ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

ウィニコット(牛島定信監訳ほか)『人間の本性-ウィニコットの講義録』2004・誠信書房

2025年01月04日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

     *   

 小児科医で精神分析家のウィニコットさんの『人間の本性-ウィニコットの講義録』(牛島定信監訳・館直彦訳、2004・誠信書房)を再読しました。

 これも、ものすごく久しぶりです。

 そういえば、ウィニコットさんのことはずいぶん引用するわりに、彼の本をきちんとご紹介するのは初めてかもしれません。

 いずれ、きちんとご紹介したいと思っているのですが…。

 さて、本書、イギリスの幼児教育や社会福祉などの大学院生に向けての子どもの発達やこころの発達についての講義。

 深い内容をていねいに話しています。

 人間の本性というのは human Nature の訳で人間性のことですが、人間の精神的、心理的な成熟について語っていると思います。

 いろいろなことが語られていて盛りだくさんですが、じーじが今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、精神分析について述べているところで、精神分析は認識することの増大と認識できないことへの耐性をもたらす、という点。

 ウィニコットさんらしいというか、逆説的な感じで、認識できないことへの耐性をもたらす、といわれると、なるほどと思います。深いですね。

 二つめは、ひきこもりについてで、退行した部分を有する人が、外的な関係を犠牲にしても、その部分の世話をしている状態、と述べていて、かなり肯定的にとらえていると思います。

 三つめは、人間の成熟についてのコメントで、成熟した人間の数が一定数以下ならば、民主主義は政治的実態ではなくなる、と明言しているところ。

 今の世界各国や日本の社会状況を見ていると本当にうなづけます。

 また、カウンセリングをやっていると政治と無関係という感じがしていましたが、人間が少しずつでも成熟する過程をお手伝いすることは真の民主主義を実現することにつながるのだな、今回、わかったように思います。

 なかなか勉強になる一冊です。                (2018 記)

     *

 2021年3月の追記です

 今ごろ気がついたのですが、認識できないことへの耐性、ということは、わからないことに耐えること、に通じそうですね。       (2021.3 記)

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 2023年11月の追記です

 以前は、カウンセリングで個人の悩みを解決しても、社会が変わらないと駄目ではないかという、心理学には限界があるのではないかという気持ちもどこかにあったのですが、この本を読んで、個人が人格的に成熟することで社会も変わりえるのだ、ということがわかって、とてもうれしく思った記憶があります。        (2023.11 記)

 

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クリストファー・ボラス(館直彦ほか監訳)『精神分析の経験-事物のミステリー』2004・岩崎学術出版社

2024年12月28日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

     * 

 アメリカの精神分析家であるボラスさんの『精神分析の経験-事物のミステリー』(館直彦他監訳・2004・岩崎学術出版社)を再読しました。

 これもかなり久しぶりです。

 ボラスさんの本については、何冊かはこのブログにも感想を書いていますので、ご承知のかたもいらっしゃるかもしれません。

 アメリカ人ですが、イギリス独立派の精神分析を学んだ人で、ウィニコットさんやビオンさん、クラインさんなどの名前がたくさん出てきます。

 本書はその書名のとおり、精神分析という経験をていねいに描写して、その中で起きていることを学問的に考察しています。

 精神分析の経験がない人でも精神分析というできごとを想像できるような細やかな本だと思います。

 じーじも精神分析そのものの経験はなく、精神分析的心理療法の経験から想像をするしかないのですが、それでも精神分析の重要な概念や考えが多少は理解できるような内容になっていると思います。

 今回、勉強になったことの一つめは、ウィニコットさんのいう、二人でいて、一人でいる能力、の考え。

 じーじはこれまで、これは母子関係の中で、子どもが徐々に自立していく様子と単純に理解していました。

 しかし、これについては「本質的孤立」といって、成熟したおとなが、他者のいるところで一人でいるという能力に通じる大切な概念のようです。

 二つめは、破壊性の創造的側面ということ。

 これも基本は、母子関係の中で、母子分離のために、子どもが母親の(心理的)破壊を通して開放や自発性が起こる、と考えているようです。

 三つめは、これとも関連をしますが、母親が思いやりの中で子どもの(心理的)破壊を是認することで、子どもにすまなさや罪悪感が育ち、子どもがそれまでの万能感からの脱出や成長が可能となる、という考えです。

 いずれも、母子関係の中から、母親の愛情のもとで子どもがどう自立していくのかを考察し、成熟したおとなになる条件を考察していて、参考になります。

 今後も、臨床現場での経験をさらに積み重ねて、こういった概念を参考にし、確認をしながら、力のある臨床家になりたいと思いました。       (2018.5 記)

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 2020年11月の追記です

 よく考えると、ここでも、生き残ること、がテーマになっているようです。

 親が子どものわがままに耐えて、生き残ること、が子どもの自立や精神的成熟に大切なようです。        (2020.11 記)

 

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クリストファー・ボラス(館直彦監訳)『太陽が破裂するとき-統合失調症の謎』2017・創元社

2024年12月26日 | 精神分析に学ぶ

 2017年のブログです

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 ボラスさんの『太陽が破裂するとき-統合失調症の謎』(舘直彦監訳・2017・創元社)を読みました。

 楽しみにしていた本で、すごくわくわくしながら読みました。

 ボラスさんはアメリカの精神分析家で、じーじもこれまでに何冊かの本を読んでいます。

 『精神分析という経験』(2004・岩崎学術出版社)という本はとてもいい本ですし、『終わりのない質問』(2011・誠信書房)もすごい本です(いずれもブログに感想文を書いていますので、よろしかったら読んでみてください)。

 今回の本は、統合失調症の患者さんへの精神分析的アプローチについて、多くの事例をもとにていねいに論じている本で、表題の、太陽が破裂するとき、はある患者さんの言葉です。

 内容は、事例が中心ですので読みやすいのですが、中味を理解するのはなかなかたいへんです。

 少なくとも、数回、自分の経験などとも照らし合わせながら読み深めていかないと、理解できないのではないかと思います。

 それでも、今回、勉強になったことは、まずは、患者さんの論理構造、思考構造をていねいになぞることの大切さ。

 なぞる、というと、精神療法家の下坂幸三さんの、言葉ですが、同じような細やかでていねいな作業をされているような印象を受けました。

 そういえば、下坂さんも精神分析の勉強から精神療法に入られたかたです。

 何か共通点があるのかもしれません。

 ボラスさんのなぞりはかなり徹底的で、そこに精神分析的な手法や考えが使われます。

 患者さんの一見支離滅裂な言葉から、つながりを見つけ出すその技はすごいですし、感動的です。

 そして、そういう作業を患者さんと一緒にやっていくことが、精神分析の、もの想い、につながり、情緒的体験を可能にするといいます。

 ここまでくると、もう完全に精神分析の世界になりそうです。

 なかなかたいへんな作業ですが、じーじも少しずつでも勉強し、努力をしていきたいと思いました。           (2017 記)

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 2019年4月の追記です

 「精神分析研究」63巻1号に東中園聡さんが本書の書評を書かれています。

 さすが東中園さん、というすばらしい文章で、読み応えがあります。

 じーじがよく理解できていなかったところもわかりやすく説明されていて、勉強になります。

 こんなふうな文章が書けるようになりたいなあ、と思いました。

 まだまだ勉強を深めていく必要があります。         (2019.  4 記)

 

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松木邦裕『こころに出会う-臨床精神分析 その学びと学び方』2016・創元社-精神分析に深く学ぶ

2024年12月10日 | 精神分析に学ぶ

 2016年のブログです

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 松木邦裕さんの『こころに出会う-臨床精神分析 その学びと学び方』(2016・創元社)を読みました。

 松木さんの研究会での講義や学会誌の論文などを集めた本ですが、充実した内容です。

 総論的な論文もありますが(少し難しいですが、とても勉強になります)、じーじが今回、特に勉強になったのが、「喪失ということ」と「不毛ということ」という文章。

 いろいろと考えさせられました。

 このところ、なぜか「対象喪失」のことを考えることが多いのですが(老人になったせいでしょうか)、やはり精神分析の中心テーマの一つだろうと改めて思います。

 老人だけでなく、若い人や子どもさんであっても、新しい出会いとともに対象喪失が常にあるんだろうなと思います。 

 そうして、うまく対象喪失をしていくこと、さらには、それを周囲からうまく支えてもらうことが、「育てられること-育つこと」なんだろうなと思います。

 まだまだ考えが深まっていませんが、そういったことを臨床をふまえながら、さらに考えていきたいなと思っています。

 また、「不毛ということ」については、松木さんがその反対のことを語っているこの文章を引用したいと思います。

 「こころは、こころで感知することしかできない。感知した痛みを通して“生きづらさ”を抱えたこころの本性を知るのである」

 こころの営みの大切さとすごさを語っていると思います。

 全編に松木さんの強い思いが感じられるいい本です。          (2016 記)

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 2023年3月の追記です

 最後の、こころで感知する、というところは、普通は、共感、という言葉が浮かびますが、ここではもっと深い営みである、投影同一化という言葉が思い浮かびます。

 治療者からの一方的な働きかけではなく、治療者と患者さんの双方による無意識の相互作用をいかに意識化して、コンテインしていくかということを述べておられるように感じます(合っているといいのですが…)。

 もっともっと勉強しなければなりません。        (2023.3 記)

 

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小此木啓吾『精神分析のおはなし』2016・創元こころ文庫-人と人との関係をていねいに見る視点

2024年12月06日 | 精神分析に学ぶ

 2016年のブログです

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 精神科医で精神分析家の小此木啓吾さん(慶応大学医学部教授)の『精神分析のおはなし』(2016・創元こころ文庫)を読みました。

 単行本は1999年に出ていたらしいのですが、読みそびれていて、今回、文庫本で初めて読ませていただきました。

 研究会などでの講演をまとめたものですが、人生全般の心理的な課題を、いくつかのテーマに分けて、細かく、ていねいに解説をされています。

 甘えと自立、対象喪失と喪、さらには、懐かしい、シゾイド人間や自己愛人間のお話なども出てきました。

 シゾイド人間と自己愛人間が裏表の関係にある、という指摘は、今回、初めて、気がついて、なるほどと思いました。

 このところ、気になっていた対象喪失と喪の問題もさらに考えることができました。

 学ぶところの多い本ですが、今回、個人的に一番印象に残ったのは、親が生き残るというテーマ。

 幼年期や思春期、青年期をとおして、親子関係において、子どもと親はいろいろと大変なことに遭遇をするものですが、その時に、親がボロボロになりながらも、たいしたことはしなくても、とにかくつぶれずに生き残ること、これが一番大切なことだと力説をされています。

 生き残ることの大切さは精神分析で大事なテーマで、たとえば、ウィニコットさんなども、治療者や親がその関係の中で生き残ることの重要性を述べています。  

 また、ウィニコットさんの場合は、ほどよい親、ほどよい治療者が大切といい、適度の失敗の大切さについても述べていると思います。

 もちろん、人間ですから、完璧なことは無理な話で、時々の失敗が当然あるわけですが、それが子どもや患者さんの幻想をやぶり、ほどよい現実感覚をもたらすのだろうと思われます。

 このあたりの議論は、とても刺激的で、大切だと思われるので、さらに考えを深めていきたいと思っています。

 とてもいい本に出会えたことに感謝します。               (2016 記)

     *

 2023年3月の追記です

 ウィニコットさんのいう、親が生き残ること、については、子どもからの理不尽な攻撃に親が報復をしないことが大切、と述べられています。

 子どもの攻撃に親が報復をしてしまうと、それは虐待になってしまいます。

 そうではなく、親がボロボロになりながらも、子どもの世話をすることで、子どもは親を攻撃したことに償いの気持ちを持ち、それが罪悪感に繋がる、と述べているように思います。              (2023.3 記)

 

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クリストファー・ボラス(館直彦訳)『終わりのない質問-臨床における無意識の作業』2011・誠信書房-自由連想の大切さを学ぶ

2024年11月28日 | 精神分析に学ぶ

 2012年のブログです

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 精神分析家クリストファー・ボラスさんの『終わりのない質問-臨床における無意識の作業』(館直彦訳・2011・誠信書房)を読みました。

 精神分析の初心者のじーじにとってはなかなか難しい本でしたが、著者が精神分析において解釈よりも自由連想を大切にしたいという思いは(それで間違っていないと思っているのですが…)、ひしひしと伝わってきました。

 これはひよっとすると全く的外れの感想かもしれませんが、じーじなりには、最近の精神分析が解釈よりも「もの想い」を大切にしていることとどこかでつながるのではないかなとも思いました(当たっているといいのですが…)。

 とはいえ、まだまだ理解できていない面も多いと思います。

 二度 三度と読み込んでいきたい本だと思いました。       (2012 記)

     * 

 2018年の追記です

 久しぶりに再読をしました。

 なんと6年ぶりです。

 しかし、やっぱりなかなか難しい本だと思いました。

 このような本は、臨床経験をていねいに重ねながら、何度も読み込んでいく必要があるようです。

 それでも、今回、気がついたことを一つだけあげると、自由連想は解釈と一体である、ということでしょうか。

 よい解釈、よい理解をするためには、フロイトさんがいったように無意識に開かれていなければならず、そのために自由連想やもの想いが大切になってくるのだろうということ。

 つまり、クライエントさんにより添いながらも、クライエントさんの論理、物語に流されずに、無意識に耳を傾けることが大切になるようです。

 ボラスさんは、ジャズの即興性との類似を指摘されていますが、確かにそんな感じがします。

 ケース検討などでも、つい、論理的な解釈に走りがちですが、無意識を大切にして、じっくりとそこにとどまり、わからないことに気づくことが大事になるのではないかなと思いました。

 さらに学んでいきたいと思います。       (2018 記)

     *

 2020年5月の追記です  

 今、ボラスさんの『対象の影-対象関係論の最前線』(館直彦監訳・2009・岩崎学術出版社)を再読しています。

 この本もなかなか刺激的で、いい本です。       (2020.5 記)

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 2023年3月の追記です

 今ごろ気づきましたが、ここでも、わからないことに耐えること、がテーマの一つになっているようです。        (2023.3 記)

 

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ベティ・ジョゼフ(小川豊昭訳)『心的平衡と心的変化』2005・岩崎学術出版社-こころにていねいにより添うこと

2024年11月21日 | 精神分析に学ぶ

 たぶん2016年ころのブログです

          *   

 イギリスの精神分析家ベティ・ジョゼフさんの『心的平衡と心的変化(2005・岩崎学術出版社)を再読しました。

 この本も10年ぶりくらいの再読で、今回がようやく2回目です。

 なかなか難しい内容の本で、10年間の経験で以前よりどれくらい理解が進んだのかな、と思いながら読んだのですが、やっぱりとても難しくて、正直なところ2割くらい理解できているのかな、といった感じですが、あまり自信はありません。

 こういう本は、精神分析的心理療法をきちんと実践して、スーパーヴィジョンを受けて、少しずつ、ここがそうか、と理解できるようなものなのかもしれません。

 しかし、初学者のじーじでも、できるところから、わかるところから、少しずつでも勉強をしていきたいと思っています。

 もっとも、ジョセフさんの本は、症例の紹介がとてもていねいなので、それを読んでいるだけでも、とても参考になりますし、症例のまとめかたについても学べると思います。

 さて、つたないながらも今回、じーじなりに学べたところは、早くわかりすぎないことの大切さとわからないことに耐えることの大切さ、自分の中にも厳然とある負の感情を意識化すること、そして、全ては転移の中に姿を現わす、ということなどなど。

 わからないことに耐えることの大切さは、心理療法だけでなく、人生や子育てにも通じることだと思います。

 また、じーじは、昔から、指導者に、早わかりしすぎている、と指摘をされることが多かったのですが、自分の理解ではなく、クライエントさんの理解に添っていくことの大切さを改めて学びました。

 さらに、負の感情に振り回されることはいつものことですので、本当に注意が必要だと感じました。

 そして、面接の現場で目と耳とこころの全体でクライエントさんのお話を聞いていれば、そこにすべての課題、すべてのことがらが展開されて、そこでの対応が大切になるんだな、と改めて感じました。

 まだまだ紹介すべきことは多いと思いますが、いずれまた少しずつでもわかりやすくご紹介できればと思っています。             (2016?記)

       *   

 2019年1月の追記です

 読み返してみると、この頃から、わからないことに耐えること、がじーじのテーマの一つになっていたようです。              (2019.1 記)

     *

 2022年1月の追記です

 シェイクスピアさんの『ハムレット』を引用して、わからないことに耐えることの大切さを述べたのが、精神科医の中井久夫さん。

 一方、シェイクスピアさんの中に、あいまいさに耐える能力の大切さを見出したのが、詩人キーツさん。それを引用したのが、精神分析のビオンさんやメルツァーさんです。 

 ジョセフさんも精神分析経由だと思いますが、中井さんと同じようなことを述べているのが面白いです。             (2022.1 記)

 

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エディプス・藤山直樹さん・小此木啓吾さん-2019年精神分析学会・その3

2024年10月27日 | 精神分析に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 昨日は学会3日目、最終日。

 午後からシンポジウムがありました。

 テーマはエディプス・コンプレックス。

 フロイトさんの時からの精神分析の大事なテーマ。

 藤山直樹さんが指定討論をされるので、楽しみに参加しました。

 藤山さんが初めて精神分析学会のシンポジウムに登壇した20数年前もテーマがエディプス・コンプレックスだったそうで、その時の論文は藤山さんの『精神分析という営み』に収録されているとのこと。

 帰ったらさっそく読みなおそうと思いました(ブログもあるので、よかったら読んでみてください)。

 その時のスーパーヴァイザーとのやりとりや小此木啓吾さんとの討論を懐かしそうにお話されているのが印象的でした。

 さて、エディプス・コンプレックス。

 重要な概念で、藤山さんの説明でもそのことは伝わってくるのですが、なんせ経験不足でもどかしい感じもします。

 もっともっと、経験と勉強を深めなければと思いました。

 しかし、藤山さんの精神分析にかける熱意を感じられただけでもよかったとは思います。

 やはりすごいです。

 今回は3日間とも藤山さんのお話を聞く機会があって、贅沢でした。

 それだけでも、札幌まで来た甲斐がありました。

 今後も、もっともっと、勉強を深めていきたいと思います。       (2019. 10 記)

 

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精神病・生き残ること・藤山直樹さん-2019年精神分析学会・その2

2024年10月26日 | 精神分析に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 昨日は学会2日目。

 午前中は精神病の分科会に参加。

 みなさん、すごいケースのご紹介で、いろいろと考えさせられます。

 たくさんの学びがあったのですが、じーじとっての再確認は「生き残る」ことのテーマでしょうか。

 患者さんの攻撃性に、報復をせずに「生き残る」ことがまず出発点のような感じを持ちました。

 そのことだけでも、患者さんには大きな意味がありそうです。

 午後は終結症例の分科会。

 司会が藤山直樹さん。

 司会だけでなく、結構、自由に発言をされるので、面白いですし、とても参考になります。

 個人的には、発表者と司会の藤山さんの対談でもいいように思うほどでした。

 発表者がだんだんと率直になっていく様子が見られて、藤山さんの力量に改めて感心させられました。

 力のある臨床家は本当にすごいなと思います。

 もっともっと経験を積み重ねていきたいと切に思いました。       (2019. 10 記)

 

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助言・明確化・藤山直樹さん-2019年精神分析学会・その1

2024年10月25日 | 精神分析に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 昨日から札幌で開催されている2019年精神分析学会に参加しています。

 昨日は藤山直樹さんが助言者の研修症例の分科会に出てみました。

 藤山さんはあいかわらずのきれの良さで、ポイントをズバズバと指摘されます。

 久しぶりに元気な藤山節を聴かせてもらって、こちらまで元気になりました。

 しかし、同じ資料を読んでいるのに、藤山さんの気づきの豊かさは驚きです。

 すごいな、と感心するとともに、少しでも近づきたいな、と思います。

 ポイントの指摘だけでなく、明確化のための質問の例示もていねいにされて、初学者にもとても勉強になりました。

 今日は一般演題。

 じーじは精神病の分科会などで、統合失調症の患者さんへの面接などを学びたいと思っています。      (2019.10 記)

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 2024年10月の追記です

 この時はリタイア後だったので、札幌までは飛行機ではなく、フェリーでのんびりと行きました。

 夏のようにデッキでビールを楽しむということはできませんでしたが、暖かな船内で呑むサッポロクラシックの味も格別で、いつものように船酔いの前に酒酔いでダウンして熟睡でした。

 どさんこのじーじですが、秋の札幌はおそらく初めて、初雪間近で、さすがに寒かったですが、道路の落ち葉がきれいでじゅうたんのようでした。

 学会後に、ホテルの暖かな部屋で呑むビールも最高でした(子どもの頃にはわからなかったもんなあ)。

 年を取るのもなかなかいいもんだな、と思うじーじでした。      (2024.10 記)

 

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プレイセラピー・子ども・主体-2017年精神分析学会・その3

2024年10月20日 | 精神分析に学ぶ

 2017年のブログです

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 新潟に帰ってきました(昨日の帰りの東海道新幹線は連休最終日のせいでひどい混雑で、田舎者のじーじは、ニュースで見るだけだった都会のすごさを、この年になって初めて実感させられてしまいました)。

 昨日の分析学会は3日目、最終日。

 会長講演やシンポジウムなどがありました。

 会長講演は生地新さん。

 うかつなことに、じーじは昨日まで生地さんが児童精神科医であることに気づいていなくて、講演をお聞きして初めて気づきました。

 しかし、講演の内容は、プレイセラピーについて、とてもていねいにこまやかに検討をされていて、勉強になりました。

 本当に子どもの主体性を尊重されていて、治療者が、子どもを単に楽しませること、を戒めていることが印象的でした。

 午後のシンポジウムは、ここ数年、分析学会で話題になっている精神分析と分析的精神療法の異同についての議論。

 北山修さん、松木邦裕さん、福本修さんという豪華なシンポジストに、藤山直樹さんらが指定討論を行ない、議論を深めました。

 藤山さんが、ご自分のわからない点を、わからない、と率直に発言をされて、大家になっても、飾らない、素直なその態度に感心させられました。

 また、高野晶さんの冷静な現状分析にも感心させられました。

 3日間で、さまざまなことを学び、考えることができたように思います。

 年寄りのじーじゆえ、かなり疲れましたが、とても面白かったです。

 子どもと同様、面白い、ということが、次につながるのでしょう。

 とてもいい体験でした。      (2017.11 記)

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 2024年10月の追記です

 この時の新幹線の混雑ぶりは今でも忘れられません!

 まず、名古屋駅で新幹線が1~2分おきに到着したこと(新潟では1~2時間に1本です?)。

 それのどれもが超混雑ぶりで乗り込めずにしばらくは見逃したこと。

 数本見逃して、意を決してなんとかお尻から乗り込んだものの、全く身動きができない状態。

 奥に進もうとしても、途中下車を狙っている乗客が多いのか(?)、完全にブロックされています。

 新潟では混んでいると皆さんが奥のほうに移動してくれますが、そんな配慮は全くなし!

 隣にいた小学生などは気分が悪くなって大変でしたが、誰も気にとめず、都会の人たちの弱者への冷たさを痛感しました。

 新幹線にも女性専用車両や老人専用車両?(じーじはあまり乗りたくないかも?)があるといいですが、そうだ!女性・老人・子ども専用車両があるといいですね。

 リニアモーター新幹線より優先課題かもしれません。

 頼みますよ、JR東海さん!       (2024.10 記)

 

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エディプス・ナルシシズム・土居健郎さん-2017年精神分析学会・その2

2024年10月19日 | 精神分析に学ぶ

 2017年のブログです

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 今日も名古屋にいます。

 昨日は分析学会の2日目がありました。

 一般演題、学会出版賞受賞講演、講演と討論などがありました。

 一般演題は、じーじは、エディプス、と、ナルシシズム、に出てみました。

 実は、本当は、対象喪失、に出てみたかったのですが、会場が満員で、諦めました(これが本当の、対象喪失、です)。

 しかし、エディプス、の発表も、ナルシシズム、のほうも、どちらもなかなかすごい症例で、いろいろと勉強になりました。

 学会出版賞受賞講演は藤山直樹さん。

 誰に向かって書くか、という演題で、ご自分の論文執筆の歴史をこまやかに振り返りました。

 土居健郎さんや狩野力八郎さんのもとでの、修行時代の思い出話などはとても参考になりました。

 講演と討論は、イギリスの分析家のマイケル・パーソンさんというかた。

 初めて知りましたが、精神分析の空間でのできごとをていねいに説明され、解釈のあり方について、かなり深い洞察を述べられました。

 翻訳が出たら、ぜひ読んでみたいな、と思いました。

 また、指定討論の藤山さんがその洞察の深さに感動しています、と述べられた姿がとても印象的でした。

 今日はいよいよ最終日。

 じーじは老体に鞭打って頑張ります。       (2017.11 記)

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 2024年10月の追記です

 精神分析学会は結構、会員数の多い学会なので、興味深い発表には人が集まります。

 じーじは人込みが嫌いなほうなので、できるだけ人の少ないところが好きなのですが、そうもいきません。

 時には座れずに、立って発表をお聴きすることもありますが、電車と違って、老人に席を譲りましょう、という慣習はないらしく(老人がすごく多い学会ですので)、じーじより先輩の学者さんも立っているので仕方ありません。

 たまには床に座ろうかなどと思ったりもしますが、じーじは小心者なので(?)、そんな目立つことも苦手です。

 学問の世界もなかなか厳しいものだな(?)と思ったりします。        (2024.10 記)

 

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わからないこと・不思議なこと・喪の作業-2017年精神分析学会・その1

2024年10月18日 | 精神分析に学ぶ

 2017年のブログです

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 名古屋に来ています。

 昨日から2017年精神分析学会が開催されており、2年ぶりに参加させてもらいました。

 1日目は、編集委員会企画セミナー、研修症例、教育研修セミナーの三つのプログラムを選択、じーじはいずれも藤山直樹さんが出席される会場に参加させてもらいました。

 午前中の編集委員会企画セミナーのテーマは、事例の書き方。

 事例をいかに説得力のある形にまとめるかで議論がされました。

 藤山さんの、客観性は必要だが、書き物なので創造的で美的であることが重要と思う、との発言は刺激的でしたし、同意できました。

 午後の研修症例は、若手治療者による表情恐怖の事例に藤山さんが助言をされました。

 面接では優しく共感するだけでなく、わからないことや不思議なことは聴くのが自然、治療者が怖がって聴かないことは不親切ではないか、との指摘には思わずうなりました。

 じーじも同じような傾向があるので、反省させられましたし、勉強になりました。

 夕方の教育研修セミナーのテーマは、いかに分析的臨床を描写するか-体験から言葉へ。

 ここでは、まず高野晶さんのていねいな臨床描写の実践報告に思わずうなり、藤山さんの、体験を言葉にする時には、さまざまな「喪」の作業が必要、との発言にいろいろと考えさせられました。

 また、いい文章を書くためには詩や小説をたくさん読むことが大切、との指摘にはおおいに同意をしました。

 ふだんから役に立つのかどうかわからないような本をたくさん読んでいて、誰かさんから、無駄遣いのかね食い虫、と言われているようなじーじですが、それもまったく無駄でもないのかも(?)、と自己弁護をしてしまいました。

 1日目の終了が午後7時半と、じーじの私にはかなりハードな日程でしたが、しかし、勉強になりました。今日と明日もなんとか頑張りたいと思います。       (2017.11 記)

     *

 2023年秋の追記です

 わからないことを聴くことと、わからないことに耐えることはどんな関係になるのでしょう。

 わからないことを聴く時、なんでもかんでも聴くのではなく、クライエントさんにとっても大切と思われることを聴くのではないかと思います。

 そういう聴くことが出てくるまで、わからないことに耐えて、待っているのかなと思ったりします。

 これは、解釈の時の、話してもわからないことは話さない、ということとパラレルな感じかもしれません。       (2023.10 記)

 

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藤山直樹さんのすごさと温かさに感動し,帰りの京葉線で北山修さんに遭遇する-2015年精神分析学会

2024年10月14日 | 精神分析に学ぶ

 2015年のブログです

     *

 10月中旬,幕張で開催された精神分析学会に行ってきました。

 1日目午前は臨床ケースセミナー。

 じーじは助言者が藤山直樹さんのセミナーに参加しました。

 司会者が森さち子さん。

 大胆な藤山さんと繊細な森さんというたいへんに豪華な顔合わせで,とても深い勉強ができました。

 クライエントを具体的に理解することの大切さを学びました。

 夜は教育研修セミナー。

 やはり藤山さんの企画のセミナーに参加しました。

 分析と開業がテーマ。

 開業で保険診療をしている奥寺崇さんのお話に感動しました。

 また,フロアーにいた古賀靖彦さんが辛口のコメントをされて内容が深まりました。

 いつか,藤山さんと古賀さんの共同企画のセミナーが実現するといいなと思いました。

 2日目は一般演題と指定討論演題。

 指定討論演題では飛谷渉さんの難しいお話を指定討論の藤山さんが大胆にも要約をされてわかりやすくなりました。

 3日目午前は狩野力八郎さんの追悼の会。

 相田信男さんと藤山さんの思い出話を聞いているうちに涙が止まらなくなって困りました。

 午後はシンポジウム。久しぶりに帰りの飛行機の時間を気にしなくていい,十分に時間の取れたシンポジウムで活発な議論を堪能しました。

 自由な議論が可能なところが分析学会のよさだと改めて感じました。

 おまけのびっくりは帰りの京葉線。

 北山修さんの斜め前の席に座れて,とても幸せな気分でした。

 やはりたまに学会や研究会に行くと本当に刺激になります。

 やや風邪気味で疲れましたが,とてもよい三日間でした。        (2015.10 記)

 

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フロイト(藤山直樹編・監訳)『フロイト技法論集』2014・岩崎学術出版社-フロイトさんを正確な日本語で読む

2024年10月12日 | 精神分析に学ぶ

 たぶん2016年のブログです

     *  

 フロイト(藤山直樹編・監訳)『フロイト技法論集』(2014・岩崎学術出版社)を読みました。

 2014年秋の精神分析学会の書籍売り場で買った本です。

 買った当時に何回か読んだあと、しばらくしてから再び、何回か読んでいます。

 何回読んでも学ぶところがあり、中身の深い本だと思います。

 初心者にも中級者にも学ぶところの多い本だと思います。

 本当に勉強になります。

 日本語訳も適切で、かつ、翻訳をしたかたがたの読みが奥深いのだろうと思います。

 いろいろ学ぶことが多い本ですが、今回、学んだのはやはり夢のところ。

 大切な夢は何回も見れるので焦る必要はない、というところは、のんびり屋のじーじにはいい勉強と励みになりました。

 最近、夢を何回かじっくり味わっているうちに、夢の内容や表現が少しずつ変化をする体験をして、フロイトさんの考えは本当だな、と思いました。

 あと、もう一つ学んだのは転移についての考え。

 放送大学大学院の修士論文でも触れたのですが、フロイトさんのいう、転移を反復強迫のためのひとつの遊び場とする、そこを中間領域とする、というところです。

 ここはほぼウィニコットさんの考えと重なっており、ふたりの偉大な精神分析家の考えの深さとすばらしさが感じられると思います。

 すごい人たちは本当にすごいところまで考え、実践し、それを表現し、伝達しているのだなと思いました。

 じーじの初学者はまだまだ学ばなければなりません。        (2016?記)

     *  

 2017年の追記です

 最近、フロイト(藤山直樹編・監訳)『フロイト症例論集2-ラットマンとウルフマン』(2017・岩崎学術出版社)を読みました。

 二つとも有名な論文ですが、なかなか難しく、今のじーじにはどこまで理解できているのか心もとない感じです。

 いずれ感想を書けたらいいなと思っています。        (2017 記)

     *

 2024年10月の追記です

 フロイトさんもウィニコットさんも、心理療法の場で遊べることの大切さを述べています。

 遊びは創造につながること、心理療法の場でのクライエントさんと治療者の双方の遊びとゆとりが両者の人間関係を変え、クライエントさんの社会での人間関係をも変えると述べているように思います。      (2024.10 記)

 

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