滋賀
瀬田の唐橋
「唐橋を制する者は天下を制す」と称され、近江八景「瀬田の夕照」としても名高い。
利休と織部の逸話や、安楽庵策伝の著した「醒睡笑」には、連歌師・宗長の歌を取り上げ「急がば回れ」の語源としてこの橋が登場する。
さて本題
京阪電車唐橋前から3駅目の瓦ヶ浜駅、ここに目的の場所があります。
膳所焼美術館
江戸初期より膳所藩の御庭焼として、又、遠州七窯のひとつとして知られた膳所焼。その後衰退していたが、大正時代に復興している。
茶室と庭もあります。
さてさて展示。
膳所光悦茶碗 銘 松根
光悦が膳所焼の窯で焼いたとされる膳所光悦の一椀。寛永13年(1636)5月21日新造なった品川御殿に三代将軍徳川家光が御成の際に、小堀遠州が光悦に依頼して作らせたとされる。
表千家7代如心斎箱書、鴻池家伝来。
「本大津会行狂言」詩歌 千宗旦筆
宗旦が大津と琵琶湖の情景を詠んだもの。大津に居る茶人の元を訪れた時のものであろうか。
一燈宗室の添状が付く。
「社頭祝」短冊 近衞家熈筆
北野天満宮の一夜松伝説を詠み込んだ内容。一夜松伝説とは、私(菅原道真)を祀る地には一夜にして松千本が生えるところだというお告げにより北野天満宮が創建されたとされるもの。
広間では呈茶も受けられます。茶碗は膳所焼との事でした。
今回は膳所光悦茶碗がお目当て。
膳所光悦茶碗を初めて拝見したのは「光悦」展(五島美術館)の馬越化生旧蔵(現個人蔵)とMOA美術館蔵の二椀でした。MOA美術館蔵のものは箱の貼紙より光悦が家光御成用に造った二椀のうちの控えの椀であると記載されており、この二椀が御成用に光悦が造ったものだとその時は納得したものでした。
ところが、その後「茶の湯の名椀」展(茶道資料館)にてもうひとつの膳所光悦茶碗を拝見(歌銘 秋風)こちらの貼紙にも御成の際の控え茶碗とあり、今回膳所焼美術館で4つ目の膳所光悦茶碗を見たことになり、一体家光御成用に使われた茶碗がどれなのか?また御成用に光悦は幾つの膳所焼茶碗を造ったのか?謎が深まってしまいました。
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