がんになったけれど自分の状態にふさわしい病院にかかることができない状態を「がん難民」と言い、日本のがん医療の不行き届きな点として紹介されることが多いです。適切な手術や放射線、化学療法を行なえる施設が限られている場合もありますし、進行してしまい緩和ケアを患者が受ける環境が整っていない場合も多々あります。
たびたび登場する「往きの医療」の観点からは、急性期病院やがん拠点病院における医療を日本中で均質化してどの地域でも最良の医療が受けられることを目標に厚労省は指導をしています。我々医師の側も目標がはっきりしていますから、「手術がうまくなる」「診断技術が向上する」「施設を充実させる」といったことを目標に頑張ります。もっともこれは昔からやってきたことでもあります。
一方で「還りの医療」の観点からの「がんと共に生きる」「緩和ケアを充実させる」といった方は、最近やっと厚労省も診療報酬においてインセンチブを置き始めた段階であって、医師、特に開業医・家庭医が中心になる必要があるのですがまだ殆ど広がりを見せていないと言えます。開業医には医学的にリスクも少なく、責任も生じにくい「予防医学」には熱心な先生が多いのですが、二十四時間拘束されて家に呼ばれる可能性がある「家庭における終末期医療」などまっぴらであるという医師が多いのも事実です。結果として「急変したら救急車を呼んで近くの病院に運んで勤務医に看取らせる」というのが現実となっています。
「家に帰りたい」「畳の上で死にたい」と訴える高齢のがん患者が沢山います。なんとかぎりぎりまで家で麻薬など処方しながら過ごしてもらって、意識も朦朧となって救急車で入院というのが比較的うまく行った「がんの最期の看取りパターン」です。死んで白骨化して二十年も畳の上に放置されるのも困ったものですが、死んでゆく時に「自分の住み慣れた家で」というのは私自身に置き換えてもそうありたいと思います。私の父は三十年前に朝方家で寝ている時に異型狭心症から心筋梗塞になって急死してしまったのですが、十年来通っていた近くの開業医さんが家まで来てくれて死亡診断書を書いてくれたので「検死」だの何だの面倒なことにならずに済みました。当時はまだおおらかな時代でそのようなこと(24時間以内に診察をしていなくても問題がなさそうなら死亡診断書を書いてしまう)も普通だったのですが、現在ならばそう簡単には終わらないでしょう。
私が専攻している泌尿器科は高齢の患者さんが多く、早期前立腺癌などは治療さえしておけば命にかかわる事はないので五年十年と通い続ける患者さんも出てきます。そのうち前立腺癌では死なないけど他の癌になってしまう、特にそれが進行した状態で見つかるなどということも多々あります。以前前立腺癌の治療中で腫瘍マーカー(PSA)はごく低い値であるのに頚部リンパ節に腺癌が出現し、消化器系の腫瘍マーカーが組織で染色されたにもかかわらず明らかな消化器癌が検査で見つからなかったために「取り合えず癌がはっきりしているのは前立腺だけだから」という理由で泌尿器科で最期まで面倒を見たことがあります。死亡診断書は「前立腺癌」と書くしかなかったのですが、明らかに前立腺癌による死亡ではありません(二十年前に大腸ガンの手術をしていたのでそれだろうと思われましたが)。最近も肺に多発転移がいきなり出現した患者さんがいて、マーカーから多分原発は肺癌と思うのですが高齢で検査する体力もなく、最期だけ確証もなくその専門科に押し付けることもできないので泌尿器科で診ている患者さんがいます。
外科系総合診療科(何でも診る外科系の科)を自任する泌尿器科ですから、しかも癌の末期など、どの専門科が診てもやることは一緒ですから、付き合いの長い当科で診ることもやぶさかではないのですが、「これも癌難民の一例か」と感じています。
がんになったら「がんセンター」に行かなければ、とお題目のように考えている人もいまだにかなりいます。築地のがんセンターは悪い病院ではありませんが、原則は治る癌しか診ません。「再発したら地元の病院に行って下さい」という確約を取って治る癌だけを治療します。また特に日本における先進的な治療を行なっている訳でもありません。このような話しをすると目を丸くして「本当ですか」と訝る人もいますが、再発癌や末期癌を全て診ていたらすぐに病院がパンクしてしまうことを話すと納得します。がんセンター東病院には緩和病棟がありますが、総じて「往きの医療」に特化した病院であって「あるべき癌医療のモデル病院とはほど遠い存在」と言えるでしょう。そうなるには規模を5倍位にして医師やスタッフを10倍位増やさないと無理です。厚労省には「がんセンターをあるべきモデルに」しようなどというつもりは予算を見る限り全くありません。
八十五歳以上で特に苦痛もなく死に導く癌は「天寿癌」と考えて老衰と同様に考えよう、という概念を以前紹介しました(http://blog.goo.ne.jp/rakitarou/e/547d2c3edec7087952c7c6d233bf06e2)。私は八十歳以上は無理なく治療できる範囲で治療して、後は天寿癌と考えてよいのではないかと思います。「還りの医療」を中心に残る人生を楽しく過ごせるように環境を整えてあげることが「優れた癌医療」と言えるのではないかと思います。
たびたび登場する「往きの医療」の観点からは、急性期病院やがん拠点病院における医療を日本中で均質化してどの地域でも最良の医療が受けられることを目標に厚労省は指導をしています。我々医師の側も目標がはっきりしていますから、「手術がうまくなる」「診断技術が向上する」「施設を充実させる」といったことを目標に頑張ります。もっともこれは昔からやってきたことでもあります。
一方で「還りの医療」の観点からの「がんと共に生きる」「緩和ケアを充実させる」といった方は、最近やっと厚労省も診療報酬においてインセンチブを置き始めた段階であって、医師、特に開業医・家庭医が中心になる必要があるのですがまだ殆ど広がりを見せていないと言えます。開業医には医学的にリスクも少なく、責任も生じにくい「予防医学」には熱心な先生が多いのですが、二十四時間拘束されて家に呼ばれる可能性がある「家庭における終末期医療」などまっぴらであるという医師が多いのも事実です。結果として「急変したら救急車を呼んで近くの病院に運んで勤務医に看取らせる」というのが現実となっています。
「家に帰りたい」「畳の上で死にたい」と訴える高齢のがん患者が沢山います。なんとかぎりぎりまで家で麻薬など処方しながら過ごしてもらって、意識も朦朧となって救急車で入院というのが比較的うまく行った「がんの最期の看取りパターン」です。死んで白骨化して二十年も畳の上に放置されるのも困ったものですが、死んでゆく時に「自分の住み慣れた家で」というのは私自身に置き換えてもそうありたいと思います。私の父は三十年前に朝方家で寝ている時に異型狭心症から心筋梗塞になって急死してしまったのですが、十年来通っていた近くの開業医さんが家まで来てくれて死亡診断書を書いてくれたので「検死」だの何だの面倒なことにならずに済みました。当時はまだおおらかな時代でそのようなこと(24時間以内に診察をしていなくても問題がなさそうなら死亡診断書を書いてしまう)も普通だったのですが、現在ならばそう簡単には終わらないでしょう。
私が専攻している泌尿器科は高齢の患者さんが多く、早期前立腺癌などは治療さえしておけば命にかかわる事はないので五年十年と通い続ける患者さんも出てきます。そのうち前立腺癌では死なないけど他の癌になってしまう、特にそれが進行した状態で見つかるなどということも多々あります。以前前立腺癌の治療中で腫瘍マーカー(PSA)はごく低い値であるのに頚部リンパ節に腺癌が出現し、消化器系の腫瘍マーカーが組織で染色されたにもかかわらず明らかな消化器癌が検査で見つからなかったために「取り合えず癌がはっきりしているのは前立腺だけだから」という理由で泌尿器科で最期まで面倒を見たことがあります。死亡診断書は「前立腺癌」と書くしかなかったのですが、明らかに前立腺癌による死亡ではありません(二十年前に大腸ガンの手術をしていたのでそれだろうと思われましたが)。最近も肺に多発転移がいきなり出現した患者さんがいて、マーカーから多分原発は肺癌と思うのですが高齢で検査する体力もなく、最期だけ確証もなくその専門科に押し付けることもできないので泌尿器科で診ている患者さんがいます。
外科系総合診療科(何でも診る外科系の科)を自任する泌尿器科ですから、しかも癌の末期など、どの専門科が診てもやることは一緒ですから、付き合いの長い当科で診ることもやぶさかではないのですが、「これも癌難民の一例か」と感じています。
がんになったら「がんセンター」に行かなければ、とお題目のように考えている人もいまだにかなりいます。築地のがんセンターは悪い病院ではありませんが、原則は治る癌しか診ません。「再発したら地元の病院に行って下さい」という確約を取って治る癌だけを治療します。また特に日本における先進的な治療を行なっている訳でもありません。このような話しをすると目を丸くして「本当ですか」と訝る人もいますが、再発癌や末期癌を全て診ていたらすぐに病院がパンクしてしまうことを話すと納得します。がんセンター東病院には緩和病棟がありますが、総じて「往きの医療」に特化した病院であって「あるべき癌医療のモデル病院とはほど遠い存在」と言えるでしょう。そうなるには規模を5倍位にして医師やスタッフを10倍位増やさないと無理です。厚労省には「がんセンターをあるべきモデルに」しようなどというつもりは予算を見る限り全くありません。
八十五歳以上で特に苦痛もなく死に導く癌は「天寿癌」と考えて老衰と同様に考えよう、という概念を以前紹介しました(http://blog.goo.ne.jp/rakitarou/e/547d2c3edec7087952c7c6d233bf06e2)。私は八十歳以上は無理なく治療できる範囲で治療して、後は天寿癌と考えてよいのではないかと思います。「還りの医療」を中心に残る人生を楽しく過ごせるように環境を整えてあげることが「優れた癌医療」と言えるのではないかと思います。