rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

国民国家か民族国家か

2024-01-07 13:44:13 | 社会

「国民国家」と「民族国家」という単語は、日本語では異なる意味になりますが、英語ではいずれもNation Statesという同じ表現になります。この混乱についての詳細な考察は関西学院大学教授の鈴木英輔氏の論文にあり、よくまとまっているので勉強になります。現在問題になっているウクライナもガザとイスラエルの紛争も実はNation Statesの定義の曖昧さが絡んでいると思います。日本は国民と民族が同一であるため問題を認識することはありませんが、大陸国家では国境をどこに引くかが常に争いの元になり、国民や民族の違いで対立してしまうのです。

Nation Statesの概念の元は論文でも示されている様にウエストファリア条約に遡って、封建制、民主制に関わらず、領土と支配権が確立された土地に住む者を国民として全体を国家と定義づけてゆく体制にあります。そしてフランス革命によって住民に主権の概念が生まれると、同じ生活習慣や言語を共にする人々の集団を民族として一体感を持って考える概念が芽生え、第一次大戦後の民族自決主義の高まりによって一民族一国家を望む風潮が高まったと言えます。ここで重要なのは、「民族」の定義が「生活習慣や言語」が同じ集団であって、必ずしも「血縁」は重視されない事です。勿論大まかに白人、黒人、黄色人種などの人種の違いは明らかにありますが、日本人と韓国、中国人は見た目には区別できず、血縁的には同じ民族でも良いように思います。歴史的移動のルーツを研究する上ではDNA型などの鑑定が行われますが、これで「民族」を定義しようという考えは現在ありません。そして生活習慣には「宗教」も含まれ、ユダヤ問題やイスラム教の派閥でもめる場合も血縁的なルーツは問題にされません。

 

I.  ウクライナにおける問題

 

第二次大戦後、ユーゴやチェコ、ボスニアなどの紛争では、生活習慣を共にする民族の対立でそれぞれが国家を設立する方向で決着を付けてきました。ウクライナの国境内に住む者はウクライナ国民であり、「国民国家」の概念から政府の統制に服するべきだというのは一理あるのですが、「民族国家」としての自決権を重視する現在の「民主主義」の定説からは、ミンスク合意こそがゴールドスタンダードの考え方であり、ウクライナ東部、ロシア語話者が中心となるドンバス地域の自主性を担保したうえで全体を「ウクライナ国家」として考えてゆくことが正義と言えます。2014年のマイダン暴力革命はこの民主主義を否定するものであり、欧米諸国、メディアはこぞって批判、否定するべき案件でした。

2022年にドネツク・ルガンスク両共和国が独立を宣言した上で、ロシアへの帰属を国民投票で決めて両共和国がロシアの一部となった上でロシアが自衛権の発動として戦争をしている事は力業ではありますが、一応理にかなっているとも言えます。Nation Statesの両義性を尊重したミンスク合意を守っていれば多くの若者が犠牲になったウクライナ戦争は防げた事が明らかですが、米欧軍産複合体にとっては「それでは儲けにならない」結果になったでしょう。

 

II.  パレスチナ問題

 

2024年新春のサンデーモーニングは珍しくパレスチナ問題を的確に解説していました。そこでも触れられていた様に、国家として独立してない植民地時代はパレスチナの地ではユダヤもアラブも「平和に共存」していたと言えます。そこに「民族国家」と「国民国家」の両方の思惑を持った国家が複数独立したことで、それぞれの国民が「民族自決」を求めて争う結果になっていると言えます。特にイスラエルは「民族国家」としての排他性と領土拡張を伴う「時代遅れの帝国主義」の性格を強めていて「手が付けられない」状態になったと言えます。19世紀以前なら「善」でも21世紀においては「悪」としか言えません。「二国家共存」ができないのならイスラエル・パレスチナという国家は消滅させてもう一度「国連」が統治する植民地に戻すしかないかも知れません。

 

III.  米国・中国、国民国家観の重視

 

米国は合衆国憲法を順守する事を誓った人によって作られた「国民国家」であり、民族は関係ありません。英語が話せないアメリカ人も沢山います。国民の生活習慣も様々なので、揉め事を仲裁するためには細かいことまで「法律」で決めないと生活できません。そんな米国が様々な生活習慣をもった世界を統治する事は不可能であり、米国人は民族的なしがらみがない分「単純」で複雑な各国の社会文化的背景を理解できません(する気もない)。あるのは金儲けの理屈と娯楽、時々行き過ぎた宗教への恭順くらいです(アメリカで短期間暮らした偏見ですが)。

一方で中国は多くの民族からなり、言語も様々で、共産党と言う専制組織によって統一、統治された国家です。人民解放軍230万人は国家でなく「共産党」に従属し、これに治安維持を目的とした「人民武装警察」66万人を加えた300万人態勢で共産党独裁を守っています。従って中国では民族自決的な「民族国家」の気風が芽生えることを極度に怖れていて、領土内に住む国民は全て中国人という「国民国家」観の徹底に余念がないと言えます。台湾に対しても台湾は中国の一部(中国全体が国民党の支配だった)と考える国民党の方が台湾の独自性を主張する民進党よりも中国政府からは歓迎されています。

 

始めに説明した様に、国民と民族が一致している日本の方が「国民国家」と「民族国家」を使い分けていて、Nation Statesという英語の方が使い分けられていないこともあって両方の意味合いで争う元になっている様に感じます。世界の争いを考察するときには、これらの概念を考慮した上で記述しないと「何が問題なのか」が分からず、解決策も見えてこない結果になると考えます。

コメント (5)
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