これの前に伊藤沙莉のことを書いたが同じくらい好きなヒトはジャンル分かたずたくさんいる。その同じくらい好きとゆー好きの程度はたいしたもんではない。なさすぎる。顔も頭もセンスも鋭そうなオンナノコたちオトコノコたちに惹かれる焦点がぶれまくっているまにまた時代がするーしていくのである。
春、さる晩耳についたJ-WAVEの番組スポンサーのCMで月刊ペン井上陽水を買った。
井上陽水のアルバムが、昔富士レコードに売ってしまったLPの中にあったかどうかすら怪しい。
陽水というとイメージするのは伊集院静のいねむり先生である。たまにふしぎなたいみんぐであらわれる手塚のひょうたんつぎのようなほんわか白いカミサマのようなとてもいいキャラクター。(加筆;しまった。いねむり先生本人がギャンブルの神様だったな ややこしし)
ミカドの肖像という本の初めにあったロラン・バルトの一節、忘れちゃってるからまあそのイメージね、それを見下ろすようなビルの無駄に広い一室でのインタビューで黒子である私はテーブルの遠いかどで言葉を漏らすまいと口元から目が離せなかったのだが、そういう意味ではなくおいおいおいあのこ何なの見過ぎだろという笑み(ふと思う。どんな種類の笑みも同じようにあらわすひとではあるまいか)。
肝である歌を聴き倒したこともなく、人となりを紹介するような文章を読んだことがあるとしたら雑誌の記事断片ほど。陽水はすききらいを超えていると言えば過言かもしれないが、陽水がきらいというひとには遭遇しないというかほかのオオモノたちの載せられている座とはオモムキが異なる。長いこと陽水は陽水という座にみずから載るでもありやなしや載せられており載せられ続けてゆくからおもしろがって下界にひょいひょい顔を出す。
月刊ペン井上陽水を実際買ったきっかけは、立ち読みしたタモリの部分である。
いい。
タモリが文字になっている。
全部読むのかとっておくのかなど、わかりません。二度寝できないまま夜になりつつあります
あさでした、テレビで氾濫の被災断片を見、
アバウト熊本印象はグーグルでなぜかつい通潤橋のストリートビューを一巡させ、ツイッターで通潤橋復興記念放水のお知らせを見たあと
あらためて検索し直しますと早速支援基金のサイトが立ち上がっていました。いいこともあるよねと素直に思ってみるのです。きょうはまよいにまよって舩後靖彦さんのひとこと ❛ このひとには覇気がある ❜ で 放るように投票してきました。30代から ❛ 覇気がない ❜ を自分に貼り付けて生きてきた者なのです
。
僕の高校頃
チューリップと海援隊と井上陽水がちょうど
萌芽していました。
僕の音楽的な趣味としては
キング・クリムゾンとかが好きでしたが
まわりの影響もあり
フォークもききだしたと思う。
オールナイトニッポンもききていたけど
好きだったのは亀渕昭信さんだった。
ちょっとした思い出。
だったにしても意味なさすぎる追記です。
YouTubeでミックスリストを流したままボランティア関係のぼろ布切り(ウエスづくり)をしています。声とフンイキと書きまして、なるべく歌詞をききとろうとつとめるのですが。ことばが無双楽器です。
ホワイトを検索して知ったこと。 片鱗も知りませんでした。
旋律演奏律動音声で歌タの言葉は変容するル。そんなことはない、言葉は言葉だ。 けれども私にとって陽水は声とフンイキです。歌詞サイトを見てなんだか思考停止。
といいつつ、
junさんがその市役所の噴水前で人気を予測されたころ人生が二度あればという曲がリリースされたようですね。昔、トランジスタラジオから流れていたこの曲と傘がないとがなぜか結びつかなかったことを覚えています。
月刊ペンは早くもどこかに紛れてしまっています。
高校時代 地方の市役所の噴水の前で
yousui
は
歌たった
この記憶は確かのだが、距離も数メートルル
まだ、売れない頃で
たぶん
人気出るだろう
to
omotta
soredemo
僕が最初に買ったLP
ha
ホワイト
datta