SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1810 小倉城庭園 武将のたしなみ

今回は小倉
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小倉城庭園
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企画展 武将のたしなみ ~利休・三斎・織部とつながる松井家の茶の湯 ~
期間:9月16日(日)~11月18日(日)
kokura
千利休書状
十月十八日付、松井康之宛。冒頭に狂歌を記し、以下七箇条の内容を認めた非常にプライベートな内容。第五箇条には「細川忠興の茶事について討論したが、私(利休)の意見が勝った」と記している。二十代半ばの忠興と六十を越えた利休、2人は師弟であるが忠興が盲目的に利休の茶の湯を信奉した訳ではなく、討論・問答の末に辿り着いた事を暗示する内容。
細川忠興知行宛行状
慶長六年(1601)十月付、千道安宛。千利休の長男・道安に対して豊前国より300石余を与える事を記したもの。
利休亡き後も、その子息に対する気遣いを忘れず援助を行う忠興の姿がそこにある。
伊勢物語断簡 細川幽斎、烏丸光広筆
幽斎の書写した伊勢物語の一部の余白に、光広が和歌と本文が幽斎筆に間違いないと記したもの。
光広は幽斎より古今伝授を受け、また古今伝授の太刀(豊後国行平作)を贈られている。
古田織部書状
慶長15年(1610)8月15日付、松井康之宛。織部に古瀬戸肩衝茶入を預けて蓋と仕覆を調達してもらっていたようで、それが出来たと知らせる内容。また焼成した皿5種は出来上がりの評判があまり良くないので、もう一度焼くように伝えている。その際に大きさや形も伝えており織部が焼物の指導をする姿が垣間見れる。

この他にも三斎や宗旦の茶杓、織部より贈られた南蛮耳付水指、狩野探幽筆の渡唐天神図など拝見出来ました。




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