rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

セカンドオピニオンは患者を救うか?

2011-01-06 00:50:18 | 医療

世の中はセカンドオピニオン真っ盛りだと思います。外来をしていて本人も悪い病気をあまり意識していない状態で癌を見つけて(我ながら名医だと思う瞬間なのですが、そのような患者さんに限って進行していて悪性度も高かったりする)治療について説明すると「どこそこの病院(大抵がんセンターのような名のある大病院)にセカンドオピニオンに行きたい」と言い出します。しかも複数の病院を指定してくる場合も多いです。

 

一定レベル以上の基幹病院ならば、日本ではどこの病院に行っても「悪性疾患」の治療レベルに差などありません。しかし癌以外の良性疾患については主治医の考え方や力量による差がけっこうあるのが普通です。だから本当にセカンドオピニオンが役に立つのは癌以外の良性疾患であり、考え方がいろいろあるものについては私もセカンドオピニオンを患者さんに推奨しています。

 

どこの病院に行っても同じ説明、同じ結論であることが明白である病態についてセカンドオピニオンの紹介状を書くのは苦痛であり時間の無駄であり、紹介先の医師の身になって「あいつ何でこんなセカンドオピニオンを送ってきたのか。」と申し訳ない気持ちになります。生検の組織結果すら出ていない段階で「いついつまでに紹介状を書け」と外来の受付に診療時間外に依頼してくるような患者に至っては「もうこの病院には来ないで欲しい」と感ずることもしばしばです。

 

本来セカンドオピニオン外来は保健適応外であり、全て自費診療になります。普通30分で数千円から一万円位かかります。しかしセカンドオピニオンと言いながら紹介状として通常の外来に提出して保険診療で済ます患者も沢山います。医療費のムダ遣いであり、開業医からの医療連携としての紹介状患者さんの診療を妨害する行為です。限られた時間、医療資源で効率的に医療を行なうことを妨げる我が儘で自分勝手な行為と言えるでしょう。

 

では「癌のセカンドオピニオンが本当に一切無駄か?」と聞かれるとそれもまたそう言いきれないことがあるのが苦しい所です。実際「進行した末期の腎癌」と他院で診断されて納得できずに来た患者さんが「腎のリンパ腫」であって化学療法でかなり改善した例もありましたし、「睾丸腫瘍で即手術」と言われた患者さんが「感染だったので抗生物質で治った」など他院で誤診されていたものがセカンドオピニオンで判ることもあります。また治療についてもスタディとして統計を取るために50歳の患者も80歳の患者も同じ治療方針になったりする大学や施設もあるので、個々の患者さんの考え方やライフスタイルに対応できない場合(治療として教科書的には正しいのですが)などもあり、前半の主張と矛盾するようですがセカンドオピニオンが全く意味がないとは言いきれないのも事実なのです。

 

ではどのような場合にセカンドオピニオンが有用になるかを考えて見ます。

 

1)            診断や治療の説明が非論理的で納得が行かない時。

患者さんが納得できるよう説明をするのも医師の力量なのですが、患者さんの側で納得ができない場合はセカンドオピニオンとして他の医師に説明してもらう、或いは診断しなおしてもらうのも良いでしょう。ここで問題なのは「納得できない」=「病気を受け入れられない」であってはならないことです。自分に都合のよいことを言ってもらえるまで病院を渡り歩いて結局手遅れになるのは自殺行為でしかないからです(かなり実例がありあます)。

 

2)            自分の受けたい医療についての希望を十分に考慮してもらえない時。

現在はどの施設も患者さんの希望をかなり聞いて「オーダーメイド」に近い医療をしてくれるところが増えましたが、やはり画一的であったり、考え方に合わない治療を強要されるような場合にはセカンドオピニオンが有用になると思われます。「病気を受け入れられない」ではなく、「病気になった状態としてどのように生きたいか」という個の確立が出来ていることが前提になります。

 

3)            当該施設ではできない医療について相談したいと考える時。

放射線でも重粒子線、陽子線であるとか、立体照射や腔内照射など一部の施設でしかできないもの、手術も腹腔鏡とかロボット手術などできる施設が限られているものを希望する時にははっきりとその旨を主治医に告げればすんなりと紹介(セカンドオピニオンというよりは治療依頼の紹介)してくれるはずです。

 

セカンドオピニオンが有用な場合にはこれらのことが考えられます。要は「単に医者や病院がハナから信用できない」ということではなく「病気を受け入れた上でどのように病気と戦う、或いは病気の状態で人生を生きるか」について納得がゆく結論が得られない時にセカンドオピニオンを活用する、相談したいポイントを整理した上で他の医師の意見を聞くというのが正しいセカンドオピニオンの取り方ではないかと考えます。しかしどうしても一定の割合でセカンドオピニオンで誤診が判明してしまうこともあります。神ならぬ医師が医療を行なっていることの限界と言えるかも知れません。医者の私が言うのも変な話しですが「医者を選ぶも寿命の内」、「このドクターならば命を預けられる」という医師に巡り合うことも実は大事なことなのです。セカンドオピニオンに行った先が「ババ」であることもあるのですから。

コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

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時間の無駄って・・・・? (じょん)
2011-07-28 15:19:41
あなたは、いまだに先生意識が鼻につく、バカ野郎ですね。

患者は実験のハツカネズミではありません。
「先生」と同じ権利を持った人間です。

セカンドオピニオンは先生同士で「送り合い」するものではないのです。

くだらないブログなんかやってる暇があるのに、忙しぶってるのは、間抜けで傲慢です。
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有意義なコメント (rakitarou)
2011-07-28 20:12:08
バカとか間抜けといった罵倒には人を変える力はありません。具体的にどの内容があなたの心情にあわない、或いは現実に即していないということを説明してもらう方がお互いを高めることにつながると思います。

私なら他人のブログにこのようなコメントは書き込みませんし、実社会で人に対する時にこのような接し方しかできないのではかなり問題がありますね。情けない事です。
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どこが間抜けかお教えしましょう。 (じょん)
2011-08-17 15:33:05
セカンドオピニオンは「癌」のためにするものです。
良性腫瘍で医者巡りをするバカがどこにいます?
「医者を選ぶのも寿命の内」バカでも自分のことはわかってるじゃないですか。
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