拉致被害者「戻すべきだった」=日朝交渉停滞の原因-自民・加藤氏(時事通信) - goo ニュース
日本の政治家は時に様々な失言をして責任を問われ、大臣辞職や議員辞職に追い込まれることがあります。加藤氏のこの発言も本人は失言とは思っておらず、正しいと思う事を自信を持って話した節がありますが、明らかに議員辞職に値する失言でしょう。
まず、拉致被害者の方達は北朝鮮が100%悪いと言える国家犯罪によって意思に反して強制的に日本国から誘拐され、数十年に渡り自由を奪われた生活を強制されてきた被害者です。本来ならば拉致の実行犯、命令者とも国際裁判の下に刑罰を課し、国家犯罪であるのですから多額の賠償金を被害者達に対して北朝鮮は支払う義務があります。そのいずれも行われず、また責任を問うこともせず、被害者を帰した方がよいとはどのような思考回路から出てくる言葉なのか。
拉致被害者の家族を呼んだ際に、返す返さないで揉めたことがありましたが、これは国家が決める事ではなく、家族と本人達が決める事です。加藤氏は一族郎党を連れて直ちに将軍様の国に帰化すべきです。もう日本には戻らないで下さい。あなたが北朝鮮に定住することによって日朝関係の改善に尽力していただきたい。どうか罪のない日本人にあなたの手柄のため?の犠牲を強いらないで下さい。
失言といえば、昨年の夏、久間防衛大臣が「原爆はしょうがない」と発言して大臣を罷免されました。これはもう忘れられた事件のように思いますが、私には戦後の日本の歴史観を変えるほどの画期的な事件であると当時思いました。
我々日本人は広島長崎に原爆を落されたのは、日本に戦争の責任があるのだから「致し方ない事だった」と戦後ずっと教育され、政府の見解もその通りでした。大臣だろうと総理だろうと「原爆落されたのはしょうがなかった。」と言うのが本音はともかく正しい見解だったのです。しかしその見解を述べた大臣を罷免するということは、政府として正式に「原爆の使用は誤りである」と断定したことになります。「誤り」と断定したからには、落した犯人に対してそれを断罪し、責任を取らせることをしないといけない。教育においても原爆をこの段階で使用したことを厳しく指弾する教科書を作らないといけない。これはえらいことになるなあ、と言うのがその時の感慨でした。
しかし久間大臣が辞めてしまったら、政府もマスコミもその問題を終わりにしてしまった。我々医者は自分の仕事を決していい加減な気持ちでは行っていない、常にやったこと、その結果に対して真剣に責任を持っています。この事件の時、政府もマスコミも、特にマスコミはあれだけ騒いでおきながら大臣が辞めたらおしまいというのでは「何といういいかげんな連中だろう」と思わざるを得ない。風当たりの強い辛い仕事になるでしょうが、何故アメリカに乗り込んで行って向こうの政府高官にどうやって責任を取るつもりだと追及しなかったのでしょうか。原爆の使用は誤りという政府見解が出たのですから、それに応じた報道をするのが責任あるマスコミの仕事でしょうに。我々とは仕事に対する真剣味が全く違うなあと思ったものです。
さて、今回の加藤氏の失言をマスコミは問題視するかどうか、憲法に示された人権をどれだけマスコミが本当に理解しているかを見る指標になりそうです。
日本の政治家は時に様々な失言をして責任を問われ、大臣辞職や議員辞職に追い込まれることがあります。加藤氏のこの発言も本人は失言とは思っておらず、正しいと思う事を自信を持って話した節がありますが、明らかに議員辞職に値する失言でしょう。
まず、拉致被害者の方達は北朝鮮が100%悪いと言える国家犯罪によって意思に反して強制的に日本国から誘拐され、数十年に渡り自由を奪われた生活を強制されてきた被害者です。本来ならば拉致の実行犯、命令者とも国際裁判の下に刑罰を課し、国家犯罪であるのですから多額の賠償金を被害者達に対して北朝鮮は支払う義務があります。そのいずれも行われず、また責任を問うこともせず、被害者を帰した方がよいとはどのような思考回路から出てくる言葉なのか。
拉致被害者の家族を呼んだ際に、返す返さないで揉めたことがありましたが、これは国家が決める事ではなく、家族と本人達が決める事です。加藤氏は一族郎党を連れて直ちに将軍様の国に帰化すべきです。もう日本には戻らないで下さい。あなたが北朝鮮に定住することによって日朝関係の改善に尽力していただきたい。どうか罪のない日本人にあなたの手柄のため?の犠牲を強いらないで下さい。
失言といえば、昨年の夏、久間防衛大臣が「原爆はしょうがない」と発言して大臣を罷免されました。これはもう忘れられた事件のように思いますが、私には戦後の日本の歴史観を変えるほどの画期的な事件であると当時思いました。
我々日本人は広島長崎に原爆を落されたのは、日本に戦争の責任があるのだから「致し方ない事だった」と戦後ずっと教育され、政府の見解もその通りでした。大臣だろうと総理だろうと「原爆落されたのはしょうがなかった。」と言うのが本音はともかく正しい見解だったのです。しかしその見解を述べた大臣を罷免するということは、政府として正式に「原爆の使用は誤りである」と断定したことになります。「誤り」と断定したからには、落した犯人に対してそれを断罪し、責任を取らせることをしないといけない。教育においても原爆をこの段階で使用したことを厳しく指弾する教科書を作らないといけない。これはえらいことになるなあ、と言うのがその時の感慨でした。
しかし久間大臣が辞めてしまったら、政府もマスコミもその問題を終わりにしてしまった。我々医者は自分の仕事を決していい加減な気持ちでは行っていない、常にやったこと、その結果に対して真剣に責任を持っています。この事件の時、政府もマスコミも、特にマスコミはあれだけ騒いでおきながら大臣が辞めたらおしまいというのでは「何といういいかげんな連中だろう」と思わざるを得ない。風当たりの強い辛い仕事になるでしょうが、何故アメリカに乗り込んで行って向こうの政府高官にどうやって責任を取るつもりだと追及しなかったのでしょうか。原爆の使用は誤りという政府見解が出たのですから、それに応じた報道をするのが責任あるマスコミの仕事でしょうに。我々とは仕事に対する真剣味が全く違うなあと思ったものです。
さて、今回の加藤氏の失言をマスコミは問題視するかどうか、憲法に示された人権をどれだけマスコミが本当に理解しているかを見る指標になりそうです。