浄土寺
616年、聖徳太子により創建されたと伝わる。
写真の多宝塔と本堂が国宝に指定されている。
今回の目的は「露滴庵特別公開」
露滴庵とは浄土寺庭園の小高い丘に建つ茶室で、文化11年(1814)尾道対岸の向島の商人・富島家(天満屋)より寄進・移築されたもの。伝承では伏見城内にあった豊臣秀吉愛用の茶室でのちに本願寺へ移築さらに富島家へ移ったとされる(富島家の前には芸州浅野家にあったとも伝わる)。
この露滴庵は三畳台目に相伴席が付く古田織部好みの所謂燕庵様式の茶室。
燕庵といえば京都・藪内家の茶室で、元は大坂の陣の前に織部より藪内剣仲へ譲られた茶室ですが、残念ながら元治元年(1864)に焼失。現在の建物は3年後に摂津有馬の門人が所有していた写しを移築したもの。
つまり古田織部好みの茶室としては、この露滴庵が最古のようなのです。
当日は国宝の本堂から入り、方丈の源氏物語扇面散屏風を拝見。その後呈茶を受けます。
そしていよいよ露滴庵へ。
本席の前に四畳半と四畳の勝手に入ります。ここの板床には小堀遠州筆「露滴庵」の掛軸があり。
そしていよいよ本席へ。と言っても相伴席までですが、雰囲気は十分伝わりました。織部好みの非常に窓の多い茶室で、三方いや天井も含めれば四方向から明りが入る演出が利休と違う織部らしさの表れかと思いました。
さて本来なら庭を通って小高い所にある茶室へ行く筈が、少し前まで降っていた雨のためルートが変り、内部は良く観えたけれど外観が観れず。これは次回のチャンスを待ちたいと思います。
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