ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

武田専『分裂病という名の幻想』2003・元就出版社-精神分析で患者さんにより添う「熱い」精神科医に学ぶ

2025年02月28日 | 精神科臨床に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 武田専さんの『分裂病という名の幻想』(2003・元就出版社)を再読しました。

 武田さんは慶応大学医学部出身。

 後輩だった小此木啓吾さんの紹介で、日本の精神分析の先達である古沢平作さんから指導を受けました。

 今では精神分析の大家である西園昌久さんらと同期で、日本の精神分析を切り開いたかた。

 精神分析的な治療を行なう武田病院を創設されています。

 本書はその武田さんの回想録ですが、武田さんもかなり「熱い」(!)人です(武田さん、ごめんなさい)。

 やはりすごい人というのは、情熱的でなければ、その道を究めることが難しいのかもしれません。

 それだけに、読んでいて面白いですし、痛快。

 気持ちが晴れ晴れとしてきます。

 一方、統合失調症の患者さんや家族に向ける愛情はとても温かく、ていねいです。

 統合失調症の患者さんだけでなく、たくさんの症例の患者さんが紹介されますが、いずれの患者さんへの治療もていねいで、こころがこもっています。すごいな、と思います。

 「熱い」人は、弱い立場の人には優しいのだ、と思います。

 びっくりしたのは、武田さんも、眼はそれを探し求めるもの以外は見ることはできない、という言葉を引いていること。

 精神分析や精神療法における大切な点のようです。

 もっとも、世の中のこと、すべてに通じる言葉かもしれません。

 「熱さ」と冷静さ、武田さんの魅力が爆発しているかのような、楽しくて、感動的な本です。        (2019. 10 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 1954年、北海道生まれ  

    1977年、浦和、新潟家庭裁判所で家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

    2014年、放送大学大学院修了(臨床心理学プログラム・修士) 

    2017年、臨床心理士

 仕事 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを研究しています

 学会 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 mail  yuwa0421family@gmail.com    

コメント

サリヴァン(中井久夫ほか訳)『精神医学的面接』1986・みすず書房-妄想・仮説・要約

2025年02月23日 | 精神科臨床に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 アメリカの精神科医サリヴァンさんの『精神医学的面接』(中井久夫ほか訳・1986・みすず書房)を再読しました。

 すごく久しぶりで、たぶんようやく2回目くらいの再読です(サリヴァンさん、ごめんなさい)。

 結構厚い本で、真面目な勉強が大の苦手なじーじとしては、なんとなく再読が遅くなってしまいました。

 面接について、たまにはじっくりと勉強をしてみようと思って再読をしたのですが、まったくの偶然ですが、タイムリーなことに、精神科デイケアで妄想について考える必要があって、結果的にとても勉強になりました(こういうことがたまにあるので、読書はやめられません)。

 例によって、今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、複数の仮説について。

 以前にもどこかで出てきましたが、仮説を多く持つことの大切さです。

 おそらく視野が広く、深くなるのだと思います。

 反対に、一つの仮説では信仰になってしまう、とサリヴァンさんは警告します。

 二つめは、面接の要約の大切さ。

 これは下坂幸三さんも強調されていますが、面接の内容を再確認することで、クライエントさんの発言を客観化されることになり、さらに面接が深めるきっかけになるようです。

 三つめは、妄想への対応。

 サリヴァンさんは、妄想に暗黙の承認も否定もしないことが大切、と述べます。

 中井久夫さんは、加えて、ちょっと不思議がるのがいい、といわれます。

 いずれもなかなか難しいことですが、大切な実践であり、今後、経験を重ねていきたいと思います。        (2019.7 記)

     *

 2023年春の追記です

 一つの仮説では信仰になってしまう、というサリヴァンさんの言葉はいいですね。

 じーじが家裁調査官補だった時、指導官だった山野保さんも、仮説は3つ以上考えなさい、とおっしゃっていました。      (2023.3 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 1954年、北海道生まれ  

    1977年、浦和、新潟家庭裁判所で家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

    2014年、放送大学大学院修了(臨床心理学プログラム・修士) 

    2017年、臨床心理士

 仕事 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを研究しています

 学会 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 mail  yuwa0421family@gmail.com    

コメント

神田橋條治『医学部講義』2013・創元社-患者さんを大切にする精神科医に学ぶ

2025年02月23日 | 精神科臨床に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 神田橋條治さんの『医学部講義』(2013・創元社)を再読しました。

 これも久しぶり、しかしながら、大切なことがいっぱいです(再読が遅くなって、神田橋さん、ごめんなさい)。

 例によって、今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、マニュアル診察の弊害。

 マニュアルをチェックするだけの診察が横行していて、誤診が多発している状況に警告を発しています。

 そうではなくて、患者さんの全体を診て、診察をする大切さを強調されます。同感です。

 二つめは、これとも関連しますが、サリヴァンさんもいう「関与しながらの観察」の重要性。

 パソコンの画面を眺めるより、患者さんをよく診て、関わることの大切さを述べられます。

 これに関連して、「患者様」という表現に違和感を感じる、とも述べられます。これにも同感です。

 言葉だけを丁寧にしても、患者さんを丁寧にすることにはなりません。

 しかも、丁寧にしすぎで、人間味がなくなっています。

 ここで、中井久夫さんの『看護のための精神医学』(2001・医学書院)を薦められていて、いいタイミングです。

 そして、三つめは、神田橋さんも自身の失敗を隠さないこと。

 他の大家と同様ですが、すばらしい臨床家の資質の一つのようです。

 大切なことをいろいろと教えられ、また深く臨床を考えることができました。感謝します。        (2019.7 記)

     *

 2022年9月の追記です

 大切なことがいっぱい述べられている本ですね。

 早いうちに再読をしなくっちゃあ、と思います。         (2022.9 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 1954年、北海道生まれ  

    1977年、浦和、新潟家庭裁判所で家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

    2014年、放送大学大学院修了(臨床心理学プログラム・修士) 

    2017年、臨床心理士

 仕事 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを研究しています

 学会 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 mail  yuwa0421family@gmail.com    

コメント (2)

西丸四方『彷徨記-狂気を担って』1991・批評社-時代に流されない真摯な精神科医に学ぶ

2025年02月19日 | 精神科臨床に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 西丸四方さんの『彷徨記-狂気を担って』(1991・批評社)を再読しました。

 西丸さんはドイツの伝統的な精神医学であるシュナイダーやブロイアー、ヤスパースなどの本を翻訳されたかたで、松沢病院や信州大学病院などで精神科臨床にあたられたかた。

 その見識と実践はすごいです。

 偉い先生なのですが、飾りが全然なくて、いつも本音で語られている印象で、そのざっくばらんさは魅力です。

 幻聴についての考察など、オリジナルな発想で、とても興味深い検討がなされていて、じーじももう少し考えてみたいと思うところが多々ありました。

 また、精神科臨床の実践がとてもていねいで思わずうなってしまいます。

 トイレのたれ流しで、トイレットペーパーを集めてしまう患者さんについて、細やかにその日常行動を観察し、それまで誰もが気づかなかった不潔恐怖に気づき、ていねいな対策を講じた結果、患者さんの症状はなくなります。

 たんに精神病の症状だと皆があきらめていたことがらを解明するその姿に感動します。

 このような細やかで、ていねいな診療がいくつか紹介され、本当に感心させられます。

 他にも、東京裁判で東条英機の頭を叩いた大川周明さんの治療体験や精神病になった医学部の学生さんの治療経験など、西丸さんならではの経験も披露されます。

 いずれも真摯でていねいな精神科治療の実践例であり、経験の少ないじーじなどには宝の山のようです。

 こういう先達がおられることを誇りにして、少しでも近づけるよう努力していきたいと思いました。        (2019.6 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 1954年、北海道生まれ  

    1977年、浦和、新潟家庭裁判所で家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

    2014年、放送大学大学院修了(臨床心理学プログラム・修士) 

    2017年、臨床心理士

 仕事 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを研究しています

 学会 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 mail  yuwa0421family@gmail.com    

コメント

松木邦裕ほか編『精神病の精神分析的アプローチ-その実際と今日的意義』2008・金剛出版

2025年01月29日 | 精神科臨床に学ぶ

 2017年のブログです

     *

 松木邦裕・東中園聡編『精神病の精神分析的アプローチ-その実際と今日的意義』(2008・金剛出版)を再読しました。

 この本もかなり久しぶりの再読で、しかも、最初に読んだ時にはじーじの力量がとても貧弱だった時で、あまり理解をできずに終わってしまったという記憶がありました。

 今回、精神科デイケアでのボランティアも5年目に入り、以前よりは少しだけ精神病のことや精神分析的アプローチのことが理解できるかもしれないという淡い期待を持って読みました。

 しかし、やはり精神病という病いはなかなか難しい病いで、そのアプローチも並大抵のことでは難しいということを再認識させられました。

 そんな中、本書の著者らは、本当に地道な努力と患者さんとの協同作業で、一歩一歩患者さんの治療に当たっていることが読み取れます。

 今回、改めて勉強になったことはたくさんあるのですが、たとえば、精神病状態のこころの状況(これは解体・破滅不安といわれるようですが…)の理解とか、妄想の意味やそれへの対応の方法、転移と逆転移の読み取り、不安のコンテイン、その他もろもろ、です。

 これらの考え方が、具体的な事例をもとに述べられているので、じーじのような初級者でも多少は理解ができます。

 中級者であれば、さらに深く理解できるのではないかと思われます。

 現場でいろいろ経験していることと照らし合わせると、頷けることも出てきました。

 ケースが見える人は、本当にいろいろ見えて、いろいろな対応ができるんだな、と改めて感心をしました。

 少しでもそういうレベルになりたいですし、メンバーさんと協力作業ができるようになりたいものだ、とつくづく思いました。

 年寄りだからとあきらめないで、さらに少しずつでも勉強を積み重ねていこう、と思いました。       (2017 記)

コメント (4)

映画『レナードの朝』(1991)-精神神経疾患と闘う患者さんと医師らの勇気ある物語

2025年01月15日 | 精神科臨床に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

     *

 テレビを観ていたら、たまたまBSで、有名な映画『レナードの朝』が始まりました。

 なんとなく観はじめてみたら、とても面白くて、とうとう最後まで観てしまいました。 

 この有名な映画をじーじはこれまできちんと観たことがなく(レナードさん、ごめんなさい)、今回、初めてしっかりと観させてもらいました。

 いい映画です。

 途中からは涙を浮かべながら観ていました。

 感想をひと言で述べるのは難しいです。

 いろんなことを考えながら、観ていました。

 精神科医のあり方とは?精神科看護師のあり方とは?精神科職員のあり方とは?

 そして、患者さんの回復とは?などなど。

 問いかけられているテーマは深く、重く、多層的で、答えも難しいです。

 しかし、どのようなことにせよ、患者さんに、より添う、という姿勢やこころ構えは、不可欠なのだろうと思います。

 そして、それらは、決して同情ではなく、むしろ友情のようなもののように思われます。

 そういえば、土居健郎さんや木村敏さん、中井久夫さんは、患者さんへの尊敬の念が大切だ、とよく言われています。

 さらに、映画の主人公の精神科医は人見知りで未婚の中年男性で、そんな医師の孤独な生活と、一時的にせよ回復をしたレナードさんの恋愛模様とどっちが幸せなんだ、という鋭い問いかけもあります。

 回復をしたレナードさんが自立と反抗の時期を迎えて、年老いた母親を悲しませるという親子関係の課題も提起されます。

 その他、患者さんの老いの問題、夫婦の問題、などなど、投げかけられるテーマも多様で深いです。

 人生観が問われるいい映画です。

 また機会があれば、観たいと思います。       (2017?記)

     *

 2023年2月の追記です

 6年ぶりに観ました。

 あいかわらずいい映画です。

 何回観ても感動し、さまざまなことを考えさせられてしまいます。

 現実の辛さにも直面させられますが、レーナードさんの淡い恋愛と主治医のぶっきっちょな恋愛が少しだけ救いです。        (2023.2 記)

 

コメント

神田橋條治『精神科講義』2012・創元社-患者さんを大切にする精神科医に学ぶ

2024年12月19日 | 精神科臨床に学ぶ

 たぶん2017年ころのブログです

     *

 精神科医で精神療法家の神田橋條治さんの『精神科講義』(2012・創元社)を再読しました。

 神田橋さんは、じーじが若い頃、名著といわれている『精神科診断面接のコツ』(1984・岩崎学術出版社)や『精神療法面接のコツ』(1990・岩崎学術出版社)などという面接技法の本を読ませていただいて、心理療法の勉強をさせていただいたかたで、じーじにとっては、土居健郎さんや河合隼雄さんなどとともに重要な先生です。

 その神田橋先生の精神科医療についての本で、この本もじーじにとっては中井久夫さんの精神病についての何冊かの本と並んで大切な本です。

 今回がたぶん3回目の再読ではないかと思うのですが、アンダーラインでにぎやかなだけでなく、付箋があちこちにあって、本がだんだんと膨らんできてしまいました。

 それでも、今回、初めて気づいた箇所もあったりして、あいかわらず自分の読みの甘さを反省させられましたし、何回読んでもいい刺激になる大切な箇所もいっぱいあって、勉強になりました。

 今回、印象に残ったことのひとつは、他の大家もよく言われていることですが、心理療法において、わからないところをきくことの大切さ。

 すぐにわかった気にならないで、不思議なところ、よくわからないところをていねいにきくことの重要性を指摘されています。

 そして、共感というのは、わからないところをきいて、双方がわかるからこそ共感が生じる、と述べています。

 また、治療者が、ああでもない、こうでもない、といろいろきいているうちに、患者さんもそういうやりとりの中で気づきを得るからこそ、患者さん自身の気づきになる、ともおしゃっています。

 さらに、この時に、治療者の理解はできるだけがまんをして言わずにいて待つと、それが患者さんの気づきを得られやすくする、とも述べられています。

 このあたりは、治療者が事態を理解するだけでなく、患者さんも事態を理解できる道筋が示されていて、たいへん勉強になりました。

 他にも、相手を大切にすることが即自分を大切にすることになること、看護においては意見の統一より個性をいかすことが重要、パワーポイントの功罪と双方向の議論の大切さについて、などなど、勉強になることが多くありました。 

 なにより読んだ後にすがすがしい気分になれて、本当にいい本だと思います。

 いつかまた読んでみたいなと思いました。           (2017?記)

     *

 2024年3月の追記です

 今ごろ気がついたのですが、神田橋さんも、わからないことに耐えることの大切さ、を述べておられました。       (2024.3 記)

 

コメント

中井久夫『「つながり」の精神病理』2011・ちくま学芸文庫-ていねいな精神科治療のお手本に学ぶ

2024年11月27日 | 精神科臨床に学ぶ

 たぶん2016年ころのブログです

     *

 精神科医の中井久夫さんの『「つながり」の精神病理』(2011・ちくま学芸文庫)を再読しました。

 単行本の『個人とその家族』(1991・岩崎学術出版社)の時も含めるとたぶん5~6回目だと思いますが、もの忘れのせいか(?)、今回も全く新鮮な気持ち(!)で読めました。

 読んでいると、ところどころにアンダーラインや付箋の個所に出会うのですが、ほとんど内容を記憶していません。

 全く新しい本を読んでいるようで、なにか得をした気分のようでしたが、しかし、よく考えると、うれしいような、かなしいような、複雑な気分でした。

 そんな中で、今回、一番のインパクトがあったところ、それは精神病者の人格についての考察の文章でした。

 このところ、同じようなことを考えていたので(でも、ひょっとすると、以前、中井さんの本で読んだ内容が、今ごろ私の中で熟してきただけなのかもしれません)、とても参考になりました。

 例えば、多重人格の人は人格の分裂が過激、とか、境界例の人は人格の統合性が不十分、などと述べられ、一方、健康な人は人格が柔軟に分裂しているのではないか、と述べられています。

 そして、統合失調症の人は(昔は精神分裂病といわれましたが)、人格が分裂しているのではなく、適度な分裂ができずに、かえって解体の危機に直面をしているのではないか、という仮説を述べておられます。

 まさに卓見だと思います。

 中井さんが述べておられるように、精神的に健康な人とは、人格を状況に応じて柔軟に分裂できる人、人格の分裂に耐えられる人なのではないか、と思います。

 今後もさらに深く勉強を続けていきたいと思います。       (2016?記)

     *

 2021年1月の追記です

 人格の分裂、というとちょっと過激な印象を受けますが、たとえば、人はたまに子どもっぽくならないと、こころのバランスが悪くなるのではないかと思うのです。

 子どもっぽくなって、甘えて、自由奔放になることで、こころの健康を保つようなところがありそうです。

 遊びが大切なことをウィニコットさんが述べましたが、遊びがないと創造性もなくなって、生き生きとしたところがなくなります。

 たまに子どもっぽくなることはこころにとても大切なことのように思われます。       (2021.1 記)

 

コメント

中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』2007・医学書院-希望を失わないちから

2024年10月31日 | 精神科臨床に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 中井久夫さんの『こんなとき私はどうしてきたか』(2007・医学書院)を再読しました。

 たぶん、数年前、大学院の精神科実習の頃に購入したのではないかと思いますが、その後、2種類の付箋が貼られていますので、読むのは今回で3回目だと思います。

 本の帯に、希望を失わない力、とあって、統合失調症の患者さんへの細やかで、丁寧で、それでいて、実践的な配慮が綴られています。

 もともとはある精神病院の医師と看護師の研修会での講義をまとめた本で、とてもわかりやすく述べられている点が特色です。

 今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、妄想を語れる時期や独り言を語れる時期は、それまでの形のない恐怖に直面していた時期を抜け出した時にあたる、という指摘。

 とかく、妄想や独り言は否定的にとらえがちですが、肯定的な見方も提示していて、すごいな、と思います。

 二つめは、回復の度合いを、精神面でなく、身体面の診察で診るという視点。

 ともすると、患者さんは焦りもあって頑張りがちですので、それよりも、睡眠、寝起き感、食事(特に、味わえるかどうか)、口の渇き、便通、などなど、体の調子を細やかに検討することで、病気の回復具合がわかる、と述べています。卓見です。

 そして、三つめ。

 すごくびっくりしたのですが、中井さんも、シェイクスピアさんの『ハムレット』を引用していました(3回目でようやく気づくとは、自分のどんくささにあきれますが…)。

 それは、『ハムレット』にホレイショさんという誠実な家来が出てきますが、ハムレットさんとホレイショさんのあいだで、わからないことがいっぱいある、という命題が話題になるところを挙げて、中井さんは、ホレイショさんの原則となづけて、わからないことがいっぱいあるけど、でも、命にかかわるとはかぎらないよ、と話す、といいます。

 まさに、わからないことに耐える、わからないことを尊重する、というシェイクスピアさん、キーツさん、ビオンさん、メルツアーさんなどのさまざまな人たちの知恵の再現だと思います。

 考えれみれば、わからないことがあっても、それに動揺をしなければ不安にもなりにくいわけで、精神衛生は悪くなりにくいでしょう。 

 シェイクスピアさんはもっともっと大きなテーマも語っているような気もしますが、わからないことに耐える能力というのは、いずれにしても生きていくうえで、大なり小なり大切なことのようです。

 遅まきながらの大きな驚きにおおいに喜び、さらに勉強をしていこうと思いました。       (2019.2 記)

     *

 2021年1月の追記です

 中井さんも、わからないことに耐える、ことの大切さを挙げておられることに、この時にようやく気づいて、本当にびっくりした記憶があります(勉強不足を反省です)。

 あいまいさに耐えること、ネガティブ・ケイパビリティ(消極的能力・負の能力)の大切さです。

 さらに勉強をしなければ、と思います。      (2021.1 記)

     *

 2022年9月の追記です

 庄司薫さんの『さよなら怪傑黒頭巾』(1973・中公文庫)を再読していたら、なんとこのハムレットさんとホレイショさんの場面が引用されていました。

 大学1年生だったじーじは1回読んでいたのですが、素通りしてしまったようです。

 それでも、50年後に気づいただけでも偉いかな?      (2022.9 記)

     *

 2024年1月の追記です

 久しぶりに本書をぱらぱらと読んでいると、わからないことがいっぱいある、ということは、患者さんには新鮮な情報である、という記載に気がつきました。

 患者さんの妄想の一つに、みんなわかられている、というのがあって、それが否定されるのがホレイショの原則だというのです。

 中井さんはやはりすごいです。      (2024.1 記)

 

コメント (8)

木村敏『臨床哲学対話-あいだの哲学-木村敏対談集2』2017・青土社-精神医学と哲学の対話に学ぶ

2024年10月17日 | 精神科臨床に学ぶ

 2017年のブログです

     *

 木村敏さんの対談集『臨床哲学対話 あいだの哲学 木村敏対談集2』(2017・青土社)を読みました。

 とってもむずかしかったですが、とっても面白かったです(どこまで理解をできているかはやや不明(?)ですが…)。

 対談者は、坂部恵さん、中村雄一郎さん、柄谷行人さん、市川浩さん、中井久夫さん、村上陽一郎さんなどの、哲学者や思想家などをはじめとするそうそうたるメンバー。

 木村さんの「あいだ」の哲学を中心にすえて、人間の存在や精神病についての哲学的な議論が進みます。

 その議論をご紹介するのは凡人のじーじの手には余ります。

 ぜひご一読ください。

 今回、わからないなりに、じーじの印象に残ったのは、まずは、坂部恵さんとの対談。

 坂部さんは『仮面の解釈学』や『かたり』などで有名な哲学者で、じーじもそのご本は何冊か読んでいますが、とても面白く、刺激的です。

 坂部さんといえば、じーじが家裁調査官になった時に、坂部さんの『仮面の解釈学』を絶賛していた同期がいて、当時、じーじは坂部さんのお名前も知らなかったのですが、それから30年くらい遅れて読んで、感動した記憶があります。 

 今考えると、もったいないことをしたなと思いますが、読めただけでも幸運かもしれません。

 木村さんと坂部さんは、「作り」と「かたり」というテーマで対談をされていますが、人間の存在や「仮面」についての考察がなされます。

 「仮面」についてのところでは、レヴィナスさんも出てきてびっくりでした。

 もうひとつ、印象に残ったのが、市川さんや柄谷さん、中井さんとの対談で、ここでは、境界例は嗜癖、対人関係嗜癖である、という議論がなされ、今後の参考になりました。

 また、ここでも、人間の存在をめぐる議論でレヴィナスさんが出てきて、やはりレヴィナスさんという哲学者は大切な存在のように思われました。

 今、ちょうどレヴィナスさんの『全体性と無限』(2005・岩波文庫)を再読している最中なのですが、方向性は間違っていないのかなと自信になりました。

 回り道になろうとも、焦らずに、ゆっくりと勉強を続けていきたいと思います。       (2017 記) 

     *

 2020年秋の追記です

 じーじがレヴィナスさんに興味を持ったきっかけが何だったのか、しばらく思い出せなかったのですが、どうも木村さんの論文に刺激をされて読むようになったようです。

 なかなか難しくて、今も十分には理解ができていませんが…。        (2020.10 記)

 

コメント

木村敏『臨床哲学対話-いのちの臨床-木村敏対談集1』2017・青土社-精神医学と哲学の対話に学ぶ

2024年10月16日 | 精神科臨床に学ぶ

 2017年のブログです

     *

 精神科医の木村敏さんの『臨床哲学対話-いのちの臨床-木村敏対談集1』(2017・青土社)を読みました。

 木村さんの本を読むのは久しぶりでした(木村さん、ごめんなさい)。

 木村さんは名著『人と人の間-精神病理学的日本論』(1972・弘文堂)で有名で、当時、土居健郎さんの『「甘え」の構造』(1971・弘文堂)とともに一世を風靡しました。

 じーじは少し遅れて、1977年の就職後に、なぜか『分裂病の現象学』(1975・弘文堂)を読んで感動しました(こうしてみると、じつはこの頃から統合失調症に関心があったようですね)。

 そして、さらには『自覚の精神病理』(1970・紀伊国屋書店)などへと進んで、それからはずっと木村さんの著作と格闘しながら臨床をやってきた感じです(木村さんの本は難しいので、本当に格闘するという感じです)。

 今回の本は対談集なので比較的気軽に読めます。

 一番の収穫は、精神障碍者施設べてるの家のメンバーさんとの座談会の部分で、私はここで初めて、おそらくは木村さんのふだんの優しい、ていねいな精神科医ぶりを少しだけ拝見することができた感じがして、とても感動しました。

 高名な精神科医の先生ですが、さすがにその対話や面接の力量はお上手だなと感心させられました。

 また、同じく精神科医の中井久夫さんや安永浩さんとの鼎談も、三人三様のお人柄とお考えが垣間見られて、とても楽しく読ませていただきました。

 さらには、作曲家の武満徹さんとの対談では、それこそ木村さんの得意とする「あいだ」をめぐっての考察がくりひろげられ、知的好奇心をかき立てられました。

 ほかにも、有名な臨床家などとの対談があって、木村ファンには魅力的で、楽しく読める本だと思います。

 久しぶりに木村ワールドにひたって、知的な刺激をいっぱいいただき、元気になったような気がします。       (2017 記)

     *

 2024年10月の追記です

 口が悪いというか(?)、率直なお話をすることが多い精神科医で心理療法家の山中康裕さん(山中さん、ごめんなさい)は、名古屋市大時代に、教授の木村先生は面接が下手(?)なので、面接の上手な中井久夫さんを助教授にお招きした(?)、とある本で述べておられましたが、この本を読むと、木村さんの面接のうまさがよくわかりますね。       (2024.10 記)

 

コメント (2)

松木邦裕『精神病というこころ-どのようにして起こりいかに対応するか』2000・新曜社

2024年10月10日 | 精神科臨床に学ぶ

 たぶん2015年ころのブログです

     *

 精神科医で精神分析家の松木邦裕さんの『精神病というこころ-どのようにして起こりいかに対応するか』(2000・新曜社)を再読しました。

 ずいぶん久しぶりの再読ということで(松木さん、ごめんなさい)、ところどころにアンダーラインや付箋があるのですが、例によって(?)、ほとんど覚えておらず、おかげさまでとても新鮮に読みました。

 このところ、精神科デイケアで勉強をさせていただきながら、精神病患者さんの不安や迫害妄想、処罰妄想などと罪悪感、後ろめたさの投影といったことなどを少し考えているのですが、ちょうど参考になりそうな記述があったりして、とても勉強になりました。

 特に、精神病の患者さんが破滅不安から逃れるために不安を周りに投影し、迫害妄想を形成するという説明は、とてもよくわかるような気がしました。

 また、この本では、病理の理解だけでなく、それらへの対応もとても具体的で、裏づけがあって、参考になります。

 いずれも、精神分析のクライン派の妄想・分裂ポジションの考え方や精神分析家のビオンさんのもの想いの考え方などが基本になっているようですが、とても難しいのでさらに勉強の必要性を感じました。

 今後ももう少し精神科デイケアでお世話になりながら、勉強と経験を積み重ねていきたいと思います。      (2015?記)

     *

 2019年夏の追記です

 ボランティアでおじゃまをしている精神科デイケアでの最近の議論は、妄想のあるメンバーさんにいかに対応するかという点。

 精神科医の中井久夫さんなどの本を読むと、否定も肯定もせず、不思議がることがいい、とあるのですが、興奮気味にやや早口でしゃべるメンバーさんにうまく対応するのはなかなかむずかしいことです。

 しかし、妄想を無理になくすことの危なさも述べられていますので、ゆっくりとつきあっていければと思います。

 さらに勉強が必要です。      (2019.7 記)

 

コメント (2)

松木邦裕『精神科臨床での日常的冒険-限られた風景の中で』2001・金剛出版

2024年10月09日 | 精神科臨床に学ぶ

 たぶん2015年ころのブログです

     *

 精神科医で精神分析家の松木邦裕さんの『精神科臨床での日常的冒険-限られた風景の中で』(2001・金剛出版)を久しぶりに再読しました。

 何回目になるでしょうか。

 読みやすい本なので、家裁調査官の頃から精神科臨床のことを勉強するために読ませてもらっている本です。

 本は付箋でいっぱいですが、今回も勉強になったところが多くありました。

 一つめは、臨床家が生き残ることについて。

 松木さんは、とにかく、なんでも、持ちこたえなさい、といいます。

 まずはそれが大切なことのようです。

 二つめは、患者さんをおとな扱いすることの大切さ。

 さんづけで、患者さんの調子が悪い時でも、患者さんのおとなの部分と会話をすることの重要性を説きます。

 三つめは、患者さんも精神科臨床も10年以上のスパンで見ていくことの大切さ。

 ともすると、目の前のできごとに一喜一憂してしまいますが、患者さんも臨床も10年単位で見ていく大切さを述べています。

 その他にも、学ぶところが多くあって、やはりいい本です。

 読みやすい本ですが、中身は深く、経験を積めば積むほど、勉強になることが増えてくる本だと思います。

 さらに謙虚に経験を積み、学びを深めていきたいなと思いました。       (2015?記)

     *

 2022年5月の追記です

 10年以上のスパンで見ていくことの大切さ、ということは重要だと思います。

 統合失調症の患者さんに限らず、たとえば、パーソナリティ障害の患者さんなどもその治療は時間が必要なことが多いです。

 難しいことだとは思いますが、焦らないことが大切です。

 かりに一時的に症状が悪化しても、落胆する必要はありません。

 そして、症状が軽くなれば、その後は、治療とともに社会生活の中での成長が大切になると思います。       (2022.5 記)

 

コメント

木村敏『臨床哲学講義』2012・創元社-こころ・自己・生命を考える

2024年10月01日 | 精神科臨床に学ぶ

 2020年10月のブログです

     *

 木村敏さんの『臨床哲学講義』(2012・創元社)を再読しました。

 なんと8年ぶり。ご無沙汰してしまいました。

 木村さんは精神科医で精神病理学者。

 このブログでも何冊かの本を紹介させてもらっていますが、人と人のあいだ、とか、自己論、とかで有名です。

 じーじは、きっかけをよく記憶していないのですが、家裁調査官になって少しして、河合隼雄さんや土居健郎さんらに続いて、木村さんの本を読んだように思います。

 難しい内容でしたが、わからないなりにも頷けるところがあり、調査官研修所の修了論文は大胆にもユングと木村さんのことを書きました(今考えると、若気の至りで恥ずかしいです)。

 その後も木村さんの本を追いかけていますが、とにかく難しいので、どこまで理解できているか心もとありません。

 今回の本は、連続講演の記録ですので、少しは読みやすいのですが、中身はレベルが高いので、やはりなかなか難解です。

 それでも、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、精神の病いは、症状だけではなく、生き方や対人関係のあり方が大切だということ。

 現代の精神医学は、症状をDSMなどのマニュアルによって判断し、薬を処方しますが、本当に治療をするためには、人間学的な理解が大事になるといいます。卓見だと思います。

 二つめは、ちょっとびっくりしたのですが、フロイトさんの死の欲動への評価。

 フロイトさんが晩年に唱えた死の欲動については、精神分析家の間では評判があまり良くありませんが、木村さんの生命論とかなり近いところがあるようです。

 人が生まれ、死ぬということはどういうことなのか、かなり根源的なところを議論されていて、なかなか刺激的です。

 難しい本ですが、さらに読み深めていこうと思います。       (2020. 10 記)

     *

 同日の追記です

 木村さんの自伝(『精神医学から臨床哲学へ』2010・ミネルヴァ書房)を読んでいると、小学校時代、運動が苦手でいじめられっ子だった、と書かれています。

 そういえば、中井久夫さんもいじめられっ子だったとのこと。

 こんな大学者さんたちでも、子どもの時には苦労をされたのですね。        (2020. 10 記)

 

コメント (2)

木村敏・金井恵美子『私は本当に私なのか-自己論講義』1983・朝日出版社-「私とは?」を考える

2024年07月30日 | 精神科臨床に学ぶ

 たぶん2017年ころのブログです

     *

 精神科医の木村敏さんと作家金井恵美子さんの対談『私は本当に私なのか 自己論講義』を久しぶりに再読しました。

 1984年に買って読んでいるようなので、30数年ぶりです。

 買った時はまだじーじの臨床の実力が本当に初心者の時でしたので、あまり印象に残らずに今日まできてしまいました(木村さん、金井さん、ごめんなさい)。 

 今回は違います(?)。そうも言えませんが…。

 まず、今回、気がついたのが、作家金井さん相手に木村さんの優しい精神科医ぶり。

 診察室での精神科医、木村さんの温かい雰囲気がうかがわれます。

 難しい理論を構築される一面とはまた違った精神科医本来の木村さんを見るようです。

 もう一つ、気づいたことは、木村さんの精神病理学である臨床哲学の深化の途中経過をちょうど眺められる点。

 今ではかなり確立されている木村さんの自己論や生命論が、この本ではまだまだ深化途中の形で、少し荒っぽく、しかし、エネルギッシュに、大胆に、見ることができます。

 差異の差異化、場所の自己限定、自己の自己限定、など、懐かしい言葉が並びます。

 このような思索と経験の中から木村さんの臨床哲学が進化してきたんだな、と感慨深いものがあります。

 作家の金井さんに触発をされて、木村さんはていねいに細やかな考察を行なっており、以前よりは多少は力のついた(?)今の私でも、とてもスリリングに読めました。

 今後は30年も放っておかずに、10年くらい内には(まだ生きているかな?)また読みたいなと思います。 (2017?記)

        *

 2023年6月の追記です

 木村さんの自己論や生命論はかなり難解ですが、興味深いものがあります。

 自己や生命を完全に解明できているわけではないのだろうと思いますが、しかし、方向性は間違っていないような気がします。

 少なくとも、精神病の患者さんの自己のあり方を考えるうえではとても参考になります。

 今後も少しずつでも学んでいきたいなと思っています。       (2023.6 記)

 

コメント (2)