ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

松木邦裕ほか編『精神病の精神分析的アプローチ-その実際と今日的意義』2008・金剛出版

2024年05月31日 | 精神科臨床に学ぶ

 2017年のブログです

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 松木邦裕・東中園聡編『精神病の精神分析的アプローチ-その実際と今日的意義』(2008・金剛出版)を再読しました。

 この本もかなり久しぶりの再読で、しかも、最初に読んだ時にはじーじの力量がとても貧弱だった時で、あまり理解をできずに終わってしまったという記憶がありました。

 今回、精神科デイケアでのボランティアも5年目に入り、以前よりは少しだけ精神病のことや精神分析的アプローチのことが理解できるかもしれないという淡い期待を持って読みました。

 しかし、やはり精神病という病いはなかなか難しい病いで、そのアプローチも並大抵のことでは難しいということを再認識させられました。

 そんな中、本書の著者らは、本当に地道な努力と患者さんとの協同作業で、一歩一歩患者さんの治療に当たっていることが読み取れます。

 今回、改めて勉強になったことはたくさんあるのですが、たとえば、精神病状態のこころの状況(これは解体・破滅不安といわれるようですが…)の理解とか、妄想の意味やそれへの対応の方法、転移と逆転移の読み取り、不安のコンテイン、その他もろもろ、です。

 これらの考え方が、具体的な事例をもとに述べられているので、じーじのような初級者でも多少は理解ができます。

 中級者であれば、さらに深く理解できるのではないかと思われます。

 現場でいろいろ経験していることと照らし合わせると、頷けることも出てきました。

 ケースが見える人は、本当にいろいろ見えて、いろいろな対応ができるんだな、と改めて感心をしました。

 少しでもそういうレベルになりたいですし、メンバーさんと協力作業ができるようになりたいものだ、とつくづく思いました。

 年寄りだからとあきらめないで、さらに少しずつでも勉強を積み重ねていこう、と思いました。     (2017 記)

 

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樋口有介『遠い国からきた少年』2018・中公文庫-美人シングルマザーが社会の悪を暴く痛快小説です

2024年05月31日 | 樋口有介さんを読む

 2018年のブログです

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 樋口有介さんの『遠い国からきた少年』(2018・中公文庫)を読みました。

 またまた樋口有介さんの小説、このところ小説ばかり読んでいて、専門書はほとんどほったらかしで、反省の日々です。

 今回の小説は、弁護士事務所の美人シングルマザー調査員(本の帯には、美脚調査員とあります)が活躍をする推理小説。

 この美人シングルマザー調査員は、少女時代にある事件から女子少年院に入り、そこで産んだ息子を女手一つで育てているという設定。

 息子を食べさせるためなら汚い手も使いますが、生きていく哀しさを十分に知っているゆえに、辛い人生を生きている人の哀しみもわかる人物です。

 美人なのに、とにかく痛快、料理は息子のほうがうまいのですが、何かとお母さんぶって笑えます。

 ユーモアと哀しさで、世の中の悪に怒りまくります。

 怒りの対象はさまざまですが、たとえば、少女アイドルグループで金儲けをしているおとな、容赦がないです。

 さらには、アフリカの子どもたちを救う寄付金で儲けているおとな、こちらも容赦ないです。

 北朝鮮の脱北者の問題も絡んで、事件は複雑、かつ、哀しく、しかし、主人公は粘り強く、絡まった糸を解いていきます。

 おもしろいです。そして、痛快です。

 小説だなー、とは思いますが、読後感は悪くありません。

 ちなみに、文庫本の解説は奧田瑛二さん。

 型破りですが、楽しい文章を読ませてくれました。     (2018 記)

 

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松木邦裕『耳の傾け方-こころの臨床家を目指す人たちへ』2015・岩崎学術出版社-ていねいなきき方を学ぶ

2024年05月31日 | 心理療法に学ぶ

 2015年のブログです

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 松木邦裕さんの『耳の傾け方-こころの臨床家を目指す人たちへ』(2015・岩崎学術出版社)を読みました。

 初学者用かな?と思って読んだのですが,なかなか奥が深く,じーじの力ではまだまだ理解が十分でないところが多々あったように思います。

 しかし,とても面白く読めました。

 面接におけるクライエントさんの話のきき方をていねいに検討されています。

 特に、精神分析的な心理療法のきき方を学ぶうえではとても勉強になると思います。

 今後,何度もなかみを噛みしめながら読んでいきたい本だと思いました。

 全体的な印象としては,精神分析の大家のみなさんはそれなりに表現は違いますが,しかし,やはり,松木さんも大切なところでは,成田善弘さんや藤山直樹さんと同じようなお考えを述べられているような印象を持ちました。

 もちろん,細部は違うのでしょうが,しかし,大家の言うことにはどこか共通点があるようにも思います。

 今後,さらに深く勉強をしていきたいと思いました。

 後日,再読をした際には,もっともっときちんとした報告ができればと思っています。     (2015 記)

     *  

 2018年秋の追記です

 3年ぶりに再読をしました。

 今回は以前より少しだけ読み込めたような気がしていますが、どうでしょうか。

 面接でのきき方として、共感と受容のための支持的なきき方から精神分析的なきき方までのいくつかの段階のきき方を提示して、それぞれ事例を通してわかりやすく説明をされています。

 事例の描写は深く、多少の失敗も含めて、とても正直に描かれていて、初学者にも勉強になります。

 しかし、それにしても、面接の奥深さのなんとすごいことか、驚きとともに、感動させられます。

 そして、びっくりするのは、段階を経て習熟した技法を、最後にはいったん捨てる、というところ。

 無意識のもの想いを大切にする精神分析的心理療法のすごさが示されます。

 おそらく本を読んだだけではわからない世界、スーパーヴィジョンや訓練分析をきちんと経験しなければわからない世界なんだろうと思われます。

 もっとも、ないものねだりをしても仕方ありません。

 できるところから、勉強をしていこうと思います。

 最後に、松木さんも詩人キーツさんを引用しました。

 わからないことに耐える能力の大切さのところで、キーツさんとビオンさんの言葉を示して、説明をされています。

 考えてみれば、人生そのものがわからないことだらけなわけで、われわれはそこでわからないことに耐えてなんとか生きていくしかないわけですね。

 さらに、勉強をしていこうと思います。     (2018.10 記)

 

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山中康裕『子どものシグナル-心を護り育てるカウンセリング』2006・バジリコ-子どもの「窓」を大切にすること

2024年05月30日 | 子どもの臨床に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

     *    

 山中康裕さんの『子どものシグナル-心を護り育てるカウンセリング』(2006・バジリコ)を再読しました。

 2006年の本ですので、10年ぶり以上です。

 その間に1回くらいは読んでいるのかもしれませんが(?)、記憶があいまいで、いずれにせよ勉強不足、記憶力不足で、今回も例のごとく、改めてとても新鮮に(?)読んでしまいました。

 内容は、山中さんのケースの紹介(スーパーヴィジョンを含みます)と内科医で心理臨床に詳しい岸本寛史さんとの対談からなっていますが、山中さんの発言はまったくブレません。

 感心させられるのは、その面接の温かさとケース理解の丁寧さ、そして、ユーモアと楽観性でしょうか。

 子どもより子どもっぽい(!)ところがすごいです。

 とにかく人間的で、読んでいて、本当に学ぶところが多いです。

 さらには、山中さんお得意の「窓」論。

 子どもの「窓」をおとなが大切に見つけていくことの重要性を述べています。

 本当に大切な視点だと思いますが、それを実践するのはなかなか至難のわざです。

 おそらくは、さまざまな人間への幅広い興味と温かな関心が重要なようです。

 まだまださらに勉強を続けていかなければと反省をさせられました。

 だいぶくたびれてきたじーじの臨床家ですが、もう少しだけ努力してみたいと思います。    (2017?記)

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 2019年春の追記です

 今日から東京で遊戯療法学会です。

 ワークショップは山中さんを選択。

 箱庭療法のカルフさんのお話らしく、楽しみです。    (2019.5 記)

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 2023年秋の追記です

 山中さんの「窓」論。

 子どものこころの「窓」になっているような、子どもの好きなことからお話を繋ぎます。

 しかし、じーじはゲームとロックが苦手。

 ゲームはさっぱりわかりませんし、ロックは聴きませんので、そういう子どもさんは難しそう。

 孫娘たちから教えてもらっているあやとりと折り紙も苦手で、なかなかうまくいきません(こう考えると、苦手なものが多いなあ)。

 しかし、山中さんはこう言います。苦手なものは子どもに教えてもらえばいい、と。

 さすがです。子どもへの関心が第一です。

 考えてみれば、これはカウンセリングも同じ。

 あなたのことをもっと教えてください、ということですよね。

 勉強になります、本当に。    (2023.10 記)

  

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椎名誠『単細胞にも意地がある-ナマコのからえばり』2018・集英社文庫-ナマコくん、さらば!

2024年05月30日 | シーナさんを読む

 2018年のブログです     

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 シーナさんの『単細胞にも意地がある-ナマコのからえばり』(2018・集英社文庫)を読みました。

 なんと、悲しいことに、シリーズ完結巻、とあります(シクシク)。

 とうとうナマコシリーズも終わってしまうのですね(またまた、シクシク)。

 しかし、シーナさんも73歳、そろそろ仕事を厳選していくのかな?とも思います。

 もっとも、後世の人は、シーナさんの代表作として、『岳物語』とともに、新宿赤マントシリーズやナマコのからえばりシリーズを挙げるようになるのかもしれないな、とじーじなどはひそかに思っているのですが…。

 さて、最終巻、いろいろなお話が載っていますが、じーじが一番強く頷いたところ、それはポイントサービスのお話でした。

 シーナさんはいろいろな理由からポイントサービスがお嫌いなようで、マイレージカードもお持ちでないとのこと。

 実はじーじもポイントサービスというのが嫌いで、ほとんどポイントカードを作っていません(マイレージは作る機会がないだけですが…)。

 ですから、買い物をしたり、本を買ったりするたびに、店員さんから、カードはお持ちですか?よければおつくりしましょうか?と聞かれて、お断りをするのが大変です。

 シーナさんもいうように、ポイントという制度がなんだかよくわからないですし、それくらいなら値引きをしてほしいと思うのです。

 シーナさんは、さらに、それくらいなら消費税8パーセントに抵抗しろ、ともおっしゃいます。

 じーじはそんな過激なことはいいませんが、以前からじーじのカウンセリングの代金は、単に計算が面倒なこともあって、消費税抜きでいただいております。

 これは抵抗になるのでしょうか?

 じーじは計算が苦手なだけで、国家に抵抗するなんていう大それた気持ちはこれっぽっちもないのですが…?。

 冗談はこれくらいにして、他にも楽しいお話が満載です。

 シーナさんが訪れたアイスランドのお話を読んでいると、じーじの大好きな北海道の風景や人々を思い出しました。

 シリーズが終わるのはたいへんに悲しいのですが、とても読みごたえのあるいい本です。     (2018.11 記)

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 2020年6月の追記です

 念のため、「ナマコ」とは、シーナさんの名前の、シイ「ナマコ」ト、からの命名です。     (2020.6 記)

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 2020年11月の追記です

 ポイントの氾濫がひどいです。

 最近では、政府主導のマイナポイントや go to なんちゃら。

 ポイントで国民を都合よく誘導できることがわかって、自民党政府はほくほくでしょう。

 ポイントには気をつけましょうね。     (2020.12 記)

 

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日下紀子『不在の臨床-心理療法における孤独とかなしみ』2017・創元社-不在・かなしみ・待つこと

2024年05月29日 | 心理療法に学ぶ

 2017年のブログです

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 日下紀子さんの『不在の臨床-心理療法における孤独とかなしみ』(2017・創元社)を読みました。

 日下さんの本は初めて読ませていただきましたが、少し難しかったものの、テーマが興味深く、一所懸命に読ませてもらいました。

 メインテーマは、心理療法における不在について、ということだと思いますが、それに伴うクライエントの孤独とかなしみ、そして、「待てる」ようになることの意味、などではないかと思います。

 日下さんはこれらのテーマを、ケースをもとにていねいに説明されています。

 日下さんは、まず、現代社会は、「待つ」ことができにくい社会になっていることを指摘し、フロイトさんの、いないいないばあー、やウィニコットさんの、ひとりでいる能力、などを挙げて、「待てる」ことの大切さを説明します。

 さらに、心理療法における、喪の作業、に言及し、かなしみを味わうことの大切さを指摘されます。

 そして、葛藤を葛藤として抱え、持ちこたえることで、心理的に成熟することを説明されます。

 その際、セラピストがふらふらになりながらも、なんとか生き延びること、これが重要だ、と指摘されています。

 かなしみを味わうこと、葛藤を抱えて生きること、なんとか生き延びること、などは、じーじもこれまで、いろんな場面で大切なことだと感じてきましたし、ブログの中でも少しは触れてきていると思いましたが、日下さんの本を読んで、これらが一本の線で結ばれてきたような印象を持ちました。

 まだまだ読みが甘いと思いますし、自分のケースとの照合も不十分だと思いますが、これからも実践を深めて、さらにこれらのテーマを考えていきたいと思いました。    (2017 記)

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 2019年冬の追記です

 今ごろになって気づきましたが、よく考えると、「待つこと」も中井久夫さんがシェイクスピアさんに見出した「わからないことに耐えること」につながりそうです。

 臨床の世界は奥が深いです。    (2019.2 記)

 

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戦争に反対をすることと弱いものを守ること-じーじのひとりごと

2024年05月29日 | ひとりごとを書く

 2015年のブログです

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 戦争反対の声が強い中で,安保法案が強行採決されました。

 これを見てもわかるとおり,戦争を起こすのはたいていは国家や政府です。

 国民が平和を望んでいても,国家がいろんな都合や思惑で戦争を始めてしまいます。

 戦争を始める国家と政府に国民が反対をするのは,過去の例を見てもなかなか難しいだろうと思います。

 国家と政府は,防衛力の増強だとか,武器輸出,機密保護とか安保法制,報道機関への圧力,さらには,原発や公共工事の強行とか教科書検定,国歌や国旗の強制,そして,おそらくは徴兵制の復活など,さまざまな手を使って,圧力を強めます。

 ですから,国家や政府が横暴を振るわないように,事前にいろいろな工夫が必要でしょう。

 急に国家や政府の暴走を止めようと思っても難しいだろうと思います。

 そのためには,まずは身近なところから弱いものいじめをしている国家や政府などをはじめとする権力に反対していくことが大切になりそうです。

 会社,役所,学校,農協,町内会,PTAなどなど,さまざまなところで,そこにもし弱いものいじめをする権力の横暴があるならば,その権力に反対していかなければならないと思います。

 それはとても勇気の必要なことですし,時には孤立をするようなこともあるかもしれません。

 しかし,弱いものを毅然として守る人権主義や民主主義,議論や発言の自由のないところでは,権力に反対することは難しくなると思います。

 勇気を持って権力や国家,政府に反対し,自由で責任のある議論をしていくことが,戦争に反対することに繋がりそうです。    (2015.7?記)

     *

 2021年春の追記です

 弱いものいじめは今も続いています。

 福島第一原発の汚染水を海に流すこと、辺野古の工事強行、学術会議への介入、などなど。

 海外では、ミャンマーの軍や警察による住民虐殺、ロシアや中国による人権弾圧、各国での人種差別、その他もろもろ。

 暗い気持ちになりますが、まずは身のまわりから弱いものいじめにノーと声を上げていくしかありません。    (2021.4 記)

     *

 2022年3月の追記です

 ロシア政府がとうとうやってしまいました。ウクライナ侵略。

 自分の国を守るためには他国を侵略してもかまわないという口実は戦前の日本と同じ言い草です。

 侵略される側の国民の立場や尊厳はまったく考えられていません。

 さらに、酷いのは、ロシア政府内では1年前から軍事作戦が練られていたということ、ロシア国民だけでなく、ロシア軍の兵士にも説明がなかった点。

 侵略後も、ロシアの反戦デモを抑圧し、マスコミをつぶす横暴ぶり。

 酷いです。

 いつか、必ず、戦争犯罪人として裁かれなければならないと思います。    (2022.3 記)

 

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新潟では五つの自治体が北朝鮮のミサイルからの避難訓練をやるらしいです-じーじのひとりごと

2024年05月28日 | ひとりごとを書く

 2023年5月上旬の日記です

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 ニュースを見ていると、新潟の五つの自治体で北朝鮮からのミサイルの避難訓練をやるという。

 ご苦労なことだ。

 北朝鮮のミサイルはやっかいなことだが、狙いはアメリだろう。

 間違って日本に墜ちる可能性はなくはないだろうが…。

 仮に北朝鮮がミサイルを発射しても、日本ではすばらしい(?)Jアラートが鳴るから心配ない(?)。

 北朝鮮の発射位置やミサイルの飛行経路なんてばっちり把握だ(?)。

 日本海に墜ちるミサイルを、日本本土に墜ちるなんて予想をするようなことはまったくない(?)、と思う。

 もし間違ってミサイルが日本に着弾しそうな時は、イージスミサイルが撃破してくれる(?)、はずだ。

 だから、国民のみなさんが避難をする必要はない、と思う。

 なのに、なぜ避難訓練をするのだろう。

 どこかに心配のタネがあるのかな?

 怖いのはミサイルが原発に墜ちてしまった時だろう。

 ミサイルより原発の被害が怖い!

 ミサイルから避難するより、原発から避難するほうが重要だろう。

 原発で避難訓練をやっているのは、地震や津波だけでなく、そちらの心配が大きいからか、と疑ってしまう。

 政府や自治体が避難訓練で国民の不安を煽るのはなぜだろう。

 北朝鮮の不安を煽ることで、敵基地攻撃能力の正当性を訴えたい輩がいるのだろう、と思う。

 それで儲かる兵器屋さんや戦争屋さんがいるのではないか?

 ここは冷静になって、避難の要否だけでなく、外交努力を含めた、国民の安全について考えることが大切になりそうだ。    (2023.5 記) 

     *

 2023年5月下旬の追記です

 今日もJアラートが鳴る。

 沖縄のモノレールは通勤時間帯に止まり、大迷惑。

 しかも、北朝鮮の打ち上げは途中で失敗したのに、情報が出たのはすごく後。

 責任者出てこい!と言いたくなる。

 マスコミを含めて政府の責任追及の声が出ないのが不思議。

 変な国だなあ。     (2023.5 記)

 

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松木邦裕・藤山直樹『夢,夢見ること』2015・創元社-夢の不思議さと夢のちから

2024年05月28日 | 藤山直樹さんを読む

 2015年のブログです

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 松木邦裕さんと藤山直樹さんの『夢,夢見ること』(2015・創元社)を読みました。

 2015年の精神分析学会の書籍売り場で購入した本です。

 お二人とも私の大好きな精神分析家で,もっとも信頼をする臨床家であり,学会でもお二人ともすばらしいご発言をされていました。

 本書は,松木さんの研究会に藤山さんがゲストで参加された時の講演と討論の記録ですが,内容がとてもすばらしく,充実しています。

 テーマは,夢,あるいは,夢を見る人,さらには,夢を見ること,などなど。

 夢という精神分析の大きな課題について,お二人が縦横に語り,夢を見る人,夢を見ることに繋げていきます。

 精神分析の分析空間が夢と同じかもしれない,というお話は説得力があります。

 さらに,転移や逆転移についても,夢を見ることという視点から理解をすると,また違った深みを増してきそうな印象を受けます。

 最近,夢をじっくり味わうと,夢が変化をしていくという経験をしています。

 夢は不思議ですが,魅力的な存在でもあります。

 まだまだ初学者ゆえ,理解は浅いですが,今後の臨床の中で,何度も読み返して,考えを深めていきたいと思います。    (2015. 11 記)

     * 

 2018年秋の追記です

 若い頃からずっと見ている夢や最近ずっと見ている夢など,夢は本当に不思議だなと思います。

 やはりなんらかの心的なテーマなんだろうと思います。

 精神分析ではフロイトさん以来、夢は重要なテーマですが、ビオンさんやメルツァーさんを読んでも勉強になります。

 そういえば、夢は村上春樹さんでも大きな要素のようです。

 自分の内的成長のためにも,夢にじっくりとゆっくりと丁寧につきあっていきたいと思います。    (2018.10 記)

     *

 2020年春の追記です

 自分にとって、意味のある、大切な夢は、何度も見るようです。

 そういう時は、どんな意味があるのかな、ああかな、こうかな、と考えるだけでもいいようです。

 あまり深刻にならずに、夢とつきあっていけるといいようですよ。

 まあ、こころの配偶者みたいなもんですかね(?)。     (2020.4 記)

 

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山中康裕『心理臨床プロムナード』2015・遠見書房-山中さんと素敵なゲストの対談集です

2024年05月27日 | 心理療法に学ぶ

 2015年のブログです

     *

 山中康裕さんの対談集『心理臨床プロムナード』(2015・遠見書房)を読みました。

 北山修さんらの専門家だけでなく,詩人の谷川俊太郎さんや哲学の中村雄二郎さん,ドイツ文学の池内紀さん,そしてなんと,手塚治虫さんとの対談まで収録されています。

 そんな中でじーじが最初に読んだのが成田善弘さんとの対談でした(じーじは実は成田さんの大フアンでもあります)。

 この対談もとても面白かったです。

 成田さんはもう大先生で,じーじはいろいろな学会で,そのお姿をお見かけしたり,お話をお聞きしたりしていますが,成田さんははずかしがりやさんのようで,いつも目立たないようにひっそりとされています(でも,背が高いので目立っています。すみません,成田さん)。

 山中さんと成田さんは中学の同級生ということで,お二人とも精神科医になられてから再会をされたとのことですが,静と動の対照的なお二人ながら(?),私も尊敬をしているような共通の先生がたとのお話も数多くあり,お二人の発言からいろいろと学ぶことがありました。

 お二人とも患者さんを大切にする姿勢がすごいと思いますし,とても熱いです(山中さんが熱いことは以前からわかっていましたが,成田さんも内面は相当に熱いです)。

 じーじも少しでも真似をして,熱く,そして,いい臨床家になりたいと思いました。     (2015.4 記)

     *

 2021年春の追記です

 久しぶりに再読しました。6年ぶり。

 いい本なのに、勉強不足です(山中さん、ごめんなさい)。

 再度、読んでみると、前回、読み落としてしたことがいっぱいあって、もったいないことをしてきたな、と反省です(当時のじーじの力量では理解できなかったのだろうとは思いますが…)。

 今回、特に印象に残ったのが、北山修さんとの対談。

 精神分析家北山修さんの誕生の秘密がわかります。

 二人の掛け合いもとても愉快で面白いです。

 ユング派分析家の武野俊弥さんとの対談も刺激的です。

 武野さんは統合失調症の患者さんのための箱庭療法を工夫されたかたで、その臨床感覚はすごいです(さっそく武野さんの本を一冊注文してしまいました)。

 6年といわずに、また再読をしたいな、と思いました。     (2021.3 記)

 

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カードの過払い金請求のコマーシャルを見て思ったこと-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年05月27日 | じいじ日記を書く

 2023年4月のブログです

     *

 テレビを見ていると、カードの過払い金請求のコマーシャルをよく見る。

 過払い金があるかどうか、弁護士や専門家が無料で調べてくれるらしい。

 親切な人たちがいるなぁ、と思うが、一方で、弁護士や専門家にいちいち相談しないと過払い金は戻ってこないのかあぁ、とも思ってしまう。

 じーじはカード制度や過払い金のことについてはまったくの素人で仕組みがわからないが、カード会社というのは、過払い金の請求がなければ、過払い金を返さなくてもいいという仕組みになっているらしい。

 すごい仕組みだ。

 おそらく、政府がいろいろな形で法律的にカード会社を優遇しているのだろうと思うが、それにしてもよくわからない仕組みだし、普通の社会では理屈の通らない話だと思う。

 過払い金が発生している可能性が大きいなら、カード会社は、請求される前に、利用者に返金すべきだし、それが社会のルールだろうと思う。

 請求されないと返金しないというのは、ある意味、言葉が悪いが、どろぼうや詐欺と同じやり方だ。

 そんなことが許されている日本の社会はどうなっているのだろう。

 日本の社会というよりは、自民党政府の政策のまずさかもしれないが…。

 ひどいもんだ。

 政府やカード会社には再考をしてほしいと思うし、そんな政府を支持したり、そんなカード会社を利用するのは考え直したほうがいいのではないかと思うが、どうなんだろう。      (2023.4 記)

  

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藤山直樹・松木邦裕・細澤仁『精神分析を語る』2013・みすず書房-その2・ていねいで正直な精神分析の実践に学ぶ

2024年05月26日 | 藤山直樹さんを読む

 たぶん2016年のブログです

       *  

 藤山直樹さん、松木邦裕さん、細澤仁さんの鼎談、『精神分析を語る』(2013・みすず書房)を再読しました。

 ちょっと前に読んだつもりでしたが、本棚にあった本をよく見ると2013年11月の発行で、そういえば精神分析学会の書籍売り場で買ったんだっけ、と思い出しました。

 当時のブログもありますが、少し短い文章でしたので、今回はもう少し追加してみます。

 再読をしてみた印象は、やはりすごい!です。

 三人とも、それぞれの思いをかなり正直に話されているのが印象的で、初学者にもとても参考になります。

 精神分析の大家は、ご自分の失敗も含めて、臨床での思いや考えや感情をていねいに記されるのが特徴と思いますが、それがよき実践のためには大切なのだろうと思わされます。

 特に、藤山さんはふだんから飾りのない正直な発言が魅力的ですが(藤山さん、ごめんなさい)、この本でも藤山さんらしさが全開で、楽しいです。

 藤山さんにとって、『落語の国の精神分析』(2012・みすず書房)がとても大切な本だということもわかりました(この本についても前にブログがありますので、よかったら参考にしてください)。 

 圧巻は、細澤さんのケースを藤山さんと松木さんがコメントをするという贅沢な企画で、藤山さんと松木さんの読みの深さが際立ちます。

 同じ資料を読んで、大家は、ここに注目し、こう介入し、こう解釈をし、こう返すのか、こう明確化をするのか、ということがリアルタイムで示されます。

 こんな贅沢はなかなか体験できません。勉強になります。

 今年も精神分析学会が待ち遠しくなりました。    (2016?記)

     *

 2020年12月の追記です

 本棚を眺めていたら、読んで!読んで!という感じがしたので(?)、久しぶりに再読をしました。

 やはりすごい本です。

 専門書を読んで、こころから感動できることはそう多くはありませんが、この本はじーじにとって、そういう一冊です。

 今回も、藤山さんと松木さんの正直な語りに本当に感心させられました。

 また、お二人が精神分析に出合うお話なども感動ものです。

 さらに、やはり事例検討のお二人の理解もすごいです。

 じーじも以前よりは少しだけ理解できる箇所もあるように思いますが、やはり同じ資料でこれだけ深く理解できるお二人には尊敬しかありません。

 さらに勉強を深めたいと思います。     (2020. 12 記)

 

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新潟のじーじのお部屋は孫娘たちも大好きなプレイルーム(?)-遊ぶことのちから

2024年05月26日 | 遊ぶことのちからを考える

 2016年、上の孫娘が5歳、下の孫娘が2歳の時のブログです

     *

 車で1時間ほど離れたところに住んでいる孫娘たちが、時々、新潟に住んでいるじーじのところに遊びに来てくれます。

 車から降りた孫娘たちが最初に駆け込むのが2階にあるじーじのお部屋。

 上の孫娘は軽やかな足取りで、下の孫娘は一所懸命に階段をのぼってきます。

 じーじのお部屋に入ると、上の孫娘はお絵かきやパズル、風船遊びに、下の孫娘はぬり絵やお絵かき、シャボン玉に熱中です。

 上の孫娘はお絵かきがとても上手になりました。

 かわいい女の子の絵を描くことが多く、じーじが「これ、だーれ?」ときくと、「ママ!」とママが大喜びしそうな返事をします。

 そして、さっそく下の部屋にいるママのところに見せにいきます。

 下の孫娘の絵はまだ少し解読が困難。

 それでも、じーじが「うまいね」とほめると、孫娘からは「じーじ、あん・ぱん・まん!」とリクエストがきます。

 絵だけは苦手な(?)じーじが苦労をしてアンパンマンを描くと、孫娘は「あん・ぱん・まん!」と喜んでくれます。

 下の孫娘はシャボン玉にも挑戦。

 シャボン玉液を吸い込まないかと心配するじーじをよそに、元気いっぱい。強く吹きすぎて、2~3コのシャボン玉だけですが、それでも大満足です。

 うれしいことに、「じーじも」と誘ってくれますので、じーじがゆっくりと大きなシャボン玉をつくると、楽しそうに、「でかい!」と大喜び。

 じーじが小さいシャボン玉をたくさんつくると、つかまえようと大騒ぎです。

 じーじは貧乏な心理療法家なので、じーじのプレイルーム(?)には高価なおもちゃはひとつもありません。

 安くて素朴なおもちゃばかりですが、かえってそれがいいようです。

 孫たちは、じーじやばーば、ママやパパたちが見守る中で、いろいろな遊びを一所懸命、夢中で楽しみます。

 そういう様子を見ていると、こどもたちは、ウィニコットさんがいうように、本当に「遊び」の中で成長をするものだなと思います。

 そして、こどもたちの遊びは、こどもたち自身をも、さらには、まわりのおとなをも幸せにしてくれるようです。

 遊びの力(ちから)は本当にすごいものだと思います。     (2016 記)

 

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藤山直樹・松木邦裕・細澤仁『精神分析を語る』2013・みすず書房-その1・正直な精神分析に学ぶ

2024年05月25日 | 藤山直樹さんを読む

 2013年のブログです

     *

 11月15日~17日,京都で開かれた精神分析学会に参加しました。

 この本はその会場で販売されていて,さっそく購入しました。

 前回,土居さん,中井さん,神田橋さんの鼎談のすごさをご紹介しましたが,今回は藤山直樹さん,松木邦裕さん,細澤仁さんという現在の日本の精神分析の世界ではかなり豪華な三者による鼎談です。

 それぞれの皆さんの率直な発言が贅沢なほどに綴られており,帰りの飛行機の中から一気に読んでしまいました。

 とても深い内容だと思いますし,何度か繰り返して読みたいなとつくづく思っています。

 いい本に出会えたなと感動しました。

 精神分析,やはり奥深い,すごい世界だなと再認識をしました。    (2013.11 記)

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 2022年12月の追記です

 この本については、その後、2016年に再度、ブログを、2020年にその追記を書いています(よろしかったら、読んでみてください)。

 同じような感想を繰り返してばかりですが、やはり大家の人たちの失敗を含めた正直さに感銘を受けます。

 少しでも近づけるように、さらに謙虚に学んでいきたいと思います。    (2022.12 記)

 

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中上健次『枯木灘』1980・河出文庫-若き日の読書を再び体験して

2024年05月25日 | 小説を読む

 たぶん2017年のブログです

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 中上健次さんの『枯木灘』をすごく久しぶりに再び読んでみました。

 前に読んだのは、はっきりはしませんが、学生の時か、就職をしてすぐの頃、いずれにしても今から40年くらい前のことになります。

 今回は、いつもおじゃまをしている精神科デイケアのあるメンバーさんが中上さんの大フアンで、『枯木灘』の文庫本を貸してくださったので、読んでみることにしました。

 前に読んだ時は、なにかドロドロとした小説、という印象を若き日のじーじは抱いたのですが、今回、久しぶりに読んでみると、まずは中上さんの日本語の確かさに感心をさせられました。

 日本語がきちんとしていますし、美しいと思います。

 40年近く、書類を読み、書類を書く仕事を続け、専門書や小説を読んできた経験が、一応、中上さんの文体のすごさを見極められるようにしてくれたようです。

 小説の登場人物やその人間関係は、確かにドロドロとしているのですが、じーじが年を取ったせいか、家裁の仕事でもっとドロドロした人間関係を見てきたせいか、あまり驚かないのも意外でした。

 むしろ、ギリシア神話のように、こういうこともあるよな、ああいうこともありそうだな、と、人間模様がよく描かれている印象を受けます。

 それだけ、普遍的で、深さのある小説なのだろうと思います。

 今回、強く感じたのは、これもじーじが年を取ったせいか、登場人物のエネルギッシュなところ。

 いずれの人物も、熱く、うらやましいようです。

 さらにもう一つは、自然との一体感。

 紀州の自然のすばらしさもすごいですし、土方の仕事をしていて土と一体になっているかのような主人公もすばらしいと感じました。

 メンバーさんのおかげで、いい小説を再び読めたことに感謝したいと思います。     (2017?記)

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 2024年5月の追記です

 このブログを書いてからもう7年が経ったのですね。早い!早い!

 ブログを検索すると、中上さんの小説の感想文がコンスタントに載せられていて、びっくりします。

 決してすごくメジャーな小説家さんというわけではないと思うのですが(中上さん、ごめんなさい)、やはり存在感のある作家さんなのだと思いますね。    (2024.5 記)

 

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