い。しかしこの腰痛に関係するほどの値ではない。

 数日入院してもどうしても痛みが取れない。整形外科に相談して腰椎のMRI検査を行う。そこで原因がはっきりした。骨転移である。骨の形は崩れていないが、腰椎のいくつかに脊椎の形に正常と異なる濃度の陰が広がっていた。何とか痛みを取るために放射線治療ができないか。実は高校2年の冬にI君の高校では沖縄に修学旅行がある。高校2年になってから通学は殆どしていないから留年はやむを得ないけれど、1年の時からの仲間で修学旅行には行きたいというのがかねてからの彼の願いであった。そうこうするうちに、他の癌マーカーもじわじわと上がり始めていた。このままでは旅行がある1月中旬には再び動けなくなる程癌が悪化してしまうことが予想された。

 ご両親に骨の転移の状態、癌マーカーが再び上がり始めていることを率直に報告した。「何とか修学旅行だけはいけないだろうか。ずっとそのことを楽しみにして話しながら、入院中も頑張ってきたんです。」それは主治医である私も知っていたし、何とか修学旅行には行かせてあげたいというのは親ならずとも同じ思いであった。しかもこの調子では来年の春頃には再発のために酷い状態になっていて、夏頃には恐らく不幸な転帰を遂げていることは間違いない状態であった。それはご両親にもその通り話さざるを得なかった。何という残酷なことを平気で話すのだろうと私は思った。自分も3人の子供の親なのに。

 「修学旅行に行くために、今までに一番効果のあった化学療法をもう一度やろう。正月は帰れなくなるけど修学旅行には間に合うように体力回復ができる。」放射線治療で痛みが少しずつ改善していたI君に私は話した。それ以上詳しい話しは本人にはしていない。本人も詳しい事を私に質問してこない。いろいろ聞きたいことがあるだろう。こんなに頑張っているのに何故痛みが起こったり、また化学療法をやろうなどと言うのか。私ならば相手が困るほど質問していただろう。しかし彼は私の説明に黙って頷いた。両親を困らせるような言動もない。大した男であると感心する。

 医者をやっていると神は存在すると思わせる場面に多々遭遇する。離れた所にいる孫が無事生まれた直後に亡くなって行く老人、海外に行っている息子が帰ってきてから息を引き取る意識不明の癌末期の患者、その他よくこのような巡り合わせがと思うことは多い。「何とか修学旅行にだけは行かせてあげたい」という願いを神は聞いてくれた。途中体調が悪くなったら現地の病院に行って診てもらえるように手紙なども持たせ、入院中外泊という形で、何かあったらいつでも病院にもどれる体制をとって修学旅行に送り出した。学校側もかなり気を使ってくれただろう。そして友人達も彼が参加するについては大変協力してくれたようだ。荷物は友達同士で持ち合って、頭髪も眉もまつげもない痩せた病み上がりの彼を快く受け入れて旅行に参加させてくれた。

 旅行は無事終了した。本当に楽しい旅行だったと言う。皆でカチャーシーを踊ったらしい。家に戻った翌日、彼は両親に連れられて病院に戻ってきた。また腰痛が出始めていた。

 それからは坂道を転がり落ちるという表現の通りであった。癌マーカーの増加速度が一週間ごとに倍々に増えてゆく。前回の化学療法で骨髄も体力も限界でとてもこれ以上積極的な治療は行えない状態であった。痛みが強くなり、モルヒネが開始され、使用量も倍々に増えていった。

 3月には既に目を開けているのがやっとという状態で、血液検査の値も今まで見た事もないような異常値を示していた。神は一瞬やさしいと思わせるけれどとても厳しい。死相が現れていることが分ってしまうのが医師としての辛さである。ある朝、私は彼のベッドを訪れて黙って右手を握った。「よく頑張ったな」と心でつぶやいた。彼は僅かに握り返してきて、私の目を見つめて少し唇を動かした。「ありがとうございました」と言ってくれているように思った。まるで何かのドラマのような話しだが、真実であるから忘れられないのである。

 翌日の未明に、I君は17歳の短い生涯を閉じた。私は遠方の他の病院に出張の日で、病床に駆けつけることはできなかった。前日の別れが彼との最後であった。出張先の病院の医局で一人になった時、私ははらはらと涙が出た。受け持ちの患者さんが亡くなっても涙を流すことはないのであるが、やはり彼は特別であった。自分の子供の年齢に近いし、この1年以上殆ど毎日顔を見てきた。16-7の少年が大人でも感心するような対応をずっと示してくれたのである。人間として私よりも彼の方が上だ、だから早く神に召されたに違いない、そう考えざるを得ない。

 数ヶ月してI君のご両親と会う機会があった。辛い思いをされて、特に病気が酷くなってからは精神的にもかなり参っておられた。しかしお二人とも我々医療者に対しては頭を下げてくださった。頭を下げたいのはこちらも同じである。こちらの治療によく付いてきて下さり、またI君を精神的に支えてくださったのは家族の力であると思う。

 1年以上に渡り、殆ど入院し通しで、できる限りの医療を行ったので医療費は毎月かなりの額であった。勿論高額医療であり、若年者への医療保護の対象でもあり、患者さんの負担は多くないのであるが、毎月高額医療で査定されないよう、病状経過を詳しく保険機構に症状詳記として提出した。修学旅行に参加し、亡くなるまでの経過も毎月報告した。医療費の査定を行った医師も状況を把握し、よく理解してくれたものと思う。亡くなるまでの彼の医療費は一円たりとも減額されることはなかったのである。
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