SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

2212 京都国立博物館 「京に生きる文化 茶の湯」 後期

京都

京都国立博物館

「京に生きる文化 茶の湯」 後期
期間:11月8日(火)~12月4日(日)


漁村夕照図 珠光筆
中国の瀟湘八景のひとつ漁村夕照を描いた作品。賛の款記に「獨盧軒 珠光」とある事から茶人珠光が描いたと考えられている。
こちらは三井記念美術館蔵だが、珠光筆の落款を伴う野村美術館蔵の山水図もあり、珠光が趣味として絵を描いていた事、また中国の絵に親しんでいた様子がうかがえる。
鉈鞘籠花入
千利休が鉈を入れる為の鞘籠を花入れに見立てたもので、背面に鐶が付けられており、掛花入にしている。
利休より薮内剣仲へ渡ったが、ある時古田織部がこの花入れを所望したが断られたため、織部が勝手に持ち帰ってしまった。剣仲が何度も返却するよう催促したので、織部は詫び状(筋痛みの文)を添えて返却した。
後に鉈鞘籠花入は他家に渡ったが、この添状は今も薮内家に残る。
古田織部書状
十二月十九日付、藪内紹智(剣仲)宛。通称「筋痛みの文」と呼ばれる書状。内容は「息子の小平次をそちらに遣ったのでいろいろご指導ください、近頃は茶の湯にご精進なさっていると思いますが、私のほうは筋を痛めた以外は特に変わりありません」と記している。
この文は鉈鞘籠花入の返却に伴う詫び状出ある筈だが、どこにもその事を書いていないし、詫びてもいない。
織部と剣仲の仲の成せる事であろう。
唐物文琳茶入 奈良文琳
やや背が高く撫で肩で胴が丸くなっている文琳形の茶入で、褐黄色の釉が掛けられ赤褐色と茶褐色の釉が斑になり、一筋釉流れがある。
松花堂昭乗が石清水八幡宮の瀧本坊に入る際に兄の中沼左京が持参させたと伝わる。
近代には益田鈍翁が所蔵し、現在は出光美術館。

茶の歴史という視点からの広く浅くの展覧会、三千家などに協力してもらっているのにもう少し利休時代などを中心にして深堀り欲しかったところです。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「探訪」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事