遠い国で自分の息子が死んだ時、戦場の悲惨を写真で見せる是非??ニュースな英語(gooニュース・ニュースな英語) - goo ニュース
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アフガニスタンで死亡した米軍の若い兵士の写真を通信社が配信し、新聞社などのメディアが報じたことについての是非が問題になっているようです。反対意見の主旨は家族の意向を無視する形で配信、掲載したことは遺族の悲しみを増す事になるから良くないというもの。一方で評価するという意見は戦場の実相を伝えることが大事だというもので、米国の若者が実際に傷つき死んでいるのだという現実を写真という形で示すことが今起こっている現実を考える上で大事だというものです。
記事によると911以降は死傷者の写真は使わないという不文律が米国のメディアにはあるそうで、戦争で多くの犠牲者が出ているのに戦場様子を伝える写真は遠くから爆炎が上がったり残骸になった建物を映したりする映像だけになっているようです。確かに無人攻撃機「プレデター」からの映像でゲームを行うように建物や走る車にミサイルが命中する映像などはよく出てきます。もし米軍の犠牲者一人ひとりについてその背景を詳しく報道していたら、そしてもっと言えばアフガンやイラクで犠牲になった民間人についても一人ひとり詳しく報道していたら、米国は戦争は殺人であるという事実にずっと耐え続けることができるだろうかと思います。
20世紀になってから米国は自国の国土が戦場になったことは一度もありません。常に外国に出かけていって他国の国土で戦争をしているわけで、敵が米国内にいる兵士達の家族を殺す危険性は一度もなかったと言えます(真珠湾攻撃も軍事施設だけです)。映画「硫黄島からの手紙」と「父親達の星条旗」の2部作をあえて同時に作ったのは、日本軍にとって硫黄島の死闘が「手紙」に象徴される本土の家族達を米軍の攻撃から守ることに直接つながるのに対して、米軍にとっては「旗」に象徴される国家のための戦いでしかなかった、というのが草の根保守である監督イーストウッドが主張したかったことだろうと前に書きました。
戦争が殺人であるという現実は、相手を殺さなければ自分や自分の大事な家族が殺されてしまうという現実があって初めて正当化され耐えられるものであると思います。「自分とは関係ないこと」あるいは「ゲーム」であれば耐えられるでしょうが、戦争は殺人であると言う現実と向かい合いながら他国の領土に出かけていって戦争を続けることは、アメリカ人であっても耐えられないのではないか、とこの記事を見て思いました。
民主党政権はよもや自衛隊をアフガンに派遣しようなどと言い出さないと思いますが、戦争は殺人であるという事実に耐えられる状況(よほどのことがないと耐えられない、むしろ戦場になっているアラブの人達は耐えられるよほどの状況にあるとも言えますが)に国民がならない限り他国に戦争のために自衛隊を派遣しようなどと絶対に考えないことです。
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アフガニスタンで死亡した米軍の若い兵士の写真を通信社が配信し、新聞社などのメディアが報じたことについての是非が問題になっているようです。反対意見の主旨は家族の意向を無視する形で配信、掲載したことは遺族の悲しみを増す事になるから良くないというもの。一方で評価するという意見は戦場の実相を伝えることが大事だというもので、米国の若者が実際に傷つき死んでいるのだという現実を写真という形で示すことが今起こっている現実を考える上で大事だというものです。
記事によると911以降は死傷者の写真は使わないという不文律が米国のメディアにはあるそうで、戦争で多くの犠牲者が出ているのに戦場様子を伝える写真は遠くから爆炎が上がったり残骸になった建物を映したりする映像だけになっているようです。確かに無人攻撃機「プレデター」からの映像でゲームを行うように建物や走る車にミサイルが命中する映像などはよく出てきます。もし米軍の犠牲者一人ひとりについてその背景を詳しく報道していたら、そしてもっと言えばアフガンやイラクで犠牲になった民間人についても一人ひとり詳しく報道していたら、米国は戦争は殺人であるという事実にずっと耐え続けることができるだろうかと思います。
20世紀になってから米国は自国の国土が戦場になったことは一度もありません。常に外国に出かけていって他国の国土で戦争をしているわけで、敵が米国内にいる兵士達の家族を殺す危険性は一度もなかったと言えます(真珠湾攻撃も軍事施設だけです)。映画「硫黄島からの手紙」と「父親達の星条旗」の2部作をあえて同時に作ったのは、日本軍にとって硫黄島の死闘が「手紙」に象徴される本土の家族達を米軍の攻撃から守ることに直接つながるのに対して、米軍にとっては「旗」に象徴される国家のための戦いでしかなかった、というのが草の根保守である監督イーストウッドが主張したかったことだろうと前に書きました。
戦争が殺人であるという現実は、相手を殺さなければ自分や自分の大事な家族が殺されてしまうという現実があって初めて正当化され耐えられるものであると思います。「自分とは関係ないこと」あるいは「ゲーム」であれば耐えられるでしょうが、戦争は殺人であると言う現実と向かい合いながら他国の領土に出かけていって戦争を続けることは、アメリカ人であっても耐えられないのではないか、とこの記事を見て思いました。
民主党政権はよもや自衛隊をアフガンに派遣しようなどと言い出さないと思いますが、戦争は殺人であるという事実に耐えられる状況(よほどのことがないと耐えられない、むしろ戦場になっているアラブの人達は耐えられるよほどの状況にあるとも言えますが)に国民がならない限り他国に戦争のために自衛隊を派遣しようなどと絶対に考えないことです。