ケーブルテレビで英国宰相を描いた3本の映画、チャーチル2本とサッチャー、そして関連した米国映画のダンケルクを見たのでその感想です。
- ウインストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男(原題Darkest Hour)
2017年 英国 監督 ジョーライト ゲイリー・オールドマン(チャーチル)メイク辻和弘
名優ゲイリー・オールドマンがイギリスの政治家ウィンストン・チャーチルを演じ、第90回アカデミー賞で主演男優賞を受賞した歴史ドラマ。チャーチルの首相就任からダンケルクの戦いまでの知られざる4週間を、「つぐない」のジョー・ライト監督のメガホンで描いた。第2次世界大戦初期、ナチスドイツによってフランスが陥落寸前にまで追い込まれ、イギリスにも侵略の脅威が迫っていた。連合軍が北フランスの港町ダンケルクの浜辺で窮地に陥る中、就任したばかりの英国首相ウィンストン・チャーチルにヒトラーとの和平交渉か徹底抗戦か、究極の選択を迫られる。アカデミー賞では主演男優賞のほか、オールドマンの特殊メイクを担当した日本人メイクアップアーティストの辻一弘らがメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した。
- チャーチル ノルマンディーの決断 (原題Churchill)
2017年英国 ジョナサン・テプリツキー監督 ブライアン・コックス主演
英国首相チャーチルのノルマンディー上陸作戦決行までの96時間を描いたヒューマンドラマ。ダンケルクでの救出作戦から4年後の1944年。英国首相チャーチルは、ナチスドイツ占領下の北西ヨーロッパに侵攻するノルマンディー上陸作戦に反対していた。第1次世界大戦中に自ら計画したガリポリの戦いで約50万人もの死傷者を出したことが、指導者としてのチャーチルの心の棘となっていたのだ。連合国軍最高司令官アイゼンハワーに真っ向から反対意見を述べるチャーチルだったが、意見は却下され、イギリス南岸に100万人もの兵士が配備される。首相としての使命と戦争の重責に苦悩するチャーチルは、やがて歴史に残る重大な決断を下す。ゲイリー・オールドマンはメイクでチャーチルに挑んだが、ブライアンコックスは自ら10kg増量してチャーチルを演じた。
(感想)
歴史としては1.2の順ですが、公開は2の方が先だったようです。たまたま私も2の方を先に視聴しました。サッチャーもそうですが、最近の映画は偉人であっても一般人と変わらないような弱さや人間的な面を主に描く傾向があります。私はその描き方はあまり好きではありません。それなりの歴史的成果を残す様な人は勿論弱点もあるでしょうが、凡百の輩とは明らかに異なる資質が備わっているはずで、悩みながらもその煌めく資質をいかに発揮したかを描き出す所に映画の価値、監督の力量が出てくるはずです。限られた映画の時間内にあまり凡人と変わらぬ姿を強調して描くと何故そのような思考や決断に至ったか、どのような信念で成し遂げたか、という最も大切な部分が疎かになります。両作とも、チャーチルの描き方はほぼ同じで気弱で偏屈でカミさんにたしなめられて前に進んでゆくような男として描かれます。そのような面もあったでしょうがもっと「政治的な芯になる思想」を描いてほしかったです。1のダンケルクにおける撤退の際には、破竹の勢いであったナチスドイツは西ヨーロッパ全土を制しつつあり、第一次大戦の塹壕膠着戦を経ずにフランスを敗北させつつありました。英国と和睦すれば大戦にまで進まず新興ドイツ帝国と大英帝国、ビシーフランス政府の帝国を維持して世界を分割する事も可能であった訳ですから、ここでチャーチルが撤退の上で抗戦を選んだ事は最終的に連合軍が勝利したから良かったで済みましたが、この当時は逆の可能性もありました。原題のDarkest hourは「先が見えない時期」という意味合いでしょうが裏目に出るかも知れない決断をどうつけたかという点をもっと描いて欲しかったです。「地下鉄に乗って好戦的な市民に励まされた」事で決めた様な作りはあまりにもチープです。市民だって自分や家族の命がかかった戦争について「イケイケどんどん」であったはずはなく、第一次大戦の苦い思い出から「もう騙されないぞ」という決意の人たちも多くいたはずです。
2作目のノルマンディー作戦については、ドイツは既にソ連から敗走し、大勢が決まりつつある中「いかに犠牲を少なく上手に勝つか」という問題で悩んだに過ぎず、1作目の悩みとは根本的に異なります。第一次大戦のガリポリ上陸作戦で下手を打ったチャーチルは「上手に勝ちたい」一心で駄々をこねたにすぎない様子をわざわざ映画にする必要はなかった様に感じます。迷った挙句の決断が「私も戦場に行く」であったり「頑張ってこい」という演説であったりもがっかり。もっと「なぜドイツや日本に無条件降伏という今までの戦争にない、非情で常識外れの結末を迫ったか」という心理を描いた方がよほど後世のためになる話だと思います。
3. ダンケルク (Dunkirk)
2017年米国 クリストファー・ノーラン監督 フィオン・ホワイトヘッド/トムグリン・カーニー主演
「ダークナイト」「インターステラー」のクリストファー・ノーラン監督が、初めて実話をもとに描く戦争映画。史上最大の救出作戦と言われる「ダイナモ作戦」が展開された、第2次世界大戦のダンケルクの撤退戦を描く。ポーランドに侵攻し、そこから北フランスまで勢力を広げたドイツ軍は、戦車や航空機といった新兵器を用いた電撃的な戦いで英仏連合軍をフランス北部のダンケルクへと追い詰めていく。この事態に危機感を抱いたイギリス首相のチャーチルは、ダンケルクに取り残された兵士40万人の救出を命じ、1940年5月26日、軍艦はもとより、民間の船舶も総動員したダイナモ作戦を発動。戦局は奇跡的な展開を迎えることとなる。出演は、今作が映画デビュー作となる新人のフィオン・ホワイトヘッドのほか、ノーラン作品常連のトム・ハーディやキリアン・マーフィ、「ブリッジ・オブ・スパイ」でアカデミー助演男優賞を受賞したマーク・ライランス、ケネス・ブラナー、「ワン・ダイレクション」のハリー・スタイルズらが顔をそろえた。第90回アカデミー賞では作品賞ほか8部門で候補にあがり、編集、音響編集、録音の3部門で受賞している。
海と空と陸の戦いを異なる時間軸を交叉させながら描く
(感想)
チャーチルが英国製作の映画であった一方で本作はハリウッドメジャー製作の映画です。先に述べた様に最近の映画(テレビドラマも)の傾向として「一般市民や兵士の目線で歴史を描く」傾向にあり、この映画も陸(主に撤退を待つ側)、海(市民として船を提供)、空(戦闘機として航空援護)を市民や兵士目線で描いています。だから時代背景や歴史を理解していないと「なぜこうなっているの?」が分からない描き方です。娯楽映画では善悪がはっきりしていて「悪いドイツ軍」に苦戦しながらも「良い連合軍」が勝つなり出し抜く様が描かれて見る側は時代背景など知らなくてもカタルシスが得られる作りですが、この作品は終わりまで悶々とした感じで撤退できてイギリスに到着して歓迎されて良かったという場面しかありません。この段階では負けつつある戦争であり、これ以上の描きようがないのですが、私としてはこの淡々とした描きようは高評価です。兵士目線の戦争とはこのようなものだと思います。2001年のアメリカが世界征服を達成した頃作られた「パールハーバー(原題Pearl Harbor)」のような恥知らずの駄作とは根本的に異なります。
ドラマは撤退のためにひたすら砂浜に並んで船を待ち、空からの攻撃に逃げ回り、銃声に怯え、船に乗ったら魚雷で沈められて命からがらダンケルクの浜辺にまた逃げ帰るという様が描かれます。船では非武装の漁船の様な小舟で英仏海峡を渡って兵士たちを迎えに行く途中で沈没船からずぶ濡れの兵士たちを救ったり、空からの攻撃を避けたりしながらもダンケルクの浜辺に向かう様が描かれます。空では哨戒するスピットファイア3機編隊がメッサーシュミットと遭遇して空戦して撃墜されながらも船を攻撃するハインケル爆撃機を邀撃する様が描かれ、次々と敵を打ち落とす様などはなく、やっと敵のエンジンから煙を出さしめればOKという本物的な描かれ方がナイスです。実機を飛ばして撮影している所は良いのですが、空戦シーンはCGで私の様なフライトシュミレーターに慣れたゲーマーは「ここで短く銃連射すれば当たる」と思わせる画面(フライトスティックの指が動いてしまう)の撮り方がされています。陸の1週間、海の一日、空の1時間を描いていて、それぞれの時間が前後に交錯しながら進んでゆく構成であり、観客が感情移入しにくく、客観的な視点で常に見てゆかざるを得ない作りなのですが、それも狙いなのだと思います。
4. マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙 (The Iron Lady)
2011年 英仏 フィリダ・ロイド 監督 メリル・ストリープ主演
イギリス史上初の女性首相で、その強硬な性格と政治方針から「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャーの半生をメリル・ストリープ主演で描いたドラマ。父の影響で政治家を志すようになったマーガレットは1975年、50歳で保守党党首に選出され、79年にはイギリス初の女性首相となった。国を変えるため男社内の中で奮闘するマーガレットは「鉄の女」と呼ばれるようになるが、そんな彼女にも妻や母としての顔があり、知られざる孤独と苦悩があった。マーガレットを支えた夫デニス役にジム・ブロードベント。監督は「マンマ・ミーア!」のフィリダ・ロイド。第84回アカデミー賞ではストリープが主演女優賞を受賞。
これも市民目線を描きたいからか、いきなり高齢で呆けたサッチャーの様子から始まります。また各所に先に亡くなった旦那さんデニスが幽霊的に登場し彼女と会話を交わしながら苦労した駆け出し政治家の頃やフォークランド紛争などの昔の栄光が描かれるという設定。観客はしょっちゅう呆けたサッチャーの現実に戻されるから先のチャーチルと同様優れた資質や育ってゆく思想について連続して追体験することができません。これではせっかく優れた政治家の半生を描いて、メリル・ストリープが好演したのにもったいない内容です。
ダンケルク以外は厳しい評価になりましたが、歴史ドラマにおいては主人公の思想をしっかりと描く事の重要性を改めて認識したことになります。市民目線にこだわる必要はなく、市民目線からの歴史はダンケルクの様に思想を描かなくても十分理解できるものには良いとして、人を描くには思想を描く事が必要だという絶対的な真理があるのです。NHK大河ドラマは2年前の「せごどん」が最低であった(今でもそれを記したブログにけっこうアクセスがあります)のに比して現在進行中の「麒麟が来る」は実に素晴らしい内容です。信長、秀吉、家康の三英傑の思想を新しい解釈も入れながら明確に描き、その脇を固める光秀や武将たち、足利将軍や正深町天皇に至るまで「どのような思想の人物か」を限られた時間で丁寧に描いている、しかも漢籍や和歌、舞踊の知識を入れながら描いている高等技術、見ている方も勉強してると尚深みが出る。市民目線の駒や医師の東庵、伊呂波太夫の使い方も上手なので違和感がありません。製作脚本が違うとこんなに出来が違うのかと感嘆しながら楽しんで見ています。