高校生の息子が半強制的に応援団に入部させられて夏の甲子園の予選大会の応援に行きました。伝統のある高校ではないし、進学校でもあるので野球部もなんちゃって野球部に近く、一回戦コールド負けだったのですが、応援スタイルは何故か「模擬早稲田大学」で早稲田の応援団の様式を真似ていました。
応援団の演舞を身に付ける格好のビデオは、毎年6月に日比谷公会堂で行われる六大学応援団披露会「六旗の下に」です。このような催しがあることを息子が借りてきたDVDで初めて知ったのですが、もう50年以上続いているらしくかなり人気のある催しのようです。
何しろ六大学の応援演目は毎年殆ど同じで出演者だけが毎年違う。大学の紹介をする「口上」は毎年その時々の流行などを入れて趣向をこらしているようですが、この「毎回同じ」ということが「伝統を引き継ぐ者」として最も重視されるのですからその年々の団長達がいかに「バンカラ」であるかで盛り上がり方も変るというものです。この催しは六大学がそれぞれ40分近くの演目を披露するので延々6時間位やるらしいのですが、その間中会場から声援や拍手が止まないというすごい熱気のあるものです。手をぷるぷる震わせながら応援団旗を低く持つ、ただそれだけのパフォーマンスに会場から絶大な声援が送られます。伝統の重みを必死に支える現役学生の姿に、(多分)先輩達が声援を送るのでしょう。
私は新設医大の一桁卒業ですから大学に伝統も何もありませんでした。だからこのような世界があることも知らなかったのですが、50を過ぎて二十歳そこそこの現代の大学生達が大学の伝統を背負ってバンカラを競っている姿は何となく羨ましいと感じてしまいます。むさ苦しい応援団の男子のまわりで飛び回るチアガールの面々も健康的なお色気があってとても良い感じです。というか最後のフィナーレなど殆ど30分以上激しくチアリーディングで踊り続ける姿を見ると、その体力気力だけでも男子以上、十分女子も体育会系であることが解ります。
六大学の中で傑出しているのは何と言っても「東大」でしょう。野球などシーズンで一勝するかどうかなので「チャンスパターンメドレー」を本番で踊ることは少ないのかも知れませんが天下の東大生が学生服に坊主頭で手をぶんぶん回しながら必死に応援歌を歌い、鉄腕アトムを踊る姿(六大学の中で一番ハード)は「あっぱれ!」の一言、しかも東大のチアリーディングもかっこよい、You Yubeにもアップされているようなのでこれは一見の価値ありです。
ある状況において、ある決まった形に振る舞う(パフォーマンスする)ことを期待されている場合、その最も期待される形で振る舞えることが「行動における美学」であると私は思います。手術、営業のプレゼン、またこの応援団の演技すべて求められる最高の形でやりとげることが「行動の美学」でありそれができることが「実行力の証」でもあります。そこに迷い衒いがあると美しいパフォーマンスはできません。「東大まで行ってこんなことしなくても・・」というのは本人達が一番判っていることであり、そこを敢えてバカをやれる彼らこそ、「その他大勢よりも一段上を行く美学と行動力の持ち主」であるとこの年になると理解できるのです。
演者の紹介をする時に「どこそこの高校出身!」という所で「名門!」という声が歌舞伎の「間の手」のように入るのですが、考えて見ると「大学」という括りの中では「出身高校」というのがその学生の評価のひとつとして大事なのだな、と判ります。社会に出るとこれが「出身大学」に変ります。私は現在私立大学の教員ですが、この大学の中にも出身高校の同門会というのがあって、年に一回上は理事長、教授、下は学生まで20人位が集まります。出身大学は異なっても現在の職場に来たことでこの大学の一員となって高校の同門に親しみが湧くという、まあどうでも良い事でもあるのですが私としては理事長という大学の最高権力者が高校同窓でそれなりに親しくしてもらえたことは社会人として(―)ではありませんでした。
「応援団が熱い」と感ずるのはそれを見る全ての世代において、美学として期待されるパフォーマンスについての価値観に断絶がないからかも知れません。
応援団の演舞を身に付ける格好のビデオは、毎年6月に日比谷公会堂で行われる六大学応援団披露会「六旗の下に」です。このような催しがあることを息子が借りてきたDVDで初めて知ったのですが、もう50年以上続いているらしくかなり人気のある催しのようです。
何しろ六大学の応援演目は毎年殆ど同じで出演者だけが毎年違う。大学の紹介をする「口上」は毎年その時々の流行などを入れて趣向をこらしているようですが、この「毎回同じ」ということが「伝統を引き継ぐ者」として最も重視されるのですからその年々の団長達がいかに「バンカラ」であるかで盛り上がり方も変るというものです。この催しは六大学がそれぞれ40分近くの演目を披露するので延々6時間位やるらしいのですが、その間中会場から声援や拍手が止まないというすごい熱気のあるものです。手をぷるぷる震わせながら応援団旗を低く持つ、ただそれだけのパフォーマンスに会場から絶大な声援が送られます。伝統の重みを必死に支える現役学生の姿に、(多分)先輩達が声援を送るのでしょう。
私は新設医大の一桁卒業ですから大学に伝統も何もありませんでした。だからこのような世界があることも知らなかったのですが、50を過ぎて二十歳そこそこの現代の大学生達が大学の伝統を背負ってバンカラを競っている姿は何となく羨ましいと感じてしまいます。むさ苦しい応援団の男子のまわりで飛び回るチアガールの面々も健康的なお色気があってとても良い感じです。というか最後のフィナーレなど殆ど30分以上激しくチアリーディングで踊り続ける姿を見ると、その体力気力だけでも男子以上、十分女子も体育会系であることが解ります。
六大学の中で傑出しているのは何と言っても「東大」でしょう。野球などシーズンで一勝するかどうかなので「チャンスパターンメドレー」を本番で踊ることは少ないのかも知れませんが天下の東大生が学生服に坊主頭で手をぶんぶん回しながら必死に応援歌を歌い、鉄腕アトムを踊る姿(六大学の中で一番ハード)は「あっぱれ!」の一言、しかも東大のチアリーディングもかっこよい、You Yubeにもアップされているようなのでこれは一見の価値ありです。
ある状況において、ある決まった形に振る舞う(パフォーマンスする)ことを期待されている場合、その最も期待される形で振る舞えることが「行動における美学」であると私は思います。手術、営業のプレゼン、またこの応援団の演技すべて求められる最高の形でやりとげることが「行動の美学」でありそれができることが「実行力の証」でもあります。そこに迷い衒いがあると美しいパフォーマンスはできません。「東大まで行ってこんなことしなくても・・」というのは本人達が一番判っていることであり、そこを敢えてバカをやれる彼らこそ、「その他大勢よりも一段上を行く美学と行動力の持ち主」であるとこの年になると理解できるのです。
演者の紹介をする時に「どこそこの高校出身!」という所で「名門!」という声が歌舞伎の「間の手」のように入るのですが、考えて見ると「大学」という括りの中では「出身高校」というのがその学生の評価のひとつとして大事なのだな、と判ります。社会に出るとこれが「出身大学」に変ります。私は現在私立大学の教員ですが、この大学の中にも出身高校の同門会というのがあって、年に一回上は理事長、教授、下は学生まで20人位が集まります。出身大学は異なっても現在の職場に来たことでこの大学の一員となって高校の同門に親しみが湧くという、まあどうでも良い事でもあるのですが私としては理事長という大学の最高権力者が高校同窓でそれなりに親しくしてもらえたことは社会人として(―)ではありませんでした。
「応援団が熱い」と感ずるのはそれを見る全ての世代において、美学として期待されるパフォーマンスについての価値観に断絶がないからかも知れません。