戦争が外交の最終手段としての究極の一形態である以上、その目的を明確にした上で落としどころ(終わり方off ramp strategy)を常に考慮して臨まなければならない事は明白です。命のやり取りをさせられる軍人の身になれば、目的達成のための戦略が明確になって初めて具体的な計画が立てられることになります。兵力はロジスティクス(兵站)を含めて限りがあるものであり、リアリズムに基づいて戦略を立て、各戦場における戦術を練る必要があるのです。行き当たりばったりでダラダラと戦争をする事は絶対に行ってはならず、上に立つ者にその能力がなければ直ちに交代する必要があります。
I. 戦略なきウクライナ戦争
ウクライナ戦争開始以来、米軍の退役軍人達から繰り返し指摘されてきたのは、ウクライナ軍とそれを支援する米英NATO諸国の「無戦略」です。対してロシア側は常に明確な戦略に基づいて戦争を進めており、状況に応じて修正はされていますがPDCAサイクルを回しながらほぼ理想的な戦い方をしており、勝利という結果を残してきています。その決定的違いはNATO・ウクライナ側には責任をもって戦略を立てる指導者が不在なのに対して、ロシア側はプーチンが強い指導力を保持している事が挙げられます。
II. テロとの戦いという「非対称戦」で失った戦略眼
1990年代に冷戦が終了して、もう世界大戦が起こる事はなくなり、軍備にかける予算、各国の軍隊はどんどん縮小されました。これに危機感を覚えたのは、豊富な国家予算が縮小して、存続が厳しくなった軍産複合体であり、彼らはテロによる911を起こして「これからテロとの(終わりのない)戦争をする」とブッシュ政権に言わせる事で生き残りを図りました。大国と弱小国あるいは国家でもない武装集団との戦争は非対称戦であり、個々の戦いでは勝ちますがテロは無くならないので終わりはなく、軍産としては非常に都合が良い戦争です。初戦のイラク・アフガン侵攻位までは、相手国に正規軍があったので米軍も自国の軍の構成に基づいた明確な「戦略」を立てて、戦争に臨み、ほぼ戦略通りに勝利を収めたと言えるでしょう。しかしその後のダラダラとした「テロとの戦い」に戦略などなく、結果的にはイラク・アフガンから撤退という敗北(知らないうちに終結宣言が出た)に終わりました。
テロとの戦争は終わってました、と宣言
そして今回のウクライナ戦争です。米英NATOは2022年4月、開戦1か月後に当事者であるロシア・ウクライナ間でほぼまとまりかけた停戦案を一方的に反故にし、ロシアが停戦案に従って撤退したキエフ近郊のブチャなどで見つかった市民の遺体をロシアの虐殺と「ロシア悪玉説」をナラティブとして作り上げ、徹底抗戦に持ち込みました。西側はロシアの実力を侮っており、戦略などなくても勝てると過信していた(か元々がドアホだった=私はこちらの説)様です。西側は輪転機で札を刷りまくり、持てる武器をウクライナに送り、ウクライナの若者に鉄砲玉としてロシアと戦争させておけば、そのうちロシアは自滅するし、西側の若者が犠牲にならずに西側軍産が大量に儲かり万々歳(リンジーグラハム上院議員談)と考えました。しかし戦略なく勝てる戦争などなく、結果はロシアの勝利でした。
こいつは「戦争に勝つには広島、長崎の核も許される」とテレビで宣言
III. 近づく核戦争の危機
核演習というのは、牽制という甘い狙いではない。
ロシア軍はウクライナ国境近くで戦術核を想定した演習を5月22日に開始しました。これは3週間前に英仏(大使)に対して、ロシア領内への攻撃は宣戦布告と見なすという警告をした上で計画されたもので、「核演習」というのは「実際の核配備と発射準備」を意味します。つまり「発射命令があればボタンを押して発射できる所まで準備する」という意味です。NHKは「欧米を牽制」などと呑気な事を言っていますが、軍事音痴も甚だしい。これは核戦争一歩手前を意味しているのです。戦術核は近距離用の核兵器ですが、TNT換算で0.5-100Kトンの威力と言われていて、広島15Kトン、長崎21kトンの爆弾が含まれます。実際には1Kトン程度の核がウクライナやポーランドなどにも使われる可能性が指摘されていますが、現実的な核戦争の始まりとなります。米のブリンケン国務長官のみならず、ノルウェー国籍のNATO事務総長であるストルテンベルク氏は、ロシア領内への攻撃を示唆しており、これはウクライナがロシアに勝つための戦略ではなく、NATOがロシアに宣戦布告する方策を意味している事をメディアは明確に伝えねばなりません。つまり「核戦争になる」ということです。
核戦争はじめましょう!と言い合う西側指導者たち
5月31日超射程300kmのATACMSでロシア領内攻撃を許可した
IV. 民主主義・権威主義・ポピュリズム
現在の西側は「民主主義」だそうで、共産主義や専制主義が「選挙」を行っている政体には使えないので国民に人気のある西側(グローバリズム)に同調しない政治家を「ポピュリズム・権威主義」と評してまるで民主主義に反し、排除しなければならない物であるようにメディアは扱っています。バイデン政権の選挙も怪しいですが、実権を持つブリンケン、選挙のないNATOやEUの指導者は民主主義で選ばれた指導者ではありません。そんな連中が勝手に世界を核戦争に引き入れる事が「民主主義」とは恐れ入ります。彼らが蛇蝎の様に嫌う「プーチン」やハンガリーの「ビクトル・オルバン」氏の方がよほど戦略眼のある指導者であり安易に世界を核戦争に導くこともしません。現在の「民主主義」は、体制の方針に反する意見をSNSでBANされたり、大学構内で政治的批判をすると警察で排除されたりします。核戦争になれば、当事国以外の世界全体の市民が被害者になります。皆さんはこのまま声も上げず、核戦争になっても「しょうがない」で済まして、自分に被害ができるだけ少なく済むよう我慢して大人しく過ごすという方針でしょうか。
国民に人気のある指導者は、本当に国民に不幸をもたらす存在なのだろうか。