ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

精神科デイケアでボランティアをさせていただいて-純粋さと不器用さを生きることの苦しさ

2024年07月31日 | 心理臨床を考える

 たぶん2014年のブログです

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 少し前に、大学院の臨床心理学プログラムの精神科実習の授業で、新潟市内の精神病院の精神科病棟とデイケアで勉強をさせていただきました。

 そして、その後も勉強のために、同じデイケアで時々ボランティアをさせてもらっています。

 デイケアのメンバーさんは、みなさん、ふだんはとてもお元気で、優しく心配りをしてくださいます。

 じーじなんかより(?)、よっぽど立派な社会人です。

 でも、そんなメンバーさんが、時々、突然、体調を崩されることがあります。

 原因はわかりません。

 そこが精神疾患のなぞの部分です。

 一応、ストレスや頑張りすぎなどによる疲れなどが引き金になることが多いようで、スタッフのみなさんは十分に留意をされています。

 頑張りすぎといえば、みなさん学歴や才能がすばらしい人たちが多く(東大出身の人や音大出身の人など、私などは逆立ちをしてもかなわないような人が多いです)、小さいころからいろいろと頑張りすぎて発病をされたかたもいらっしゃるようです。

 みなさん、まじめな、頑張り屋さんが多い印象を受けます。

 純粋な、努力家だからこそ、なってしまう病気なのかもしれません。 

 病気にならない我々は適当に息抜きをして生きているのかもしれないです。

 そんな自分への反省と、純粋なメンバーさんたちへの尊敬の気持ちを大切にして、今後もさらに勉強を継けていきたいと思っています。    (2014?記)

 

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佐々木譲『樹林の罠』2022・角川春樹事務所-北海道警察の組織悪を暴いてしまった仲間たちの絆を描く

2024年07月31日 | 北海道を読む

 2023年7月のブログです

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 佐々木譲さんの『樹林の罠』(2022・角川春樹事務所)を読む。

 北海道警察・大通警察署シリーズの最新刊。

 まだ文庫本になっていないので、東川の図書館で単行本を読む。

 図書館で読んだ本の感想文を書くのは初めてかもしれない。

 主人公は何年か前に仲間とともに北海道警察の組織悪を暴いてしまったせいで、閑職に追いやられている佐伯宏一刑事。

 彼とその時の仲間たちがまたまた組織と対立してしまう物語だ。

 例によってあらすじは書かないが、やはり、組織と個人の問題、組織悪、官僚化などの問題が背景に浮かぶ。

 力のある者が、組織の都合で閑職に追いやられる世界。

 ここでは、北海道警察がやり玉に挙がっているが、他の警察や他のお役所、企業でも事情は同じであろう。

 佐伯刑事は殺人事件の合同捜査本部には呼ばれず、与えられた目の前の小さな事件に部下とともに取り組むが、地道な取り組みがだんだんと殺人事件の解決に近づく。

 昔、一緒に組織悪を暴いてしまった仲間たちのなにげない応援や協力の姿が楽しい。

 年配者や若者、女性が、誰に指示されたわけでもなく、力を合わせる姿は、日本の組織では夢物語のように思える。

 自立した個人というのは、組織のゆがみを乗り越えられるかもしれないという夢を与えてくれるかのようだ。

 ここがこのシリーズの読みどころなのかもしれない。

 組織に埋没しない自立した個人。

 まだまだこのシリーズが続いていくことを祈りたい。      (2023.7 記)

 

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木村敏・金井恵美子『私は本当に私なのか-自己論講義』1983・朝日出版社-「私とは?」を考える

2024年07月30日 | 精神科臨床に学ぶ

 たぶん2017年ころのブログです

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 精神科医の木村敏さんと作家金井恵美子さんの対談『私は本当に私なのか 自己論講義』を久しぶりに再読しました。

 1984年に買って読んでいるようなので、30数年ぶりです。

 買った時はまだじーじの臨床の実力が本当に初心者の時でしたので、あまり印象に残らずに今日まできてしまいました(木村さん、金井さん、ごめんなさい)。 

 今回は違います(?)。そうも言えませんが…。

 まず、今回、気がついたのが、作家金井さん相手に木村さんの優しい精神科医ぶり。

 診察室での精神科医、木村さんの温かい雰囲気がうかがわれます。

 難しい理論を構築される一面とはまた違った精神科医本来の木村さんを見るようです。

 もう一つ、気づいたことは、木村さんの精神病理学である臨床哲学の深化の途中経過をちょうど眺められる点。

 今ではかなり確立されている木村さんの自己論や生命論が、この本ではまだまだ深化途中の形で、少し荒っぽく、しかし、エネルギッシュに、大胆に、見ることができます。

 差異の差異化、場所の自己限定、自己の自己限定、など、懐かしい言葉が並びます。

 このような思索と経験の中から木村さんの臨床哲学が進化してきたんだな、と感慨深いものがあります。

 作家の金井さんに触発をされて、木村さんはていねいに細やかな考察を行なっており、以前よりは多少は力のついた(?)今の私でも、とてもスリリングに読めました。

 今後は30年も放っておかずに、10年くらい内には(まだ生きているかな?)また読みたいなと思います。 (2017?記)

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 2023年6月の追記です

 木村さんの自己論や生命論はかなり難解ですが、興味深いものがあります。

 自己や生命を完全に解明できているわけではないのだろうと思いますが、しかし、方向性は間違っていないような気がします。

 少なくとも、精神病の患者さんの自己のあり方を考えるうえではとても参考になります。

 今後も少しずつでも学んでいきたいなと思っています。       (2023.6 記)

 

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北海道東川町にいるカラスくんは人間の拍手が苦手なようです-じーじの2017北海道の旅

2024年07月30日 | ひとり旅で考える

 2017年のブログです

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 北海道東川町にいます。

 今朝の気温、14℃。 涼しいです(というか、少し寒いくらいです)。

 今回の旅で初めて長袖、長ズボンになりました。

 さて、東川町で散歩をしていると、よく電線の上でカラスくんが元気に鳴いています。

 北海道なので、オオワシさんやイヌワシさんの天下かと思ったのですが、どっこいカラスくんは元気です。

 あまりにやかましいので、うるさいのが苦手なじーじは、できれば空気銃でも撃って撃退したいところですが、ここはアメリカではなくて、日本。

 そこで、カラスくんの鳴き声の真似や、わんちゃんやねこちゃんの鳴き声の真似などをしてみたのですが駄目でした(昔、エゾリスさんやナキウサギさんを見つけた時には、鳴き声を真似すると、なんだ?なんだ?と驚いていたのですが…)。

 そこで、研究熱心(?)なじーじが、試しに拍手を、パーン、としてみると、電線の上のカラスくんがなんと動揺(!)して羽をバタバタ。

 これはいけるかも、とじーじーが続けて、パーン、と拍手をすると、カラスくんは、カアー(なんだよ!)、カアー(うるさいやつだな)、と鳴いて、去っていきました(でも、ひょっとすると拍手に弱い照れ屋さんなのかな?)。

 それからは、カラスくんがあまりにやかましい時には、パーン、と拍手をして撃退を試みています。

 カラスくんにだって、鳴きたい自由はあると思いますので、環境に優しく鳴いている時には、それを尊重したいと思いますが、あまりにやかましく、迷惑な時には、温厚なじーじも起ち上がります!(?)

 散歩をしながら、だんだんとワイルドなじーじになっていく北海道の旅を楽しんでいます。     (2017.8 記)

     * 

 2018年の追記です

 今朝の気温は17℃。

 ここしばらくは、さすがの東川町も夏の暑さが続いて、じーじはややグロッキー気味でしたが、8月に入って少し涼しく、年寄りには助かります。

 もっとも、カラスくんは今年も元気、あちこちでカアー、カアー、鳴いています。

 そこで、じーじは、あまりにもカラスくんがうるさい時には、その後、新潟でも鍛え上げた拍手攻撃(?)を試みています。

 やはり、怖いもの知らずのカラスくんでも、なぜか、拍手は苦手らしく、バーン、と拍手をすると、カアー(なんだよ!)、と逃げていきます。

 昨日も、あるお宅の近くにカラスくんがいっぱいで、やかましかったので、じーじが拍手をしようとした瞬間、家の中から、バーン、バーン、の音。

 うん?とじーじが驚くと、カラスくんも驚き、カラスくんは逃げていきます。

 じーじが逃げずによく観察をしてみると、どーも、拍手に似た音が出る装置の様子。

 どういう仕組みか機械音痴のじーじにはよくわかりませんが、カラスくんがうるさすぎると、バーン、バーン、と音を発するようです。

 世の中、頭のいい方がいらっしゃるな、と感心をしました。

 すごい町です、東川町。     (2018.8 記)
 

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佐々木譲『警官の酒場』2024・角川春樹事務所-仲間たちの信念と矜持、絆を描く

2024年07月29日 | 北海道を読む

 2024年7月のブログです

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 佐々木譲さんの『警官の酒場』(2024・角川春樹事務所)を読む。

 北海道警察・大通警察署シリーズの最新刊。第1シーズン完!とある(しくしく)。

 まだ文庫本になっていないので、楽しみにしていた東川の図書館で読む(?)。

 図書館で読んだ本の感想文を書くのはこれがたぶん2冊目(ごめんなさい、佐々木さん。文庫本になったら買いますね)。

 主人公は何年か前に仲間とともに北海道警察の組織悪を暴いて、捜査の第一線から外されている刑事。

 力のある者が、組織の都合で閑職に追いやられる世界。

 しかし、その実績を買われて最近は警部昇進試験の話がやかましい。

 もっとも、主人公は父親の介護を抱えて、身動きができない状態。

 以前、付き合っていた仲間の女性刑事との仲も未解決(?)だ。

 そんなところに、闇バイトによる強盗殺人事件が発生。

 詳しいあらすじは書かないが、主人公たちが、携帯の窃盗事件などを地道に捜査していると、偶然にも闇バイトの凶悪事件に近づいていく。

 さらに、ここに、以前の巻で、覚せい剤の前科があるというだけで、愛する女性と別れることになった若い刑事も絡む。

 さまざまな愛情と葛藤を抱えながらも、昔、一緒に組織悪を暴いてしまった仲間たちのなにげない応援や協力の姿が楽しい。

 信念と矜持によって自立した個人というのは、組織のゆがみを乗り越えられるかもしれないという夢を与えてくれるかのようだ。

 この仲間たちが気楽に集えるブラックバードという酒場が最後の舞台。

 覚せい剤の前科にとらわれて愛する女性を失った若い刑事が、おれはもう、警官でなくてもいい、と言って人質になり、命がけで女性を救うラストは美しい。

 若い刑事の行動を見て、主人公も先に進む決意をするところで、物語はいったん終了する。

 いい小説だなあ、とつくづく思う。     (2024.7 記)

  

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ニナ・コルタート(舘直彦監訳)『精神療法家として生き残ること-精神分析的精神療法の実践』2007・岩崎学術出版社

2024年07月29日 | 精神療法に学ぶ

 たぶん2015年ころのブログです

     *  

 イギリスの精神療法家ニナ・コルタートさんの『精神療法家として生き残ること-精神分析的精神療法の実践』(2007・岩崎学術出版社)を再読しました。

 2010年ころに初めて読んで、今回が2回目。

 いい本なのに、しばらく間が空いてしまいました。

 精神療法家が生き残ること、は最近のじーじの勉強のテーマの一つですが、コルタートさんのこの本がきっかけとなっています。

 生き残ることの大切さは、小児科医で精神分析家だったウィニコットさんが、赤ちゃんに乱暴をされても報復をしないで世話をするお母さんの姿を述べたものですが、その際、ほどよい母親、が重要と説かれています。

 お母さんといえども、完璧な人間はいないわけで、ほどよいお母さん、で十分であり、むしろ、そのことが、赤ちゃんの万能感を壊して、母子関係、二者関係に導くというものです。

 ここで、決して完ぺきではないお母さんは、赤ちゃんから攻撃をされますが、その際に、報復をせずに、生き残ることが大切で、生き残ることで、赤ちゃんがのちに罪悪感を育てることができることになります。

 こういった一連の母子関係が、治療関係でも起こることをウィニコットさんやそれ以降の精神分析家が指摘し、コルタートさんもこの線に沿って、ご自身のケースを丁寧に検討しながら論述をしています。

 また、今回、気づいたのは、フロイトさんと宗教の関係についての指摘で、フロイトさんの宗教、なかんづく、キリスト教への理解の不十分さを指摘し、精神分析がきちんとした宗教とは対立をしないのではないかと述べていて、なかなか刺激的です。

 今後もさらに深く読み込んで、思索と実践を深めていきたいと思いました。          (2015?記)

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 2020年12月の追記です

 攻撃をされても、報復をしないで耐えて生き残ることは親子関係だけでなく、心理療法においても重要なことですが、しかし、なかなか難しいことでもあります。

 じーじなどは未熟なので、すぐ顔に出てしまって、反省をすることが多いです。

 心理療法の大家のみなさんは、そんな時でも、その時のクライエントさんの心情を想像されたり、心的現実を理解をされたりして、生き残るようです。

 じーじはまだまだ修行不足、もっともっと勉強を続けなければなりません。        (2020. 12 記)

 

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狩野力八郎『重症人格障害の臨床研究-パーソナリティの病理と治療技法』2002・金剛出版-パーソナリティ障害とは?

2024年07月28日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

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 狩野力八郎さんの『重症人格障害の臨床研究-パーソナリティの病理と治療技法』(2002・金剛出版)を再読しました。

 この本もかなり久しぶりの再読です。

 昔、読んだ時に少し難しかったという印象が残っており、なんとなく再読が遅くなってしまいました。

 さて、昔よりは多少の経験を積んで読んでみた本書、でもやっぱり難しかったです。

 それでも、ところどころに出てくるアンダーラインに感心しながら、以前はこんなところに感動しながら読んでいたんだ、と少し懐かしい気分で読みました。

 パーソナリティ障害の人はデイケアでも出会いますし、家庭裁判所の現役時代にも数多くお会いして、結構、皆さん、お互いに苦労をされていると思います。

 そういうかたがたを援助する技法はとても大切なわけですが、しかし、こころの病ですからそう簡単に治るというものではなく、時間と粘り強さが必要となります。

 本書には、そういう工夫と症例が数多く載せられており、とても参考になります。

 今回は、以前より多くのアンダーラインと付箋で印をつけましたが、印象に残った第一の点は、面接で治療者が患者さんより話の先を行かないように気をつけることの重要さです。

 これは心理療法全般に大切な点だろうと思いますが、本書で改めて大切さを実感しました。

 第二は、激しい夫婦喧嘩を繰り広げる夫婦の家族療法の症例。

 夫婦同席面接で、ていねいな質問による明確化と言語化は、とても参考になります。

 すばらしいなあ、と感嘆するばかりでした。

 それでも、狩野さんは、冷静に振り返って反省をしたりしており、すごいな、と本当に感心させられます。

 おごらず、常に謙虚な姿勢が成長のポイント、と教えられました。

 久しぶりに読んだ本書は、やはり難しいところもありましたが、確実に勉強になる本でした。

 いずれまた、さらに経験を積んで、読みたいと思いました。         (2017?記)

     *   

 2020年2月の追記です

 じーじは昔からクライエントさんの話を早わかりしてしまうくせがあって、先輩に指摘されますが、最近は年のせいか、さらにせっかちになっているようで反省です。

 また、同じ日本語であっても、クライエントさんのいう意味とじーじのいう意味が、同じでないことが多々ありますので、クライエントさんの意味するところをふくらませてもらって、より明確にすることが大切だなと感じています。      (2020.2 記)

     *

 2020年12月の追記です

 下坂幸三さんが、面接で大切なことの一つとして、患者さんの話したことを「なぞる」ことの重要性を挙げておられます。

 こういうことをきちんと実践できれば、患者さんの話の先を行ってしまったり、早わかりしてしまうことも減りそうです。      (2020. 12 記)

 

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北海道東川町の町立日本語学校で学ぶ外国人留学生の若者たちの活躍ぶりはすごいです!-じーじの2017北海道の旅

2024年07月28日 | ひとり旅で考える

 2017年のブログです

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 北海道東川町に滞在しています。

 滞在というと格好がいいですが、じーじの場合は道の駅で愛車タントくんの中で車中泊をしています。

 食事は近くのコンビニやスーパで買って食べます。

 東川町のコンビやスーパーに行くと、レジには外国人の留学生のアルバイトの人が多いです。

 彼女らや彼らは日本語がとてもうまく(じーじの日本語より正確ですし、敬語もばっちりです)、なによりレジの操作ができるのがすごいです。 

 じーじはじじいなので、機械が苦手で、レジのパートもできません。

 留学生のみなさんはすごいです。

 ここのブログでも何回か紹介をさせてもらっていますが、東川町には、全国で唯一の町立の日本語学校があって、外国の若者たちが元気に日本語の勉強をしています。

 最近は、留学生のみなさんの実力もかなり向上していて、コンビニやスーパーなどでアルバイトができるようになっているようです。

 東川の日本語学校もすごいですし、そこで学ぶ外国人留学生のみなさんもすごいです。

 町は国際的で、とてもアカデミックな雰囲気です。

 地元の農家の人たちにも大きな刺激になっているのではないでしょうか。

 本当の国際化とはこんなところから始まるのかもしれません。

 やはりいい町です、東川!

 素朴でがんばりやの彼らにさらに声援をおくりたいと思います。     (2017.8 記)

 

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残業のしすぎで体調をくずし、うつ症状になっている若者に思う-じーじ臨床心理士のひとりごと

2024年07月27日 | 心理臨床を考える

 2018年のブログです

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   政治家が、働き方改革、を声高に叫んでいます。

 北朝鮮のミサイル問題同様、それくらいしか、アピールできることがないのでしょう。

 しかし、働き方改革、の前に、残業規制が先でしょう。

 あいかわらず過労死の危険性は低減せず、そんなところで、専門職の労働時間の制限を取っ払うのは、さらに過労死を増大させるだけです。

 カウンセリングをやっていると、若い人のうつの問題の相談に乗ることが多いです。

 性格の問題だけでなく、働きすぎや残業のしすぎで体調をくずして、うつ状態に陥っている人を多く見かけます。

 残業を断れないような真面目な人が多いです。

 適当にさぼれるくらいなら、うつになるまで残業をしないで、体調をくずすこともないのでしょうが、みなさん本当に真面目です。

 しかし、程度問題です。

 過労死になっては元も子もありません。

 うつになったら、まずは休息を取りましょう。

 どんなうつでも、1~2か月間、仕事を休んで休息を取れば、それだけでも体調はだいぶ回復します。

 そのために病気休暇が権利として定められています。

 遠慮せずに活用しましょう。

 出世に響くという人もいるでしょうが、出世より命やふつうの生活が大切です。

 体調を取り戻し、適切な勤務時間で、より生産的な仕事をしたほうが、会社や組織のためにもなります。

 楽しみながら働きましょうね。      (2018 記)

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 2023年12月の追記です

 5年前のブログです。

 状況は全然改善されていません。

 大企業の内部留保は多額にのぼるのに、ベースアップの話もあやしく、ましてや、残業規制の話は少ないです。

 貧しい国だな、日本は、と思います。

 こころのゆとりがなくて、生きることを本当に楽しめているのかな、と思ったりします。

 トップの決断も大切ですが、やはり個々人の生き方の選択が大切になるのではないでしょうか。      (2023.12 記)

 

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東川町のねこちゃんは散歩の途中であいさつをするとしっぽをふってくれます-じーじの2017北海道の旅

2024年07月27日 | ひとり旅で考える

 2017年のブログです

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 北海道東川町にいます。

 朝夕、散歩をしています。

 散歩をしていると、特に、朝に多いのですが、ねこちゃんと出会うことが多いです。

 窓から外を眺めているねこちゃん、玄関から外を眺めているねこちゃん、時には玄関先に出てすずめを眺めているねこちゃん、などなど。

 そういう時、じーじはねこちゃんに手をふって、(こんにちは、と)あいさつをします。

 すると、ねこちゃんは、めんどうくさそうなのがきたな、と無視をしようとしますが、じーじがさらに友好的に手をふると、ねこちゃんは無視をしきれなくなって、しっぽをふってくれます。

 じーじがさらに手をふると、ねこちゃんは、まだかよ、という顔をしながらも、しっぽはふれています。

 いい町です。

 東川町は、人間だけでなく、ねこちゃんもじーじに優しい町なのですね。

 この間などは、手をふっていたら、ねこちゃんがこちらに走りよってきて、美人ちゃんの飼い主さんがあわてて、○○ちゃん!と呼んでいたので、じーじもびっくりでした。

 とうとう、ねこちゃんにも(ではなく、ねこちゃんには、かな?)もてるようなワイルドな(?)じーじになっちゃいました。

 ちなみに、わんちゃんには、まだ、時々ほえられます。

 あやしいひげじーさんに、わんちゃんの本能が危険信号を発しているのかもしれません。

 しかし、じーじのこと、そのうちいいご報告ができるかもしれません。

 ひげじーさんのお散歩はまだまだ続きます。     (2017.8 記)

     * 

 2018年夏の追記です

 今年も玄関から外を眺めているねこちゃんとよく会うようになりました。

 しかし、寝坊すけのねこちゃんなのか(あるいは、飼い主がお寝坊ちゃんなのか?)、朝6時台に散歩をすると、まだ玄関はしまっています。

 ここ数日、朝が涼しくなって、散歩を7時ころにしてみると、よく出会うようになりました。

 なかなか貫禄のあるじいじいのねこちゃんのようです。

 じーじが手を振ってあいさつをしても、(うるさいやつが来たな)といったかおをしています。

 しかし、目は離さずに、こちらを見つめています。

 いつか、手を振りあえたらいいな、と思います。

 じーじだって、現役時代はまねきねこ調査官(?)と自称していたんですよ。     (2018.7 記)

 

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