rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

ネガティブキャンペーンは誰も幸福にならない

2008-08-27 23:55:33 | 社会
建設的な方向でなく相手を批難中傷したり、ある役職を辞めさせたりする運動を、「その対象を現状よりマイナス方向に向かわせる」という意味で「ネガティブキャンペーン」と呼ぶ事にします。このネガティブキャンペーンは身の回りの日常生活でも頻繁に遭遇しますし、大きな社会の中でも、国家間においても実は日常茶飯事の如く存在していると思われます。そしてこれらに共通していることはネガティブキャンペーンを張られた方も張っている当事者もどちらもプラスの方向、つまり建設的で幸福になる方向に向かわないということが明確であることです。

卑近な例では、他人の悪口を言い募る人間が尊敬され幸福になることはないというのは誰にも納得できることです。会社内の勢力争いなどでも対抗勢力を誹謗中傷する怪文書が出回ったりすることがありますが、大抵出された方のダメージよりも出した結果得すると思っているグループの方が最終的には敗けることが多いものです。マスコミが政治家や大臣を「辞めさせる目的」で瑣末なスキャンダルを執拗に報道することがあります。恐らくそのキャンペーンで得をすると信じているグループもあるのでしょうが、少なくとも多くの国民にとっては何の関係もない誰の得にもならない問題です。このことで多くの国民の生活がこのように改善する、だからこの報道をするのだという筋の通った精神が見られない報道は、「ジャーナリズム」とは言えない与太記事でありジャーナリズムの自己否定に過ぎないと常々感じています。(そんな記事ばかりなのですが)

社会においては、左翼勢力や左翼的市民グループと称する連中を観察すると、殆どネガティブキャンペーンしかしません。自分たちの主張を正当化する手段として相手を誹謗中傷する以外ないようです。相手を高めるような建設的な意見を具申して御互いに良い関係を作っていこうという左翼グループは皆無です。ネガティブキャンペーンは誰も幸福にしないので、結果的に世の中に幸福な左翼というのは見た事がありません。

国家間においても相手国をただ誹謗中傷するだけのネガティブキャンペーンが氾濫しています。やたらと戦争責任や植民地支配を持ち出す国々など、理論通りやはり幸せな国家・国民ではないようです。法話のような内容になりましたが、相手を高めて建設的な関係にするための批判は多いによろしいと思いますが、相手を引き下ろすだけのネガティブな行動は誰も幸せにならないから止めようということです。それなのにネガティブキャンペーンが世の中に氾濫しているのは人間のねたみや弱さ、愚かさの現れでしょうか。少なくとも国家そのものがネガティブキャンペーンの音頭を取るようなみっともないことは国家の品格にかかわることであり、やめて欲しいものです。
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