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2208 京都国立博物館 河内長野の霊地 観心寺と金剛寺

京都

京都国立博物館

河内長野の霊地 観心寺と金剛寺─真言密教と南朝の遺産─
期間:7月30日(土)~9月11日(日)

「大阪・河内長野市は、かつての河内国南部にあたる山あいの地域で、京都から高野山につづく街道の合流地点として栄えた歴史を有します。当地には観心寺と金剛寺という真言密教の大寺院があり、この地域における信仰の中心を担ってきました。また、両寺は南北朝時代に後村上天皇の行宮(行在所)となり、南朝勢力の拠点として重要な役割を果たしました。今日でも、武将・楠木正成ゆかりの寺として多くの歴史ファンに親しまれています。
京都国立博物館では、平成28年度(2016)から令和元年度(2019)にかけて、両寺の文化財悉皆調査を実施しました。本展はその成果を公開する機会として、従来知られた名品に加え、調査によってみいだされた中近世の文化財をご紹介します。」(公式より)

剣 附黒漆宝剣拵
国宝。平安時代(10世紀)。両切刃造で、寺伝によれば天野山金剛寺中興の祖といわれる阿観上人が所持したとされる。
天野山金剛寺蔵。
藍韋威肩赤腹巻
腹巻は騎乗での戦闘から集団による徒歩軍になり普及した軽武装の武具。
楠木正成が観心寺に奉納したと伝わる。
楠木正成書状
元弘三年(1333)十月廿六日付、瀧覚坊宛、楠木正成自筆とされる書状で内容は祈禱を行うので空海作という不動明王像と共に二十八日に京へ着くように瀧覚坊へ伝えている。
瀧覚坊は観心寺の僧で楠木正成とその子・正行の学問の師である人物。俗名を和田朝正といい源頼朝に仕え「鎌倉殿の13人」に登場する和田義盛の後裔に当たる。
楠木正成が執権北条氏の鎌倉幕府と戦った事に瀧覚坊の出自が関係しているのかもしれない。
観心寺蔵
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