ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

ボジョレヌーボー解禁のニュースを見て、じーじ怒る!-じーじのひとりごと

2024年11月21日 | ひとりごとを書く

 2016年のブログです 

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 先日、テレビを見てたら、ボジョレヌーボーが解禁になったというニュースが流れていました。

 どこのテレビ局でも、大騒ぎをしている映像が映っていました。

 しかし、じーじは???です。

 そんなに騒ぐことなのでしょうか。

 たしかに新酒のワインができて、それを祝うことはいいことだとは思うのですが、もっと素朴に祝えないのでしょうか。

 農家を中心に、もっと温かくお祝いをできないのでしょうか。

 そのほうが「ブドウさん」も喜んでくれそうな気がしますが…。

 おそらくは視聴率争いをしているマスコミが絡んでいるのではないか、とじーじは疑ってしまいます。

 もっともひどかったのは、ボジョレヌーボーのお風呂に入って大騒ぎをしている映像。

 なにを考えているのか、と思います。

 しかも、子どもと一緒に入っている親もいました。

 そんな子どもが、将来、ブドウや果物を大切にするようになるのでしょうか。人ごとながら心配です。

 子どもは騒ぎやニュースからは自由にしてあげたいな、と思います。 

 親が勝手に楽しむのはしょうがないとしても、子どもを親の都合や楽しみに巻き込んではいけないと思います。

 子どものことを第一に考えることは、「おとなの親」への第一歩です。

 いい「おとなの親」をめざしませんか。      (2016.12 記)

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 2022年11月の追記です

 じーじはこの頃から怒っていたのですね(!)。

 成長がないですねぇ。

 よくいえば、ぶれていないということですが…。       (2022.11 記)

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 2023年11月の追記です

 今年もワイン風呂のニュースが流れました。懲りない人たちですね。       (2023.11 記)

 

 

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マスコミは「警察官」さま(?)か?あるいは「裁判官」さま(?)なのか?・その2-じーじのひとりごと

2024年11月15日 | ひとりごとを書く

 2022年11月のブログです

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 ニュースを見ていたら、またまたマスコミ「警察官」さま(?)か、あるいは「裁判官」さま(?)の映像を見てしまった。

 ところは、大阪のとある開かずの踏切。

 1時間に踏切が閉まっているのが54分というとんでもない踏切。

 そんな踏切を放置している行政や鉄道会社の責任はとてつもなく大きいと思うが、そこに出現したのがマスコミ「裁判官」さま(?)。

 以前も指摘をしたが、違反をしている人にインタヴューをする。

 警報機が鳴っているのに踏切に入る人に、「危ないと思いませんか」「なんで警報機が鳴っているのに入るのですか」と小学生でもするような幼稚なインタヴューをする。

 インタヴューをされたあるおじさんは「待つのがいやなんだ」「みんなやっている」と当然逆ギレ。

 気分の悪いニュースとなった。

 テレビ局の記者は「警察官」さま(?)か「裁判官」さま(?)なのか。

 高い競争率を突破して記者になったのに、そんな質問しかできないのは悲しい。

 ここはやはり、「歩道橋があると助かりますよね」とか「地下道があるといいですよね」と聞いてほしいし、「行政はいつになったら高架にするんでしょうね」と確認をしてほしい。

 そういう声が、行政や鉄道会社の改善の動きを加速させるかもしれない。

 それがマスコミの仕事ではないのだろうか。

 そしてよく考えると、要は聞き方だけでなく、マスコミが誰により添っているか、という心構えの問題ではないのだろうかとも思う。

 マスコミは「警察官」さま(?)や「裁判官」さま(?)ではなく、庶民により添った、弱い者の味方のマスコミになってほしいな。        (2022.11 記)

 

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じーじが日の丸と君が代を嫌いになったわけを考えてみる-じーじのひとりごと

2024年11月13日 | ひとりごとを書く

 2024年11月のブログです

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 じーじが日の丸と君が代をきらいになったわけについて考えてみたい。

 じーじは子どもの頃、ゼロ戦のプラモデルが大好きだった。

 ゼロ戦だけでなく、隼や紫電改も好きだった。

 「少年マガジン」に連載されていたちばてつやさんの『紫電改のタカ』などは毎週、楽しみに読んでいた(もっとも、調べてみると、『紫電改のタカ』は反戦のマンガだったらしいが、当時だけでなく、つい最近まで、じーじはそれは知らなかった。ちばさん、ごめんなさい)。

 それがいつ頃からか、敵の戦闘機にも人間が載っていて、撃ち落されると死んでしまうんだ、とわかってきた。

 戦闘機だけでなく、戦車や戦艦にも人が載っていて、やはり人が死ぬんだ、とわかってきた。

 中学ではなくて、高校の時だったと思うが、歴史の教科書で、日本軍の兵隊さんが日の丸を背負って、中国を攻めている写真を見た。

 中国軍だけでなく、中国の民衆をも攻撃をしている写真もあった。

 これは衝撃だった。

 同じころ、ベルリンオリンピックのマラソンで優勝をした朝鮮人の選手が、日の丸を胸につけて、嬉しそうではない表情で表彰台にのぼっている写真も見た。これも衝撃だった。

 たぶん、このころから、じーじは日の丸が嫌いになったと思う。

 そして、君が代も、国民主権、主権在民とは合わない歌詞だと思うようになって、嫌いになった。

 就職の時、中学校の社会科の先生になりたかったが、日の丸・君が代の学校現場での強制が強まっていた。

 間違って裁判所に入ってしまったが、裁判所という国家権力の一端を担う現場では、なぜか日の丸・君が代の強制はなく、定年まで勤められた。

 中学校の先生になっていたら、入学式や卒業式で君が代を歌わずにおそらくくびになっていただろうと思う。

 じーじは子どもたちの入学式や卒業式に一度も出なかった。

 小心者のじーじは、子どもたちの目の前で、自分だけが起立をせず、君が代を歌わないで揉めるという勇気はなかった。

 子どもたちにはかわいそうなことをしてしまったと思うが、幸い、ばーばが君が代や日の丸に無関心な(?)人だったので、代わりに出席をしてもらって大助かりだった(?)。

 じーじの孫娘はチューリップの歌が大好きだ。

 どの花見ても♪~きれいだな♪~、という歌詞はいい。

 差別や偏見、分断とは無縁の世界だ。

 こういう国歌なら喜んで歌いたい。

 国旗もチューリップだったらいいなあ、と思う。

 日本の封建時代を壊したのは蘭学で、オランダは日本との縁が深い。

 日本の皇室とオランダの王室も仲がいい。

 チューリップの国歌や国旗は、平和と学問の象徴になりうるだろうと思う。

 こんな夢を見ていると、日の丸や君が代を尊敬することはできなくなってくる。

 他国への侵略を否定し、反省をしないのは、やはり卑怯だ。

 フロイトさんは、きちんと反省をしないと不幸を反復するという。

 他国への侵略を反復してはならない。

 日の丸や君が代が大好きな人たちに反対はしないし、歌ったり、踊ったりしてもらっても結構だが、嫌いな人への強制は困る。

 じーじは子どもたちの学校時代を除いては、日の丸や君が代に個人的な恨みはないが、嫌いなものは嫌いだ。

 困ったじーじである。        (2024.11 記)

 

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マイナンバーカードと健康保険証の連動あるいは一体化についての危惧-じーじのひとりごと

2024年10月21日 | ひとりごとを書く

 2022年10月のブログです

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 マイナンバーカードへの勧誘がすさまじい。

 特典の2万ポイントも税金から支払われるんだけどなあ、とじーじなどは思ってしまうが…。

 しかし、それ以上に気になることがある。

 それはマイナンバーカードと健康保険証の連動あるいは一体化の問題。

 内科や外科への受診歴ならそんなに気にならないかもしれないが、例えば、泌尿器科や性病科(そんな科があるのかな?)、肛門科などへの受診歴を国家が把握するのはちょっといやな気がする。

 産婦人科への受診歴はどうだろう?美容整形外科の受診歴が把握されるのはいやだろうなあ?

 もっと深刻なのは、精神科や神経内科への受診歴。

 これらの個人情報を国家が管理するのは危険だと思う。

 昔、政府によって知的障害者への強制不妊手術がなされ、最近になって民事裁判で国が敗訴、謝罪をしたばかり。

 マイナンバー制度がなくても、国の方針でこのような恐ろしい出来事が起こりえるわけだから、マイナンバーカードと健康保険証が連動するとかなり怖いし、危惧されるものがある。

 便利なことは危険を伴うということは現代社会の常識だが、マイナンバーカードについてももっともっと冷静な議論がなされる必要があるのではないだろうか。       (2022.10 記)

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 2023年5月の追記です

 マイナ保険証の大規模な登録ミスがとうとう判明した。

 自分の情報が他人のマイナ保険証に誤って登録されているという。

 7000件以上という発表だが、実際にはもっと多いのではないか。

 便利さと引き換えの危険性をもっと議論し、場合によっては、従来の安全な制度に戻すべきではないかと思う。      (2023.5 記)

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 2023年夏の追記です

 マイナンバーカードの問題があらわになっているが、将来、さらに、マイナンバーカードと運転免許証の一体化が予定されている。国が個人の違反歴や事故歴を把握してどうしたいのだろう。

 国はどこまで個人情報の一元化を狙っているのだろうと思う(新潟県ではマイナンバーカードと図書館カードの連動まで行われている)。

 さらに、預金口座の紐付け(それにしてもセンスのない命名だ)の問題。公金受領のためというが、いずれ税金徴収にも使われるのだろうと思う。

 じーじのような年金受給者はすでに、住民税や介護保険料は年金から天引きされているが、近い将来、国民全体がそうなるのだろう。国にとってはとても都合のいいシステムだ。

 このままでは、大変なことになるのではないだろうか。      (2023.7 記)

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 2024年冬の追記です

 マイナ保険証の不人気で、今度はマイナ保険証の利用率の高い医療機関に支援金を支給するという。

 支給金は税金ですよ、政府と自民党さん。

 北陸応援割もそうだが、政府と自民党のやることはお金で国民の歓心を買おうとしているだけ。

 本当に困っている人たちに寄り添っていると言えるのかな。

 キックバックやあやしいお金などで政治を動かしている人たちは、お金で国民も動かせると思っているのかもしれない。      (2024.1 記)

 

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マスコミは「警察官」さま(?)か、あるいは「裁判官」さま(?)なのか?・その1-じーじのひとりごと

2024年10月05日 | ひとりごとを書く

 2022年8月のブログです

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 ビールを呑みながらニュースを見ていたら、ある駅で、ロータリーの横断歩道を渡らずに、近道をしている利用者が多くて危険だ、というニュースがあった。

 近道をしている利用者へのインタヴューまであって、謝っている人もいるが、一方で、違反はわかるが、みんながやっているから、と逆切れ気味の人も出ていた。

 これを見ていて、テレビ局の人の言い分は正しいのかもしれないが、何かわりきれないものが残った。

 テレビ局は警察ではないし、裁判所でもないと思う。

 正論をいうことは簡単だが、しかし、マスコミなら、例えば、インタヴューをするにしても、ここに横断歩道があると助かりますよね、などと聞いてほしかった。

 そういうひと言があるだけで、聞かれた人はずいぶん助かるのでないかと思う。

 それが利用者や住民、国民に、より添うマスコミの姿ではないか、と思ったりした。

 近道の横断歩道は、安全上や道交法上から設置はなかなか難しいのかもしれないが、マスコミが「お上」になってしまっては、マスコミの存在価値がなくなってしまうだろうと思う。

 マスコミは「お上」の目線ではなく、あくまでも利用者や住民の目線を大切にしてほしいと思う。

 マスコミが誰の味方であるのか、誰の立場に立っているのか、憲法改悪や国葬のような大きな問題だけでなく、庶民の身近な問題をどう捉えるかが重要ではないかと思う。    (2022.8 記)

 

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戦争に反対することといじめに反対をすること-じーじのひとりごと

2024年08月13日 | ひとりごとを書く

 2015年のブログです

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 戦後70年ということで戦争反対のテレビ番組などを多く目にします。

 それはそれでとてもいいことだと思うのですが,そこに子どもたちが多く登場するのを見ると少し複雑な気持ちになります。

 もちろん,子どもたちが戦争反対について考えることはとても大切なことだとは思うのですが,個人的には,できれば子どもたちにはもっと目の前にある戦争,つまり,いじめなどの問題に反対をしてほしいと思うのです。

 いじめと戦争はつながっていると思います。

 弱いものをいじめるという点でまったく一緒です。

 もし,いじめを見ても,見ぬふりをしているようでは,とても戦争を防ぐことなどはできないと思います。

 いじめをとめようとすると,場合によっては自分もいじめられる可能性があります。

 いじめ反対を叫ぶことはとても勇気と正義感の必要な行為だと思います。

 いじめに反対をすることから,弱いものを守る本当の勇気が育つように思います。

 そして,それは子どもたちだけの問題ではありません。

 大人の社会でも,パワハラ,セクハラ,モラハラなどを見過ごしているようなことはないでしょうか。

 そこで勇気を出せないようなら,大人も弱いものを守れません。

 戦争反対も大切ですが,目の前の弱いものいじめに,まずは大人も子どもも反対をしていくことが大切だと思います。

 本当の平和はそこから始まるような気がします。     (2015 記)

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 2022年6月の追記です

 いじめの構図を見ていると、戦争の構図に似ているなあと思います。

 つまり、どちらも、見て見ぬふりをしている人たちの存在があって、成立しているということです。

 確かに、いじめも戦争も、それに反対を表明すると、こんどはその人がいじめられたり、攻撃されたりすることが多いですから、慎重にならざるをえないことは理解できます。

 しかし、そこで勇気を出さないと、いじめも戦争も終わりません。

 おとなもこどもも、目の前にある弱いものいじめから目をそらしては、後で後悔するでしょう。

 たいへんだけど、勇気が大切です。 

 そして、まずはおとなが、さまざまな事情はともあれ、戦争反対を唱えることが重要になるのではないでしょうか。    (2022.6 記)

 

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国家と国旗・国歌の関係、そして戦争-じーじのひとりごと

2024年06月25日 | ひとりごとを書く

 2017年のブログです

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 アメリカで国旗・国歌に対する姿勢が問題になっています。

 トランプ大統領が、彼独自の愛国観を国民全体に押し付けようとしたことが発端です。

 もちろん、国旗と国歌が国を象徴するものとして大切なのは理解できますが、力づくで従わせるようなものなのでしょうか。

 国家だって、時には間違った政策を行なうことがあります。

 いろいろ理屈をつけて他国を侵略することもあります。

 そんな時に、そういう政府に反対し、他国を侵略する軍隊への徴兵拒否や他国民を殺すことを拒否する自由は認められるべきでしょう。

 そうでないと、他国を侵略する政府が倒れるまで、国民は他国の人々の殺人を続けなければならなくなるのですから…。

 そういう意味で、国民には、今の政府や国家に反対し、異議を示す権利と自由が保障されることが、民主主義の基本となります。

 政府や国家の政策を力づくで押し付けてはならないですし、国民が反対したり、異議を唱える自由を保障しなければなりません。

 そういう民主主義の基本を理解していない政治家が偉そうにしている国はたいへんなことになります。

 日本の政治家も憲法改悪を唱える前に、民主主義の基本をもう一度勉強する必要がありそうです。

 そして、日の丸や君が代をアジアの人たちがどう感じているのか、どう思っているのかを考える必要もありそうです。     (2017.10 記)

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 2021年春の追記です

 香港やミャンマーの様子を見ていると、国家権力の横暴ということが人ごとではないな、と思い知らされます。     (2021.4 記)

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 2022年春の追記です

 ロシアがウクライナに侵攻し、悲惨な戦いが続いています。

 ロシアの若い兵隊さんの心境はどうなのでしょうか。     (2022.4 記)

 

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NHK・Eテレの「いないいないばあっ!」がおもしろいです!-じーじのひとりごと

2024年06月21日 | ひとりごとを書く

 2018年のブログです

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 テレビでおもしろい番組がない時や暗いニュースが続く時、じーじはNHKEテレにチャンネルを回して、「おかあさんといっしょ」や「いないいないばあっ!」を見ることが多いです。

 「おかさんといっしょ」もなかなかおもしろいのですが、さらにおもしろいのが「いないいないばあっ!」。

 思わず、引き込まれます。

 「おかあさんといっしょ」よりさらに小さい子どもたちが対象の番組ですが、子どもたちが本当にかわいい!

 恐竜のぬいぐるみのコスチュームで出てくる1~2歳の子どもたちが、おぼつかない足取りで、しかし、元気いっぱいに走り回ります。

 あっちでもこっちでも、ころんだり、ぶつかりそうになったりして、たいへん。

 体操が始まっても、みんなてんでバラバラで、1~2歳らしいです。

 なかでもびっくりするのが、ぬいぐるみのワンワン。

 ぬいぐるみなのに、動きがすごい!です。

 いろんな子ども番組にいろんなぬいぐるみが出ていますが、じーじの見るところ、ワンワンの動きの激しさが一番!

 中に入っている人が倒れないかと心配になるほどです。

 空を飛んだり、水上スキーが得意なガチャピンも、ワンワンの動きのすごさにはかなわない感じです。

 そして、ワンワンのいいところは、激しい動きの中に優しさが込められているところ。

 そうなのです。ワンワンはとっても優しいのです。

 転んで泣きそうな子どもをフォローしたり、その優しさは一級品です。

 そういうワンワンやかわいい子どもたちを見ていると、それだけで、生きているのはいいな、と思ってしまいます。

 明日もきっと、「いないいないばあっ!」を見てしまいそうなじーじです。      (2018.10 記)

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 2020年11月の追記です

 じつは今も毎朝、「いないいないばあっ!」を見ています(?)。

 いいですよねぇ。癒されます。嫌なことがあっても、元気が出てきます。

 じーじにとっても、とてもいい番組です。     (2020. 11 記)

 

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夢はなかなかかなわないと思う、でも生きていくことはできると思う-じーじのひとりごと

2024年06月15日 | ひとりごとを書く

 2022年3月のブログです

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 朝ドラを観ていて考えた。

 夢と挫折。

 スポーツ選手のインタヴューなどで、努力をすれば、夢は必ずかなう、という人がいる。

 確かに、努力をして、メダルを取る人はすばらしいと思う。

 ただ、そういう恵まれた人は少数ではないかとも思う。

 その陰には、努力をしても夢がかなわず、別な道に進んだりする人も多いだろう。

 夢はかなうものではなく、なかなかかなわないものだと思う。

 じーじの拙い文章で、青少年の夢を奪うことは避けたいが、人生とはそういう厳しいものだ。

 挫折は人生の常だ。

 でも、挫折をしても、そこで、また新しい夢を見つけることができるのも人間だ。

 新しい夢に向かって生きていくことは誰にでもできる。

 ひょっとすると、いろいろな夢を創造できることが、イコール、生きることなのかもしれない。

 夢に挫折をして、死んだ人生を送るより、新しい夢を見つけて、生き生きと生きていきませんか。     (2022.3 記)

  

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またまたマスコミ「裁判官」さま(?)を見てしまいました、です-じーじのひとりごと

2024年06月14日 | ひとりごとを書く

 2023年6月のブログです

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 昨日の夕方、ニュースを見ていると、またまたマスコミ「裁判官」さま(?)を見てしまう。

 ところは、とある交差点。

 右折待ちの車が渋滞をしている。

 たまに右折信号が出ても、右折できる車は5~6台。

 右折待ちの車は一向に減らない。

 そんなところに、交差点手前右側のコンビニ駐車場に右折をする車が出現、さっそくカメラが追いかける。

 記者が運転手に、危ないと思いませんか、迷惑に思う人がいますよ、と正論を述べる。

 運転手は沈黙。

 しかし、コンビニ駐車場に右折をする車が後を絶たない。

 カメラや記者は取材で大忙し。

 マスコミ「裁判官」さま(?)の大活躍。

 しかし、正論だけど…、何か違うな、と思う。

 マスコミならば、交差点の管理者である警察や市役所に、右折信号の実態を訴え、改善の余地はないのか、を取材すべきではないのか。

 弱いものいじめではなく、あぐらをかいている行政の責任を追及すべきではないか。

 取材の対象が違う感じがする。

 かりに運転手に取材をするにしても、右折信号がもう少し長いと助かりますよね、などと聞けないのかと思う。

 マスコミが「裁判官」さま(?)になってはいけないのではないか。

 後味の悪いニュースを見てしまった。      (2023.6 記)

 

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