rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

書評 世界の宗教がざっくりわかる

2013-11-01 19:13:41 | 書評

書評 「世界の宗教がざっくりわかる」 

島田 裕巳 著 新潮新書415  2011年刊

 

以前書評で同著者の「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」を取り上げましたが、書名と異なり内容は「解りやすい日本の宗教(主に仏教)大全とその歴史」について網羅的に解説したものでした。今回の本はそれの世界版といえるもので、これは表題通りの内容と言えます。世界の宗教について網羅的に簡潔に記した本は世界的にみてもあるようでない、ということで、著者が1970年代にエリアーデという宗教学者が「世界宗教史」という大部の本(全3巻)を出して、その後コンパクト版を出そうとしたが未刊に終わったと紹介しているように世界中の宗教を歴史や宗教同士の関連を示しながら網羅的に解説した本というのは希有な存在であると解ります。

 

日本人は日常生活において、宗教的習慣には非常にこだわりながらも単一の宗教へのこだわりがないという世界でも特殊な立場にいるからこそ、このような網羅的な解説本を書けるし、読む方も気軽に読めるのだと言う著者の主張はその通りだと思います。ともすると日本以外の世界の人達も自分達と同様宗教にこだわりがないのではないかと思い込んでしまっている日本人が沢山いるように感じます。私は歴史観や日々の物事に対する善悪の判断も外国人は日本人とは異なり宗教観に基づく考え方をかなりしているはずだと考えていますが、なかなか日本人には納得できないようです。

 

書評から少し離れますが、先日(2013.10.13)のNHK特集「激動中国・さまよえる人民のこころ」は非常に面白い内容のある番組でした(最近NHK特集は頑張っていると思う)。中国人の物の考え方から儒教的思考が一掃されて「親孝行をする」「人を思いやる」という意識さえ教えられると「初めて聞いた」「感動した」と涙を流してありがたがるというのは日本人から考えると「???」なものばかりでしたが、拝金主義が昂じて格差社会が定着し、住みにくい殺伐とした社会になって初めて儒教的な教えに新鮮な暖かみを感じるというのは「儒教は為政者のための道徳」といった批判も認めた上でやはり儒教的思考が人としての社会生活に必要な潤滑剤であるのだと感じます。中国人の思考は儒家と法家の混ざったものと「おどろきの中国」で宮代真司が言ってましたが、どうもこれらの基礎となる考え方自体が文化大革命できれいに白紙になって、後は拝金主義だけが改革開放後に書き込まれたということだったようです。

 

書評に戻りますが、第一章「一神教と多神教は対立するか」ではユダヤ教やキリスト教、イスラム教について発達した歴史もふまえて総論的に解説されるのですが、面白い視点として「キリスト教の異質性」に触れていて、宗教のなかで世俗と離れた出家者がいるのはキリスト教と仏教だけであると紹介されます。キリスト教の場合この出家の存在が世俗者の自由さにつながったと解説されます。また三位一体という考え方は多神教につながる思想でもあり、天使が堕落したとされる悪魔の存在もマニ教などの善悪二元論と関連していると言えます。アウグスティヌスは著書「告白」でマニ教からキリスト教に改宗してキリスト教の優越性が示されるのですが、キリスト教の歴史において様々な公会議などで教義について議論されないと教えが定まらないという事自体、内容的に単純明快でなく、根本教義に無理がある(数々の異端が無理のない善悪二元論に向く事で生じるし)のではないか、という解説は納得できます。

 

東と西の宗教が関連づけられるのはイランにおいてであるという解説も興味深く、ゾロアスター(ニーチェのツアラトウストラと同意)教は紀元前10世紀位からあった可能性がある善悪二元論の宗教で、その後の宗教にも数々の影響を与えて行きます。

 

第二章「仏教はなぜヒンズー教に負けたのか」ではインドにおけるバラモン教、仏教、ヒンズー教の盛衰を紹介しながら、仏教が一時隆盛を誇りながらやや現世利益から離れて精神世界の救済に特化していったことから民間信仰に近いヒンズー教の方が現在強くなっていることが示されます。また日本に仏教を伝来したのは中国ですが、現在の中国仏教はNHK特集でみるように見る影もなく、チベットなどに密教の形で残る程度であり、仏教についてはある意味日本が最も伝統を残している(日常においては葬式仏教ですが)という状態です。孔子の儒教や老子の道教は宗教か思想かは議論のあるところですが、どちらも仏閣に相当するところもあり、教典もあるから宗教の要点は満たしていると言えます。日本人は仏教神道儒教部分的(初七日とかするし)道教の信者ということになるでしょうか。

 

第三章の「日本人は無宗教か」はまさに宗教的習慣にこだわりながら単一の宗教にはこだわらない日本の特色を歴史的に説明していて、終章ではグローバリズムと行き過ぎた資本主義のために世界は再び宗教の時代に向かっているのではないかという問題提起をしています。中国の現実はそれを暗示しています。「テロとの戦争」も実は宗教戦争になっているように見えます(経済の発展に役立ってないし)。本書は各宗教の立ち位置を確認する上で度々読み返してみる価値のある本と言えそうです。

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