rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

和して同ぜず

2009-08-12 22:37:19 | その他
論語に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という言葉があります。付和雷同はすべきではなく、意見が異なる場合は堂々と表明するけれども、全体の調和も考えて無益な争いはしない、という意味であると思います。日本のような小国は国内で戦争や殺し合いをしていては国力自体を削いでしまいかねないので徳川三百年の治世の中で「和を重んずる知恵」が日本人のDNAに刻み込まれたのだろうと前に述べました。和を何より重んずることはえてして「付和雷同」の悪弊になりかねないのですが、正しくは「和して同ぜず」の精神であることは間違いないでしょう。

組織内の権力争いのために敵対勢力の不祥事をマスコミにリークし、怪文書を流し、社会問題化させて反対者を葬るといった事態がありました。結果的に目的は達成されたのですが、組織自体が大きなダメージを受けてしまい権力争いに勝った一部の人間を除いて、組織自体と多くの組織の構成員達が多大な被害を受けてしまいました。社会に出て20年以上経ちますが「見下げ果てた奴というのもいるものだ」と思いました。良い年して「人としての懐の深さ」とか考えたこともなく、論語のろの字も読んだ事ないのでしょう。

具体的な事を書くと全て判ってしまうのですが、これは医療界で起きた事です。しかし医療界に限らず、どう見ても無益な争いで組織や国家全体が疲弊してしまっている現実というのが見渡して見るとずいぶんあるようです。政治家、官僚の社会、一般の企業でもその手の事は日常茶飯事ではないでしょうか。第3者としてながめている分にはけっこう面白かったりするのですが、国家規模の事態になって魚夫の利で結果的に日本が損をして外国が美味しい所をもってゆくような事態になると、このような権力争いをした連中は国家反逆罪と言えますし、会社であれば明らかな背任行為です。

自浄能力のない組織において、「正義のため」に敢えて内部告発をして悪弊を正すということは結果的に組織や社会をより良いものにしようとする行為なので赦されることだと思います。医療の世界でも必要な場合があると私も思います。警察や官僚、一時話題になった食品関係の企業など「社会正義のための内部告発」、「マスコミのバッシングによる矯正」は必要な場合が多々あると思います。これが「正義のため」か「権力争い」かは事態の成り行きをみれば判る事であって難しい問題ではありません。マスコミ業界も「記事になってなんぼ」の世界ですから、単に利用されているだけであっても「記事になる」内容であれば取り上げるものなのでしょう。金をもらって一方の側に有利になる記事を書き、もう一方の側に「こんな記事ができたんですけど。」と持ちかけてより多くの金をもらって記事をもみ消すというライターゴロのような例も前に見た事があります。社会人も長くやっていると世の中のいやな部分を多く見てしまうものだと思いますが、自分なりに社会人として生きるスタイル、流儀というものは作ってきたつもりなのでこれからも事態に流されず納得できる生き方を続けたいものです。
コメント
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