ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

小倉清『子どもの精神科症例集-予防医学と母子デイケア』2020・岩崎学術出版社

2025年01月19日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2021年2月のブログです

     *

 小倉清さんの『子どもの精神科症例集-予防医学と母子デイケア』(2020・岩崎学術出版社)を読みました。

 新刊です(小倉さんはいくつになられてもすごいですね!)。

 そして、内容もすごい本です。

 いくつかの症例とフロイトのハンスの症例の再検討、それと、鼎談からなっていますが、この症例がすごいです(さっきから、すごい!の連発ですね)。

 小倉さんは診察室に入ってきた子どもの表情を見ると、この子は家ではこんな感じではないかな?こういう親子関係なのではないかな?こういう歴史を生きてきているのではないかな?と、パッと読み取ります。

 それはエヴィデンスというよりは、小倉さんのこころにわいた物語のようなもののように読めるのですが、しかし、それが当たっていると、子どもは自分を理解をされたという様子を示します。

 そして、治療的な関わり合いが始まります。

 ここの場面が感動的ですし、それを言葉にできる小倉さんは本当にすごいと思います。

 子どもへの愛情がとてつもなく深く、それが臨床的な確かな技術にきちんと支えられている印象を受けます。

 こういうお医者さんに診てもらえる子どもは幸せだなと思います。

 もう一つは、鼎談に出てくる母子デイケアのお話。

 子どもだけでなく、お母さんも治療的に抱えられるような場になっているようで、興味深いです。

 いくつになってもお元気な小倉さんの様子に接して、じーじももう少しだけ頑張ろうと思います。        (2021.2 記)

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田中千穂子『ひきこもりの家族関係』2001・講談社-「ひきこもる」ことは、そんなに悪いことなのか!?

2024年12月30日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2018年のブログです

     *

 遊戯療法の田中千穂子さんの『ひきこもりの家族関係』(2001・講談社+α新書)を再読しました。

 これもかなり久しぶりの再読です。

 田中さんは(じーじが勝手に尊敬し、大ファンである)本当に信頼できる力のある臨床家。

 子どもの遊戯療法などの本をこのブログでも何回かご紹介していますが、その臨床場面のていねいさと細やかさはすばらしいものがあります。

 その田中さんの「ひきこもり」論。

 本の帯には、「ひきこもる」ことは、そんなに悪いことなのか!?とあって、なかなか刺激的です。

 今回もいろいろと示唆を受けたのですが、その一つめは、ひきこもりは「対話する関係」の喪失、という視点。

 個人の病い、というとらえかたでなく、家族や友人らとの間で、対話をする関係が不十分なために、傷つき、人間関係から撤退している状態、ととらえます。

 二つめは、ひきこもったあとの親への試し。

 親からの安全感が十分でなかったという感情を抱きがちな人が多いので、親がどれくらい本気で心配をし、考えているのかを試す、といいます。

 これについては、田中さんは、無駄を承知で、無駄なことを繰り返して、行動で心配していることを示すのが大切、と述べます。

 三つめは、本人がひきこもりから脱出しようとする際に、うまくいけば吉、失敗すれば死、という極端さの傾向。

 そうではなくて、必要なことは、少しずつ徐々に成功と失敗をくり返していくことである、と説きます。

 田中さんは、本書では、ひきこもりの本人との心理療法ではなく、親ごさんとの心理療法をいくつも提示しています。

 いずれのケースでもその面接の中で細やかでていねいな関わりを示し、そのことが親子関係のありかたの見本やとらえ直しになって、回復に結びつく様子を見ることができます。

 難しい治療ですが、ていねいで確かな心理療法の一端を垣間見ることができると思います。       (2018 記)

     *

 2021年秋の追記です

 同じ遊戯療法家で、精神科医、心理療法家の山中康裕さんが、お得意の「窓」論のほかに「内閉論」ということを述べられています。

 蝶が成長する時に、さなぎという、一見成長していないように見える時期があることに比して、人間も若い時に「内閉」の時期があり、実はそこでちからをたくわえているという視点で、ひきこもりにも有効な見方だと思います。       (2021.9 記)

 

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田中千穂子「プレイセラピーとことば-つながるチャンネルをさがすこと-」2016・『遊戯療法学研究』15巻1号

2024年12月27日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2016年のブログです

     *   

 遊戯療法学会の学会誌である『遊戯療法学研究』の最新号が届きましたので、パラパラとめくっていたところ、新潟でいっしょに勉強をさせてもらっている研究会の先生やメンバーさんのお名前が二、三あり、うれしくなりました。

 そして、さらには、じーじがプレイセラピーの世界で一番信頼をし、尊敬をしている田中千穂子さんの文章がありました。

 遊戯療法事始め、というリレーエッセイで、田中さんは「プレイセラピーとことば-つながるチャンネルをさがすこと-」という文章を書かれています。

 とっても、いい文章です。

 論文なのですが、読んでいて、ふと涙が出てきそうになりました。

 田中さんの学生時代、サークル活動で公園で子どもたちと遊ぶ活動の時に、みんなと遊べないでいる子どもたちと少しずつつきあっていけるようになる経験が綴られます。

 気にはなるけれども、すぐには飛びつかずに、見守ることの大切さ。田中さんの臨床の真骨頂だと思います。

 そして、その後も、コミュニケーションが取りにくい子どもたちと、ていねいに慎重につきあっていく田中さんの姿が描かれます。

 まさに、ことばを使わない、しかし、確実なコミュニケーションができていくプレーセラピーの原点がそこに描かれます。

 ていねいに慎重で、しかし、時に大胆で、遊びごころ満載の田中さんが目に浮かぶようです。

 さらに、サブテーマの「つながるチャンネルをさがすこと」という言葉からは、山中康裕さんの「こころの窓をさがすこと」という言葉が連想されます。

 田中さんの臨床の魅力は、慎重なていねいさと大胆な遊びごごろがダイナミックに展開し、それを冷静にみることができる点にあるのではないか、とじーじは考えています。

 じーじも遊びごころだけはあるのですが(?)、ていねいさや冷静な理解力はまだまだ苦手で不十分だなと反省の毎日です。

 これからもていねいな臨床をこころがけて、田中さんのようなすてきな文章を書けるような人になりたいと思います。       (2016.5 記)

     *

 2019年5月の追記です

 明日から東京で2019年遊戯療法学会があります。

 田中さんが実行委員長。楽しみです。        (2019.5 記)

  

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田中千穂子『障碍の児のこころ-関係性のなかでの育ち』2007・ユビキタスタジオ-ユーモアのちからに学ぶ

2024年12月16日 | 子どもの臨床に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

     *   

 遊戯療法家の田中千穂子さんの『障碍(しょうがい)の児(こ)のこころ-関係性のなかでの育ち』(2007・ユビキタスタジオ)を再読しました。

 この本もずいぶんいい本なのにかなりのひさしぶりで、自分の勉強不足を反省させられます。

 この中では、知的障碍で何らかのご事情から困難に陥ってしまった人たちへの田中さんの心理相談などの援助の様子が描かれています。 

 かなりの事例が描かれ、その困難さを障碍者の人と一緒に少しずつ解決をしていく、あるいは、馴染んでいく田中さんの粘りとていねいなアプローチは感動的です。 

 また、何かとたいへんなご家族にもていねいにより添う田中さんの姿もすばらしいです。 

 そして、それらの援助活動の底には、やはりユーモアの力の大きさを感じさせられる場面が数多く描かれています。

 たくさん学ぶべきところがあった中で、今回、じーじが一番、すごいと思ったのは、ある障碍者の女の子とのプレイセラピー。

 女の子がカウンセラーの田中さんを刀で切り刻むというプレイをした時に、田中さんがその凄惨な場をユーモアで笑いに変えようと、手足をわざと間違えて再生し、プレイルームを笑いの場に変えてしまい、再生の物語に変えていくというプレイをしたところでした。  

 どんなに苦しい場面であっても、ユーモアで切り抜け、生き残り、クライエントを守るという治療者としての田中さんの姿に感動しました。

 あらためてユーモアの力のすごさを考えさせられました。

 もっともっと勉強と経験を積み重ねようと思います。         (2017?記)

     *

 2024年12月の追記です

 ご紹介した事例は、女の子の行動が激しくて、さすがの田中さんも困難さを感じますが、田中さんの機転のきいたユーモラスな対応で、笑いが生じて、すごく生き生きとしたセラピーになっています。

 田中さんの即興性やユーモアのすごさがとても印象的な事例です。         (2024.12 記)

 

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田中千穂子さん・プレイセラピー(遊戯療法)・親子同席セラピー-じーじのカウンセリング日記

2024年11月19日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2019年の日記です

     *

 田中千穂子さんのプレイセラピー(遊戯療法)の本を読んでいると、母子同席セラピー(別に父子同席でもいいんだけれど)のお話がよく出てくる。

 子どもさんを遊ばせながら、お母さんの悩みごとの相談をされている田中さんは、とてもていねいでこまやかな面接をされていて、感心させられる。

 そんな時に、不思議と子どもがいろいろな出来事をしでかしてくれて、お母さんはふと子どものお母さんに戻って、安心させられる場面が出てくる。

 母子同席のいいところだと思う。

 これが逆に、子どもがギャンギャン泣いているのに、ほったらかしで、自分の悩みに没入しているような時は、ちょっと心配。

 治療者が子どもに声掛けをしたりして、お母さんの現実感覚を少し揺さぶったりするだろう。

 親子同席面接の醍醐味はここにある。

 じーじのカウンセリングで、親子一緒を拒否しないのも同じ理由だ。

 親ごさんがどんなに悩んでいても、子どもと一緒の時は親ごさんになる。そのことはとても大切だろうと思う。

 悩みながらも親ごさんらしく、そんな親ごさんと一緒に問題を考えていきたいと思う。        (2019.12 記)

 

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生地新『児童福祉施設の心理ケア-力動精神医学からみた子どもの心』2017・岩崎学術出版社

2024年11月10日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2017年のブログです

     *  

 生地新さんの『児童福祉施設の心理ケア-力動精神医学からみた子どもの心』(2017・岩崎学術出版社)を読みました。

 とても勉強になりましたし、事例がすごいです。

 生地さんは児童精神科医で北里大学教授、そして、精神分析学会の前会長でもあります。

 温厚なかたで、あまり過激なことをおっしゃらないので、じーじなどは学会に出ていても、最近まで生地さんが児童精神科医でいらっしゃることを知らずにいて(生地さん、ごめんなさい)、生地さんのすばらしいお仕事に気づくのがずいぶん遅くなってしまいました。

 しかし、本書はいい本です。

 前半は、児童福祉施設に入所している子どもたちの様子やこころの発達状況などについてていねいに述べ、施設における心理療法の実際とスーパービジョンなどについて解説をされています。

 こどものこころや立場を本当に大切にして、細やかな配慮をされている様子がよくわかり、感動的です。

 後半は、事例の紹介と解説で、特に、境界例の母親に育てられた多動性の子どもさんの援助のケースは、じーじも家庭裁判所で同じようなケースを担当して苦労をした経験がありますので、その大変さがしみじみとわかり、こころが痛くなる思いでした。

 なかなかつらい事例もありますが、生地さんの子どもさんへの温かな思いと確かな力量が示されて、読んでいるうちにかすかな希望が胸の中に湧いてくるような印象も持てる本だと思います。

 今後も折にふれて、読んでいきたいなと思いました。         (2017 記)

 

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心理療法・イメージ・山中康裕さん-じーじのカウンセリング日記

2024年11月02日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2019年の日記です

     *

 BS放送大学の「心理療法とイメージ」を見る(5月にも少し見ていて、ブログがあるので、よかったら読んでみてください)。

 講師は放送大学大学院でお世話になった小野けい子先生。

 そして、先週の「箱庭療法」と今週の「MSSM法」のゲストがなんと山中康裕さん。

 このお二人による対談は、一流の学会でも実現できないような豪華で、贅沢で、アカデミックなもの。

 とても勉強になる。

 山中さんのお話には、河合隼雄さんや中井久夫さんも出てきて、とても楽しいし、参考になる。

 クライエントさんとの話し合いから臨床の方法が発展してきた、という山中さんのお話は貴重だ。

 小野先生もクライエントさんに合わせて、さらにそれに工夫を加えたりしていて、お二人とも創造的だな、と思う。

 そういうお話も聞けて、本当に豪華な番組だ。

 今後も暇を見つけて学んでいきたいと思う。      (2019.11 記)

     *

 2023年秋の追記です

 説明不足だったが、「MSSM法」(Mutual Scribble Story Making Method)というのは、描画療法の一つで、山中さんが心理療法家のナウンバークさんのスクリブル(なぐり描き法)や小児科医で精神分析家のウィニコットさんのスクイグル(相互なぐり描き法)を参考に考え出したもの。

 日本語では、交互ぐるぐる描き投影・物語統合法と訳され、治療者とクライエントさんが、画用紙に好きな線を描いて、そこに何が見えるか、絵を描いて、最後にクライエントさんがお話を作るという描画療法で、楽しみながらできる心理療法だと思う。      (2023.11 記)

 

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横山知行「『正しさ』の向こうに」2012・遊戯療法学会ニュースレター

2024年10月28日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2012年のブログです

     *

 精神科医で新潟大学教授の横山知行先生のエッセイ「『正しさ』の向こうに」を読みました。

 いいエッセイだと思いました。

 ある意味、痛快な文章です(横山先生は温厚なかたですから、じーじのように過激な表現はなさっていませんが…)。

 エビデンスの必要性に触れながらも、エビデンスだけでは測れない大切なもの、実証的な「正しさ」だけでは測れない大切なものの存在、それを忘れないことの大切さを述べられていると思いました(間違っていないと思うのですが…)。

 そして、遊戯療法における「間」の重要性を指摘され、ホイジンガさんを引いて遊びの時空間の中で展開される豊かな世界を掬い取ることの大切さを述べておられます。

 ホイジンガさんは以前に読んでいたのですが、大切なところを読み落としていました。

 もう一度、じっくりと読み直そうと思いました。

 いい課題をいただけたと思いました。

 改めて、遊戯療法の、そして「遊び」の奥深さを知らされた一文でした。     (2012.12 記)

     *

 2023年11月の追記です

 今から11年前の文章です。

 ホイジンガさんはまだきちんと再読をしていません。勉強不足です。

 できればカイヨワさんとウィニコットさんもきちんと再読をしようと思っているのですが…。頑張ります。     (2023.11 記)

     *

 2024年10月の追記です

 横山先生はじーじの放送大学大学院の修士論文の指導教員をしてくださった方。本当にお世話になりました。

 初めてお会いした時に、面会交流や幼児のこころの発達について質問をすると、本棚から数冊の参考文献をさっと出してきてくださって、じーじは、大学院の先生というのはすごいな!とびっくりさせられました。

 同時に、横山ゼミの卒業生や在学生でやっている勉強会に誘っていただいて、そこには博士課程で勉強している臨床心理士さんや大学教員の方々もいらして、とてもレベルの高い勉強会で本当に役に立ちました。

 じーじの臨床心理士としての基礎はこの勉強会で養われたと言っても過言ではありません。

 横山先生には遊戯療法学会や県の臨床心理士会の研修会でも、勉強になるお話をたくさん聞かせていただきました。     

 最初は全くの偶然の出会いだったのですが、すばらしい指導者に出会えたことを本当に感謝しています。      (2024.10 記)

 

 

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小倉清『子どもの危機にどう応えるか-時代性と精神科臨床』2020・岩崎学術出版社

2024年09月30日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2020年9月のブログです

     *

 小倉清さんの『子どもの危機にどう応えるか-時代性と精神科臨床』(2020・岩崎学術出版社)を読みました。

 新刊です。すごいですね。

 そして、とてもいい本です。

 小倉さんの最近の論文からちょっと古い論文までが並んでいて、それに小倉さん自身がコメントをつけています。

 このコメントがすごいです。辛口コメントばかり。

 人間、年を取ると、人にはともかく、自分には甘くなりがちですが、小倉さんは昔の自分にも容赦がありません。

 冷静に、しかし、「熱く」、昔の自分に注文をつける小倉さんは、とても素敵です。そして、尊敬できます。

 例によって、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、母乳を拒否した2歳の女の子の症例。

 家族や他人とうまく関係が持てないで騒ぐ女の子の初診で、小倉さんが女の子の心中を察知して、尊重し、何もしゃべらないままに診察を終えます。

 そして、それが、次回以降の治療に繋がったというケースです。すごいです。まるで手品のよう。

 しかし、小倉さんならではの技です。

 こんなことができるのは、あとは田中千穂子さんくらいではないでしょうか。

 二つめは、思春期に現れる乳幼児期来の諸問題、という論文。

 子どもの課題と諸問題を年代別に実に細かく、丁寧に説明をされていて、勉強になります。

 やはり当然ですが、治療者が子どもを尊重し、耳を傾け、丁寧に聴くことや心中を察することなどの大切さを改めて思い知らされます。

 さらに真剣に学んでいこうと思いました。      (2020.9 記)

     *

 2021年3月の追記です

 こんなことができるのは、田中千穂子さんくらいでは?と書いたのですが、もう一人、山中康裕さんを挙げるのを忘れていました(山中さん、ごめんなさい)。      (2021.3 記)

 

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小倉清『児童精神科ケース集-小倉清著作集別巻1』2008・岩崎学術出版社-正直さのちからに学ぶ

2024年09月28日 | 子どもの臨床に学ぶ

 たぶん2015年ころのブログです

     *   

 小倉清さんの『児童精神科ケース集-小倉清著作集別巻1』(2008・岩崎学術出版社)を再読しました。

 この本もかなり久しぶりの再読になってしまいました。

 いい本なのにもったいないというか、全くの勉強不足です。

 内容は11の症例報告と1つの公開ケーススーパーヴィジョンなどですが、やはりいずれも相当に「熱い」です。

 症例は多少の失敗も含めて、正直にていねいに検討がなされていて、とても参考になります。

 いい治療者というのは、本当に正直に失敗を含めて報告し、検討をするのだな、と改めて尊敬をさせられます。

 症例全体を読んで感じたのは、家族との関係がうまくいった症例で予後がいいな、ということ。

 症例の病理の深さによって仕方がないことだと思うのですが、家族の抵抗に遭い、治療が困難になるケースが多いようです。

 じーじも家庭裁判所で仕事をしている時に同じ印象を持ちましたが、病理の深い事例では家族との連携が難しく、事案の解決が困難になりやすい傾向があると思います。

 しかし、家族も悩んでいたり、不安に陥っているのも事実であり、そういう家族をも含めた援助が大切になるのだろうなと思います。

 一方、公開ケーススーパーヴィジョンもすばらしい内容です。

 こららは、ケース提供者が小倉さんで、スーパーヴァイザーがなんと小此木啓吾さん。

 1973年の精神分析学会での企画の報告です。

 小此木さんはじーじも調査官研修所でお話を聞いたことがありますし、このブログでも何冊かの本を紹介させていただいていますが、この頃から切れのいいご指導をされていたようで、このスーパーヴィジョンでも、明確化の質問や質問の仕方、タイミングがみごとで参考になります。

 小倉さんも正直な返答を返し、小此木さんと小倉さん、そして周りの方々も含めて、一つのケースがだんだんと解明される様子は読んでいて本当に感動的です。

 正直で、ていねいな臨床家の見本を間近に見るようで、自分も心して臨床に臨んでいきたいなと思いました。       (2015?記)

     *

 2021年秋の追記です

 正直、というのは、臨床家にとってすごく大切だって思います。

 失敗を正直に報告することだけでなく、カウンセリングの中で自分がどんなことを感じているかとか、どういう気持ちになっているのかに正直でないと(それを言葉にするかどうかはまた難しい議論になるのですが)、カウンセリングがうまくいかないように思います。

 奥が深い世界です。     (2021.9 記)

 

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小倉清『思春期の臨床-小倉清著作集2』2006・岩崎学術出版社-子どもの精神科医のていねいな面接に学ぶ

2024年09月27日 | 子どもの臨床に学ぶ

 たぶん2015年ころのブログです

     *   

 小倉清さんの『思春期の臨床-小倉清著作集2』(2006・岩崎学術出版社)を再読しました。

 この本もずいぶん久しぶりで、ところどころにアンダーラインや付箋があったのですが、例のごとく(?)ほとんど覚えておらず、またまた新鮮な気持ちで読ませていただきました。

 思春期の患者さんに対する小倉さんの思いもとても「熱く」、生半可な気持ちで関わることを戒められている箇所が多くあり、襟をただされる思いでした。

 また、この本では懐かしい論文に出合うことができました。

 例によって覚えてはいなかったのですが(?)、まずは「弱い父親-臨床ケースをとおして」という論文。

 これはずいぶん前に出た『父親の深層』(1984・有斐閣)という論文集に載っていたらしいのですが、まったく気がつきませんでした(小倉さん、ごめんなさい)。

 この本は、じーじが家庭裁判所で仕事をするようになって少したった頃の本で、日本の深層というシリーズの一冊でした。

 他に『母親の深層』や『子どもの深層』などという、どれもすばらしい執筆陣による、すばらしい内容のシリーズで、当時、熱中して読んだ記憶があります。

 そこに執筆されていたというのはさすが小倉さんです。

 もう一つの論文は、「過食の治療」。

 この論文は下坂幸三さんの編集した『過食の病理と治療』(1991・金剛出版)に収められていたらしいのですが、これも気がつきませんでした(小倉さん、またまたごめんなさい)。

 『過食の病理と治療』という本もとてもいい本で、何度か読んでいますが、この当時、下坂さんは摂食障害に関する本をたくさん出されていて、どの本も奥が深く、とても勉強になりました。

 特に、家族面接の記述がすばらしく、じーじも家庭裁判所で親子面接の時に参考にさせてもらったりしていました。

 親子面接や夫婦面接はその後も続けていますので、ずいぶんお世話になっていることになります。

 小倉さんのこの本を読むと、現場でその時にていねいな仕事をすることが即学問になるのだなと感心をさせられます。

 同じようなことはとてもできませんが、少しくらいは真似てもいいのかもしれません。

 さらに勉強を深めたいと思います。           (2015?記)

 

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小倉清『子どもの臨床-小倉清著作集1』2006・岩崎学術出版社-子どもの精神科医のていねいな面接に学ぶ

2024年09月26日 | 子どもの臨床に学ぶ

 たぶん2015年ころのブログです

     *    

 小倉清さんの『子どもの臨床-小倉清著作集1』(2006・岩崎学術出版社)を再読しました。

 この本も前に何回か読んでいますが、今回はたぶん5年ぶりくらいです。

 いつものことながら(?)、多少の記憶はあったのですが、内容をほとんど忘れていて、時々、アンダ-ラインのところや付箋のところに出合うと、懐かしさを覚えながらも、また新鮮な気持ちになって読ませてもらいました。

 論文集なので、いつもの「熱い」小倉さんが、それを内に秘めながらも、冷静に論述しているところが印象的です。

 巻頭論文は精神分析学会の学会賞受賞記念講演の論文。

 しかし、臨床現場第一主義の小倉さんらしく、ほとんどを事例のお話で通しているところがすごいなと思いました。

 論文はいずれもていねいな面接風景の描写とそれへの具体的な治療者・患者関係の考察で、とても勉強になります。

 そしてここでも治療者が生き残ることというテーマが出てきました。

 統合失調症の治療の例で、その困難さとそこで治療者が何があっても生き残ることの治療的重要さを強調されています。

 ふだん精神科デイケアでボランティアをさせていただいていて、少しずつ感じたり、考えたりしていることに、理論的なバックボーンを与えていただいている感じで、とても力になりました。

 今後もていねいに読み込んでいきたいなと思いました。            (2015?記)

     *   

 2018年の追記です

 去年秋の精神分析学会で、久しぶりに小倉さんのお姿を拝見しました。

 とてもお元気そうで、司会までされていました。

 最近は母子のデイケアで活動をされているそうで、その成果を学べる日も近そうです。

 そこからいろいろと深く学べることを楽しみにして、日々の勉強や生活を頑張りたいと思います。             (2018.10 記)

 

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岩宮恵子『生きにくい子どもたち-カウンセリング日誌から』2009・岩波現代文庫-ていねいな子どもの心理療法に学ぶ

2024年09月25日 | 子どもの臨床に学ぶ

 たぶん2014年ころのブログです

     *   

 岩宮恵子さんの『生きにくい子どもたち-カウンセリング日誌から』(2009・岩波現代文庫)を久しぶりに再読しました。

 文庫本は2009年以来の2回目だと思うのですが、だいぶご無沙汰をしていました(岩宮さん、ごめんなさい)。

 もっとも、1997年に出た単行本も何回か読んでいるので、この本にはずいぶん勉強をさせてもらっている本です(岩宮さん、ありがとうございます)。

 本の中では、とても丁寧な心理療法の様子が、たいへんこまやかに描かれていて、すごく参考になります。

 事例のひとつは、過剰適応の小学男子のケース。

 チックとおねしょという症状で来談をしますが、箱庭をする中で、自らのこころの無意識の部分をうまく統合して、生き生きとした自分を取り戻します。

 もうひとつは、拒食症の小学女子のケース。

 食事だけなく、唾も飲みこめないという重症例で、心理療法も難航をしますが、箱庭や絵画をやる中で、治療者との信頼関係を深め、少しずつ外界との接触を増やして、ついには病いを克服します。

 最後にすばらしいかぐや姫の絵を描いてカウンセリングルームを去っていくのですが、岩宮さんは彼女が本当にかぐや姫のような世界に生きていたことを理解して治療は終結します。

 いずれも感動的なケースで、岩宮さんは多少の失敗場面も正直に提示をし、それらも含めて心理療法の全体を丁寧に細やかに検討しています。

 とても勉強になるいい本です。

 丁寧な心理療法は、読む人のこころまでを、豊かに、優しく、温かくしてくれるものだと思います。     (2014?記) 

     *  

 2018年秋の追記です

 今日、新潟で開催される箱庭療法学会で岩宮さんの講義があるので、じーじも参加を申し込みました。

 どんなお話が聞けるか、とても楽しみです。     (2018. 10 記)

      *  

 同日夕方の追記です

 箱庭療法学会に行ってきました。

 岩宮さんのワークショップ、よかったです。

 若手治療者の事例を検討したのですが、岩宮さんならではの見立てがいろいろ聞けて、勉強になりました。

 印象に残ったのは、直接、現実に触れられないクライエントさんの象徴的な物語についていくことの大切さ。

 事例ではアニメの世界に付き合うことで、クライエントさんが元気になる過程がすごいと思いましたし、それをわかりやすくお話してくださる岩宮さんの力量に改めで感心させられました。

 さらに勉強をしていこうと思います。      (2018. 10 記)

     *

 2021年秋の追記です

 岩宮さんもこの本で失敗場面をきちんと提示して、事例全体と心理療法について検討をされておられます。

 すごいことだと思います、本当に。     (2021.9記)

 

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田中千穂子『母と子のこころの相談室』2009・山王出版-こまやかで丁寧な母子面接に学ぶ

2024年09月24日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2013年のブログです

     *

 今年は新潟も大雪で、しばらく冬眠をしていました(冬眠をするなんて、クマさんのようですね)。

 ようやく目覚めました。

 転勤の荷物整理の中で、田中千穂子さんの『母と子のこころの相談室』を再読しました。

 とてもよかったです。

 このすごさは読んでみなくてはわからないだろうなと思います。

 じーじが今回、読んでいて特にすごいなと思ったのは、プレイセラピーの時に砂をかけてきた子どもに対して、田中さんが、砂かけばばあが来た!、と言って、砂をかけられるという困難な事態の時に、それを砂かけばばあごっこという遊びにしたという事例。

 美人の田中さんでも時にはばばあ(?)になるんだと妙に感心をしてしまいました。

 また、じーじも尊敬をしている精神分析の藤山直樹さんの論文からの引用がたくさんあることに改めて気づき、これも大きな収穫でした。

 今、じーじは放送大学大学院の修士論文を作成している真っ最中なのですが、いい本を再読できたなと本当に思えました。      (2013.3 記)

     *

 2019年12月の追記です

 久しぶりに再読をしました。やはりいい本です。

 田中さんの丁寧でこまやかな臨床の様子がわかりやすく描かれていて、勉強になります。

 今回も一番印象に残ったのは、砂かけばばあごっこのシーン。

 プレイセラピーで砂をかけられて困っている時に、砂かけばばあが登場するという、その即興性と創造性に感心させられます。

 じーじもいつか砂かけじじい(?)になってみようかと思います。

 全編に子どもさんとおかあさんへの深い愛と確かな経験が満ちていて、感動的です。

 初学者のじーじにはまだ気づけない部分も多いと思いますので、さらに勉強を深めたいと思います。      (2019.12 記)

 

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小倉清『子どもの精神科医50年』2012・論創社-その2・ていねいで「熱い」子どもの精神科医に学ぶ

2024年09月20日 | 子どもの臨床に学ぶ

 たぶん2016年ころのブログです

     *  

 小倉清さんの『子どもの精神科医50年』(2012・論創社)を再読しました。

 2012年11月のブログでもご紹介させてもらっていますが、かなり久しぶりです。

 じーじの場合、なぜかいい本は4~5年ごとに読みたくなるようです。

 前回もふれていますが、とにかく「熱い」です。

 その「熱さ」は本当にすごいです。

 熱いことで有名な山中康裕さんもびっくりかもしれません(山中さん、ごめんなさい)。

 特に、医学生時代の「熱さ」のエピソードは痛快です。

 こういう情熱があるからこそ、すばらしい実践ができるのかもしれません。

 今回、勉強になったのは、ひとつは、現場でのやりとりをていねいに検討することの大切さということ。

 じーじも2カ月に一回、新潟の研究会で事例をていねいに検討させてもらっていますが、ひとつの事例を深く検討するということは、本当の意味でエヴィデンスを高めることにつながるような気がします。

 もうひとつ勉強になったのは、現在の認識が変われば過去の認識や事実が変わる、ということ。

 心理臨床の実践の現場では時々出会う現象ですが、現在の時点での認識の変化によって、過去についての認識だけでなく、過去の記憶や過去の物語、あるいは、過去の事実そのものが変わるという不思議な現象が確かにあるような気がします。

 フロイトさんのいう事後性ということはこのことかな、と少しだけわかるような気もします。

 今後もていねいな臨床でクライエントさんにより添いたいと思いました。       (2016?記)

 

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