本末転倒に見える感染症コントロール
公衆衛生学の存在意義は「国民の生活の安定と福祉の向上」にあると教科書にあります。その中でも伝染病予防の目的は、「伝染病が個人的にも社会的にも害を及ぼすことを防止し、もって公共の福祉を増進する事」を目的とすると、現在も生きている「1897年に制定された伝染病予防法」に規定されています。つまり、感染症をコントロールすることで「国民の生活、社会が安定し、健康が増進されて公共の福祉増進に資する」結果を得なければならないのです。現在のコロナ対策というのはこの結果を産む見通しがあるでしょうか、また確実にこの結果を得られる事を予想した制度設計の下に決められているでしょうか。
「コロナ後の世界」などと勝手に生き方を決めるな、と誰も言わない不思議
2020年の3月の時点で、「新型コロナ感染症で人類が滅びる事はない」と医学的な結論は出ていた事は世界中の医学者達は知っていました。私も医師としてブログでそのように記載しました。しかし世界の政治指導者達はコロナ感染症のコントロール目的のために、科学的エビデンスがないのに経済社会活動をロックダウンしてしまいました。感染症では人類は滅びないけれども、世界の経済は瀕死の重傷を負う道を自ら選んでしまったのです。これは前にも指摘したように、「中国が専制国家として行ったロックダウン政策をエビデンスがないのに盲目的に欧州諸国が左へ習え」をした結果に過ぎません。欧州の感染症疫学者達はロックダウンには効果がない事を主張したにも関わらず、政府が聞く耳を持たず、その政策を取ってしまったのであり、冷静にエビデンスに従って行動したのは皆が批判しているスウエーデンのみという結果でした。結果的には、コロナ感染症はロックダウンを行おうが行うまいが、同じような病態で広く流行し、多くの感染者、死者を出し、6月には一度収束しました。
7-8月になって感染者は再び増加傾向を見せていますが、「コロナ後の世界」の過ごし方を勝手に規定され、ほぼ皆がその過ごし方を強制されているにも関わらず感染者数は増加しています。性懲りもなく為政者はまた経済を止めれば感染者が減ると勘違いした政策を取ろうとしているようです。いい加減「コロナ感染症など季節性インフルエンザと同様に基本的な予防のみ奨励して放っておくしかない」事に気が付いたらどうかと私は思います。
感染症としては軽症者ばかりなのに「コロナ鬱」の重症が増加
コロナが怖くて外に出られないあなたはほぼ確実に「コロナ鬱」です。感染症で人類は滅びないのに人類は経済を瀕死の重傷にしてしまった様に、コロナで死ぬことはほぼないのに、「コロナ鬱」のためにメタボは悪化し、体力と免疫力は弱り、人生の楽しみを失って不健康(=病気)になっています。雑誌「Will増刊号」で精神科医の和田秀樹氏が注意喚起しているように、感染症よりもコロナ鬱の方が、健康被害が大きいのが現在の状態であり、まさに「本末転倒の感染症コントロール」と言えます。
先日、二十歳の女子短大生が自宅のクローゼットで首を吊って自死をしたという話を聞きました。2年間の大学生活の半分を「自粛による自宅学習」を強いられ、就職活動もままならない毎日でした。もしかすると某有名俳優の自死もきっかけになったのかも知れません。しかし大学に通って友人と話をする機会があれば自死という選択をしなかった可能性が高いのではないかと私は想像します。その若者の死は「コロナ感染症」による死であればゴールデンタイムの全国ニュースで繰り返し報道されたでしょうが、「コロナ自粛による犠牲」なので新聞の地方版に載ることもありませんでした。将来のある大切な若者の命がこのような形で失われてしまう事は大変残念であり、若者に安易に「自粛」を求める事の罪の深さを感じざるを得ません。実質彼らは感染しても重症化や死に至る事はほぼ0%なのです。「年寄りや免疫の弱い人のために犠牲になれ」と簡単に言いますが、笑って耐えられる強い若者ばかりではないということを理解してやるべきです。
「次の世代に社会を明け渡す」という概念の大切さ
今社会を動かす決定権を持っているのは50-60台の年齢層の人たちだと思います。自分もその年齢層に入ります。現在の社会は明治・大正・昭和初期の人たちがそれなりに失敗や苦労を重ねながら今の日本の社会を我々に明け渡してくれた結果としてあります。同様に我々は今の40台以下の若い人たちに今後の日本の社会を託し、明け渡す必要があります。そのためには若気の至りで若者たちが多少「おバカ」な失敗をして我々が尻ぬぐいを強いられる事も認めてやらねば、一人前の社会を背負って立つ責任世代に彼らが育ってゆくことができません。我々も若い時分には「おバカ」な事をして当時の昭和初期生まれの親分世代に迷惑をかけてきた事と同じです。今、若者たちに学生らしい生き方を許さず、自粛ばかりを要請する事は、それが本当に日本の社会が滅亡しないために必須の事項ならば仕方がありませんが、エビデンスもなく単に政治的な成り行きや流れで強制しているなら余りに残酷です。どこぞの都知事が勝ち誇った自信満々の顔で「自粛を!」と宣う様を見る度に「あなたは社会を明け渡す度量があるのか?」と問いただしたい気持ちになります。中高年の諸兄は「将来日本を背負って立つ若い人たちのために多少自分たちが犠牲になる事も厭わない」位の気構えを持ってほしいと私は思います。
と疑っているのですね。報道も政府も視聴者や票田を意識し過ぎるのでは??
妻と水杯した者としては、唖然なのですね。
誰も(先生は除く)本当の事を言わないのでは??
いや、そんなにコロナがアレなら、俺ら夫婦はとっくに感染しているのでは??
何もかも信じられない!!
最後にお願いがあります!
先生は西医でおりながら、仏教思想や東洋哲学や神道に見識あるように思う。実は修験を20年やってきた農場労働者の方に、陰陽道と、易や八卦を習い始めました。オカルト扱いですが、かなりロジカルで納得ゆくものがある!
世界には「暗在系」と「明在系」があり、相互に関係しているのでは?と思った訳です。毎日、易経を嘗めるように読んでいます。そこでお願いです。
怪力乱神を語らない孔子が易に夢中になったのには、何かある気がするのです。あれは占いであるが、思想・哲学でもあるように思える。その両道を歩まないと、易にたどり着けない気がします。その方面で、時には投稿を許して欲しいのです。貴殿が生死の境を見てきた方ですから。
易が哲学なのか。占いなのか、超心理学なのか解らない。。
しかし、その道がプラセポだろうが、超心理学だろうが、
人の安心立命に役立つのは、師匠の季節労働者を観ていて解るのですね。だから、たまに、この方面で投稿を許して欲しいのです。私は半信半疑ですが、これは「やりよう」で、
人を救える道と思うています。
けれど、西洋化を進めた伊藤博文が、西南戦争、日清日露戦争で、高島呑象の易に、作戦参謀として頼ったのは「日本史の語らない事実」なのですね!
高島は鉄道を祖国の護国の為に引き、ガス灯、下水道を最初に実現化した実業家でもある!
半信半疑ではありますが、彼の「占いは売らない」という気骨と、人はどんな時も、全力を尽くして、己と他者に報いねばならないと言う「生き方」には感動しました!
私は50代も後半になりましたが。幾つになろうとも、才能の多可があろうとも、人は高みを目指して生きねばならぬと感じました。その意味では高島易断に遭遇したのは幸運と思いております!
東洋的な陰陽道、易、道教などもですが、ある種の帰納法的な長年の知識の蓄積によってできた物であり、演繹的な手法(サイエンス)では証明できないそれなりの真実を多く含む物だろうと思います。サイエンスも前提が間違っていれば途中経過(論理展開)が正しくても結論が誤りである事は多々あります。
新型コロナも「SARS型に封じ込めねばならない」という前提が間違いなので導かれた結論が全ておかしいのではないかと考えます。