ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

山中康裕『少年期の心-精神療法を通してみた影』1978・中公新書-クライエントさんの「窓」を大切にすること

2024年08月31日 | 子どもの臨床に学ぶ

 たぶん2011年ころのブログです

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 精神科医で心理療法家の山中康裕さんは,じーじが40年くらい前に心理臨床の仕事についてすぐに,偶然,『少年期の心-精神療法を通してみた影』(1978・中公新書)という本を読んで,すごく感銘を受けました。

 以来,今日まで,山中さんの本を読ませていただいたり,お話をお聞きしたりして,勉強をさせてもらっています。

 山中さんはとても熱い先生ですが,学問的にも深く,尊敬できる先生のお一人です。

 その山中さんが,よくカウンセリングでクライエントさんの「窓」を大切にすることについて述べられています。

 カウンセラーがクライエントさんとなかなか心理的な関係を深められない時に,クライエントさんの得意なこと,こころの「窓」になるようなこと,に気づき,そこを大切にすることが関係を深める第一歩になるというお話だと思います。

 箱庭でも,絵でも,詩でも,音楽でも,クライエントさんが大切にしているものは何でもいいのですが,カウンセラーもそこを大切にすることで,おおげさにいえば,人と人との出会いが生まれ,関係が深まり,それが治療的になるのだろうと思います。

 山中さんの「窓」への興味の広さ,深さは,すごい,の一言につきますが,じーじたちも少しくらいならその真似ごとができるかもしれません。

 また,クライエントさんのこころの「窓」を大切にするためには,じーじたちの自身のこころの「窓」も日頃から大切にしておく必要がありそうです。

 いいカウンセリングができるために,自分自身もこころ豊かに生きていたいとつくづく思う毎日です。    (2011?記)

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 2019年5月の追記です

 先日の遊戯療法学会で山中さんのお話をお聞きして感動しましたので、本書を久しぶりに再読しました。

 やはりすごい本です。

 たくさんの遊戯療法による子どもの治療が報告されていますが、感じるのは山中さんの治療における即興性、応答性のすごさです。

 それと、今回気づいたのは、ここでも、こころの状態にあわせて、人物像が変わる、という問題が述べられています。

 精神分析でいうところの、記憶の書き換えのテーマがここでも述べられていて、驚きます。

 心理療法や遊戯療法の意義を再確認できます。

 子どもの治療とは、こどもの自由な時間と空間を保障すること、すなわち、遊びを保障するとと、秘密を保障すること、という山中さんの言葉がこころに響きました。     (2019.5 記)

 

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北海道での1か月の夏休みにじーじが考えたこと-じーじの2024北海道の旅

2024年08月31日 | ひとり旅で考える

 2024年8月のブログです

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 今年も北海道に行ってきた。

 タントくんに車中泊の1か月の貧乏旅行。

 年とともにだんだんとあちこちを動き回るまわるのが面倒になってきて、ほぼ東川町で大雪山を眺めながらボーとして過ごしていた。

 今年の北海道は去年よりは過ごしやすくて、特に夜、涼しいのがありがたかった。

 そんな中で気づいたことだが、夜、道の駅で少しだけタントくんの窓を開けて駐車をしていると、北海道の夜は涼しくて快適なのだが、時々、エアコンを全開にして駐車している車がいた。

 そんな車がいると音がうるさいし、空気も悪いので、場所を移動するしかない。

 せっかく、涼しくて、空気のきれいなところなのに、もったいないなあ、と思う。

 一方、昼休みの光景。

 木かげのある駐車場でタントくんの窓を全開にすると、涼しい風が入ってきて快適。

 北海道のおいしい空気を堪能していると、ここでも時々、エアコン全開でお昼寝をしている車。もったいない。

 空気もガソリンももったいないなあ、と思う。

 ある作家さんが、自然が豊かなところに住む人は、その豊さ、水や川や山の豊かさに気づかない、と書いているが、そのとおりだなあ、と思う。

 よそ者が偉そうなことを言うのは避けたいが、旅行をして初めて気づくことなのかもしれない。

 タントくんの貧乏旅行もそれなりに意味がありそうだ。     (2024.8 記)

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 同日の追記です

 考えてみれば、今どき、コンビニの駐車場などでも、アイドリング駐車はご遠慮ください、と書いているので、一考を要するのかもしれない。

 考慮すべきは子どもさんがご一緒の車だろうが、そういうご家族は、昔のじーじのように、暑い日にはもう少し北のほうを旅行したらいいと思う。

 寒い北海道の北部で、毛布にくるまってご家族でエゾシカさんやキタキツネくんを眺めながら過ごす日々は、子どもさんにとってもいい思い出になるのではなかろうか。

 

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山野保『「うらみ」の心理-その洞察と解消のために』1989・創元社-「うらみ」を超えて

2024年08月30日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2011年ころのブログです

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 山野保さんの『「うらみ」の心理-その洞察と解消のために』(1989・創元社)を再読しました。

 何回目になるでしょうか。

 何回読んでも得るところの多い本です。

 このところ,「うらみ」ということについて考えることが多く,そういえば、家庭裁判所の当事者のかたがたや心理臨床のクライエントのかたがたに,「うらみ」にとらわれている人々が多くおられるなと感じています。

 「うらみ」のせいで,本来,力のあるかたがたが,冷静な判断をできずに苦しんでいる姿をよく拝見します。

 「うらみ」の世界からは,自分ひとりの力だけでは,なかなか抜け出すのが難しいようです。

 適切な援助者の手助けを利用することも,大切なのかもしれません。

 この本の中で,「うらみ」をいかに「解消」するか,その一端を山野さんは家庭裁判所のケースなどを中心にしてわかりやすく述べておられます。

 実は山野さんは,じーじが四十数年前に家裁調査官になった時の指導官のお一人。

 ずいぶんお世話になりました。

 面接のしかたや面接の訓練について,丁寧に教えていただきました。

 一度,山野さんのカウンセリングを見学させていただいたことがありました。

 ふだん,部屋では毒舌で厳しい山野さんが(山野さん,ごめんなさい),別人のように優しいカウンセラーになられていて,その変身ぶりに,びっくりした記憶があります。

 プロはすごいな!と思いました。

 不肖の弟子はまだまだ半人前。

 もっともっと勉強をしていかないといけません。     (2011?記)

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 2020年12月の追記です

 「うらみ」が「甘え」と関係していることを述べたのが、土居健郎さん。

 「甘え」足りないと「うらみ」が発生することを土居さんも山野さんも述べています。

 しかし、「甘え」足りない部分を満たすことは至難の業。

 結局は、「甘え」足りずに「うらみ」に浸っていることを自ら理解し、「諦める」という「喪」の作業が大切になるのかもしれません。     (2020.12 記)

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 2022年5月の追記です

 よく考えると、「うらみ」を解消するといっても、すごく難しい作業ですよね。

 われわれにできることは、せいぜい、「うらみ」を抱いているということをきちんと自覚すること、くらいなのかもしれません。

 それだけでも、ずいぶん違ってきそうな気もします。      (2022.5 記)

 

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佐藤多佳子『明るい夜に出かけて』2019・新潮文庫-その1・生きづらい大学男子の友情と恋愛を描く

2024年08月30日 | 小説を読む

 2019年のブログです

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 佐藤多佳子さんの『明るい夜に出かけて』(2019・新潮文庫)を読みました。

 この本も旭川の本屋さんで見つけました。

 面白かったです。

 佐藤さんは『しゃべれども しゃべれども』や『一瞬の風になれ』などの、名作と呼んでいい小説を書かれていますが、本作もなかなか力作です。

 主人公は大学を休学中の男子学生。

 人づきあいがあまり得意でなく、しかも、じーじと同じ女子恐怖症(?)で、生きづらそうです。

 それでも、コンビニのアルバイトをしているので、じーじより優秀(!)です。

 楽しみはラジオの深夜番組への投稿。

 こう書くと、ネクラとしかいいようがありませんが、そんな彼がバイト仲間やラジオ仲間との交遊の中で、少しずつ変わっていく姿が描かれます。

 登場人物がユニークで、魅力的。

 佐藤さんの温かな視線が光ります。

 もっとも、お話は全然、甘くはなく、冷徹(?)で、シビアな世界が展開します。

 おとなが読んでも、いろいろと考えさせられる深みのある小説です。

 読後感がすごくいい。

 旅先でいい小説と出会えて、幸せです。     (2019.8 記)

 

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「傷つき」,「うらみ」,「復讐」,そして,それらとともに生きること

2024年08月29日 | 心理臨床を考える

 たぶん2011年ころのブログです

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 このところ,「傷つき」や「うらみ」,それらと「和らぎ」や「幸せ」などとの関係といったことについて考えています。

 また,「悪」と「正義」,「復讐」と「幸福」,さらには,「戦うこと」と「和解」などといったことについても考えます。

 家庭裁判所の当事者のみなさんのご主張や心理臨床の患者さんの訴え,さらには,韓国ドラマのストーリー,日本の政治家の安全保障についての極端な発言,中国や韓国の人々の主張などなど,考えさせられることがらは多いです。

 他人に「傷つけられて」,「うらみ」を抱くことは当然だと思うのですが,そこから「復讐」を考えるかどうか,それを実行をするかどうかは,人によって違ってくるのではないかなと思います。

 その人のこころの広さや深さなどによってずいぶん違ってきそうな印象があります。

 そして,それらは「傷つき」の大きさによって,あるいは,「うらみ」の深さなどによっても,違ってくるのではないかと思います。

 さらには,かりに,「復讐」によって,本当に「幸せ」になれるかどうかも,考える必要がありそうです。

 「幸せ」や「安心」は「復讐」や「戦うこと」と,どんな関係になっているのでしょうか。

 そして,それらのことがらと「和解」や「和らぎ」との関係はどうなのででしょうか。

 答えは簡単ではないと思います。

 教えてくれる人もあまり見当たりません。

 そもそも個人の問題や課題は,人に答えを教えてもらえるようなものではなく,自分で考え続けて,答えを探すしか道はないのかもしれません。

 周りの人たちは,話をていねいに聞くことや多少の助言をすることしかできないのかもしれません。

 これからもあせらずに,じっくりとよく考え続けていくことが大切になりそうです。

 また,そういったことに少しでも役に立てるような存在になるために,今後も勉強を続けていきたいと思います。         (2011?記)

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 2020年12月の追記です

 ずいぶん前のブログになりました。まだ、家裁調査官として仕事をしていた時のものです。

 でも、臨床心理士になった今も、考えていることは基本的にはあまり変わっていません。進歩がないです(?)。

 もっとも、年を取って、さらにじーじになって、ものごとに動じなくなってきている(?)かもしれません。 

 さらに勉強と経験を深めて、いい臨床家になりたいと思います。           (2020.12 記)

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 2021年12月の追記です

 ひょっとすると、生きている以上、「うらみ」や「復讐」の気持ちを全くなくすることは無理なのかもしれませんね。仏様でもない限り。

 できることとしたら、それ以上の「慈しみ」のこころを育てていくことなのかもしれません。         (2021.12 記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 1954年、北海道生まれ  

 1977年、家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

 2014年、放送大学大学院(臨床心理学プログラム)修了  

 2017年、臨床心理士

 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の相談・援助などを研究

 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006、『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011、『遊戯療法学研究』)ほか 

 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 連絡先 メール  yuwa0421family@gmail.com    

   

 

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せきしろ『バスは北を進む』2019・幻冬舎文庫-北海道・道東での子どもの頃の思い出を綴る

2024年08月29日 | 北海道を読む

 2019年のブログです

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 せきしろさんの『バスは北を進む』(2019・幻冬舎文庫)を読みました。

 この本も旭川の本屋さんで見つけました。

 せきしろさんの本は初めてです。

 それにしても、せきしろ、って不思議なペンネームですね。本名なのかな?

 北海道の道東、それも網走やオホーツク沿岸地方での子どもの頃の思い出が淡々と綴られます。

 北海道の道北、旭川で子ども時代を過ごしたじーじにも同じような思い出があって、なんだか懐かしいです。

 本当に懐かしい。

 そして、なんとなく、温かいです。

 北海道は外は寒い日が多いのですが…。

 詩のような、こころがくつろぐ世界。

 ふるさとって、そういうものでしょうか。

 再び訪れると、風景はさびれているのですが…。

 さびれていても、ふるさとはふるさと。

 大切な存在。

 大切な思い出です。

 いいふるさとがあることは幸せなのかもしれません。      (2019.8 記)

 

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河合隼雄『河合隼雄のカウンセリング入門』1998・創元社-河合隼雄さんのカウンセリングに学ぶ

2024年08月28日 | 河合隼雄さんを読む

 2011年のブログです

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 河合隼雄さんの『カウンセリング入門』(1998・創元社)を読みました。

 なぜか読みそびれていて、しかも実際の講演は1965年~68年に行われたもので、河合さんがユング研究所で資格を取って間もなくの時期の講演ということになります。

 ちなみにじーじは1977年に今の家裁調査官の仕事について、河合さんの『コンプレックス』や『ユング心理学入門』などを読んでカウンセリングの勉強を始めましたので、とても懐かしい感じがしました。

 じーじはその後、家族療法や精神分析、遊戯療法と興味の範囲が広がっているのですが、最近、なぜかまたユング心理学に興味が出てきているところで、この本も興味深く読みました。

 じーじ自身は最近は逆転移や投影同一化などという概念について考えることが多いのですが、この本で河合さんはほとんど理論的なことはおっしゃらないで、実際にロールプレイでカウンセリングのあり方を示されたり、質問の聞き方そのものや質問内容のまとめ方などを示すことで、カウンセリングの実際を具体的に示そうとされていて、とても新鮮な刺激になりました。

 理論も大事だけれども、カウンセリングや心理療法を具体的に示すことができるということは本当に力のある人でないと難しいと思います。

 読んでよかったですし、今後も大切な一冊になるだろうなと思いました。      (2011.6 記)

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 2021年6月の追記です

 何でもそうかもしれませんが、具体例を示すということはとても大切で、かつ、なかなか難しいことだと思います。

 事例研究会でも、その点が大切になりますが、いざ、それを実行するということになると、かなりの力量がないとできません。

 さらに力をつけていきたいと思います。     (2021.6 記)

 

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藤沢周『界』2019・文春文庫-これまた不思議な小説たちです

2024年08月28日 | 小説を読む

 2019年のブログです

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 藤沢周さんの『界』(2019・文春文庫)を読みました。

 これも旭川の本屋さんで見つけました。

 藤沢さんの小説は初めて。

 新潟出身で、あの水島新司さんのマンガのモデルで有名になった新潟明訓高校卒業と聞いています。

 BSの「週刊ブックレビュー」や地元新潟のローカル番組でそのお姿はお見かけしていますが、なぜか小説はなかなか読めませんでした(藤沢さん、ごめんなさい)。

 そして、今回、新潟でなく北海道で、藤沢さんの『界』という不思議な小説を読むことになりました。面白いものですね。

 『界』は本当に不思議な短篇小説集です。

 解説の姜尚中さんが泉鏡花の『高野聖』に比していますが、確かにそんな雰囲気が漂います。

 50過ぎの中年おやじが、迷い、苛立ち、流されます。

 60過ぎのじーじも身につまされます。

 子どもの頃、おとなや親はどっしりしているもの、と思っていますが、そんなことはまったくありません。

 そんな情けない姿が正直に、しかし、生と性を見すえてじっくりと描かれます。

 そう、ここには生きている人間がしっかと書かれています。

 若い人たちには少しわかりにくいかもしれませんが、おとなの人間の一面が見事に描かれたいい小説だと思います。     (2019.8 記)

 

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キーツさん・シェイクスピアさん・村上春樹さん-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年08月27日 | じいじ日記を書く

 2019年の日記です

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 ここ何日か、ブログにコメントを書いたり、リコメントをもらったりして、いろいろと勉強になることが多かった。

 ことの発端は、詩人キーツさんのいう消極的能力という、わからないことに耐える能力、の大切さを精神分析の人たちがシェイクスピアさんなども挙げて論じている点。

 そんなことから、じーじも今ごろになって、シェイクスピアさんを読んでみようと(恥ずかしながら、実はまだきちんと読んだことがないのです(!))、先日、ハムレットの文庫本を注文してみた(ところで、じーじは一番安い(?)福田恒存訳を注文したが、今は誰の翻訳がいいのかよくわからない。お薦めの翻訳本をご存じのかたは教えてください)。

 そんなこんなで、キーツさんとシェイクスピアさんが気になっていたところで、しかし、そんなことはもうすでに学生時代から先刻ご承知というかたが複数おられて、改めて自分の勉強不足を反省させられた次第。

 しかも、さらに、追い打ちをかけるように(?)、村上春樹さんとシェイクスピアさんの共通性を教えてくださったかたがおり、言われてみれば頷けるところがあって、ますますシェイクスピアさんへの興味と期待が高まってきた。

 早くハムレットを読みたいし、リア王やオセローも読みたいな、と思う今日この頃である。     (2019.1 記)

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 同日夕方の追記です

 その後も、シェイクスピアさんの文庫本の安いのを探したり、松岡和子さんという人が文庫本で翻訳をしているのが全集になっていることがわかったりするうちに、なんとわが家の本棚に河合隼雄・松岡和子『怪読シェイクスピア』増補版(2011・ちくま文庫)があることを思い出し(我ながらすごい!)、探してみたら、見つかる。 

 さすがは河合さん!、そして、じーじ(?)。

 よくわからないままに読んでいたわけだ。えらい!えらい!(ほとんど覚えていないが…)。

 さっそく再読。楽しみ、楽しみ。

 これだから読書はやめられない。     (2019.1記)

 

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川上未映子『あこがれ』2018・新潮文庫-真っ直ぐな小学男子と小学女子の物語です

2024年08月27日 | 小説を読む

 2018年夏のブログです

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 川上未映子さんの小説『あこがれ』(2018・新潮文庫)を読みました。

 これも旅先の旭川の本屋さんで見つけて買いました。

 川上さんの小説を読むのは、これが初めて(川上さん、ごめんなさい)。

 美人ちゃんなので、美人恐怖症(?)の傾向があるじーじは、なんとなく近づかなかったのですが(川上さん、ふたたびごめんなさい)、昨年、村上春樹さんに果敢にインタビューをした対談集『みみずくは黄昏に飛びたつ』(2017・新潮社)を読んで、すごいな、と思い、いつか小説も読みたいな、と思っていました。

 いい小説です。

 小学男子と小学女子をめぐる物語ですが、世間の見方と少し違うものの見方をするこの二人を、周りのおとなたちが限界を抱きつつも、よい距離感を持って接してくれて(今どき、こんないいおとなたちはいないかもしれません)、そんなある意味、「抱える環境」(ウィニコット)の中で成長をしていきます。

 当然、苦しいことのほうが多くなりがちです(なぜなら、周りに流されて、何も考えずに動くほうが楽ですから…)。

 泣いたり、あきれたり、怒ったりしながら、それでもお互いや周囲の友達の存在に勇気づけられて、時々、笑いにも誘われます。

 具体的なあらすじはあえて書きません。

 しかし、やはり苦しいことにたびたび出会います。

 決してハッピーエンドではありません。

 苦しい中での小さな救いや小さなほほえみがいかに大切か、を考えさせられます。

 そして、読後感はすがすがしいです。

 こんな小学生たちを少しでも守り、応援できるようなおとなでありたいな、と思いました。 (2018.8 記)

 

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じーじ、図書館で外国美人ちゃんにナンパされる(?)ーじーじの2023北海道の旅

2024年08月26日 | ひとり旅で考える

 2023年8月のブログです

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 事件(?)は東川の図書館で起こってしまった。

 朝から何やらカメラを持った外国人が多いなあ、と思っていたが、東川ではよく写真コンテストがあるし、まあ、関係ないや、とじーじはパソコンを眺めながら油断をしていた(?)。

 ところが、突然、美人のアメリカ女子(たぶん)が話しかけてきた(と思う。以下は、じーじの想像である)。

 なにしろ、英語だけは大の苦手のじーじが、英語を聴き取れずに、???、と混乱をしていると、フォト、・・・、プリーズ、・・・、と続く。

 写真を撮ってもいいか、と聴いているらしい。

 写真甲子園などでは、豆腐職人のかたや農家の人の写真を見ることがあるが、年取ったよぼよぼのじーじの写真を撮ってもなあ、と、しかし、言葉も出ずに、思わず、ダメダメダメと首を横に振ってしまった(アメリカ美人ちゃん、ごめん)。

 アメリカ美人ちゃんは、ソーリー、と笑顔で去っていったが、じーじも、ソーリー、くらいはいえばよかったと反省。

 青少年諸君、英語はやはり大切だ(ドイツ語でもいいけど…)。

 もったいないことをした(?)。ナンパをされるチャンスに失敗してしまった(妄想です)。

 若い女子に声を掛けられるなんて、数十年ぶりだったので、逆上してしまった。

 新潟に帰ったら、孫娘たち相手に、女子との会話の練習に励もうと思う。 (2023.8 記)

 

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メルツァーさん・キーツさん・シェイクスピアさん-じーじのカウンセリング日記

2024年08月26日 | 心理臨床を考える

 2019年の日記です

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 去年12月から読んでいたD・メルツァーさんの『精神分析と美』(2010・みすず書房)をようやく読み終える。

 何度読んでも難しい。

 付箋やアンダーラインは増えてきたが、今回も何割、理解できたかやや疑問。

 ブログにリポートを書こうと思ってパソコンの前に座るが、言葉が出てこず、しばらく頑張るが、断念。次回のお楽しみとなる。

 しかし、今回初めて気づいたが(今ごろ気づくのも、我ながらどうかと思うが…)、メルツァーさんのこの本にキーツさんやシェイクスピアさんなどが出てくる。

 ようやく精神分析の本の中に2人を見つけてうれしくなる。

 キーツさんは昨年秋、岩波文庫の『キーツ書簡集』(1952)を古本屋から購入して読んでみたが、こちらもリポートができるのはまだ先になりそう。

 キーツさんのいうあいまいさに耐える能力を、この本では、「消極能力」と訳しているし、キーツさんの本でも「消極的能力」と訳していて、「負の能力」よりいいような気もするが、あくまで素人の感想である。

 また、メルツァーさんが詩や戯曲を分析しているのを読んで、やはり精神分析家のオグデンさんが同じように詩や小説を分析しているのを思い出した。

 文学はやはりかなり精神分析に近い存在なのだろうな、と改めて思う。

 もっともっと勉強が必要だ。       (2019.1 記)

 

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北海道東川町は東川神社の夏祭りで、子ども神輿が元気にねり歩きました-じーじの2017北海道の旅

2024年08月25日 | ひとり旅で考える

 2017年のブログです

     *

 北海道東川町にいます。

 東川町は昨日から東川神社の夏祭り。

 今日は子ども神輿が元気にありました。

 神輿とは言っても、商工会青年部の主催による宗教色とは無縁の神輿で、国家権力的な宗教が大嫌いなじーじでも安心して見ていられました。

 主役は保育園の子どもたち。

 クラスごとに工夫を凝らした神輿を元気に担ぎます。

 年長さんはさすがに神輿らしきもの。

 らしき、というのは、神輿の中になにやら球がいっぱい詰まっていて、実は宗教的な意味があるのかもしれませんが、意味のわからないじーじには、ただのボールが詰まっているようにしかわかりませんでした(年長さんのみなさん、ごめんなさい)。

 年中さんの神輿は、なぜかおばけと竜宮城らしきもの(?)とのコラボレーション(違っていたらごめんね)。

 おばけとたこといかとその他もろもろが元気に踊ります。

 たこやいかなど、北海道らしいといえばらしいですが、子どもたちの発想力のすごさには驚かされます。

 最後の年少さんの神輿は、ドラえもん。

 ドラえもん(青い地球にも見えるけど…)の上に、ジャイアンやスネオが仲良く踊ります。

 いじめのない、いい世界です。

 子どもたちの想像力はすごいです(じーじの解説はひょっとすると間違っているかもしれないけれど、いろんな想像を可能にするところもすごいと思います)。

 そして、その子ども独自の豊かな世界を、とても大切にしている保育士のみなさんや保護者のみなさんも素敵です。

 神輿行列の途中からは小雨が降ってきましたが、子どもたちは元気いっぱい。

 とっても素敵な子ども神輿でした。

 いい町です、東川。      (2017.8 記)

 

 

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ビオン(祖父江典人訳)『ビオンとの対話-そして、最後の四つの論文』1998・金剛出版

2024年08月25日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

     *   

 またまたビオンさんの本です。

 ビオン(祖父江典人訳)『ビオンとの対話-そして、最後の四つの論文』(1998・金剛出版)を再読しました。

 こちらもなかなか難しかったです。

 2割くらいは理解できたでしょうか。

 やや心許ない理解ですが、じーじなりに印象に残ったことを一つ、二つ。

 まず、投影同一化について。

 人が好まない自分自身の部分は、その人の外部に存在しているように感じられる、ビオンさんはそう解説します。

 なかなかわかりやすい説明だと思いました。

 次が、キーツさんの負の能力(消極的能力)について。

 知らないことに耐えることは難しい、と述べ、人は見たり聞いたりしたくないものは、打ち切りたい、と説明します。卓見です。

 あと、今回、気がついたのは、ビオンさんが、人は思い出すことができないことは、忘れることもできない、と述べている点。

 ここは、意識化の重要性やトラウマの扱い方などについて考えるポイントになると思われました。

 最後は、面接において、大事なのは現実や事実を尊重し、それらを観察すること、をビオンさんは強調されます。

 面接では、冷静に、細やかに、目の前のことを大切にすること、そして、今、ここでのできごとを大切にすることの重要性などを再度、教えられたように思います。

 さらに、今後も読み重ねて、実践と照らし合わせ、理解を深めていきたいなと思いました。    (2018. 11 記)

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 2021年2月の追記です

 負の能力(消極的能力)について述べているところで、知らないことに耐えるのは難しい、ということから、人は見たり聞いたりしたくないものは打ち切りたい、とつなげているところは重要だと思います。

 知らないこと、わからないこと、あいまいなことに人は耐えがたく、そのせいで、見ないことにしたり、聞いていないことにしたがる傾向があるということを指摘しているのだと思われます。    (2021.2 記)

 

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10℃・だいこん・アスパラ-じーじの2020北海道の旅

2024年08月24日 | ひとり旅で考える

 2020年8月のブログです

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 東川にいます。

 今朝の気温、10℃。

 涼しいです。

 「避暑」に来た甲斐がありました。

 でも、ちょっと涼しすぎて(?)、今回の旅で初めて毛布を出しました。

 毛布にくるまって外を眺めていると、バスを待つ高校生の列。

 土曜日なのに、部活でしょうか、ごくろうさんです。

 女子高生は東川でも短いスカート。

 スカートからは白いだいこ…、じゃなくて、えーと、あっ、アスパラのようなきれいな足(ふぅー、あぶない、あぶない)。

 男子高校生との距離感も微妙で、とてもいいです。

 じーじはいつもより1時間遅れで散歩に出発。

 大雪山がきれいです。

 旭岳の中腹の噴煙もよく見えます。

 十勝岳の噴火口からも噴煙がもくもく。

 たんぼの稲穂は黄色くなってきました。

 おいしい水ときれいな空気の中で、おいしいお米ができそうです。

 散歩をするだけで元気になれる東川、いい町です。     (2020.8 記)

 

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