rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

硫黄島に捧ぐ

2008-09-28 19:48:46 | 映画
父親達の星条旗

2006年 監督 クリントイーストウッド 主演 ライアンフィリップ他

太平洋戦争屈指の激戦地である硫黄島で擂鉢山に星条旗を掲げる写真が海兵隊勝利のシンボルとして戦意高揚と国債販売のために利用され、そこに写っていた3人の兵士達が英雄としてアメリカ中をプロパガンダの道具として引き回され苦悩する様を描いた作品である。クリントイーストウッドが監督し、同時期に撮影された日本側から描いた作品「硫黄島からの手紙」と好対照をなし話題を呼びました。

この映画の原作は実際に星条旗を掲げて英雄となったジョン・ブラッドリー氏のご子息であるジェームズブラッドリー氏の手になる物であり、まさに父親にとって硫黄島の星条旗は何だったのかを真剣に描いた物と思います。

製作はプライベートライアンを手がけたスピルバーグも加わっていますが、私は硫黄島の戦いをアメリカ側から描いたこの映画と、日本側から描いた「硫黄島からの手紙」をよくぞ同時に作ったものだと感心せざるを得ません。それは「自分たちの命を犠牲にするこの戦いの意味合いが日米でこんなに違うのだ」ということをまざまざと見せつけることになるからです。日本側にとっては渡辺謙扮する栗林中将の言葉の如く、「自分たちがここで一日踏みとどまることが、本土の父母、家族達を米軍の攻撃から守る一日になる」という明確な理由づけがあります。一方で米軍にとっては映画の中でも何回か語られるように戦うのは一緒に戦っている戦友のため、形の上では国家のためというもの以上ではありません。父母や家族が日本軍に殺されるわけでもないのに何故自分が戦って不具者になったり死ななければならないのか、答えはどこにもありません。

私が以前tweleve O’clock highやプライベートライアンで指摘したように真面目に作られたアメリカの第二次大戦の戦争映画は常にこの「何故参戦するのか」という疑問を呈し続けます。アメリカ人は第二次大戦への参戦を納得などしていなかったのです。田舎で農業を営み町工場で働く人達にとって、何故大切な息子達を戦地に差し出さねばならないのか、戦争で物価が上がり生活が苦しいのに、何故戦時国債を買わされないといけないのか、全く納得していないからこそ星条旗を立てた海兵隊員を英雄としてキャンペーンを張らないといけなかった訳で、担当者が映画の中で「ショービジネス」という言葉を用いて海兵隊員達に英雄としての役を演ずるよう指導する様が描かれます。この映画は正に「現代のアメリカのありかた」を問う内容としても、「草の根保守派」の監督の力の入れようが感じられるのでしょう。硫黄島二部作において日米それぞれの兵士達の戦う目的が「旗」と「手紙」という主題に象徴されていると言えます。

硫黄島からの手紙 

2006年、監督 クリントイーストウッド、主演 渡辺 謙

「父親達の星条旗」との2部作として同時期に造られた日本からみた硫黄島の戦いを描いた映画です。「父親達の星条旗」を先に見てから鑑賞すると、よくぞアメリカ人の監督がこれだけ日本人に優しい映画を作ったものだと一種の感激さえ覚えます。「父親達・・」が同じく国家のために死力を尽して戦った米軍の兵隊達を描いているのに、目まぐるしいフラッシュバックや時代の跳躍のために戦闘そのものにのめり込めない作りになっている一方で、「手紙」の方は指揮官・兵ともに故郷の想いを描きながらも戦闘経過を追う作りなので見る者を硫黄島の戦闘そのものに引き込ませる形になっています。

映画の醸し出す雰囲気は、出演者達が日本人だからと言い切れない日本人に違和感を感じさせないものであることも驚きでした。アメリカ映画の描く日本軍は「トラトラトラ」などのように日米合作でない限り、どこか軽蔑や滑稽さをこめた作りになることが殆どであるのに、この映画は硫黄島で戦った日本人達の「思い」や「気持ち」をそれぞれの信条の違いとともに非常にストレートに淡々と描いていて、近ごろの日本の戦争映画が異様に反戦や勇気、友情などの感情に力が入りすぎ、私にはなじめない物が多い中で、安心して感情移入ができる作りであった事が素晴らしいと感じました。

20年近く前ですが、小笠原諸島までの船の行程の倍(3日)を費やして、硫黄島を訪れた事があります。当時でも擂鉢山や飛行場近くの司令部跡など殆んど戦争時のまま残されていたことが思い出されます。硫黄の匂いと地熱のために洞窟に入って10分もいるだけでくらくらしました。12月でも昼間はクーラーを付けていました。周回する道路があるのですが、マラソン中に日本兵を見かけたなどという話しもありました。島そのものは地味でひっそりと静かな島でした。今、栗林中将と同年代になり、改めて当時母国と将来の日本のために尊い命を犠牲にされた先人達に感謝したい、また日常些細な事で文句を言ってはいかんなあ、と思わせる映画でした。アメリカ人は「父親達・・」を見てもそのような気持ちにはならないでしょう。クリントイーストウッドのこの2部作は米軍には大変きびしい映画だと思います。

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7 コメント

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Unknown (遠藤)
2010-04-19 00:19:05
どちらも観ましたが、父親達の星条旗はあまり面白くなかったのですが、この説明を受けると、なるほどと感じました。私が受けた教育では栗林中将のような人がいたことを教わりませんでしたが、日本を守ろうとした人の話を教えてくれていてもよいのではないかと思いますが。海外へ行くと「南雲」という名字が怖がられたりしていて、南雲という名字の人は何故?という状態。逆輸入している。なんだか奇妙な気持ちです。
硫黄島には民間人は行けないのだと聞いてましたが、そうでもないのでしょうか?
「女ひとり玉砕の島を行く」笹 幸恵 著は私もまだ読んでいないのですが、読まれましたか?
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映画の意味 (rakitarou)
2010-04-19 18:53:04
遠藤様コメント有難うございます。硫黄島二部作やプライベートライアンについては監督の訴えたい意味を私のようにとらえている解説が少なくとも日本にはないのですが、アメリカ作の第二次大戦についての映画を多く見てきた自分としては良い所を付いているのではと自負しています。

硫黄島は一般の方は行けません。私は当時行けるような立場におりました。
返信する
rakitarou先生にはお願いだから読んで頂きたい (河太郎)
2018-05-19 23:55:18
以後のコメントがrakitarou先生に御満足いただかる自信はありません。でも、自衛隊に所属してアカデミックな斬新な論文もお書きで、なおかつ30年に渡る執刀経験の先生だから、どうしても読んで欲しいのです。以後は私の父祖先と戦った元アメリカ軍人への単独インタビューの記録です。
その方に出会ったのはベリリュー島でした。私の親族が何人も戦死した島です。定期便もない島なので、漁船をチャーターする時に、一緒に渡りました。英語は話せませんが、彼に同行する親族が翻訳してくれました。彼の御親族もこの島で私の親族達との戦闘で亡くなられていると。……恩讐はある。ですが呉越同舟したのも何かの縁なのでしょう。話すうちに勲章を受けた太平洋戦争の米国の「英雄」なのが解りました。さらに…私の郷土では「知る人ぞ知る実業家」です。彼は、やはり武人として太平洋戦争を戦い、戦後、日本語を学んで来日。日本人女性と結婚され、表に出ないが幾つもの事業を成功させている人です。私は元広域暴力団のフロント団体にいたから知ってました。
彼にその後、ヤクザ雑誌の編集者となってから、何度もインタビューを申し込みました。
全て断られた。
それが筆を折り、医療の道に入ってから突然に
「インタビューを許す」と手紙が来たのです。
私は、どうしても聞きたい。
それで赴いたのは、とあるホスピスでした。
「私は長くない。だから一度だけ戦った日本兵の子孫に応じる!」
すみません、長くなるので、一回、切ります!
返信する
以後はノートを元にした記録です (河太郎)
2018-05-20 00:59:45
彼は言いました。
つまり……君が私に聞きたいのは、自分が平和な時代に自衛隊に参加した。しかし戦士としての自覚も覚悟も持てなかった。
(あ、意外でしたが彼は日本語ペラペラでした)
なのに君の親族は過酷なシレンに耐え、祖国に貢献した。戦後は市民として貢献したにも関わらず「戦争」に口を閉ざしたまま世を去られた。何故なのか?
兵士として、かつて敵であった私から話が聞きたいのだろう?
私が個人的に思うのは、戦場の兵士とは、病棟の患者と同じだと言うことだ。
昨日、一緒に将棋を差した人が急変する。そして亡くなる。明日は私かと思う。
だが、泣いても暴れても変わらない事に、いつか気がつく。すると、人は呑み込むのだよ。
「その時」まで己の心を殺して、黙々と受け入れる。他に道はない。
戦地での我々がそうだった。昨日、塹壕で煙草を分けあった戦友が死ぬ。突然に。
そうした事を繰り返すと、自分が幽霊に思えてくる。「すでに死んだようなもの」と。
すると敵には情け容赦なくなれる。自分が死んだようなものだから、敵を殺すには何でもないのだよ。そして、それは「諦念」だった。
自分が生きて帰国できる姿を想像できなかった。不思議か?
日本人は大半が私の母国が物量で有利だったからと言う。もう少しマシな答えとして、我々の「意思決定」が勝っていたからと思う。
だが、それは戦地での兵士には何の関係もない。我々は日本軍に対して優勢であったのでろう。だが、前線で戦う兵士には、そんな事は何の関係もない。
島では我々は最初は「狩られる側」だった。飛行場後を走る時に、何人もの戦友が撃たれて倒れた。その多くが還らなかった。
私が戦場の英雄?
やめてくれ、本当の英雄は祖国も日本も、あそこで死んでいったやつらだ!
私たちは諦念していた。自分は死ぬと感じていた。だから日本の弾幕の中を駆けて戦えたんだよ。勇気ではない、諦念なんだよ。
君たちの世代と我々の違い?
それは敵であった日本兵も我々と同じだと思う。自分はすでに「死んだもの」と思うか否かではなかろうか?
それは体験した者にしか解らない!
日本兵も我々も「勇敢」であった。私の長兄は手榴弾を抱えてきた日本兵士の突撃で死んだ。
どちらも死を「受け入れて」いたのだよ。
そう……世界には生まれながらにして難病を背負って生きてる人がいる。それは君も医療に生きるならば解るね?
そうした人達は、生きる事が「覚悟」でもある。我々はそのような不幸に生まれなかった。
だが、同じであるように感じる。
我々は、そう、君の御親族たちも、そうであったように、産まれながらの難病患者のように、
「死を伴侶とせざる得なかった!」
それは日米ともに前線で戦った者の感想さ。
きっと君の御親族も似たような事を感じておられたのではないかな?
それは死を受け入れた者にしか解らない。
君の御親族が戦後に一貫して、戦地での体験を語らなかった。それは色々とあるであろうが、
語っても、死を受け入れざるを得なかった者には解らない。解らない事は語っても仕方ない。
それが理由ではないかな?
かつて君の父祖と殺しあった者として、私が感じるのはそれだ!
私の言いたい事はそれだけだ!
さぁ、行きたまえ!

rakitarou先生、これが思い出せる限りの全文です。拙い記録へ付き合っていただき、ありがとうございます。
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兵士の気持ち (rakitarou)
2018-05-20 09:19:01
河太郎さんコメントと貴重な記録をご教示いただきありがとうございます。死を受け入れているからこそ、相手を殺すことも自分が死ぬことも抵抗がなくなる、というのは何となく(その当事者にならないと本心からとは言えないと思いますが)理解できるように思います。イラクに派遣された後輩には帰国後自死した者もいて、きっと生死の境についての「確固たるもの」が壊れてしまった何かがあったのだろうと推察します。

本来戦争は外交の延長にあるものであって、ある政治的目的を達する一手段として目的(出口戦略)を持って行うものであることが欧州における常識でした。しかし原住民の絶滅を持って成立したアメリカ合衆国は戦争相手の絶滅(国家体制の)を戦争目的とする戦争ばかりを行うから戦争が悲惨になるし、勝てない戦争になるのだと思います。テロとの戦争などという出口のない永久戦争が最たるもので、命をかけさせられる一般兵士こそ気の毒です。
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つくられてしまう像と、その人の真理 (メロンぱんち)
2018-08-29 00:25:21
実際の当事者、体験者が正直に述べた言葉というのは価値があるものですね。傍観者と当事者との間では認識にズレがあったり、また、語ることを好まなかったりするという事も有り得えるので、「これはこれこれこういうものであろう」と思われている認識とズレがあったりするもののようですね。

河太郎さんのインタビュー中に「英雄ではない」の箇所で色々な事を感慨を抱きました。英雄視せんとする意図や意向は、その一連の歴史の流れの中、その場で、そういった〝構図の中〟で生起するものかも知れませんね。なので、仮に構図に疑問を抱いてしまっても、その心中を実直に語ることは難しい。第三者が客観的であろうとすれば、対人に一定の敬意は常に必要となりますが、そこに過大に先入観が入ってしまうシーンは実生活でも少なくないと感じます。忖度などもそういう事かも知れませんね。

実際に、そういう認識コードで社会が形成されているので、そうせざるを得ないが、その一方で、口を噤んでしまう人たちにしか分からない事柄があったりする。内的要素から形成される心情、その心情を踏まえての事実と、外部から求められてしまう何かのズレ。

整備された社会の中では「個」と「社会」との認識のズレは多いし、そこそこ大きいのかも知れませんね。で、個というのは死に直面したときに、孤独なもので、ホントはあれもこれも語ってみたいという気持ちがあるが、「理解してもらえるか?」とか「どう思われるか?」等と思案するものなので、結局は語ることができなかったりする事がある。それを乗り越えて発せられた言葉にこそ、第三者は真理を見い出すヒントを探すことができるのかも知れませんね。
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勝者も傷つく (河太郎)
2018-09-23 02:10:28
先日は失礼いたしました。メロンぱんち殿への返信は、先生のブログで行うのは失礼と思い、
また同記事へのコメント欄に、先生のコメントがありましたので、ひょっとすると一読頂けるかと彼のコメント欄に記しました。
人は作られた役者を立場上に演じねばならない時があり、それ故に…話を求める者の前で不本意ながら勇者を演じねばならぬ事もある。
それが彼の当記事コメントへの返事で、氏も大体において同意して下さいました。
それでもピン!と来ないものはあったのです。
しかし氏の指摘は鋭いものであったと思う事がありました。
とある……先生に一読を要求する程ではない大衆娯楽作品でしたが、以下の一文を……

「あれは作り話なんだろう?」
俺は答えた。
「ええ、ただの作り話です」
彼は食い入るように俺を見た。
「きっとそれなりの理由があるのだろう。ひとつだけ教えてくれないか。どういう事であれ、息子は正しくふるまったのかね?」
「彼は男らしくふるまいました。最初から最後まで、男の中の男でした……」
彼は俺をじっと見つめた。そして、
「解ったよ……あとは聞かずにおこう」
もう沢山だった。俺は皆に感謝し、お詫びする手紙を残して屋敷を出た。

アメリカは祖国に原爆まで落とした。色々と奴らに言いたい事はある。何よりも貴様らは一度も祖国を蹂躙された事がない。その貴様らに世界の警官が勤まるのか?
感情でモノを言っても何も産まない。それを知る故にアメリカ人の友には黙ってきた。
日清戦争いらい男は30までに死ぬ…そんな家系で生き永らえたのが父でした。色々と彼らに言いたい事はある。しかし……
このような会話は、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム、湾岸戦争、イラク……と繰り返されて来たのでしょう。
私が感傷的になり過ぎている。それは解る。
しかし……彼らは大抵において勝者であり、引き分けであったと。であるから……こそ、己の真実でなく作られたドラマを演じねばならない事が
多々あったのかなぁ…と。
私の父祖は敗者であった。それ故に…辛く切ないであろうが「沈黙」を貫いた。
だが……勝者であるが故に、嘘をつき続けなければならない立場もあったのかも知れない。
どちらも不幸としか兵士の視線では思えません。なんなのだろう?
PKOで帰国後に自死された先生の同僚の方。
苦しかったんだろうな。とても。
感傷的と言われよう、でも、私がアジアで商売していた時に……徴兵のある国の元兵士と話があったのですよ。それは、国の違いはあれども、
軍隊経験という「共通文化」があったから。
国は違えど一兵卒の苦しさ、楽しさ?は似たようなものだから。
自分が勝者側で、嘘をつかねばならない立場ならどうなのだろう?
解らない。
戦争に反対です。だが…やらねばならぬ時もあると言うのが、私の本音である。しかし老いた今、前線に立つのは私ではない。
自分が前線に立たないのに、安易に若者を戦場へ送って良いのか?
その見極めをする為にも、戦時法制の誰にも解る確立を願う。
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