ロシアの侵攻が報道され始めたころジョン・レノンのイマジンを数度耳にして違和感を覚えたことがあったのを思い出したのは、一昔以上前の森達也から斎藤美奈子への公開書簡でジョンの言うように国境 えーっと──→忘れたので今探してきました。「まさしくジョン・レノンの「イマジン」そのものだけど、国境がない世界を想像したとして、そこに特に大きな問題はない。もちろん撤廃してからしばらくはかなりの混乱が生じることは明らかだけど、国境を理由にしてこれから未来において起きるであろう惨劇を考えれば、少なくとも一考くらいはすべきだと思う」
国境がないことはつまり国がないことかと思考停止を招く。
国はあるけれど国境がない。EU域内での行き来が統合以前と比べてあっけないほどだという話が前段にあって、しかしなぜEUが統合したかを思えばそこを国境の話として印象づけられたらおっちょこちょいはつらい。
「衛る」。漢字ペディア曰く「周りをとりまいて中をまもる」だそうで、「防衛」には国境が必要だ。
とまる。
最初のオモイツキは国境のことじゃなかった。いいわけ的にそっちに流れた。
プール付き添いでタフガイ小五男子の「バアバ」は私に笑顔満面で語りかけてくる。今度の選挙では本当に国のことを考えている人を選びたい。私は落ちる人に投票するのだと言う私に不審な表情一つなく、テレビの地上波は全く見ない、YouTubeでいろんなことがわかってきた、必要なのは迎撃以前の○○力で、それはつまりとわけのわからない私にわからせようとにこやか満面を続けているとプール内のタフガイから「バアバおしゃべり禁止!」と一矢襲来。
国をまもる。その力強さが美しく響く。
アイヌやウチナンチュや私の知らない誰かたちにシたことをサレたくない=国をまもる。
シたことサレたことを思い、力弱いやさしいまもりかたをさぐり、受容し合えたらと。
「国」を思うとひとりひとりの生活や死が不可視化する。自分のことなのに。自分とはたった一人の自分。
国をまもる。国をまもるためにひとを殺す。やむを得ない。
とめる力をどこに求めるのか。