ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

河合隼雄『子どもと悪』1997・岩波書店-「いい子」が自立をするために必要な「悪」を考える

2024年04月30日 | 河合隼雄さんを読む

 たぶん2016年ころのブログです

     *   

 河合隼雄さんの『子どもと悪』(1997・岩波書店)を再読しました。

 もう何回目になるでしょうか。

 1997年の本ですから、かれこれ20年くらい読んでいることになります。

 何回読んでも、いろいろと考えさせられる本ですし、河合さんの本の中でもじーじが大好きで重要な本の一冊だと思います。

 内容は、悪と創造、盗みの意味、暴力と攻撃性、うそと秘密、秘密と性、いじめ、子どもをとりまく悪、などなど。

 いずれも、子どもの成長や自立をめぐって、「悪」の大切さを考察しています。

 ここでいう「悪」とは、人間が自立をする際に、ギリシア神話の中で、神さまから「火」を盗んだことに象徴されるような意味での「悪」です。

 そして、それは、子どもが神さまならぬ親から自立をするときに必要なものを意味するようです。

 そういえばかつて「いい子」だった(?)じーじにも、いろいろと心当たりがあります(?)。

 河合さんは、「いい子」のさまざまな問題を指摘し、「いい子」が親や教師などにとっての「悪」を経験することで、本当に成長し、自立をすると述べます。

 そして、「悪」の重要性と、おとなが「悪」を排除せずに、それらを見守る大切さを説きます。

 なかなか難しいことですが、じいじになったじ-じにはとてもうなずける点です。

 おとなが子どもに、じぶんたちにとって「よい」ことだけを求めすぎると、弊害が大きいことは、ようやく世の中の人々もわかりかけてきたのではないかと思います。

 おとなが理解をもって、長い目で子どもたちのいろいろな試行錯誤をゆったりとした気持ちで見守っていけたらいいなと思います。(2016?記) 

     *  

 2018年秋の追記です 

 子どもの自立、おとなの成熟には、「悪」の問題と同じくらいに「秘密」の問題も大切だと思われます。  

 このことは精神分析でも重要なテーマで、土居健郎さんや藤山直樹さんなどが魅力的なお考えを述べられています。

 いずれご紹介できればと思ってます。    (2018.10 記)

     *

 2022年秋の追記です

 藤山直樹さんが『続・精神分析という営み』の中で、「秘密」と「はにかみ」について述べていて、おとなへの道を理解する参考になります。   (2022.10 記)

 

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雄大ですばらしい津軽海峡春景色(?)-じーじの2019東北の旅・2

2024年04月30日 | ひとり旅で考える

 2019年のブログです

     *

 昨日、4月30日は津軽半島の北端、竜飛崎に行ってきました。

 ここも前から来てみたかったところ、本州から北海道を眺めてみました。

 すばらしいです。

 雄大な眺め。

 北海道の渡島半島や百名山の駒ヶ岳、そして、函館山まで見えます。

 日本海には渡島大島と渡島小島。

 いずれも無人島ですが、なかなか立派です。

 小樽行きのフェリーから見たことはありましたが、本州から見るのは初めて。

 なかなか興味深いです。

 いずれも意外と近く感じます。

 小心者のじーじでさえ、行ってみたいな、と思ってしまいますので、昔の勇敢な縄文人はきっと丸木船で渡ったのではないでしょうか。

 北海道の黒曜石が三内丸山遺跡から出てきますので、おそらくそういう縄文人がいたのでしょう。

 あるいは、北海道のアイヌの人たちもそうだったのでしょうか。夢は広がります。

 そういえば、三内丸山遺跡からは新潟のヒスイも出てきますので、昔の新潟である古志のくにとも行き来があったに違いありません。

 縄文時代にもじーじのような旅好き(?)の縄文人がいたのかもしれません。

 そんなことを夢想すると、楽しいひとときが過ごせます。

 たまに旅に出ると、そんな大きな気持ちになれるところがいいですね。

 じーじの旅はもう少し続きます。    (2019.5 記)

 

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土居健郎『精神療法の臨床と指導』1967・医学書院-精神療法のすごさを学ぶ

2024年04月29日 | 精神療法に学ぶ

 たぶん2015年ころのブログです

     *   

 土居健郎さんの『精神療法の臨床と指導』(1967・医学書院)を相当久しぶりに再読しました。

 じーじがこの本を購入したのが1981年、家裁調査官研修所を修了する頃。

 その後、何回か読んで感動し、付箋やアンダーラインもいっぱいですが、ここしばらくはご無沙汰でした(土居さん、ごめんなさい)。

 久しぶりに読んだ本書はやはり刺激的でした。

 今はもう大家になっている人たちの若いころのケースを土居さんが指導しているのですが、その「きれ」がすごいです。

 そういえば、土居さんは調査官研修所にも指導に来てくださり、同期生のケースを午後半日かけて指導してもらったことがありました。

 こわい先生だとお聞きしていたので(土居さん、再びごめんなさい)、ケース提供者だけでなく、周りのじーじたちも緊張をしていたことを思い出します。

 土居さんの指導を読んでいると、同じケース資料を聞きながら、どうしてこんなに仮説が浮かび、それを確認する方法を思いつくのだろう?と本当に驚嘆します。

 アメリカの精神分析の本場で修業をしてきたからといえばそれまでですが、人間に対する熱意と愛情と研究心が半端ではありません。

 人間への尊厳が研究心を深めていくのでしょうか。

 少しでも見習えたらと思います。

 今回も、付箋やアンダーラインのなかったところで、感動する箇所が何か所もありました。

 まだまだケースの読みが浅いなと痛感させられます。

 有名な、わかるということは、わからないところがわかることだ、という文章も、すでに本書で出てきています。

 ケースにおける転移関係を自覚する重要さもわかりやすく指摘されています。

 いまさらながら、よくわかりました。

 今後もさらに読み込んでいきたい本だなと思いました。    (2015?記)

     *

 2020年2月の追記です   

 久しぶりに再読をしました。

 デイケアでボランティアをしながら読んでいましたが、土居さんのケースの読みの鋭さがすごい、と思いました。

 まるで外科医がメスで切開をするような感じです。

 同じケースを読みながら、わかる人にはわかるんだな、と改めて感心させられました。

 じーじの古びた小刀もいつの日か、切れ味が良くなるのでしょうか。

 まだまだ勉強不足です。    (2020.2 記)

     *

 2021年秋の追記です

 1年半ぶりに再読をしました。じーじにしては異例の早さ(えらい!えらい!)。

 やはりすごい本です。まるで推理小説を読んでいるかのようです。

 政治家にもこういう読みの深い人がいるといいのですが…。    (2021.10 記)

 

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桜満開の青森にやってきました-じーじの2019東北の旅・1

2024年04月29日 | ひとり旅で考える

 2019年のブログです

     *

 10連休ということで、ボランティアもお休みなので、じーじも貧乏旅に出ることにしました。

 目的地は青森の三内丸山遺跡。

 去年、司馬遼太郎さんの『北のまほろば』(街道をゆく)を読んで、一度行きたいと思い、今回、実現しました。

 4月27日に新潟を出発、その日は秋田の道の駅で車中泊、そして、28日の午後、三内丸山遺跡に着きました。

 すごかったです。 

 5000年前の縄文の人たちの遺跡。

 特に、大きくて高い物見やぐら(?)、すごいのひと言です。

 5000年前にあんな大きな建物を造るなんて、感動です。

 現代人にも負けていません。

 人の営みというものに感動をします。

 実際に見てみて、本当によかったと思いました。

 29日はこちらも念願の本州最北端の大間崎。

 本州から北海道を見てみたいと思い、行ってみたのですが、こちらもなかなかの眺め。

 北海道が大きく見えて、縄文人も渡ってみたくなっただろうな、と思いました。

 なんとなく、夢が大きくなるような不思議な感覚を味わえて、幸せなひとときでした。

 青森は今が桜の満開でとてもきれい。

 今年の春は桜の満開が2回も見れて、ラッキーです。

 長生きをすると、こういうこともあるのですね。

 今日30日は竜飛崎から北海道を眺めようと思っています。     (2019.4 記)

 

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青木省三『思春期こころのいる場所』2016・日本評論社、『ぼくらの中の発達障害』2012・ちくまプリマー新書

2024年04月28日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2016年のブログです

     *   

 青木省三さんの『思春期こころのいる場所』(2016・日本評論社)と『ぼくらの中の発達障害』(2012・ちくまプリマー新書)を読みました。

 青木さんのお名前は以前から存じ上げていたのですが、なかなか読む機会がありませんでした(青木さん、ごめんなさい)。

 しかし、先日、このブログでもご紹介をさせていただいた雑誌「こころの科学」の中井久夫さんの特集号で、青木さんの中井さんとの感動的な思い出のお話を読んで、今回、一気に2冊の本を読んでしまいました。

 いずれの本も、ていねいで細やかな、優しい、心配りのいきとどいた診察風景が印象的です。

 青木さんの診察は、発達障碍や統合失調症などといった病名にとらわれずに、患者さんの困っていることや悩んでいることにとことん寄り添い、そこに付き合って、少しずつ、少しずつ、改善に向けていく姿勢が特徴的です。

 同じ病名でも、病状がまったく同じ人はいない、ひとりひとりの病状にていねいに付き合う、という中井さんと同じ発想がそこには見えます。

 そして、スマートな切れ味の鋭さなどといったものとはまったく無縁の、悪く言えば、泥臭く、しかし、なんとなく温かみのある、人間くさい、なんだかホッとするような診察空間が感じられます。

 ここが青木さんの誠実さと実直さの真骨頂ではないでしょうか。

 いい精神科医がいるな、と安心できます。

 もっとも、じーじの舌足らずな解説を読むよりも、青木さんの温かく、しっかりとした文章をぜひ読んでみてください。

 得るところの多い、いい本だと思います。     (2016 記)

 

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うんどうかいがあるのですね。見にいきたいなあ-じいじからのおてがみ・セレクト

2024年04月28日 | じいじの手紙を書く

2022年4月、小6と小3の孫娘たちへのおてがみです

   *

さーちゃん・あーちゃん、メールとしゃしんをどうもありがとう。

ふたりともあいかわらずびじんちゃんですね。

こころがうつくしい人は、おかおもうつくしいらしいです。よしよし!

うんどうかいがあるのですね。

見にいきたいなあ。

100メートルと80メートルとリレーも走るのですね。すごいなあ!

このあいだ、こうえんであーちゃんとかけっこをしたら、あーちゃんがすごくはやくなっていて、びっくりしました。

さすがは3年生です。

こんどはさーちゃんともはしってみたいですね。

5月のれんきゅう、たのしみにしています。

にいがたのじいじより 

(2022.4 記)

 

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ウィニコット(牛島定信監訳ほか)『人間の本性-ウィニコットの講義録』2004・誠信書房

2024年04月27日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

     *   

 ウィニコットさんの『人間の本性-ウィニコットの講義録』(牛島定信監訳・館直彦訳、2004・誠信書房)を再読しました。

 これも、ものすごく久しぶりです。

 そういえば、ウィニコットさんのことはずいぶん引用するわりに、彼の本をきちんとご紹介するのは初めてかもしれません。

 いずれ、きちんとご紹介したいと思っているのですが…。

 さて、本書、イギリスの幼児教育や社会福祉などの大学院生に向けての子どもの発達やこころの発達についての講義。

 深い内容をていねいに話しています。

 人間の本性というのは human Nature の訳で人間性のことですが、人間の精神的、心理的な成熟について語っていると思います。

 いろいろなことが語られていて盛りだくさんですが、じーじが今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、精神分析について述べているところで、精神分析は認識することの増大と認識できないことへの耐性をもたらす、という点。

 ウィニコットさんらしいというか、逆説的な感じで、認識できないことへの耐性をもたらす、といわれると、なるほどと思います。深いですね。

 二つめは、ひきこもりについてで、退行した部分を有する人が、外的な関係を犠牲にしても、その部分の世話をしている状態、と述べていて、かなり肯定的にとらえていると思います。

 三つめは、人間の成熟についてのコメントで、成熟した人間の数が一定数以下ならば、民主主義は政治的実態ではなくなる、と明言しているところ。

 今の世界各国や日本の社会状況を見ていると本当にうなづけます。

 また、カウンセリングをやっていると政治と無関係という感じがしていましたが、人間が少しずつでも成熟する過程をお手伝いすることは真の民主主義を実現することにつながるのだな、今回、わかったように思います。

 なかなか勉強になる一冊です。             (2018 記)

     *

 2021年3月の追記です

 今ごろ気がついたのですが、認識できないことへの耐性、ということは、わからないことに耐えること、に通じそうですね。    (2021.3 記)

     *

 2023年11月の追記です

 以前は、カウンセリングで個人の悩みを解決しても、社会が変わらないと駄目ではないかという、心理学には限界があるのではないかという気持ちもどこかにあったのですが、この本を読んで、個人が人格的に成熟することで社会も変わりえるのだ、ということがわかって、とてもうれしく思った記憶があります。    (2023.11 記)

 

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村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか?-紀行文集』2018・文春文庫

2024年04月27日 | 村上春樹さんを読む

 2018年のブログです

     *   

 村上春樹さんの『ラオスにいったい何があるというんですか?-紀行文集』(2018・文春文庫)を読みました。

 2015年に単行本が出ていて、2回くらい読んでいたのですが、今回の文庫本には、その後にあった熊本地震の後に書かれた「熊本再訪」が収録されているとのことでしたので、さっそく買ってしまいました。

 やっぱりおもしろかったです。

 表題は、ラオスに行く途中に、飛行機の乗り継ぎで寄ったヴェトナムのハノイの人の言葉ですが、村上さんは、その何かを探すために旅をするのだと思う、と書いています。

 たしかに、団体旅行やパック旅行とは違って、自分の足で歩く旅というのは、そういうものかもしれません。

 今回の村上さんの旅は、ボストン、ニューヨーク、ギリシャ、イタリア、ラオス、アイスランド、フィンランド、熊本、などなど。

 アイスランドはじーじの大好きなシーナさんも訪れていて紀行文がありますが、なかなか興味深い国のようです。

 シーナさんも村上さんも、アイスランドの火山や生きもの、料理などをていねいに報告されていて、しかし、それぞれにお二人の人柄が出ている感じがあって、おもしろいです。

 特に、村上さんのパフィンの赤ちゃんのお話は、こころ温まるものでした。

 ギリシャとイタリアは、村上さんが昔、『ノルウェイの森』などを書いた思い出の地。

 当時、日本のバブル景気のバカ騒などから逃げて、静かな外国に出られた村上さんにとって、現在、現地の建物などは変わっても、人々の暮らしや人情などは、全然変わっていないことに安堵している姿が印象的です。

 ラオスでは、托鉢の僧侶と人々の姿を見て、「儀式の力」や「場の力」を考えます。

 また、ガムランの音楽を聴いて、「土着の底力」についても考えます。 

 いずれも、単なる理性だけでなく、無意識や宗教などについて深く考え、書いておられる村上さんならではの旅のように思われました。

 おもしろい旅の連続なのですが、そこには何か哀しみや慈しみが流れているような村上さんの旅行記は、読んでいてとても心地よいもので、読者もいい旅をしたような気分にさせられます。

 じーじも楽しく、そして、有意義な旅をさせていただいたように思います。    (2018.4 記)

     *

 2024年春の追記です

 追記が遅くなりましたが、シーナさんもラオスやベトナム、ミャンマーなどを旅しています。

 古き良き時代が残っていて、素敵な国々のようです。

 シーナさんものんびりといい旅をされています(今、ミャンマーは大変ですが、平和になることを祈っています)。    (2024.4 記)

 

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田中千穂子『ひきこもりの家族関係』2001・講談社-「ひきこもる」ことは、そんなに悪いことなのか!?

2024年04月26日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2018年のブログです

     *

 田中千穂子さんの『ひきこもりの家族関係』(2001・講談社+α新書)を再読しました。

 これもかなり久しぶりの再読です。

 田中さんは(じーじが勝手に尊敬し、大ファンである)本当に信頼できる力のある臨床家。

 子どもの遊戯療法などの本をこのブログでも何回かご紹介していますが、その臨床場面のていねいさと細やかさはすばらしいものがあります。

 その田中さんの「ひきこもり」論。

 本の帯には、「ひきこもる」ことは、そんなに悪いことなのか!?とあって、なかなか刺激的です。

 今回もいろいろと示唆を受けたのですが、その一つめは、ひきこもりは「対話する関係」の喪失、という視点。

 個人の病い、というとらえかたでなく、家族や友人らとの間で、対話をする関係が不十分なために、傷つき、人間関係から撤退している状態、ととらえます。

 二つめは、ひきこもったあとの親への試し。

 親からの安全感が十分でなかったという感情を抱きがちな人が多いので、親がどれくらい本気で心配をし、考えているのかを試す、といいます。

 これについては、田中さんは、無駄を承知で、無駄なことを繰り返して、行動で心配していることを示すのが大切、と述べます。

 三つめは、本人がひきこもりから脱出しようとする際に、うまくいけば吉、失敗すれば死、という極端さの傾向。

 そうではなくて、必要なことは、少しずつ徐々に成功と失敗をくり返していくことである、と説きます。

 田中さんは、本書では、ひきこもりの本人との心理療法ではなく、親ごさんとの心理療法をいくつも提示しています。

 いずれのケースでもその面接の中で細やかでていねいな関わりを示し、そのことが親子関係のありかたの見本やとらえ直しになって、回復に結びつく様子を見ることができます。

 難しい治療ですが、ていねいで確かな心理療法の一端を垣間見ることができると思います。    (2018 記)

     *

 2021年秋の追記です

 山中康裕さんが、お得意の「窓」論のほかに「内閉論」ということを述べられています。

 蝶が成長する時に、さなぎという、一見成長していないように見える時期があることに比して、人間も若い時に「内閉」の時期があり、実はそこでちからをたくわえているという視点で、ひきこもりにも有効な見方だと思います。    (2021.9 記)

 

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鳩沢佐美夫『コタンに死す-鳩沢佐美夫作品集』1973・新人物往来社-アイヌ民族からの叫びをきく

2024年04月26日 | 北海道を読む

 2020年4月のブログです

     *

 アイヌ民族の作家である鳩沢佐美夫さんの『コタンに死す-鳩沢佐美夫作品集』(1973・新人物往来社)を再読しました。

 この本は20年くらい前に帯広の古本屋さんで購入したもので、一度読んだきりだったのですが(鳩沢さん、ごめんなさい)、今回、すごく久しぶりに読みました。

 1973年、じーじが大学に入った年の本ですが、内容は全く古くありません。

 それどころか、アイヌの人々への差別問題だけでなく、最近、問題になった知的障碍者の避妊手術事件などがすでに描かれていて、作者の問題意識の深さにびっくりさせられます。

 短編集ですが、じーじは作者の自伝的な小説である二つの小説が印象に残りました。

 一つはおばあちゃんとの思い出話を描いたもの。

 おばあちゃんのアイヌ民族の知恵がたくさん描かれていて、美しい小説です。

 もう一つは、戦時下での小学生の姿を描いた小説。

 アイヌ民族ゆえにだんだんと差別をされる主人公の憤りと哀しみが描かれます。

 哀しいことですが、この現実を忘れてはならないと強く思います。

 これを読んでじーじは、小学生の頃に、貧乏な子や頭の悪い子をみんなと一緒になって馬鹿にしていた自分を思い出し、申し訳なさと自分への怒りでこころがいっぱいになりました。

 鳩沢さんの文章はとても美しい日本語です。

 日本語教育を受けたのだから当然かもしれませんが、下手な日本人の作家さんより美しいです。ましてや、今の若い作家よりはずっとうまいです。

 アイヌ民族の人たちとのことだけでなく、じーじたち自らの内にあるすべての差別意識についても、深く考えていきたいと思いました。    (2020.4 記)

 

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クリストファー・ボラス(館直彦ほか監訳)『精神分析の経験-事物のミステリー』2004・岩崎学術出版社

2024年04月25日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

     * 

 アメリカの精神分析家であるボラスさんの『精神分析の経験-事物のミステリー』(館直彦他監訳・2004・岩崎学術出版社)を再読しました。

 これもかなり久しぶりです。

 ボラスさんの本については、何冊かはこのブログにも感想を書いていますので、ご承知のかたもいらっしゃるかもしれません。

 アメリカ人ですが、イギリス独立派の精神分析を学んだ人で、ウィニコットさんやビオンさん、クラインさんなどの名前がたくさん出てきます。

 本書はその書名のとおり、精神分析という経験をていねいに描写して、その中で起きていることを学問的に考察しています。

 精神分析の経験がない人でも精神分析というできごとを想像できるような細やかな本だと思います。

 じーじも精神分析そのものの経験はなく、精神分析的心理療法の経験から想像をするしかないのですが、それでも精神分析の重要な概念や考えが多少は理解できるような内容になっていると思います。

 今回、勉強になったことの一つめは、ウィニコットさんのいう、二人でいて、一人でいる能力、の考え。

 じーじはこれまで、これは母子関係の中で、子どもが徐々に自立していく様子と単純に理解していました。

 しかし、これについては「本質的孤立」といって、成熟したおとなが、他者のいるところで一人でいるという能力に通じる大切な概念のようです。

 二つめは、破壊性の創造的側面ということ。

 これも基本は、母子関係の中で、母子分離のために、子どもが母親の(心理的)破壊を通して開放や自発性が起こる、と考えているようです。

 三つめは、これとも関連をしますが、母親が思いやりの中で子どもの(心理的)破壊を是認することで、子どもにすまなさや罪悪感が育ち、子どもがそれまでの万能感からの脱出や成長が可能となる、という考えです。

 いずれも、母子関係の中から、母親の愛情のもとで子どもがどう自立していくのかを考察し、成熟したおとなになる条件を考察していて、参考になります。

 今後も、臨床現場での経験をさらに積み重ねて、こういった概念を参考にし、確認をしながら、力のある臨床家になりたいと思いました。   (2018.5 記)

     *

 2020年11月の追記です

 よく考えると、ここでも、生き残ること、がテーマになっているようです。

 親が子どものわがままに耐えて、生き残ること、が子どもの自立や精神的成熟に大切なようです。    (2020.11 記)

 

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あーちゃん、さくぶんがじょうずになりましたね!-じいじからのおてがみ・セレクト

2024年04月25日 | じいじの手紙を書く

 2022年4月、小6と小3の孫娘へのお手紙です

     *

 さーちゃん・あーちゃん、げんきですか。

 じいじはげんきです。

 ばあばはすごくげんきです。

 あーちゃんのアルバム、まいにちみています。

 あーちゃん、さくぶんがじょうずになりましたね。

 マラソンたいかいのさくぶん、とてもいいですね。

 あーちゃんが、はしりながらおもったことやかんがえたことが、すなおにかかれていて、とてもすてきです。

 よんでいるじいじまでげんきになります。

 1ねんせいのときに、ママとえにっきをがんばったおかげかな?

 こんどまた、あたらしいさくぶんをかいたら、よませてください。たのしみにしています。

 そして、さーちゃんのさくぶんもぜひよんでみたいです。

 にいがたのじいじより     

 (2022.4 記)

 

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松木邦裕・藤山直樹『愛と死-生きていることの精神分析』2016・創元社-「生きること」と「生きていないこと」

2024年04月24日 | 藤山直樹さんを読む

 2018年のブログです

     *  

 松木邦裕さんと藤山直樹の『愛と死-生きていることの精神分析』(2016・創元社)を再読しました。

 じーじとしてはめずらしく(?)、2年目での再読です。

 それでも結構、忘れている部分が多くて、びっくりです。

 本書は創元社が主催する「精神分析スタディDAY」というセミナーの第7回の記録です。

 このセミナーはじーじも以前、一回だけ参加したことがありますが、深い内容の講義がなされ、それをもとに出版されている本もレベルが高く、参考になります。

 今回のテーマは、愛と死。

 なんだか小説の題のようですが、精神分析はなんだかんだと難しい議論がなされますが、しかし、やはりこの二つのテーマが重要だということだと思います。

 愛、というと、じーじなどはなんだか恥ずかしくなりますが、精神分析では、生きることは愛することだ、と藤山さんは言い切ります。

 そして、愛を支える生とそれを揺さぶる死を見つめることの大切さを論じています。

 一方の松木さんは、二つの症例を提示して、死んでいるように生きている患者さんの不毛さへの援助のあり方を論じています。

 いずれの症例も長期間の困難な治療ですが、参考になります。

 今回は、以前より、アンダーラインと付箋がだいぶ増えました。

 それだけ理解が深まっているといいのですが、どうでしょうか。

 愛と死を胸に秘めて、じーじは今日も勉強に励んでいきたいと思います。   (2018 記)

 

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坂本直行『山・原野・牧場-ある牧場の生活』1975・茗溪堂-直行さんの素敵な画文集です

2024年04月24日 | 北海道を読む

 2020年3月のブログです

     *

 先日、坂本直行さんの息子さんの坂本嵩さんの『開拓一家と動物たち』を読みましたので、こんどは直行さんご自身の『山・原野・牧場-ある牧場の生活』(1975・茗溪堂)を久しぶりに読みました。

 直行さんは何度もご紹介していますが、六花亭の包装紙の花の絵を描かれたかた。

 この本にもいくつかのきれいな草花の絵が描かれています。

 もっとも、直行さんが有名なのは花の絵だけではなく、山の絵もすばらしく、日高の山や利尻、大雪など数多くの山の絵を描かれていて、じーじの部屋にも直行さんの山の絵や花の絵が孫娘たちの絵と並んで(直行さん、ごめんなさい)、たくさん飾ってあります。

 本書は昭和初期に北海道の南十勝で開拓に従事した独身時代の直行さんと仲間の生活が描かれていますが、希望に燃えた若者の頑張りが読んでいて楽しいです。

 厳しい自然の中で、決して楽な開拓生活ではないのですが、青年らしい楽観的な生活が心地いいです。

 直行さんは北大の山岳部出身ですから、暇さえあれば山に行き、また、開拓地から見た美しい日高の山々の絵を描かれていて、本書は花の絵と山の絵、そして、開拓生活の絵が満載、カラーの絵もあって、直行さんファンにはまるで宝箱のような本です。

 本を読んでいると、また南十勝の農村や海岸を訪ねてみたくなります。

 今年の夏は、ぜひ南十勝の自然の中で、のんびりしたいな、と思いました。    (2020.3 記)

 

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松木邦裕・藤山直樹『精神分析の本質と方法』2015・創元社-精神分析に深く学ぶ

2024年04月23日 | 藤山直樹さんを読む

 2018年のブログです

     *  

 松木邦裕さんと藤山直樹さんの『精神分析の本質と方法』(2015・創元社)を再読しました。

 2015年の本ですから、のんびり屋のじーじとしては、めずらしく早めの(と、言っても3年ぶりですが…)再読です。

 松木さんと藤山さんのそれぞれの講義と討論からなっていますが、なかなか充実した内容で、奥が深いですし、やはり難しいです。

 特にじーじは、藤山さんの講義に感心させられましたし、刺激を受けましたが、自分の経験が少ないために、どれくらい理解ができているかとなると、かなり心もとない感じがします。

 それでも、勉強になったことを、一つ、二つ。

 一つめは、今、フロイトさんを読む意義。

 藤山さんは、精神分析を学ぶには、フロイトさんを読んで、フロイトさんと語り合うことが大切だ、といいます。

 フロイトさんの学説だけでなく、フロイトさんの迷いや不安を体感することから精神分析に近づくことができるのではないか、と述べます。

 藤山さんのような大家でも、何度も何度も読み返すそうですから、初学者のじーじなどはさらに読み込まなければなりません。

 二つめは、精神分析の面接の特異性。

 精神分析では、普通の心理療法と違って、親しい人間関係を目指すのではなく、あくまでも両者の間に起こる転移関係を「生きる」ことが大切、といいます。

 親しさを優先しない点で、精神分析は対面法の心理療法と大きく異なった技法のように感じられます。

 改めて、両者の違いに気づかされるとともに、より良き精神分析的心理療法の形を考えていく必要があるな、と考えさせられました。

 討論では、率直な藤山さんとあくまでも学術的な松木さんの好対照な姿勢が印象に残りました。

 しかし、お二人とも、個人開業の中で苦労しながらも精神分析を深められてきた先達であり、共通点も数多く、また、仲の良さや信頼しあっている様子がうかがわれて、本を読んでいてもとても心地よい雰囲気を感じることができました。

 いい本を再読できて、有意義なひとときを過ごしました。    (2018 記)

 

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