この街でこのマークと言えば
銭形砂絵 「寛永通宝」
通説では寛永10年(1633)に藩主であった生駒高俊を歓迎するために作られたと言われるが定かではない。
琴弾八幡宮
大同2年(807)四国を行脚中の空海が参拝したと伝わる。
また源氏の信仰を受け。源頼義は戦の前に願文を納め、源義家は社殿を造営、源頼朝は土地を寄進したという。
そして源義経は
木乃鳥居
屋島の合戦に勝利した義経が平家追討の祈願で奉納したといわれる。
お次は
神恵院・観音寺
四国八十八ヶ所霊場のうち第六十八番と六十九番札所にあたる。
案内図を見ると、四国霊場唯一の1寺2霊場となっている事が分かります。
巍々園
室町時代に観音寺の住職を務めた足利尊氏の子である道尊大政大僧正によって作庭された。
次回も観音寺市
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