書評 「朝鮮戦争(金日成とマッカーサーの陰謀)」萩原遼 文春文庫1997年
1993年に文藝春秋社から出された単行本の文庫化されたもので、77年に情報公開されたアメリカ公文書館の160万ページに及ぶ朝鮮戦争時の資料から戦争に至った経緯、当時の北朝鮮側からみた韓国の状況などを公平な視点で詳述した好著だと思います。著者は大阪外語大の朝鮮語科を卒業して赤旗の記者として20年勤務し、平壌特派員も勤めていた朝鮮のエキスパートですが、内容はイデオロギーに捕われず、事実に即し、人間としての自然な感情に従い、欺瞞や非人間的な事態には右も左もなく分析批難するまっとうなジャーナリズム精神を持っておられる方であると思います。
北朝鮮が欺瞞と抑圧、餓え、犯罪の渦巻く収容所国家であることは現在では常識となりましたが、93年当時はまだ世界は社会主義の幻想からやっと覚醒したばかりで北朝鮮がこれほど酷い国だとは思っていなかったと思います。筆者は北朝鮮国家の成立時点まで遡って、朝鮮戦争発生の起源を探ってゆきます。
朝鮮半島北部を占領したソ連軍は、極東方面軍88特別狙撃旅団にいて亡命朝鮮人隊員「キムソンジュ」という33歳の大尉を1920年代からの伝説的な抗日の勇士金日成にすりかえて北朝鮮首班に指名し統治させました。北の施策は全てソ連の指示の下、最終的には朝鮮半島全体をソ連の指揮下に納めることが目的とされ朝鮮人による主体的国造りなど全く認められなかったのです。
朝鮮戦争の開戦は北の南進から始まったことは常識ですが、先に開戦したのは南であるという主張は「先に戦争を始めた方が倫理的な悪」という思想に基づいており、最近のグルジア紛争でもロシアかグルジアかで争われたように正義の旗印をかかげるためには必要な言い分と考えられています。計画的南進は計画的軍の配置を確認できれば容易に判断できることで、北の計画的南進は当時の軍の命令書や兵士達に開戦前に配布された南進後の行動計画などから弁解の余地はないものです。しかし題名に(金日成とマッカーサーの陰謀)とあるように、興味深いのは開戦前の時期から米軍側に北の間諜から計画的南進を示唆する多くの情報が寄せられていたにも係わらず米軍が南進を留まらせる策を何ら打っていなかったという事実があることです。
「アメリカは真珠湾攻撃を知っていた」、「911の直前に既に情報が入っていた」など、アメリカの戦争には優れた情報組織からの確実な情報を得ていながら、先に手を出させておいて自らのやりたい戦争を行うというパターンがあるようです。1950年の段階でその直前に成立した共産中国はアメリカのアジア支配にとって当時覇権を争っていたソ連との関連からも許しがたい状況にあったことは否めなかったでしょう。どこまで本気か不明ですが、北に手を出させて弱小北朝鮮軍を一機に蹴散らしてから、蒋介石と協力して共産中国も追い払うという戦略が考えられていたこともあったようです。実際マッカーサーは蒋と秘密に会談して大統領に叱責されています。
一方で金日成は南進の計画で米軍が参戦してくることは眼中になかったことが見て取れます。仁川上陸後、米軍に敗退した北朝鮮はソ連の参戦を望みますが、冷たく却下されます。ソ連一辺倒だった北がソ連と距離を置いて中国に近づくのはここからですが、もう一方の中国はアメリカの参戦を自国の脅威と戦略的に見ていたことが明らかなのもまた興味深い所です。
当時の中国人(共産党でなく)にとって他国である北朝鮮にアメリカが来ようがソ連が来ようがどうでもよいことだったはずです。それをのべ300万人を動員し、山を埋め尽くす人海戦術で装備が勝り、制空権を持つ米軍を38度線まで押し返した共産中国の裏事情というのは十分な情報はないものの、今後ますます明らかになってくるでしょう。大量の国民党軍の捕虜を背後から銃で脅して一機に処分したという話しもあります(http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20070613/1181698643)。
本書にはその解釈はありませんが、私は朝鮮戦争は朝鮮の独立戦争であったのではないかと考察したことがあります。つまり当初の南進で北が勝っていれば、共産朝鮮の、南の巻き返しで北を中国に追い出していれば韓国が朝鮮を統一していたはずです。しかし米軍の参戦、中国の参戦がそれぞれの独立朝鮮の成立を阻み、現在もその両国の存在が朝鮮統一の障害になっている事実は変わりません。
北朝鮮は主席も動向不明(08年9月)とされ、韓国も対外債務がかさみ経済が破綻しかかっている現在、両国が建設的な方向で統一に向かう事は困難な状況です。しかし軍事は別として、米中の経済的命運が意外にも表裏一体と見られていることから、情勢判断が適確であれば将来的に朝鮮が平和的に統一できるチャンスはあるように思います。そのためにも両国民が欺瞞や見栄にとらわれないありのままの歴史解釈ができる人達に成長してくれることを隣人として望みます。
1993年に文藝春秋社から出された単行本の文庫化されたもので、77年に情報公開されたアメリカ公文書館の160万ページに及ぶ朝鮮戦争時の資料から戦争に至った経緯、当時の北朝鮮側からみた韓国の状況などを公平な視点で詳述した好著だと思います。著者は大阪外語大の朝鮮語科を卒業して赤旗の記者として20年勤務し、平壌特派員も勤めていた朝鮮のエキスパートですが、内容はイデオロギーに捕われず、事実に即し、人間としての自然な感情に従い、欺瞞や非人間的な事態には右も左もなく分析批難するまっとうなジャーナリズム精神を持っておられる方であると思います。
北朝鮮が欺瞞と抑圧、餓え、犯罪の渦巻く収容所国家であることは現在では常識となりましたが、93年当時はまだ世界は社会主義の幻想からやっと覚醒したばかりで北朝鮮がこれほど酷い国だとは思っていなかったと思います。筆者は北朝鮮国家の成立時点まで遡って、朝鮮戦争発生の起源を探ってゆきます。
朝鮮半島北部を占領したソ連軍は、極東方面軍88特別狙撃旅団にいて亡命朝鮮人隊員「キムソンジュ」という33歳の大尉を1920年代からの伝説的な抗日の勇士金日成にすりかえて北朝鮮首班に指名し統治させました。北の施策は全てソ連の指示の下、最終的には朝鮮半島全体をソ連の指揮下に納めることが目的とされ朝鮮人による主体的国造りなど全く認められなかったのです。
朝鮮戦争の開戦は北の南進から始まったことは常識ですが、先に開戦したのは南であるという主張は「先に戦争を始めた方が倫理的な悪」という思想に基づいており、最近のグルジア紛争でもロシアかグルジアかで争われたように正義の旗印をかかげるためには必要な言い分と考えられています。計画的南進は計画的軍の配置を確認できれば容易に判断できることで、北の計画的南進は当時の軍の命令書や兵士達に開戦前に配布された南進後の行動計画などから弁解の余地はないものです。しかし題名に(金日成とマッカーサーの陰謀)とあるように、興味深いのは開戦前の時期から米軍側に北の間諜から計画的南進を示唆する多くの情報が寄せられていたにも係わらず米軍が南進を留まらせる策を何ら打っていなかったという事実があることです。
「アメリカは真珠湾攻撃を知っていた」、「911の直前に既に情報が入っていた」など、アメリカの戦争には優れた情報組織からの確実な情報を得ていながら、先に手を出させておいて自らのやりたい戦争を行うというパターンがあるようです。1950年の段階でその直前に成立した共産中国はアメリカのアジア支配にとって当時覇権を争っていたソ連との関連からも許しがたい状況にあったことは否めなかったでしょう。どこまで本気か不明ですが、北に手を出させて弱小北朝鮮軍を一機に蹴散らしてから、蒋介石と協力して共産中国も追い払うという戦略が考えられていたこともあったようです。実際マッカーサーは蒋と秘密に会談して大統領に叱責されています。
一方で金日成は南進の計画で米軍が参戦してくることは眼中になかったことが見て取れます。仁川上陸後、米軍に敗退した北朝鮮はソ連の参戦を望みますが、冷たく却下されます。ソ連一辺倒だった北がソ連と距離を置いて中国に近づくのはここからですが、もう一方の中国はアメリカの参戦を自国の脅威と戦略的に見ていたことが明らかなのもまた興味深い所です。
当時の中国人(共産党でなく)にとって他国である北朝鮮にアメリカが来ようがソ連が来ようがどうでもよいことだったはずです。それをのべ300万人を動員し、山を埋め尽くす人海戦術で装備が勝り、制空権を持つ米軍を38度線まで押し返した共産中国の裏事情というのは十分な情報はないものの、今後ますます明らかになってくるでしょう。大量の国民党軍の捕虜を背後から銃で脅して一機に処分したという話しもあります(http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20070613/1181698643)。
本書にはその解釈はありませんが、私は朝鮮戦争は朝鮮の独立戦争であったのではないかと考察したことがあります。つまり当初の南進で北が勝っていれば、共産朝鮮の、南の巻き返しで北を中国に追い出していれば韓国が朝鮮を統一していたはずです。しかし米軍の参戦、中国の参戦がそれぞれの独立朝鮮の成立を阻み、現在もその両国の存在が朝鮮統一の障害になっている事実は変わりません。
北朝鮮は主席も動向不明(08年9月)とされ、韓国も対外債務がかさみ経済が破綻しかかっている現在、両国が建設的な方向で統一に向かう事は困難な状況です。しかし軍事は別として、米中の経済的命運が意外にも表裏一体と見られていることから、情勢判断が適確であれば将来的に朝鮮が平和的に統一できるチャンスはあるように思います。そのためにも両国民が欺瞞や見栄にとらわれないありのままの歴史解釈ができる人達に成長してくれることを隣人として望みます。