中学生のころ町の本屋で買った横尾忠則的極彩色っぽいコラージュに本人の顔写真も混じっている装丁の書を捨てよ町へ出ようという本のその装丁のイメージと混濁したように
寺山修司のことばだと思い込んでいた
サヨナラダケガ人生ダ。
どこかで井伏鱒二云々と修正されたはずだと思い返せば思い当たりはするのだが、むかし思い込んだことには依存性があるというかかの強さに修正など吸われ失せ。
その一節を太宰が引用しているというのを最近何かで目にして井伏鱒二全詩集というのを借りてみ
たところあまり気分がそわないのでそうそうにかえそう
とも思ったがもうすこし追ってみよう
と思いかければ「訳詩」に至る。
田家春望 高 適
出 門 何 所 見
春 色 満 平 蕪
可 歎 無 知 己
高 陽 一 酒 徒
ウチヲデテミリヤアテドモナイガ
正月キブンガドコニモミエタ
トコロガ会ヒタイヒトモナク
アサガヤアタリデ大ザケノンダ
古 別 離 孟 郊
欲 別 牽 郞 衣
郞 今 到 何 処
不 恨 帰 来 遅
莫 向 臨 邛 去
ワカレニクサニソデヒキトメテ
オマヘコレカライヅクヘユキヤル
カヘリノオソイヲ恨ミハセヌガ
ヨシハラヘンガ気ニカカル
アサガヤだのヨシハラだのが意訳の妙に思えもして巻末解説にとぶと、井伏氏が亡父のノートを介して臼挽歌に接した云々が書かれており
そのうちに結局中途返却明日予定。
件のサヨナラは下↓である。
勧 酒 干 武 稜
勧 君 金 屈 巵
満 酌 不 須 辞
花 発 多 風 雨
人 生 足 別 離
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
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TVでアン・セヨンが取り上げられており、怒ったり笑ったりとやたらに映る顔がヒコロヒーに、いや似てないか、河合優実とのミックスか、などどでもいことをどこかでこじつけたがる。
検索による漢字表記 安洗塋。当地ではどんなニュアンスになるのか。塋は
庭燎(にわび)をいう。庭燎をめぐらした聖所の意。墓域をいう。
のだそうで。
──── 202408170530ごろ加筆及びカテゴリー変更。
前回か、夕涼み・時・場・感ない的呟きをしたものだが先ほどほぼ生まれて初めての4時前あさんぽに出たら、若い衆(薄暗いし視線は外しているしで多分ね)がやたらいらっしゃるのであった。駅近くだけでなく都営住宅の脇とかなにもない道端とかその四、五十分のあいだに。タムロタノシゲ涼むげに。
二、三年前まで垣根の内側で野菜を売っていたおうちがのっぺらぼうになる過程にあった。その手前にある木造アパートをまだあるなと確認してからのことだったので、
以前 といってもことしだと思う 撮ったのを載せておこうと思った。よく前を通ってはいるがよく見てはいない。メゾネットタイプで隣とのあいだに階段があって、隙間から建物の裏側が見える僅ゼイタク感あり。
いや、メゾネットなら外階段はないか。ははははいまごろ~