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1503 静岡市民ギャラリー 今川氏 駿府を愛した戦国大名

静岡
079
静岡市民ギャラリー
078
企画展「今川氏 駿府を愛した戦国大名」
期間:2月20日(金)~3月15日(日)
「戦国時代、駿府を拠点として駿河・遠江・東三河を支配下に治めた戦国大名今川氏。「公家風で軟弱」という、実態とはかけ離れたイメージが後の時代に刷り込まれ、先進的な領国経営を行い、高度な文化を誇っていたことは一般にはあまり知られていません。」(公式より)
imagawa
今川氏親木像
公家の正装である衣冠束帯の姿で腰には太刀を下げた木像。
今川義元の家臣であった岡部常慶(久綱)が増善寺に寄進した。
今川氏親は父・今川義忠、母・北川殿の子。北川殿の兄弟が伊勢盛時(北条早雲)であり、今川義忠が早くに戦死した為、今川家では家督争いが起き叔父である伊勢盛時が奔走し氏親の家督相続に協力している。
増善寺殿法事記録
大永六年(1526)今川氏親が亡くなった後に増善寺で執り行われた葬儀を記録した資料。
7000人の僧侶と1000人の一族・家臣が参加し9日間行なわれた。戦国時代最大規模の葬儀だったそう。
今川義元木像
氏親と同じく、公家の正装である衣冠束帯の姿で腰には太刀を下げた木像。
元は義元の墓があった天澤寺に在ったが同寺が衰退すると文化十年(1813)に臨済寺へ移された。
太原雪斎木像
袈裟・頭巾姿の木像で義元木像と同じ臨済寺蔵。
太原雪斎は今川義元を補佐し内政・外交さらには軍事にも卓越した手腕を発揮し、今川家の最盛期を築いた。
雪斎の死から5年後に桶狭間の戦いで今川義元が敗死したことから、雪斎の存在が如何に大きかったかが判ります。
太原雪斎所用 陣中鐙 
太原雪斎所用 陣中袈裟
太原雪斎墨蹟「閑亭」

太原雪斎が住持を務めた事から臨済寺に伝わる雪斎ゆかりの品々。「陣中」鐙などは雪斎が自ら戦に赴いた事を窺わせる品ではないでしょうか。

現在の静岡は徳川家康の街のイメージですが、元は今川家が治めていた所。
展示としては良いところに着目していますが、如何せん展示数が少ない。今川家に関する物をもっと集めて大規模な今川展を是非観てみたいと思いました。 
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