ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

ジェイ・ルービン『村上春樹と私-日本の文学と文化に心を奪われた理由』2016・東洋経済新報社-村上さんを翻訳する(?)

2024年12月20日 | 随筆を読む

 2019年のブログです 

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 ジェイ・ルービンさんの『村上春樹と私-日本の文学と文化に心を奪われた理由』(2016・東洋経済新報社)を読みました。

 ルービンさんはハーバード大学の名誉教授、村上さんの『ノルウェイの森』や『ねじまき鳥クロニクル』などの翻訳で知られます。

 そのルービンさんの、村上さんとの出会いから最近の交流までを描いたエッセイです。

 面白いです。

 いろんな村上さんらしい逸話が出てきて、飽きません。

 例えば、ルービンさんのクラスで村上さんの『パン屋再襲撃』を取り上げた際、ルービンさんが、海底火山は何の象徴か?と学生にきくと、ゲストで来ていた村上さんが、火山は象徴ではない、ただの火山だ、あなたがたはお腹がすくと火山が思い浮かびませんか?僕は浮かぶんです、空腹だったから、と述べる場面が出てきて、象徴よりも物語を大切にする村上さんを描きます。

 また、村上さんが、夏目漱石の作品の中で『坑夫』が一番好きなこと、そして、『海辺のカフカ』の中で、カフカくんが、『坑夫』は何を書いたのかわからないという部分が不思議にこころに残る、と話す場面を挙げて、村上さんがやはり物語を大切にしていることを述べられていて、そういう村上さんを信頼している姿が印象的です。

 村上さんの小説の英訳についても、細かいことよりも、英文で読んで面白いかどうかを重視するという村上さんの姿勢に、同じようなものが感じられます。

 他にも、ルービンさんの『三四郎』の翻訳にまつわる村上さんとのできことや芥川龍之介の翻訳にまつわる村上さんとのエピソードなど、興味深い逸話が紹介されています。

 村上さんのエッセイと同じくらい、村上さんの世界が楽しめるいい本だと思います。         (2019.3 記)

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 2023年10月の追記です

 ルービンさんの挙げたカフカくんの言葉が気になって、その箇所を読んでみました。

 カフカくんが大島さんという青年と『坑夫』について話していて、この小説には体験からの教訓などが書かれていないことを挙げて、この小説はいったい何を言いたいんだろうって、でもなんていうのかな、そういう、なにを言いたいのかわからない、という部分が、不思議にこころに残るんだ、うまく説明できないけど、と述べています。

 また、次のところでは、彼にとって、自分で判断したとか選択したとか、そういうことってほとんどなにもないんです、なんていうのかな、すごく受け身です、でも僕は思うんだけど、人間というのはじっさいには、そんなに簡単に自分の力でものごとを選択したりできないんじゃないかな、とも述べています。

 不思議さを大切にして、人間の力には謙虚であるという村上ワールドが全開ですね。       (2023.10 記)

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 2024年12月の追記です

 じーじは、努力をすれば、夢は必ずかなう、という言葉が嫌いです(?)。

 他にもそう言っている方がいらっしゃいますし、じーじもそんな趣旨のブログを書いたことがあります。

 漱石さんの『坑夫』の主人公のように、夢に向かわない人生も拙いとは思うけれど、夢の向かいすぎるのも拙いような気がします。

 夢多き若者にはまことに申しわけないとは思いますが、人生、どんなに努力をしても、夢がかなわないことのほうが多いのではないかなあ、と考えています。

 しかし、夢は大切だと思いますし、それに向かっての努力も大切だ、と思っています。

 大事なことは、夢がかなわなかった時に、どうするかではないのかな、と思うのです。

 夢に固執してしまうのか、新たな夢に向かえるのか、そこが大きなポイントのような気がします。

 夢に押しつぶされずに、自由に頑張ってほしいと思います。        (2024.12 記)

 

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司馬遼太郎『北のまほろば-街道をゆく41』1997・朝日文芸文庫-「街道をゆく」を読む

2024年12月10日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

     *   

 司馬遼太郎さんの『北のまほろば-街道をゆく41』(1997・朝日文芸文庫)を再読しました。

 久しぶりです。 

 読むのは3回目くらいでしょうか。

 本書は司馬さんの1994年の青森の旅の紀行文。

 当時、『週刊朝日』に連載中に、なんと、三内丸山遺跡が発掘されるという大ニュースがあり、司馬さんは再度、訪れたりしています。

 まさに運命的な出会いですね。

 それまでにも、亀ヶ岡遺跡(宇宙人のような土偶で有名)や十三湖遺跡(アジアとも交流をしていた貿易港)を見て、古代の青森の偉大さに思いをはせていた司馬さんが、4500年前の縄文時代に栄えた大集落とその巨大な建造物を見て、さらに自らの考えを補強されたことは間違いありません。

 弥生人による米作中心の歴史が始まる前の、自然豊かな時代に青森を中心とする東北地方の縄文人はとても豊かな生活を送っていたことが実証されたわけで、画期的なことだったと思われます。

 しかも、そういう事実を何となく知っていたかのような記述をすでに江戸時代にしている菅江真澄も登場してきて、司馬さんの歴史観の確かさはすごいです。

 ちなみに、菅江真澄という人は江戸時代に北海道にも渡って、アイヌの生活を記録に収めており、じーじも大好きな旅行家・民俗学者・薬草家で、江戸時代の司馬さんみたいな人です。

 司馬さんのお話は縄文や遺跡に留まらず、いつものようにその博識ぶりは驚くばかりで、津軽、南部、下北のお話をくわしく展開されて、全くあきません。

 個人的には、戊辰戦争で負けて、下北半島に島流しにされた会津藩のお話が辛いです。

 戦争は人を悪魔のようにしてしまうということがよくわかります。

 じーじはなぜか敗者の歴史に共感してしまうきらいがありますが、いずれにしても戦争はよくありません。

 勝っても負けても、人が人でなくなってしまいます。

 青森の地に立つと、そういうことが実感できるのかもしれません。

 来年の夏は、北海道だけでなく、青森にも寄ってみたくなりました。         (2018. 12 記)

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 2023年12月の追記です

 その後、この翌年の2019年のゴールデンウィークに三内丸山遺跡などを訪れました。

 当時の拙い文章が、「ひとり旅で考える」欄にありますので、よろしかったら読んでみてください。        (2023.12 記)

 

 

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木田元・計見一雄『精神の哲学・肉体の哲学-形而上学的思考から自然的思考へ』2010・講談社

2024年11月29日 | 随筆を読む

 2015年のブログです

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 じーじが大好きで尊敬をしている哲学者・木田元さんの対談本『精神の哲学・肉体の哲学-形而上学的思考から自然的思考へ』(2010・講談社)』を読みました。

 木田さんはハイデガーさんを研究しながら,その著『存在と時間』の未完さを指摘し,従来のいわゆる西洋哲学全般の限界にも論及をして,「反哲学」を唱えた人。

 ギリシャ哲学からデカルトさんに至る西洋哲学をもっと広い視野から捉えなおした哲学者といえると思います。

 そして,本書でも紹介をしているニーチェさんやメルロ・ポンティさんなどの西洋哲学を超えようとした哲学者の考えを「肉体」の哲学として捉え,本書の中で紹介し,その本質に迫っていると思います(これで間違っていないと思うのですが…)。

 これは従来の心身二元論の限界から新しい総体的,総合的な一元論への見直しということになるのかもしれません(何を根源とするのかは議論がありそうですが…)。

 とにかく,これまでの哲学をいくつもの新しい視点から捉えなおしていて,とても知的刺激にあふれた内容になっています。

 また,対談者の計見さんも精神医学の立場から鋭い視点を提供していて,小気味よい本です。

 とはいえ,素人哲学ファンの悲しさ,読み込み不足は明らかで,これからも何回も読み込んで,考え,勉強をしていく必要がありそうです。       (2015.5 記)

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 2021年2月の追記です

 ここのところ、木田さんの哲学の本が気になっていて、年末からずっと読んできました。

 1冊くらいは感想文を書きたいと思っていたのですが、やはり理解不足らしく、なかなか書けずに本書にいたりました。

 6年ぶりの再読です。

 本書も、前のブログに書いた概要を超える感想は書けませんが、やはり大切なことが述べられているらしいということはわかる気がします。

 木田さんは、ご存じのかたもいらっしゃるかもしれませんが、海軍兵学校の時に間近で原子爆弾を体験、その後、「闇屋」になりそこねて(?)、ハイデガーさんを読みたくて東北大哲学科に入ったというかた。

 その経歴と同様、気さくで率直なかたで、専門書はともかく、エッセーなどは気軽に楽しく読めます。

 いずれご紹介できればな、と思っていますが、もう少し学びを深める必要がありそうです。         (2021.2 記)

 

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大沢たかお『深夜特急』’96熱風アジア編・’97西へ!ユーラシア編・’98飛光よ!ヨーロッパ編

2024年11月24日 | 随筆を読む

 2022年11月のブログです

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 大沢たかおさんが主演をした『深夜特急』(1996~1998)をかなり久しぶりに観る。

 20数年ぶりだ。

 大沢さんがとても若くて、はつらつとしている(当然かもしれないが…)。

 きっかけは、先日、沢木耕太郎さんの『深夜特急』の感想文を再掲した時にいただいたある方からのコメント。

「ブログを読んで、大沢たかおさんの『深夜特急』の動画を観てみたらとても面白くて、本も読んでみたくなりました」とあった。

 なるほど、そういう観方もあるんだ、と目からうろこで、さっそく観てみたら、懐かしさもあって、不覚にも(?)はまってしまった。

 例によって、なんとなく雰囲気だけは、おぼろげながらところどころ記憶があったが、ストーリーや映像はまったく覚えておらず、新鮮に(?)楽しんでしまった。

 とてもいい映像で、今観ても色あせない素敵な番組ではないかと思う。

 大沢さんの魅力が全開ですごくいい。

 旅のエピソードも、なかなか素敵で、大部分は原作にもあったかどうか記憶が定かでなかったが(主人公が風邪でダウンした時のフランス女性とのエピソードだけはなぜか(?)しっかりと覚えていた)、楽しかった。

 改めて、原作と映像は別物だと思ったし、それぞれの良さが感じられて、面白かった。

 じーじの場合、映像を観てから原作を読んでもあまり失望をすることはないが、原作を読んでから映像を観るとどうも不満を感じることが多いが、良い作品はやはり両立するものらしい。

 昔の映像の楽しみ方を教えていただいたので、記憶に残っているドラマやドキュメンタリーを少しずつ楽しんでいきたいなあと思う。     (2022.11 記)

 

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大島亮吉『山-随想-』1978・中公文庫-大正時代の大雪山登山の記録です

2024年11月17日 | 随筆を読む

 2022年11月のブログです

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 大島亮吉さんの『山-随想-』(1978・中公文庫)を再読する。

 ここのところ、大雪山の動画を観ていて、その中にクワウンナイ川という沢を遡る動画をいくつか発見、その沢の美しさに感動したが、以前たしか大島亮吉さんという昔の登山家がクワウンナイ川を遡った本を読んだことがあるのを思い出した。

 それで読んでみようと探したが、例によって、本棚の中になかなか見つけることができず、半月くらい探して(?)ようやく発見、再読をした。

 大島さんは慶応大学の学生だった大正時代に大雪山の山々を登った人。

 当時、大雪山には登山道がなく、沢から登っていたようで、大島さんはその頃、大雪山を研究していた小泉秀雄さん(上川中学校(今の旭川東高)の先生)の登山記録などをもとに登山をする。

 本書の中の「石狩岳より石狩川に沿うて」という一文にその記録が記されているが、大島さんの大正9年夏の11日間にわたる山歩きの記録で、とても感動的だ。

 一行は4人で、まずは松山温泉(今の天人峡温泉)からトムラウシ山を目指してクワウンナイ川を遡る。

 クワウンナイ川の滝の瀬十三丁と呼ばれる川床の描写がとても美しい。

 トムラウシに登頂後、石狩川の源流から石狩岳に登頂、その後、石狩川を下る。

 当時、ここらあたりは奥山盆地と呼ばれ、旭川の近文アイヌの人々がイワナ釣りやクマ狩りに訪れていたようで、大島さんらと彼らとの交流がとても印象的だ。

 大島さんのアイヌへの尊敬の念がひしひしと伝わってきて、こういうすばらしい日本人もいたのだなあ、と感動する。

 その後、大箱・小箱の難所をなんとか通過し、層雲別(今の層雲峡)の温泉に到着する。

 読んでいると、登山や山歩きというよりは探検という感じだが、読んでいるととてもわくわくして面白い。

 こういう人たちの貴重な報告の積み重ねがあって、今があるのだなあ、と思うと、歴史の大切さを感じてしまう。

 なお、本書の中にある「北海道の夏の山」という一文も同時代の十勝川上流の山歩きと川歩きの記録で、こちらにもアイヌの人々が登場し、なかなか感動的である。

 山好きの人に限らず、地理好き、歴史好き、民俗好きの人にも、とてもよい本だと思う。        (2022.11 記)

 

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司馬遼太郎『南蛮のみちⅡ-街道をゆく23』1988・朝日文芸文庫-「街道をゆく」を読む

2024年11月08日 | 随筆を読む

 2018年のブログです

     *   

 司馬遼太郎さんの『南蛮のみちⅡ-街道をゆく23』(1988・朝日文芸文庫)を再読しました。

 司馬さんの本の感想文を書くのはたぶん初めて。

 実はじーじは大の司馬さんフアンで、「街道をゆく」の北海道編などはそれこそ何回読んだかわからないくらいなのですが、なぜか今までブログは書かずにきました。

 しかし、じーじは電車に乗る時や病院の待合室などでは、必ずと言っていいほど、司馬さんの本を読んでいます。

 面白いですし、かといって、人前でプッと笑ってしまうような危険(?)もなく、安心して読めて、見た目もちょっと賢そうに見えそうな(?)、安全な本ではないかと思います(一方、じーじの経験では、川上弘美さんや椎名誠さん、村上春樹さんの一部のエッセイなどはやや危険(?)です)。

 さて、本書、1983年に『週刊朝日』に連載されたもの。

 じーじはこの文庫本を1997年に購入して読んでいるようなのですが、それにしても今読んでも全く色褪せていません。

 ちなみに、じーじは1973年に大学に入学して、新聞配達のアルバイトをしながら大学に通っていたのですが、その頃、新聞販売店に置いてあった『週刊朝日』に連載されていた司馬さんの「街道をゆく」シリーズを読むのを毎週、楽しみにしていたことを思い出します。

 本書は「街道をゆく」シリーズでも数少ない海外取材編ですが、司馬さんの豊富な知識と旺盛な好奇心と多少のユーモアから、とても質の高い旅行記兼エッセイになっています。

 スペインとポルトガル、スペインの落日を考え、ポルトガルと日本の関係などを冷静に、かつ、公平に、考察しています。

 挿し絵を描いている画家の須田剋太さんとのやり取りも絶妙で楽しめます。

 ポルトガルの描写などを読んでいると、日本との類似性も強く感じられ、親近感も湧いてきます。

 じーじのようなじいじいでも、一度くらい行ってみたいな、と思えるような感じがします。

 今後も、司馬さんの「街道をゆく」シリーズを読みながら、日本と海外の上質な旅を追体験したいな、と思いました。      (2018. 11 記)
 
 

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加藤博二『森林官が語る山の不思議-飛騨の山小屋から』2017・河出書房新社-山の不思議な物語です

2024年11月05日 | 随筆を読む

 2017年のブログです

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 加藤博二さんの『森林官が語る山の不思議-飛騨の山小屋から』(2017・河出書房新社)を読みました。

 といっても、戦後まもなくに出された『飛騨の山小屋』(1948・真実新聞社)という本の再刊ですので、昔の雰囲気が漂います。

 加藤さんには他に、『深山の棲息者たち』(1937・日本公論社)や『密林の怪女』(1940・日本公論社)という本があるらしいですが、題名からして少し怪しげな雰囲気ですし、また、戦時中にこのような本を書くというのもすごい感じがします。

 そして、この本も不思議な本です。

 なんといえばいいのでしょうか、山に暮らす人々の素朴な生活、貧しいゆえの哀しい話、昔の差別による辛い話、そのような中での一服の清涼剤のような物語、などなど、一口では表わせない山の人々のさまざまな生活、お話が描かれます。

 けっして幸せとはいえないのですが、しかし、そこにはなぜか落ち着きがあります。

 現代は便利ですが、なにかもの足りない感じがして、人々はなんとなく不安げでいるという時代ですが、漱石さんがいうまでもなく、どこかが間違っている気もします。

 再び、戦争や支配、侵略などの大きな失敗をする前に、もっともっと、人やこころを大切にするすべを真剣に考えてもいいころなのかもしれません。

 そんなことを考えさせられる、不思議だけれども、いい本です。          (2017. 11 記)

 

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渡辺一枝『チベットを馬で行く』2003・文春文庫-シーナさんの奥さんが馬でゆっくり巡るチベット紀行です

2024年11月04日 | 随筆を読む

 2021年11月のブログです

     *

 渡辺一枝さんの『チベットを馬で行く』(2003・文春文庫)を久しぶりに読む。

 一枝さんは、ご存じのかたもいらっしゃるだろうが、シーナさんの奥さん。

 シーナさんが世界中をズンガズンガと歩くのと対照的に、一枝さんはチベットを集中的に旅する。

 子育てに一段落してからの一技さんの熱狂的なチベット訪問は、シーナさんのエッセイを読んでいてもよくわかる。

 そんな一技さんが半年をかけて広大なチベットをテント生活で旅した記録だ。

 荷物や食料を同行する1台のトラックにサポートしてもらうが、案内人と馬や徒歩でのキャンプ旅行である。

 すごい!の一言。

 本当に好きでないとできないことだ。

 わざわざ馬で旅行をすることについて一技さんは、車の移動では気がつかないチベットの自然や人々の生活を知りたいため、という。

 たしかにそうだな、と思う。

 速いだけだけではわからないこと、ゆっくりゆえにわかることが世の中にはたくさんある。

 そして、ゆっくりの旅の中で、人は内省的になる。

 一技さんも、娘さんや息子さん、そして、シーナさんのことを想い、さらには母親や父親のことを想う。

 忙しい現代に貴重な紀行である。       (2021. 11 記)

 

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野田知佑『北極海へ』1995・文春文庫-野田さんのカナダ・マッケンジー川のカヌー単独行です

2024年11月03日 | 随筆を読む

 2021年11月のブログです

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 野田知佑さんの『北極海へ』(1995・文春文庫)をかなり久しぶりに読む。

 野田さんはジーナさんや立松和平さんのカヌーの師匠。

 シーナさんや太田和彦さんらと一緒にあやしい探検隊の中年部である「いやはや隊」のメンバーとして、世界各地でカヌーに乗ったり、キャンプ生活を楽しむ。

 また、カヌー犬「ガク」を育ってたことでも有名。

 本書は、その野田さんが1985年夏に、カナダ北部のマッケンジー川をカヌーで単独行した71日間の記録。

 マッケンジー川はカナダ北部から北極海までを流れる全長4240キロの川で、その流域はインデアンやイヌイットがポツポツと住む地域。

 そのマッケンジー川をキャンプをしながらカヌーの単独行で下るという、旅行というよりは冒険だ。

 テントのそばにはクマをはじめとして、いろんな動物が顔を出す。

 野田さんは護身用にライフルを所持するが、不思議とクマは野田さんが怒鳴るだけで退散する。

 まるで、知床の大瀬初三郎さんみたいだ。

 そのおおらかさが本書の魅力だ。

 インデアンやイヌイットの問題も出てくるが、カナダの自然の大きさと厳しさを感じると、人間のちっぽけさも自覚させられる。

 いろいろと疲れた時に読むと、いい本だと思う。       (2021.11 記)

 

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さとうち藍・文/関戸勇・写真『じいちゃんの自然教室』「月刊たくさんのふしぎ」2002年8月号・福音館書店

2024年11月02日 | 随筆を読む

 2017年のブログです

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 精神科デイケアのコラージュ用の絵本の本棚を眺めていたら、背表紙に「じいちゃん」という五文字が見えて、思わず手にしてしました(最近、じいちゃん、とか、じーじ、とかいう言葉に出合うとすぐ反応してしまいます!)。

 福音館書店の幼児用の「月刊たくさんのふしぎ」という雑誌(うちの子どもたちの時は読んでいなかったような気がします)の2002年8月号の『じいちゃんの自然教室』という本。

 高知県の農家のおじいちゃんが孫たちに川の魚や山の食べ物などの自然の恵みをいろいろと教えるという内容です。

 フムフムと読んでいるうちに気づいたのですが、著者がなんと、さとうち藍さんの文章と関戸勇さんの写真という豪華な組み合わせでした。

 このお二人の本は、今年8月のブログでご紹介させていただきましたが、『アイヌ式エコロジー生活-治造エカシに学ぶ、自然の知恵』(2008・小学館)という本と『武市の夢の庭』(2007・小学館)という本の二冊を読んだことがあります。

 どちらもいい本で、写真もすばらしく、お薦めの本です。

 そのお二人が、2002年当時、福音館の雑誌で仕事をしていたことを知り、なんだかうれしくなりました。

 当時の幼稚園児や保育園児もそろそろおとなの世代。

 自然の中で遊んだり、自然を大切にするおとなになっているか、知りたいところです。

 この間、2011年にはご存知のように福島の原発事故があり、自然は人間が守らないと未来にきちんと残せないことも再認識させられました。

 いろいろなことを考えさせられる2002年の福音館「たくさんのふしぎ」シリーズの一冊です。       (2017. 10 記)

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 2018年12月の追記です

 先日、再読をした沢木耕太郎さんの『246』に、沢木さんが「たくさんのふしぎ」1987年5月号『ハチヤさんの旅』を書いた時の取材記が載っています。

 沢木さんの娘さんの大活躍(?)も含めて、とても面白いです。

 それにしても、「たくさんのふしぎ」はすごい執筆陣ですね。        (2018. 12 記)

 

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田部重治『わが山旅五十年』1996・平凡社ライブラリー-明治から昭和にかけての自伝的山歩きの記録です

2024年10月13日 | 随筆を読む

 2023年10月のブログです

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 田部重治さんの『わが山旅五十年』(1996・平凡社ライブラリー)を読む。

 もう何回も読んでいるが、読むたびに明治時代から大正、昭和の日本の山歩きを楽しめる本だ。

 田部さんは、ご存じの人も多いかもしれないが、漱石門下の英文学者で、大学で英文学を教え、ワーズワースさんの詩などを研究されたかた。 

 そのかたわら、山の仲間と秩父の山歩きから始めて、日本アルプスなどを踏破し、日本山岳会の草創期のメンバーのお一人だったかたでもある。

 秩父の山歩きや日本アルプスの山登りなどの記録を記した田部さんの『山と渓谷』(新編・1993・岩波文庫)は日本の山の古典として有名だ。

 本書は、その田部さんの、自伝を含めての山歩きの記録で、興味深い。

 田部さんの文章は、英文学者なので当然かもしれないが、単なる山登りの記録ではなく、山歩きの美しさに読者をいざなってくださるところがすばらしい。

 文章が快活で、しかし、潤いがあって美しく、読んでいて、こころが落ちつくような感じがする。

 50年にわたる山歩きは多岐にわたるので、どこを読んでも十二分に楽しめるが、じーじの個人的には、笛吹川の沢登りや薬師岳の高原での思い出が大好きだ。

 リュックサックやテントがまだなかった時代に、ござや油紙を体に巻いて寝たりするところにはびっくりする。

 そういう時代の山登りや山歩きの記録がとても貴重で、楽しい。

 そして、こころ休まる。

 たまには、こういう山歩きを追体験してみるのもいいかもしれない。       (2023.10 記)

     *

 同日の追記です

 岩波文庫の田部重治『山と渓谷』(新編・1993)の編者である近藤信行さんの解説を読んでいたら、田部さんの東大英文科の卒業論文がなんと、キーツさん、らしい。

 まったくの偶然だが、自然の美しさを謳い、人生を考える田部さんの文章に、キーツさんやワーズワースさんが影響を与えているのかもしれない。

 

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野田知佑『風になれ波になれ-野田知佑カヌー対談集』1991・山と渓谷社-野田さんの素敵な対談集です

2024年10月12日 | 随筆を読む

 2022年10月のブログです

     *

 本棚を眺めていたら、すみっこのほうに、野田知佑さんの『風になれ波になれ-野田知佑カヌー対談集』(1991・山と渓谷社)を見つける。

 かなり久しぶりで、中身は当然忘れている。

 1991年の本だから、なんと31年ぶり(野田さん、ごめんなさい)。

 雑誌『山と渓谷』に連載された野田さんの対談シリーズをまとめた本だが、対談相手がすごい。

 椎名誠さんと椎名さんの奥さんの渡辺一枝さんは当然としても(?)、立松和平さん、倉本聰さん、C・W・ニコルさん、遠藤ケイさんなどなど、そうそうたるメンバー。

 じーじの大好きな人たちばかりで、じーじはそれぞれの人たちの本を何冊ずつかは持っているが、野田さんとの対談は、椎名夫婦を除いては初めてで、すごく面白い。

 毎回、野田さんと対談相手のみなさんが、全国各地の川でカヌーをして、お話をしているので、必然的に日本の川や自然や暮らしについてのお話になっていて、一種の文明批評にもなっている。

 倉本聰さんやニコルさん、遠藤ケイさんなどは、その田舎暮らしの経験からそれぞれに鋭い発言をされていて、刺激的だ。

 野田さんもいつになく(?)、インタヴュアーに徹していて、おもしろい(野田さん、再びごめんなさい)。

 また、渡辺一枝さんのお話は、なにか一編の詩を読んでいるようで、なかなかいい。

 とても素敵な本で、読後感がよく、気持ちがよくなる。

 都会暮らしで疲れた時には、また読みたいと思う本だ。        (2022.10 記)

 

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谷川俊太郎・徳永進『詩と死をむすぶもの-詩人と医師の往復書簡』2015・朝日新聞文庫

2024年10月08日 | 随筆を読む

 2015年のブログです

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 谷川さんと徳永さんの『詩と死をむすぶもの-詩人と医師の往復書簡』(2015・朝日新聞文庫)を読みました。

 お二人の往復書簡と対談の本です。

 感動しました。

 徳永さんはホスピスのお医者さんで,お二人のテーマは,死と詩。

 ただでさえ重いテーマですが,お二人の深い哀しみをふまえた真摯さと少しのユーモアで,生きているのもいいな,と思える本です。

 この時期,谷川さんの大親友である河合隼雄さんが脳梗塞で意識不明の時であり,大親友の容態を心配している谷川さんの発言は,読んでいても辛いものがありますが,しかし,大詩人の谷川さん,ある時には子どものように,ある時には老賢者のように,鋭い発言をされています。

 谷川さん自薦の詩もすてきなものばかり,久しぶりに谷川ワールドを堪能しました。        (2015.6 記)

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 2022年9月の追記です

 死というのは,、とても大きな、そして、難しい事実ですね。

 じーじも年をとって、周りには亡くなった人も多くなってきましたが、死を考えることはなかなか難しいです。

 しかし、死を恐れても仕方ないですし、まずは目の前の人生を精一杯、時には怠けながら、時には遊びながらも、生きていくことが大切なのかな、と思ったりしています。        (2022.9 記)

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 2024年1月の追記です

 河合隼雄さんと谷川俊太郎さんの対談『魂にメスはいらない-ユング心理学講義』(1993・講談社α文庫)を読むと、お二人の予断のない、真摯な対話の様子に感激します。

 すごい人たちは、分野を超えても、本当にすごいんだな、と感動します。      (2024.1 記)

 

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小林快次『恐竜まみれ-発掘現場は今日も命がけ』2022・新潮文庫ー恐竜発掘のおもしろいお話です

2024年10月03日 | 随筆を読む

 2023年9月のブログです

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 先日、テレビを見ていたら、モンゴルのゴビ砂漠で恐竜の化石を発掘する研究者たちのドキュメンタリーをやっていて、興味深く見た。

 おそらくはその研究者たちのメンバーのおひとりと思われる北海道大学の小林快次さんの『恐竜まみれ-発掘現場は今日も命がけ』(2022・新潮文庫)を読む。

 小林さんは恐竜で有名な(?)福井県の出身。

 子どもの頃からアンモナイトの発掘に熱中して、時にはアンモナイトを抱いて寝たこともあるという(すごいですね!)。

 アメリカの大学で恐竜の発掘を研究し、イギリスの学術雑誌『ネイチャー』に論文が載るほどの専門家でもある。

 2005年に北海道大学の先生になり、2014年に北海道むかわ町で「むかわ竜」を発掘した。

 そんな小林さんの恐竜発掘のお話であるが、これがとても面白い。

 発掘現場は命がけ、とは、恐竜の発掘現場が、アラスカ、ゴビ砂漠、カナダ、などなど、自然環境の厳しいところが多く、研究というよりは探検のような仕事になることをさしている。

 そんな探検のような発掘作業がユーモラスに記される。

 時には危険な目にも遭いながら、地道な発掘作業を続け、世界的な発見に繋がる様子は感動的だ。

 しかし、おそらく毎日の仕事は地味なのであろうし、食生活などもかなり地味だ。アラスカではくまさんとのかくれんぼもスリリングだ。

 じーじならとても耐えられないだろうし、学者さんも大変だなあと思うが、学問とはそんなものかもしれない。

 専門家になると、素人には見えない、わからない化石が見えてくる、というところは、なかなか示唆的だ。

 臨床でもそうかもしれないと思うし、他の分野でもそうかもしれないが、専門家というのは、素人では見えにくいものが見えると同時に、新しい発見にこころが開かれている存在なのかもしれない。

 いろいろなことを考えさせてくれるいい本だった。      (2023.9 記)

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 数日後の追記です

 今日、テレビを見ていたら、ゴビ砂漠での恐竜発掘のドキュメンタリーの再放送をやっていた。

 小林さんがメンバーのひとり、というより、小林さんを中心とした番組で、小林さんのすごさを再確認させられた。

 たくさんの恐竜の足跡を発見して、当時の恐竜たちの生活が見えます、とおっしゃる姿はプロだと思った。       (2023.9 記)

 

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北杜夫『どくとるマンボウ航海記』1965・角川文庫-シーナさんおすすめの楽しい航海記です

2024年10月02日 | 随筆を読む

 2021年10月のブログです

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 シーナさんの本を読んでいたら、北杜夫さんの『どくとるマンボウ航海記』(1965・角川文庫)をほめていたので、すごく久しぶりに読んでみる。

 じーじの持っている文庫本は1973年発行。

 定価140円。

 ちょうどじーじが大学に入った年だ。

 講義をきかずに、こんな本を一所懸命に読んでいた日々を思い出す。

 改めて読んでみると、この本、とても面白い。

 マンボウ先生のはちゃめちゃな行動が痛快。

 しかも、さすが、北杜夫さん、文章がうまい。

 やはりすごい小説家だ。

 シーナさんがほめるだけあって、冒険本としても一流だ。

 すっかり大航海の気分を味わう。

 それにしても、当時140円で買った文庫本を50年近く後でも楽しめるのは、本好きの醍醐味だろう。      (2021.10 記)

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 2022年9月の追記です

 今回で2回目のアップだと思うが、前回も今回も、いいね、をたくさんいただいて恐縮する。

 ただ、本書のブログを書いているかたが少なくてさみしい。

 いい航海記なのに、もっとたくさんの方々の感想を読んでみたいと思う。

 本書だけでなく、『マンボウ青春記』や『マンボウ医局記』なども傑作だ。

 ぜひ、これらの感想文を読ませてほしいな、と思う。      (2022.9 記)

 

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