ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

樋口有介『遠い国からきた少年』2018・中公文庫-美人シングルマザーが社会の悪を暴く痛快小説です

2024年05月31日 | 樋口有介さんを読む

 2018年のブログです

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 樋口有介さんの『遠い国からきた少年』(2018・中公文庫)を読みました。

 またまた樋口有介さんの小説、このところ小説ばかり読んでいて、専門書はほとんどほったらかしで、反省の日々です。

 今回の小説は、弁護士事務所の美人シングルマザー調査員(本の帯には、美脚調査員とあります)が活躍をする推理小説。

 この美人シングルマザー調査員は、少女時代にある事件から女子少年院に入り、そこで産んだ息子を女手一つで育てているという設定。

 息子を食べさせるためなら汚い手も使いますが、生きていく哀しさを十分に知っているゆえに、辛い人生を生きている人の哀しみもわかる人物です。

 美人なのに、とにかく痛快、料理は息子のほうがうまいのですが、何かとお母さんぶって笑えます。

 ユーモアと哀しさで、世の中の悪に怒りまくります。

 怒りの対象はさまざまですが、たとえば、少女アイドルグループで金儲けをしているおとな、容赦がないです。

 さらには、アフリカの子どもたちを救う寄付金で儲けているおとな、こちらも容赦ないです。

 北朝鮮の脱北者の問題も絡んで、事件は複雑、かつ、哀しく、しかし、主人公は粘り強く、絡まった糸を解いていきます。

 おもしろいです。そして、痛快です。

 小説だなー、とは思いますが、読後感は悪くありません。

 ちなみに、文庫本の解説は奧田瑛二さん。

 型破りですが、楽しい文章を読ませてくれました。     (2018 記)

 

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椎名誠『単細胞にも意地がある-ナマコのからえばり』2018・集英社文庫-ナマコくん、さらば!

2024年05月30日 | シーナさんを読む

 2018年のブログです     

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 シーナさんの『単細胞にも意地がある-ナマコのからえばり』(2018・集英社文庫)を読みました。

 なんと、悲しいことに、シリーズ完結巻、とあります(シクシク)。

 とうとうナマコシリーズも終わってしまうのですね(またまた、シクシク)。

 しかし、シーナさんも73歳、そろそろ仕事を厳選していくのかな?とも思います。

 もっとも、後世の人は、シーナさんの代表作として、『岳物語』とともに、新宿赤マントシリーズやナマコのからえばりシリーズを挙げるようになるのかもしれないな、とじーじなどはひそかに思っているのですが…。

 さて、最終巻、いろいろなお話が載っていますが、じーじが一番強く頷いたところ、それはポイントサービスのお話でした。

 シーナさんはいろいろな理由からポイントサービスがお嫌いなようで、マイレージカードもお持ちでないとのこと。

 実はじーじもポイントサービスというのが嫌いで、ほとんどポイントカードを作っていません(マイレージは作る機会がないだけですが…)。

 ですから、買い物をしたり、本を買ったりするたびに、店員さんから、カードはお持ちですか?よければおつくりしましょうか?と聞かれて、お断りをするのが大変です。

 シーナさんもいうように、ポイントという制度がなんだかよくわからないですし、それくらいなら値引きをしてほしいと思うのです。

 シーナさんは、さらに、それくらいなら消費税8パーセントに抵抗しろ、ともおっしゃいます。

 じーじはそんな過激なことはいいませんが、以前からじーじのカウンセリングの代金は、単に計算が面倒なこともあって、消費税抜きでいただいております。

 これは抵抗になるのでしょうか?

 じーじは計算が苦手なだけで、国家に抵抗するなんていう大それた気持ちはこれっぽっちもないのですが…?。

 冗談はこれくらいにして、他にも楽しいお話が満載です。

 シーナさんが訪れたアイスランドのお話を読んでいると、じーじの大好きな北海道の風景や人々を思い出しました。

 シリーズが終わるのはたいへんに悲しいのですが、とても読みごたえのあるいい本です。     (2018.11 記)

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 2020年6月の追記です

 念のため、「ナマコ」とは、シーナさんの名前の、シイ「ナマコ」ト、からの命名です。     (2020.6 記)

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 2020年11月の追記です

 ポイントの氾濫がひどいです。

 最近では、政府主導のマイナポイントや go to なんちゃら。

 ポイントで国民を都合よく誘導できることがわかって、自民党政府はほくほくでしょう。

 ポイントには気をつけましょうね。     (2020.12 記)

 

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戦争に反対をすることと弱いものを守ること-じーじのひとりごと

2024年05月29日 | ひとりごとを書く

 2015年のブログです

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 戦争反対の声が強い中で,安保法案が強行採決されました。

 これを見てもわかるとおり,戦争を起こすのはたいていは国家や政府です。

 国民が平和を望んでいても,国家がいろんな都合や思惑で戦争を始めてしまいます。

 戦争を始める国家と政府に国民が反対をするのは,過去の例を見てもなかなか難しいだろうと思います。

 国家と政府は,防衛力の増強だとか,武器輸出,機密保護とか安保法制,報道機関への圧力,さらには,原発や公共工事の強行とか教科書検定,国歌や国旗の強制,そして,おそらくは徴兵制の復活など,さまざまな手を使って,圧力を強めます。

 ですから,国家や政府が横暴を振るわないように,事前にいろいろな工夫が必要でしょう。

 急に国家や政府の暴走を止めようと思っても難しいだろうと思います。

 そのためには,まずは身近なところから弱いものいじめをしている国家や政府などをはじめとする権力に反対していくことが大切になりそうです。

 会社,役所,学校,農協,町内会,PTAなどなど,さまざまなところで,そこにもし弱いものいじめをする権力の横暴があるならば,その権力に反対していかなければならないと思います。

 それはとても勇気の必要なことですし,時には孤立をするようなこともあるかもしれません。

 しかし,弱いものを毅然として守る人権主義や民主主義,議論や発言の自由のないところでは,権力に反対することは難しくなると思います。

 勇気を持って権力や国家,政府に反対し,自由で責任のある議論をしていくことが,戦争に反対することに繋がりそうです。    (2015.7?記)

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 2021年春の追記です

 弱いものいじめは今も続いています。

 福島第一原発の汚染水を海に流すこと、辺野古の工事強行、学術会議への介入、などなど。

 海外では、ミャンマーの軍や警察による住民虐殺、ロシアや中国による人権弾圧、各国での人種差別、その他もろもろ。

 暗い気持ちになりますが、まずは身のまわりから弱いものいじめにノーと声を上げていくしかありません。    (2021.4 記)

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 2022年3月の追記です

 ロシア政府がとうとうやってしまいました。ウクライナ侵略。

 自分の国を守るためには他国を侵略してもかまわないという口実は戦前の日本と同じ言い草です。

 侵略される側の国民の立場や尊厳はまったく考えられていません。

 さらに、酷いのは、ロシア政府内では1年前から軍事作戦が練られていたということ、ロシア国民だけでなく、ロシア軍の兵士にも説明がなかった点。

 侵略後も、ロシアの反戦デモを抑圧し、マスコミをつぶす横暴ぶり。

 酷いです。

 いつか、必ず、戦争犯罪人として裁かれなければならないと思います。    (2022.3 記)

 

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新潟では五つの自治体が北朝鮮のミサイルからの避難訓練をやるらしいです-じーじのひとりごと

2024年05月28日 | ひとりごとを書く

 2023年5月上旬の日記です

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 ニュースを見ていると、新潟の五つの自治体で北朝鮮からのミサイルの避難訓練をやるという。

 ご苦労なことだ。

 北朝鮮のミサイルはやっかいなことだが、狙いはアメリだろう。

 間違って日本に墜ちる可能性はなくはないだろうが…。

 仮に北朝鮮がミサイルを発射しても、日本ではすばらしい(?)Jアラートが鳴るから心配ない(?)。

 北朝鮮の発射位置やミサイルの飛行経路なんてばっちり把握だ(?)。

 日本海に墜ちるミサイルを、日本本土に墜ちるなんて予想をするようなことはまったくない(?)、と思う。

 もし間違ってミサイルが日本に着弾しそうな時は、イージスミサイルが撃破してくれる(?)、はずだ。

 だから、国民のみなさんが避難をする必要はない、と思う。

 なのに、なぜ避難訓練をするのだろう。

 どこかに心配のタネがあるのかな?

 怖いのはミサイルが原発に墜ちてしまった時だろう。

 ミサイルより原発の被害が怖い!

 ミサイルから避難するより、原発から避難するほうが重要だろう。

 原発で避難訓練をやっているのは、地震や津波だけでなく、そちらの心配が大きいからか、と疑ってしまう。

 政府や自治体が避難訓練で国民の不安を煽るのはなぜだろう。

 北朝鮮の不安を煽ることで、敵基地攻撃能力の正当性を訴えたい輩がいるのだろう、と思う。

 それで儲かる兵器屋さんや戦争屋さんがいるのではないか?

 ここは冷静になって、避難の要否だけでなく、外交努力を含めた、国民の安全について考えることが大切になりそうだ。    (2023.5 記) 

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 2023年5月下旬の追記です

 今日もJアラートが鳴る。

 沖縄のモノレールは通勤時間帯に止まり、大迷惑。

 しかも、北朝鮮の打ち上げは途中で失敗したのに、情報が出たのはすごく後。

 責任者出てこい!と言いたくなる。

 マスコミを含めて政府の責任追及の声が出ないのが不思議。

 変な国だなあ。     (2023.5 記)

 

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カードの過払い金請求のコマーシャルを見て思ったこと-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年05月27日 | じいじ日記を書く

 2023年4月のブログです

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 テレビを見ていると、カードの過払い金請求のコマーシャルをよく見る。

 過払い金があるかどうか、弁護士や専門家が無料で調べてくれるらしい。

 親切な人たちがいるなぁ、と思うが、一方で、弁護士や専門家にいちいち相談しないと過払い金は戻ってこないのかあぁ、とも思ってしまう。

 じーじはカード制度や過払い金のことについてはまったくの素人で仕組みがわからないが、カード会社というのは、過払い金の請求がなければ、過払い金を返さなくてもいいという仕組みになっているらしい。

 すごい仕組みだ。

 おそらく、政府がいろいろな形で法律的にカード会社を優遇しているのだろうと思うが、それにしてもよくわからない仕組みだし、普通の社会では理屈の通らない話だと思う。

 過払い金が発生している可能性が大きいなら、カード会社は、請求される前に、利用者に返金すべきだし、それが社会のルールだろうと思う。

 請求されないと返金しないというのは、ある意味、言葉が悪いが、どろぼうや詐欺と同じやり方だ。

 そんなことが許されている日本の社会はどうなっているのだろう。

 日本の社会というよりは、自民党政府の政策のまずさかもしれないが…。

 ひどいもんだ。

 政府やカード会社には再考をしてほしいと思うし、そんな政府を支持したり、そんなカード会社を利用するのは考え直したほうがいいのではないかと思うが、どうなんだろう。      (2023.4 記)

  

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新潟のじーじのお部屋は孫娘たちも大好きなプレイルーム(?)-遊ぶことのちから

2024年05月26日 | 遊ぶことのちからを考える

 2016年、上の孫娘が5歳、下の孫娘が2歳の時のブログです

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 車で1時間ほど離れたところに住んでいる孫娘たちが、時々、新潟に住んでいるじーじのところに遊びに来てくれます。

 車から降りた孫娘たちが最初に駆け込むのが2階にあるじーじのお部屋。

 上の孫娘は軽やかな足取りで、下の孫娘は一所懸命に階段をのぼってきます。

 じーじのお部屋に入ると、上の孫娘はお絵かきやパズル、風船遊びに、下の孫娘はぬり絵やお絵かき、シャボン玉に熱中です。

 上の孫娘はお絵かきがとても上手になりました。

 かわいい女の子の絵を描くことが多く、じーじが「これ、だーれ?」ときくと、「ママ!」とママが大喜びしそうな返事をします。

 そして、さっそく下の部屋にいるママのところに見せにいきます。

 下の孫娘の絵はまだ少し解読が困難。

 それでも、じーじが「うまいね」とほめると、孫娘からは「じーじ、あん・ぱん・まん!」とリクエストがきます。

 絵だけは苦手な(?)じーじが苦労をしてアンパンマンを描くと、孫娘は「あん・ぱん・まん!」と喜んでくれます。

 下の孫娘はシャボン玉にも挑戦。

 シャボン玉液を吸い込まないかと心配するじーじをよそに、元気いっぱい。強く吹きすぎて、2~3コのシャボン玉だけですが、それでも大満足です。

 うれしいことに、「じーじも」と誘ってくれますので、じーじがゆっくりと大きなシャボン玉をつくると、楽しそうに、「でかい!」と大喜び。

 じーじが小さいシャボン玉をたくさんつくると、つかまえようと大騒ぎです。

 じーじは貧乏な心理療法家なので、じーじのプレイルーム(?)には高価なおもちゃはひとつもありません。

 安くて素朴なおもちゃばかりですが、かえってそれがいいようです。

 孫たちは、じーじやばーば、ママやパパたちが見守る中で、いろいろな遊びを一所懸命、夢中で楽しみます。

 そういう様子を見ていると、こどもたちは、ウィニコットさんがいうように、本当に「遊び」の中で成長をするものだなと思います。

 そして、こどもたちの遊びは、こどもたち自身をも、さらには、まわりのおとなをも幸せにしてくれるようです。

 遊びの力(ちから)は本当にすごいものだと思います。     (2016 記)

 

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中上健次『枯木灘』1980・河出文庫-若き日の読書を再び体験して

2024年05月25日 | 小説を読む

 たぶん2017年のブログです

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 中上健次さんの『枯木灘』をすごく久しぶりに再び読んでみました。

 前に読んだのは、はっきりはしませんが、学生の時か、就職をしてすぐの頃、いずれにしても今から40年くらい前のことになります。

 今回は、いつもおじゃまをしている精神科デイケアのあるメンバーさんが中上さんの大フアンで、『枯木灘』の文庫本を貸してくださったので、読んでみることにしました。

 前に読んだ時は、なにかドロドロとした小説、という印象を若き日のじーじは抱いたのですが、今回、久しぶりに読んでみると、まずは中上さんの日本語の確かさに感心をさせられました。

 日本語がきちんとしていますし、美しいと思います。

 40年近く、書類を読み、書類を書く仕事を続け、専門書や小説を読んできた経験が、一応、中上さんの文体のすごさを見極められるようにしてくれたようです。

 小説の登場人物やその人間関係は、確かにドロドロとしているのですが、じーじが年を取ったせいか、家裁の仕事でもっとドロドロした人間関係を見てきたせいか、あまり驚かないのも意外でした。

 むしろ、ギリシア神話のように、こういうこともあるよな、ああいうこともありそうだな、と、人間模様がよく描かれている印象を受けます。

 それだけ、普遍的で、深さのある小説なのだろうと思います。

 今回、強く感じたのは、これもじーじが年を取ったせいか、登場人物のエネルギッシュなところ。

 いずれの人物も、熱く、うらやましいようです。

 さらにもう一つは、自然との一体感。

 紀州の自然のすばらしさもすごいですし、土方の仕事をしていて土と一体になっているかのような主人公もすばらしいと感じました。

 メンバーさんのおかげで、いい小説を再び読めたことに感謝したいと思います。     (2017?記)

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 2024年5月の追記です

 このブログを書いてからもう7年が経ったのですね。早い!早い!

 ブログを検索すると、中上さんの小説の感想文がコンスタントに載せられていて、びっくりします。

 決してすごくメジャーな小説家さんというわけではないと思うのですが(中上さん、ごめんなさい)、やはり存在感のある作家さんなのだと思いますね。    (2024.5 記)

 

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立原正秋『その年の冬』1984・講談社文庫-立原さんの最後の長編小説です

2024年05月24日 | 立原正秋さんを読む

 2023年5月のブログです

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 立原正秋さんの長編小説『その年の冬』(1984・講談社文庫)を再読する。

 立原さん最後の長編小説。

 1979年(昭和54年)10月18日から読売新聞朝刊に連載され、翌年4月18日に第一部完となる。

 この間、立原さんは、1980年(昭和55年)2月に肺気腫ということで入院、3月1日にいったん退院をするが、4月7日に再入院、肺がんと判明する。

 立原さんは再入院後もこの作品を書き続け、しかし、さすがに、当初、9月までの連載予定を4月で第一部完という形にして、責任を果たす。

 すごいプロ意識と責任感に感動する。

 同年8月12日死去。

 立原さんらしい最後であった。

 この小説もあらすじはあえて書かないが、本物の生き方を求めるものと虚飾の世界を生きるものとの対比を厳しく描く。

 美しいものには温かく、優しいが、醜いものやずるいものにはとことん厳しい立原さんの世界はここでも健在だ。

 男の友情も楽しく描かれる。

 そして、立原さんの描く男女の世界は、やはり美しさと醜さの対比が厳しい。

 理想と現実、しかし、その中でもがく人たちにも、以前よりは温かいのは気のせいだろうか。

 厳しいが、読後感のよい小説である。     (2023.5 記)

  

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岡松和夫『無私の感触』2002・講談社-敗戦直後の日本で、文学や政治に真面目に取り組む青年を描く

2024年05月23日 | 小説を読む

 2023年5月のブログです

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 岡松和夫さんの『無私の感触』(2002・講談社)をすごく久しぶりに読む。

 おそらく20年ぶりくらいだ。

 本棚の横の本の山の中から発掘をした(?)。

 岡松和夫さんのことはどれくらい知られているのだろう(岡松さん、ごめんなさい)。

 じーじは、たぶん学生時代に、立原正秋さんの随筆に立原さんの近隣に住む友人として登場する岡松さんを知り、岡松さんと立原さんが小説の同人誌で切磋琢磨して以来の付き合いであることを知って、岡松さんの小説を読むようになった記憶がある。

 そして、岡松さんの小説の中で、若者を主人公とした『深く寝ざめよ』や『詩の季節』『魂ふる日』などを読んで、その端正で堅牢な日本語を味わっているが、一方で、きちんと読んでいない小説も多くあり、あまりいい読者とはいえないかもしれない(岡松さん、再びごめんなさい)。

 岡松さんは福岡の出身で、東大の仏文科と国文科を卒業、同期には大江健三郎さんがいて、学生小説コンクールでお二人は同時入選をしたことがあるという。

 その後、岡松さんは短大で日本文学の先生をしながら小説を書き、やはり日本文学に詳しい立原さんと親しい付き合いを続けたらしい。

 立原さんの随筆で読むお二人の付き合いはとても楽しく、読んでいて羨ましいほどだ。

 さて、本書、例によって、あらすじはあえて書かないが、敗戦直後の日本で、学生運動を手伝いながら、組織についていけずに挫折をする大学生の青年が主人公。 

 貧しい学生生活の中で、文学や政治を真面目に考え抜き、生きる力を確認するかのような姿に共感する。

 真面目だが、人間味があるところが魅力だ。

 じーじもこんなすごい青春を送っていればよかったと反省する。

 浮ついた今の世の中で、何が大切かを考えさせてくれるよい小説だと思う。     (2023.5 記)

  

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小野有五『北海道 森と川からの伝言』1997・北海道新聞社-北海道の自然保護を考える

2024年05月22日 | 北海道を読む

 2020年4月のブログです

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 小野有五さんの『北海道 森と川からの伝言』(1997・北海道新聞社)を久しぶりに読みました。

 面白かったです。

 小野さんは当時、北大大学院の先生。専攻は地球環境科学。

 その難しそうな肩書とはうらはらに、森や植物、川などのお話をわかりやすくしてくれます。

 もともとは「北海道新聞」に週1回連載されたエッセイ。

 ミズバショウやカタクリなどの春の花のお話から始まって、北大構内のハルニレ伐採のお話や札幌の河畔林伐採のお話、さらには、士幌高原道路とナキウサギのお話、千歳川放流路のお話、などなど、だんだんと深刻なお話になってきます。

 深刻になるのは小野さんのせいではなく、住民の声を聞かずに開発(?)を進めようとするお役所のせいなのですが、住民無視、企業優先のお役所体質は今も変わりません。

 小野さんのお話は、そのような社会の中で、住民の生活を守るために必要な知識を豊富に教えてくれて、役に立ちます。

 びっくりしたのは、この本に出てくる何冊かの本。

 今となっては、この本が先だったのか、ほかの本が先だったのかは、はっきりしないのですが、幸田文さんの『木』『崩れ』や、はた万次郎さんの『ウッシーとの日々』『アブラコの朝-北海道田舎暮らし日記』などは、じーじも購入して、今も大切な本です。

 もうひとつが、ナキウサギふぁんクラブ。

 ナキウサギは、以前、北海道で山歩きをしていた時に、そのかわいい姿に何度も立ち止まったことがありましたので、ファンクラブに入ってしまいました。

 こうしてみると、小野さんだけではないのでしょうが、小野さんのようにものが見える先輩たちの影響は大きいのだろうなあ、と強く思います。

 じーじもそういう聡明な先輩たちに一歩でも近づけるよう、もっと勉強をしていこうと思います。    (2020.4 記)

  

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立原正秋『風景と慰藉』1974・中公文庫-立原さんのヨーロッパ・韓国紀行です

2024年05月21日 | 立原正秋さんを読む

 2023年5月のブログです

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 立原正秋さんの紀行文集『風景と慰藉』(1974・中公文庫)をかなり久しぶりに読む。

 これも古い本で、当時、大学生だったじーじには少し難しいところがあったらしく、本にはめずらしくアンダーラインも付箋もなく(?)、きちんと読んだのか、やや不明(立原さん、ごめんなさい)。

 就職後も読んだのかどうか記憶がはっきりしない。

 しかし、改めて読んでみると、これがとてもいい本だった。

 じーじのその後の50年(!)の経験が無駄ではなかったようで、読んでいて立原さんの文章がこころに染み入ってくるような感じがする。

 本書は、立原さんのヨーロッパと韓国の紀行文集だが、ヨーロッパではスペイン・ポルトガル・ギリシア・イタリアを旅する。なかなか渋い選択だ。

 スペインやギリシアの大地を旅しながら、日本の風土との違いを考え、教会や神殿を見ながら、カトリックやギリシア神話を考える。

 ルナンの『イエス伝』などが引かれ、立原さんのカトリックにも詳しい一面を見せて、魅力的だ。

 一方、ポルトガルでは、庶民の暮らしに親しみを覚え、住んでもいいかなと考えたりする。

 素朴な飾りのない庶民の暮らしを愛でる一方で、高慢で強欲な金持ちたちには厳しく、立原さんの他の随筆や小説と共通している。

 この旅行の経験が、のちの立原さんの『帰路』などの小説にいかされており、読んでいて楽しい。

 さらに、韓国の旅もすばらしい。

 韓国のお寺を旅しながら、奈良のお寺を建てた渡来人のことを想像し、古の日本と韓国の関係を考える。

 臨済の寺に育った立原さんの原体験が、歴史に照射されて、仏教と神道の関係なども考える。

 なかなかに厳しい思索の旅で、同じようなことを考えることがあるじーじには参考になる。

 立原さんの文章は内容の確かさとともに、日本語の美しさが本当にすばらしいと思う。

 読んでいて、気持ちが良くなる文章だ。

 折りに触れて、読み続けていこうと思う。     (2023.5 記)

 

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村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』2000・文春新書-翻訳という生き方

2024年05月20日 | 村上春樹さんを読む

 2019年春のブログです

     *

 村上春樹さんと柴田元幸さんの『翻訳夜話』(2000・文春新書)を久しぶりに再読。

 ついこの間読んだような気がしていたが、19年も経っていた(村上さん、ごめんなさい)。

 そういえば、この時点で、村上さんは、キャッチャー・イン・ザ・ライもグレイト・ギャッツビーもまだ訳していなくて、いずれ訳してみたい、と話されている。

 話したことでこれらの翻訳が実現をしたということもあったのかもしれない。

 村上さんと柴田さんの翻訳をめぐる話は読んでいて、とても楽しい。

 東大の柴田さんの教え子たちの質問に答えたり、翻訳学校の生徒さんとお話したり、翻訳家のたまごさんたちと議論をしたり、いろんなレベルの人たちとの話の中で、村上さんの翻訳や小説などについての考えが読めて、刺激的だ。

 そして、面白かったのは、村上さんの「カキフライ理論」。

 就職試験などで、原稿用紙3枚で自分について書きなさい、と言われた時は、自分の大好きなカキフライ(別に、トンカツでも天丼でもなんでもいいのだが…)について書くと、3枚で自分のことが表現できる、という理論で、これはすごいと思う。 

 つまり、部分を書くことで全体を表現できる、という文学のすばらしい面をうまくあらわしている、とじーじなどは感心する。

 ないものねだりだが、じーじのブログもそうありたい、と祈りたい。     (2019.3 記)

 

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村上春樹 『やがて哀しき外国語』1997・講談社文庫-村上さんのプリンストン滞在記です

2024年05月19日 | 村上春樹さんを読む

 2019年春のブログです

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 村上春樹さんのエッセイ『やがて哀しき外国語』(1997・講談社文庫)を再読しました。

 じーじが持っている本は2011年発行で、読むのはおそらく今回が3回目くらいかなと思います。

 もっと早くに再読したかったのですが、なぜか本棚の脇の文庫本の山(!)の下のほうに埋もれていて、やっと今回、救出(?)できました。

 面白かったです。

 そして、読んでいて、心地良かったです。

 村上さんのエッセイは文章のテンポがじーじと合うというか、のんびりな感じがして、あまり切れきれでないところがいいのかもしれません(?)。

 本書は村上さんがプリンストン大学で少しだけ授業を持っていた2年間のエッセイなのですが、村上さんらしさがたくさん出ていて面白いです。

 一例ですが、村上さんは当時、日本では新聞を取っていなかったとか、ニューヨークタイムスを毎日読むのは大変だとか、意外な一面を披露します。

 そういうある意味、ふだんのできごとについて、村上さんのあまり構えていない自然な雰囲気が垣間見られます。

 ご本人はあえて、何かを主張しようとされていないような感じで、しかし、少しずつ村上さんの世界が迫ってくるような、そんな印象です。

 そこが、村上ファンにはたまらないのかもしれません。

 比較的小さな本なので、気軽に読めるところもいいです。

 気分転換やこころのお掃除にぴったりのエッセイではないでしょうか。

 今度はもっと早めにまた再読をしようと思いました。     (2019.3 記)

 

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北山修ほか編『語り・物語・精神療法』2004・日本評論社-神田橋條治さんの症例検討会ライブがすごいです

2024年05月18日 | 心理療法に学ぶ

 2023年5月のブログです

     *

 北山修・黒木俊秀さん編著の『語り・物語・精神療法』(2004・日本評論社)を久しぶりに再読する。

 2002年の第9回日本語臨床研究会の記録。

 日本語臨床研究会は、北山修さんや藤山直樹さんなどが参加されていた精神分析を日本語で研究しようという勉強会で、じーじも何回か参加させてもらったことがあるが、型にとらわれない、自由でなかなか刺激的な研究会だった。

 何回目だったかは忘れたが、甲南大学で行われた時に、中井久夫さんが講演をされたが、以前どこかにも書いたが、パワーポイントがお嫌いだという中井さんが、黒板にいっぱい板書をされてお話をされたのが印象的だったのを覚えている。

 今回もいろいろなプログラムがのっているが、圧巻なのが神田橋條治さんの症例検討会でも公開スーパーヴィジョン。

 すごい!のひと言だ。

 若手臨床家の解離の症例を神田橋さんがスーパーヴィジョンをするが、そのていねいな指導ぶりがすばらしい。

 治療者が考えたことや連想をしたことをていねいになぞり、それが患者との関係でどんなふうに展開しているのかを、一緒に検討する。

 神田橋さんの質問や連想や感想で、治療者の記憶や連想がすごく豊かになっていくさまがすばらしい。

 総じて、患者さんの様子をポジティブにとらえていく構えがすごいなあ、と感心させられる。

 やはり神田橋さんはただものではない、と思ってしまう。

 連休中にいいものを読ませていただいて、とても楽しい連休になった。     (2023.5 記)

 

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立原正秋『夢幻のなか』1976・新潮社-美意識・勁さ・潔さ

2024年05月18日 | 立原正秋さんを読む

 2023年5月のブログです

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 立原正秋さんの随筆集『夢幻のなか』(1976・新潮社)を読む。

 すごく久しぶりの再読。

 本棚の横に積んであった単行本の山の中から発掘した(?)。

 1976年第1刷。貧乏学生だったのに、新刊で買ったらしい。相当、立原さんに熱中していたようだ。

 1976年(昭和51年)といえば、じーじは大学4年生。

 大学生のくせに、授業に出ないでこんな本(立原さん、ごめんなさい。先生方もごめんなさい)を読んでいたわけだ。

 しかし、今、読んでもいい本だ。

 あとがきに、立原正秋さんの3冊目の随筆集とある(1冊目、2冊目は、まだ本の山の中で迷子になっている)。

 立原さんの随筆といえば、読んだことのあるかたはおわかりだろうが、美しいものにはとても優しいが、醜いものや卑怯なものにはとても手厳しいことで印象的だ。

 小説も同じだが、随筆では特にすごい。

 庭や山野の草花には優しく、季節の魚を愛でるが、一方で、文壇の老いた先輩や卑劣な同業者には容赦がない。

 痛快といえば痛快だが、こちらが心配になるくらいやっつける。

 こういう美意識を身につけた作家の文章を読んでしまうと、読者もたいへんだ。

 大学生でこんな作家に出会ってしまい、じーじの美意識にもかなり影響を受けた気がする(その割に、駄文を書いているが…)。

 この随筆にたまに登場する息子さんや娘さんは、当時のじーじと同年代。

 じーじは立原さんに理想の父親像を見ていたのかもしれない。

 読後感のよい随筆集である。     (2023.5 記)

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 2024年5月の追記です

 この時、授業をさぼって立原正秋さんの本を読んでいたが、よく考えると貧乏学生だったので教科書は買っていなかった気がする(!)。

 教科書を買わずに、立原さんの新刊書を買っていたわけだ。ひどい学生だねぇ(!)。

 もっとも、裁判所に入ってみると、先輩から、小説をたくさん読むようにと言われたので、まあ正解だったけど…。

 学校の教科書は全然読まなかったけど、人生の教科書をいっぱい読んでいたわけだ。かっこういい!     (2024.5 記)

 

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