ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

松木邦裕『摂食障害というこころ-創られた悲劇/築かれた閉塞』2008・新曜社-患者さんの健康なこころと対話する

2025年02月03日 | 心理療法に学ぶ

 2020年2月のブログです

     *

 精神科医で精神分析家の松木邦裕さんの『摂食障害というこころ-創られた悲劇/築かれた閉塞』(2008・新曜社)を再読しました。

 何回か読んでいるのですが、レポートは初めて。

 ようやく、少しは自分のものになってきたのかもしれません。

 松木さんが、自分が摂食障害について書くのは最後の本、というだけに、摂食障害という病いの成り立ち、病態、治療などについて、精神分析的な立場からかなり細やかな理解を示されていて、とても参考になります。

 じーじが今回、特に勉強になったのが、摂食障害の患者さんへの精神分析的な面接についての章。

 摂食障害の人との面接で留意すべき点がたくさん示されていて、勉強になります。

 たとえば、患者さんの話をよく聴くだけでは不十分、という点。

 話をよく聴くだけでもかなりの努力を要しますが、それだけでは面接は深まらないので、聴ききれない点や不思議に思う点を聴き返すべきだと説明されます。

 そうすることで初めて、患者さんが本当に考え、面接が深まり、治療が進む、といいます。卓見です。

 このことは摂食障害の患者さんだけでなく、他のパーソナリティ障害の患者さんなどにも大切なことがらだと思われました。

 これに関連して、患者さんのこころの中には、健康な部分と病気の部分があるという見方。

 患者さんの病気のこころに引っ張りまわされずに、健康なこころと対話をしていくことが大切といいます。

 その他にも勉強になることがたくさん、まるで宝箱のような章です。

 もっともっと読み込んで、いい面接ができるようになりたいと切に思いました。       (2020.2 記)

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日下紀子『不在の臨床-心理療法における孤独とかなしみ』2017・創元社-不在・かなしみ・待つこと

2025年01月28日 | 心理療法に学ぶ

 2017年のブログです

     *   

 日下紀子さんの『不在の臨床-心理療法における孤独とかなしみ』(2017・創元社)を読みました。

 日下さんの本は初めて読ませていただきましたが、少し難しかったものの、テーマが興味深く、一所懸命に読ませてもらいました。

 メインテーマは、心理療法における不在について、ということだと思いますが、それに伴うクライエントの孤独とかなしみ、そして、「待てる」ようになることの意味、などではないかと思います。

 日下さんはこれらのテーマを、ケースをもとにていねいに説明されています。

 日下さんは、まず、現代社会は、「待つ」ことができにくい社会になっていることを指摘し、フロイトさんの、いないいないばあー、やウィニコットさんの、ひとりでいる能力、などを挙げて、「待てる」ことの大切さを説明します。

 さらに、心理療法における、喪の作業、に言及し、かなしみを味わうことの大切さを指摘されます。

 そして、葛藤を葛藤として抱え、持ちこたえることで、心理的に成熟することを説明されます。

 その際、セラピストがふらふらになりながらも、なんとか生き延びること、これが重要だ、と指摘されています。

 かなしみを味わうこと、葛藤を抱えて生きること、なんとか生き延びること、などは、じーじもこれまで、いろんな場面で大切なことだと感じてきましたし、ブログの中でも少しは触れてきていると思いましたが、日下さんの本を読んで、これらが一本の線で結ばれてきたような印象を持ちました。

 まだまだ読みが甘いと思いますし、自分のケースとの照合も不十分だと思いますが、これからも実践を深めて、さらにこれらのテーマを考えていきたいと思いました。        (2017 記)

     *   

 2019年冬の追記です

 今ごろになって気づきましたが、よく考えると、「待つこと」も中井久夫さんがシェイクスピアさんに見出した「わからないことに耐えること」につながりそうです。

 臨床の世界は奥が深いです。       (2019.2 記)

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松木邦裕『耳の傾け方-こころの臨床家を目指す人たちへ』2015・岩崎学術出版社-ていねいなきき方を学ぶ

2025年01月16日 | 心理療法に学ぶ

 2015年のブログです

     *    

 松木邦裕さんの『耳の傾け方-こころの臨床家を目指す人たちへ』(2015・岩崎学術出版社)を読みました。

 初学者用かな?と思って読んだのですが,なかなか奥が深く,じーじの力ではまだまだ理解が十分でないところが多々あったように思います。

 しかし,とても面白く読めました。

 面接におけるクライエントさんの話のきき方をていねいに検討されています。

 特に、精神分析的な心理療法のきき方を学ぶうえではとても勉強になると思います。

 今後,何度もなかみを噛みしめながら読んでいきたい本だと思いました。

 全体的な印象としては,精神分析の大家のみなさんはそれなりに表現は違いますが,しかし,やはり,松木さんも大切なところでは,成田善弘さんや藤山直樹さんと同じようなお考えを述べられているような印象を持ちました。

 もちろん,細部は違うのでしょうが,しかし,大家の言うことにはどこか共通点があるようにも思います。

 今後,さらに深く勉強をしていきたいと思いました。

 後日,再読をした際には,もっともっときちんとした報告ができればと思っています。        (2015 記)

     *  

 2018年秋の追記です

 3年ぶりに再読をしました。

 今回は以前より少しだけ読み込めたような気がしていますが、どうでしょうか。

 面接でのきき方として、共感と受容のための支持的なきき方から精神分析的なきき方までのいくつかの段階のきき方を提示して、それぞれ事例を通してわかりやすく説明をされています。

 事例の描写は深く、多少の失敗も含めて、とても正直に描かれていて、初学者にも勉強になります。

 しかし、それにしても、面接の奥深さのなんとすごいことか、驚きとともに、感動させられます。

 そして、びっくりするのは、段階を経て習熟した技法を、最後にはいったん捨てる、というところ。

 無意識のもの想いを大切にする精神分析的心理療法のすごさが示されます。

 おそらく本を読んだだけではわからない世界、スーパーヴィジョンや訓練分析をきちんと経験しなければわからない世界なんだろうと思われます。

 もっとも、ないものねだりをしても仕方ありません。

 できるところから、勉強をしていこうと思います。

 最後に、松木さんも詩人キーツさんを引用しました。

 わからないことに耐える能力の大切さのところで、キーツさんとビオンさんの言葉を示して、説明をされています。

 考えてみれば、人生そのものがわからないことだらけなわけで、われわれはそこでわからないことに耐えてなんとか生きていくしかないわけですね。

 さらに、勉強をしていこうと思います。         (2018.10 記)

 

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山中康裕『心理臨床プロムナード』2015・遠見書房-山中さんと素敵なゲストの対談集です

2025年01月16日 | 心理療法に学ぶ

 2015年4月のブログです

     *

 心理療法家・遊戯療法家で精神科医の山中康裕さんの対談集『心理臨床プロムナード』(2015・遠見書房)を読みました。

 精神分析の北山修さんらの専門家だけでなく,詩人の谷川俊太郎さんや哲学の中村雄二郎さん,ドイツ文学の池内紀さん,そしてなんと,漫画家の手塚治虫さんとの対談まで収録されています。

 そんな中でじーじが最初に読んだのが精神科医で心理療法家の成田善弘さんとの対談でした(じーじは実は成田さんの大フアンでもあります)。

 この対談がとても面白かったです。

 成田さんはもう大先生で,じーじはいろいろな学会で,そのお姿をお見かけしたり,お話をお聞きしたりしていますが,成田さんははずかしがり屋さんのようで,いつも目立たないようにひっそりとされています(でも,背が高いので目立っています。すみません,成田さん)。

 山中さんと成田さんは中学の同級生ということで,お二人とも精神科医になられてから再会をされたとのことですが,静と動の対照的なお二人ながら(?),私も尊敬をしているような共通の先生がたとのお話も数多くあり,お二人の発言からいろいろと学ぶことがありました。

 お二人とも患者さんを大切にする姿勢がすごいと思いますし,とても熱いです(山中さんが熱いことは以前からわかっていましたが,成田さんも内面は相当に熱いです)。

 じーじも少しでも真似をして,熱く,そして,いい臨床家になりたいと思いました。        (2015.4 記)

     *

 2021年3月の追記です

 久しぶりに再読しました。6年ぶり。

 いい本なのに、勉強不足です(山中さん、ごめんなさい)。

 再度、読んでみると、前回、読み落としてしたことがいっぱいあって、もったいないことをしてきたな、と反省です(当時のじーじの力量では理解できなかったのだろうとは思いますが…)。

 今回、特に印象に残ったのが、北山修さんとの対談。

 精神分析家北山修さんの誕生の秘密がわかります。

 二人の掛け合いもとても愉快で面白いです。

 ユング派分析家の武野俊弥さんとの対談も刺激的です。

 武野さんは統合失調症の患者さんのための箱庭療法を工夫されたかたで、その臨床感覚はすごいです(さっそく武野さんの本を一冊注文してしまいました)。

 6年といわずに、また近いうちに再読をしたいな、と思いました。         (2021.3 記)

 

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統合失調症のひろば編集部編『こころの科学・山中康裕の臨床作法』2020・日本評論社

2025年01月06日 | 心理療法に学ぶ

 2021年1月のブログです

     *

  統合失調症のひろば編集部編『こころの科学・山中康裕の臨床作法』(2020・日本評論社)を読みました。

 2015年の中井久夫さんの『臨床作法』に続く第二弾。いい本です。

 精神科医で遊戯療法家の山中康裕さんにまつわるお話が満載。

 山中さんの論文はもちろんのこと、中山さんを京大に招かれた河合隼夫さんとの思い出話や学者仲間、後輩の学者さんのお話など、読んでいるととても楽しくなります。

 例によって、中でもじーじの印象に残ったところを一つ、二つ。

 一つめは、山中さんと精神科医で精神療法家の成田善弘さんの対談。

 どこかに書いたかもしれませんが、お二人は中学校の同級生。

 それぞれが別の大学の医学部に進み、精神科医となり、やがて成田さんは精神分析学会の会長となり、山中さんは箱庭療法学会や遊戯療法学会の会長になります。

 専門の垣根を越えてお二人の交流は深く、それぞれがご自分の限界を意識しつつ、相手のすごさを認め合っておられる様子がすがすがしいです。

 そして、お二人の周りには、気の合う学者さん、たとえば、精神科医で精神療法家の神田橋條治さんなども含めて、素敵な交遊関係が見られて、うらやましいかぎりです。

 ふだんは、あまりプライベートなことをお話されない成田さんが、いろんなお話を楽しそうにされているのが印象的でした。

 二つめは、山中さんと精神科医の中井久夫さんの往復書簡。

 中井さんは名古屋市大医学部の助手だった山中さんらの推薦で名古屋市大医学部に助教授として赴任し、教授だった木村敏さんのもとで共に研究に励んだ仲。

 いいお手紙のやりとりです。

 特に、中井さんのお手紙は、ギリシャの詩人の翻訳もされているだけあって、落ち着きのある素敵な日本語で、感動的です。

 お互いのことを思いやっている様子がうかがわれて、こちらもうらやましくなりました。

 少しでも大家の人たちの世界に近づけるよう、さらに勉強をしていこうと思います。        (2021.1 記)

 

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遠藤裕乃『ころんで学ぶ心理療法-初心者のための逆転移入門』2003・日本評論社

2025年01月03日 | 心理療法に学ぶ

 2020年のブログです

     *

 臨床心理士で大学教員の遠藤裕乃さんの『ころんで学ぶ心理療法-初心者のための逆転移入門』(2003・日本評論社)をかなり久しぶりに読みました。

 このおもしろい題名の本、本の帯に、失敗からはじまるセラピストの第一歩、とあります。

 ころんだり、失敗したり、とたいへんですが、著者が自身の体験から学んだことを率直に書いていて、とても勉強になります。

 こんなことあるよな、こんなことしちゃったな、こんなことで困ったよな、と思い当たることばかりです。

 みなさん、同じような経験をしているんだな、と思えることが目白押しです。

 本の題名どおり、心理療法は失敗から学ぶのでしょうし、ころんでなんぼの世界なんだな、と納得させられます。

 決して初心者だけの問題でなく、おそらく中級者以上の人にでも勉強になる本だと思います。

 例によって、今回、特に印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、逆転移を通して理解できるクライエントの世界。

 クライエントさんから理由のないような攻撃をされると辛いものがあります。 

 しかし、クライエントさんはいつもそういう世界にいるという理解、これはやはり大きいと思います。

 そう思ってもとても疲れますが、しかし、この理解は大切ですし、セラピストが生き残るために必要だろうと思います。

 二つめは、クライエントさんの言動の激しさに驚かずに、そこでのクライエントさんのおっしゃりたいことを明確にしていくことの大切さでしょうか。

 クライエントさんと一緒にクライエントさんの世界をていねいに理解することが、クライエントさんとセラピストの両方を生き残らせてくれるようです。

 他にも、初心者や中級者の勉強になることがいっぱい、いい本です。           (2020.6 記)

     *

 2024年1月の追記です

 先日の能登半島地震でじーじの本棚から崩れてきた本を整理していたら、長年、行方不明だった本を2冊も発見しました(他にもまだありそうな気もします)。

 中井久夫さんの『治療文化論』と大平健さんの『食の精神病理』。どちらもとても読みたかった本です。

 こういうのを、ころんでもただでは起きない、というのでしょうか(?)。すこし違いますかね(?)。

 これで1か月は楽しめそうです。

 そして、カーリングの試合中にころんだ藤澤五月ちゃんは今年も大活躍中(!)。

 長生きをしていると、いろんなことが起きて、面白いなあ、と思います。          (2024.1 記)

 

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きたやまおさむ『みんなの精神科-心とからだのカウンセリング38』1997・講談社

2024年12月24日 | 心理療法に学ぶ

 2016年ころのブログです

     *

 きたやまおさむさんの『みんなの精神科-心とからだのカウンセリング38』(1997・講談社)を再読しました。

 この本もずいぶん久しぶりです。

 きたやまおさむさんの本名は北山修さん。学者としては本名を名乗ります。

 そんなきたやまさんが一般向けに書いた精神科の本です(その後、文庫本も出ているようです)。

 もともとは雑誌・話の特集に連載された精神科についての連載。

 精神科の病気についてやカウンセリング、文化論、映画、などなど、多岐にわたって、気楽に読める文章が並びます。

 今回もいくつか印象に残った箇所がありました。

 ひとつは、子どもがおとなになることについての文章で、秘密をもつことと嘘をつくことの意味。

 子どもがおとなになるのはなかなかたいへんだなと考えさせられます。

 もうひとつは、サンタクロース。

 サンタクロースを信じられることは、子どもに楽観的な感覚を持たせてくれるといいます。

 そして、幻想が幻滅に至る過程にていねいにおとながつきあうことの大切さを述べます。

 以前、サンタさんについてのブログにも書いたように思いますが、やはりサンタさんをどれくらい信じられるかが子どもにとってはとても大切なことになるようです。

 さらには、きたやまさんお得意のつるの恩返しのお話。

 きたやまさんは、つるが逃げ去ることで終わらないで、つるの国まで追っかけて行って、つるを連れもどすことから、悲劇ではない、新しい物語が始まるかもしれない、といいます。卓見です。

 最後は、映画「マディソン郡の橋」。

 小児科医で精神分析家のウィニコットさんが、子どもが母親と二人でいて、一人でいることの大切さを述べていることに触れ、最後に出ていかない母親の大切さを指摘します。

 最近は、出て行ってしまう母親も増えていますが、深い考察が述べられています。

 軽い読み物ながら、考えさせられたり、刺激されることの多い本だと思います。               (2016?記)

     *

 2020年12月の追記です

 つるや母親が出ていかないで、ボロボロになりながらも、その場に「生き残ること」の大切さを精神分析では考えます。

 子育てはたいへんなことですが、周りの協力も得て、子どものそばで「生き残る」親が重要なようです。         (2020. 12 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 1954年、北海道生まれ  

 1977年、家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

 2014年、放送大学大学院(臨床心理学プログラム)修了  

 2017年、臨床心理士

 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の相談・援助などを研究

 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006、『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011、『遊戯療法学研究』)ほか 

 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 連絡先 メール  yuwa0421family@gmail.com    

 

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神田橋條治・滝口俊子『不確かさの中を-わたしの心理療法を求めて』2002・創元社

2024年12月14日 | 心理療法に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 神田橋條治さんと滝口俊子さんの対談『不確かさの中を-わたしの心理療法を求めて』(2002・創元社)を再読しました。

 これもずいぶん久しぶりの本で、アンダーラインがあまりなかったのも、先日の下坂さんの本と同じです。

 しかし、この本も再読をしてみるとすごい本で、当時のわたしは本当に何を読んでいたんだろうと、反省すること大です。

 良く解釈をすれば、この20年ほどの間に、これらの本が少しは理解をできる程度に成長してきた、といえるのかもしれませんが、それにしてもお粗末です。

 例によって、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、これも最近よく目にしますが、部分の中に全体がある、という考え方。

 神田橋さんは、フラクタル理論から思いつかれたとのことですが、精神分析ではいろんな方が同じような趣旨のことを言われます。 

 だからこそ、今、ここで、の重要性が強調されることになります。

 二つめは、これもよく指摘されますが、現在によって過去の記憶が変わるということ。

 ゆえに、現在を充実させられれば、過去の記憶も充実したもの、意味のあるものに変化をする可能性があるということで、心理療法の意味付けにもなりそうです。

 こういう大切なお話が、神田さんと滝口さんの人生を振り返りながら話されますので、すごい読み物になっています。

 お二人とも、ご自分の信ずる道をていねいに生きてこられた方なので、その語りには重みと説得力があります。

 特に、神田橋さんのお話は、やや毒舌気味とところがありますので、痛快です。

 その神田橋さんでも、中井久夫さんの天才ぶりには圧倒されっぱなしのようで、中井さんがいかにすごい人なのかがわかります。

 この本も読んで損をしないいい本だと思います。

 こちらもまた数年内に再読をぜひしたいなと思いました。      (2019.4 記)

      *

 2022年2月の追記です

 よく考えると、本書の題名である、不確かの中を、という言葉も、わからないことやあいまいさに耐えることの大切さ、と関係しているように思います。      (2022.2 記)

 

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下坂幸三『心理療法のひろがり』2007・金剛出版-ていねいな心理面接に学ぶ

2024年11月25日 | 心理療法に学ぶ

 2011年のブログです

     *   

 このところ、何だか自分の面接がやや雑になっていたような気がして、精神科医で家族療法家の下坂幸三さんの『精神療法の条件』(1988・金剛出版)や『心理療法の常識』(1998・金剛出版)、『フロイト再読』(2007・金剛出版)、『心理療法のひろがり』(2007・金剛出版)、そして、成田善弘さんの『新訂増補精神療法の第一歩』(2007・金剛出版)などを再読しました。

 少し修正ができたような感じがしています。

 やはり時々、振り返りが必要なようです。

 特に、下坂さんの「家族面接」の技法は参考になります。

 じーじも同席面接をする時には、下坂さんの技法を真似て実践をしているのですが、まだまだ上手にはできません。

 しかし、時々、手ごたえのある面接ができることもあるような気がしています。

 もっともっと面接の質を上げていきたいなと思っています。        (2011記)

     *   

 2019年2月の追記です

 ひさしぶりに下坂さんの『心理療法のひろがり』を再読をしました。 

 この間、1回くらいは読んでいるような気もしますが、例によって(?)記憶がはっきりしません。付箋は3種類くらいが貼られているのですが…。

 なお、上記の本のうち『フロイト再読』も再読をして、その感想は先日、ブログに書きましたので、よかったら読んでみてください(理論、言葉、心的現実などについて書きました)。

 今回、印象に残ったことを二つ、三つ。

 一つめは、どこかにも書きましたが、「なぞる」ことの大切さ。

 クライエントや家族の言うことを繰り返し、あるいは、要約をして返して、確認をすることの重要性です。

 じーじはこれがおろそかになりやすく、面接が上滑りしやすいなあ、と改めて反省をしました。

 二つめは、やはり言葉にこだわること。

 その人が使っている言葉の意味するところを徹底的に明らかにすることが心理療法に繋がると説きます。

 三つめが、少しの改善の積み重ねということ。

 心理療法では、ホームランを狙わずに、ヒットを繋げていくことが大切なようで、じーじはここでイチロー選手を思い浮かべました。

 いずれも、最近、じーじの面接で少し努力が不十分になっていたように思いましたので、さらに研鑽を深めていきたいと思いました。         (2019.2 記)

     *

 2022年2月の追記です

 今考えると、クライエントさんが話されることを「なぞる」ことがうまくいく時には、クライエントさんが使っている「言葉」に込められている意味が次第にわかってくることと重なっているような気がします。          (2022.2 記)

 

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霜山徳爾『素足の心理療法』1989・みすず書房-真摯な臨床への姿勢に学ぶ

2024年11月20日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2015年ころのブログです

     *   

 心理療法家の霜山徳爾さんの『素足の心理療法』(1989・みすず書房)を再読しました。

 この本もものすごく久しぶりになってしまい、おそらく10年ぶりくらいです(霜山さん、ごめんなさい)。

 いい本で、何度も読む価値のある本なのですが…。

 まったくの勉強不足です。

 とても中身の重い本ですので、軽々しくは読めない思いで、読むときには姿勢をただして読もうと思っているうちに年月がたってしまいました。

 今回はボランティアでおじゃまをしている精神科デイケアで、自分の対応を考えながら読みました(メンバーさん、ありがとうございました)。

 内容は心理療法に大切なことがらを一つ一つていねいに述べられているのですが、いずれもがご自身の実践や体験に裏づけられているので、ひと言ひと言がすごく重いです。

 例えば、沈黙ということ。

 沈黙の持つ価値についてこまやかに述べられています。

 饒舌の、言葉の垂れ流しになっている現代には貴重なご意見だと思います。

 また、人間の限界、その中での温かさ、小さなことがらこそが世界に繋がること、ユーモアの大切さ、などなど、書ききれないほどの豊かな内容が述べられています。

 そして、おそらくは、初心者だけでなく、むしろ、中級者以降の人たちに役立つ、そして、考えるきっかけとなる大切なことがらが詰まっています。

 10年間、放っておくのは本当にもったいないいい本です。

 今後はもう少し頻繁に紐解いて勉強をしていこうと思います。             (2015?記)

    

 

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下坂幸三『フロイト再読』2007・金剛出版-丁寧でこまやかな精神分析的面接に学ぶ

2024年10月23日 | 心理療法に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 精神科医で心理療法家、家族療法家の下坂幸三さんの『フロイト再読』(2007・金剛出版)を再読しました。

 もう何回目になるでしょうか。

 本の中は何種類かの付箋とアンダーラインで大変なことになっています。

 下坂さんの晩年の論文が載っていますが、学ぶことばかりです。

 今回、印象に残ったことを二つ、三つ。

 一つめは、理論は繰り返し脇のほうに押しやることが大切で、それでも押し戻してくるものが重要、との指摘。 

 初心者のうちは、じーじもそうですが、つい理論に左右されがちですが、理論を忘れたくらいのところで勝負をすることがいいようです。

 たしか、精神分析のビオンさんも同じようなことを言っていたように思うのですが…。

 二つめは、言葉に安易に納得しないことの大切さ。

 同じ言葉でも、人によっては込められた意味がまったく違うので、徹底的にその意味するところをきいていくことが重要になります。

 それが即心理療法になるといえそうです。

 本書ではその具体例がたくさん示されていて、勉強になります。

 三つめは、心的現実の扱い方について。

 心的現実を尊重することは重要だが、全面的に肯定をすることの危険性も指摘されます。

 よくきくが、大きく頷くことはしない、という冷静な対応が、クライエントの歪んだ考えを少しずつでも訂正していく、との指摘は卓見です。

 統合失調症の患者さんの妄想のきき方にも通じそうです。

 最後、症例論文のクライエントさんの許可の問題。

 世の中、許可を得ることが流行となっていますが、その弊害を指摘します。

 まったく同感です。

 精神分析の藤山直樹さんも同じようなお考えだったと思います。

 プライバシーの保護というのなら、許可を求める行為自体がプライバシーの保護を侵害することになりえる可能性も考慮しなければならないだろうと思います。

 難しい問題ですが、クライエントさんの本当の意味での保護と尊重ということをもっともっと深く考え、議論していかなければならないと思います。

 いずれにしても、まだまだ力不足であることを痛感します。

 さらに勉強を深めたいと思います。       (2019. 2 記)

     *

 2024年10月の追記です

 理論をいったん脇に置く、とか、忘れる、とかいうことの大切さは、その後の読書経験でも、精神分析や心理療法の大家のみなさんがよくおっしゃっていることのように思われます。

 じーじなどは、これが逆転移か?とか、これが投影同一化か?とか、どう対応したらいいんだろうか?などと、余計なことを考えがちですが、あまり頭でっかちにならずに、目の前のクライエントさんの不安や怒りなどに、自分も身を浸してみて、感じたり、考えたりするような作業のほうが大切なんだな、といつも反省させられます。       (2024.10 記)

 

 

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山中康裕『心理臨床学のコア』2006・京都大学出版会-山中さんの「熱い」思いの本です

2024年10月21日 | 心理療法に学ぶ

 2013年のブログです

     *

 精神科医で心理療法家の山中康裕さんの『心理臨床学のコア』(2006・京都大学出版会)を読みました。

 なぜか読み落としていました。

 とてもいい本です。そして、熱い本です。

 山中さんですから、当然といえば当然ですが…。

 いろいろと勉強になったのですが、今回、一番、刺激を受けたのは、「記憶」に関しての部分でした。

 「記憶というものは、感情に色づけられた幾多の別の経験とともに集積していくときに、変容していくことがあるものであることが分かる」との一節を読んだ時には、今までの疑問がパッと氷解するような体験をしました。

 精神分析でも、記憶の書き換えということで、同じような議論がなされていると思うのですが、人間の記憶の不思議さや複雑さに驚かされます。

 同じ現象を同時に見ているはずなのに、「記憶」は全く違う、そんな経験を日常的にしている者にとっては、本当に大きな示唆でした。

 今後、さらに考察を深めたいと思いました。       (2013.5 記)

     *

 2020年5月の追記です

 久しぶりに再読をしました。7年ぶりになるのでしょうか(山中さん、ごめんなさい)。

 いい本なのに、もったいないことをしました。

 読んでいると、BS放送大学の「イメージと心理療法」の中で山中さんが話されていることが同じように強調されたりしていて、なかなか印象深く再読をしました。

 今回、印象に残ったことの一つは、山中さんの「内閉」論とおなじみの「窓」論。 

 いずれも、「ひきこもり」の意味を深く理解する見方です。

 遊戯療法家の田中千穂子さんと同じく、「ひきこもり」に積極的な意味を読みとる大切な視点ではないかと思われました。

 もう一つは、遊戯療法についての再考。

 プレイセラピーの意味の再確認や表現療法としての遊戯療法、さらに、箱庭療法と遊戯療法との関係などなど、魅力的な考え方が示されていて、刺激になります。

 さらに深く勉強をしていこうと思います。       (2020.5 記)

 

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松木邦裕ほか編『抑うつの精神分析的アプローチ-病理の理解と心理療法による援助の実際』2007・金剛出版

2024年10月15日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

     * 

 松木邦裕さんほか編集の『抑うつの精神分析的アプローチ-病理の理解と心理療法による援助の実際』(2007・金剛出版)を再読しました。

 この本もかなりの久しぶりで、抑うつの患者さんが多い世の中なのに、まったくの勉強不足だなと反省しきりです。

 本書は松木さんらのていねいで正確な全体的な論文と、豊かで深みのあるいくつかの事例論文からなっており、そのいずれもがのそれぞれに読み応えがあり、勉強になります。

 アンダーラインや付箋が賑やかな中で、今回、特に印象に残ったのは、松木さんの総説と鈴木智美さんの事例。

 松木さんの論文は初心者にもわかるようなていねいな論文で、しかも、内容は深く、何度も読む必要がありそうです。

 じーじは、この中でも、悲しみをこころに抱えることの大切さを論じたところに感動をしました。さらに読み深めたいと思います。

 鈴木さんの事例は、精神科医の抱える環境としての働きかけを、いくつかの事例を挙げて論じていますが、どの事例もすばらしい治療で感心させられます。

 そして、鈴木さんが、生まれ出たそのときから、死に向かっていく人生そのものが、悲哀を受け容れていく過程であり、同時に成熟していく過程ともいえる、と書かれているところに本当に感動をしました。

 同じようなことはなんども聞いていますが、今回ほどこころに迫ってきたのは初めてでした。

 それだけじーじが年を取り、死に近づいているせいもあるでしょうが、深く響く言葉でした。

 精神分析らしい言葉といえば、そうでしょうし、しかし、ここには、人生の深さと喜び、美しさが現れているように思えます。

 諦め、の深い理解とそれにまつわる生きることの深さや喜び、美しさ、そして、成熟が示されているように思います。

 まだまだうまくご紹介できませんが、さらに、勉強と努力を続けていきたいなと思いました。            (2017?記)

     *

 2020年12月の追記です

 こころの成熟とは悲哀を受け容れていく過程である、との言葉はやはり深いです。          (2020. 12 記)

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 2024年1月の追記です

 唐突ですが、(たぶん)高校の倫理社会で習った、仏教でいうところの、四苦、生老病死、という言葉を思い出しました。

 諦める、という言葉には、夏目漱石さんもおっしゃるように、仏教の、明らかに見る、という意味も含まれるのだそうですが、そうだとすると、上記のような悲哀の受容ということも含まれているのだろうな、と思ったりします。        (2024.1 記)

 

 

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松木邦裕ほか編『パーソナリティ-障害の精神分析的アプローチ-病理の理解と分析的対応の実際』2009・金剛出版

2024年10月13日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

     *  

 精神分析家の松木邦裕さんと福井敏さん編集の『パーソナリティ-障害の精神分析的アプローチ-病理の理解と分析的対応の実際』(2009・金剛出版)を再読しました。

 この本も久しぶりです。 

 家庭裁判所にいた時、パーソナリティ障害の人との対応で苦労した時には、関連した本をよく読んで、勉強会などでも一所懸命に勉強をしていたものですが、定年後はあまりそういう人に出合うこともなくなり、しばらくは統合失調症の勉強に中心が移っていた感じでした。

 しかし、パーソナリティ障害の患者さんとの対応や援助はやはり難しい仕事であり、本書を再読しても、その感を強めました。

 印象に残ったことをいくつか。

 福井さんは、パーソナリティ障害治療の歴史を概観し、パーソナリティ障害の人は人生早期に他者に合わせ、自己感覚を失っているのではないかと述べます。

 紹介されている多数の事例はいずれも丁寧な治療ですごいですし、成人後、他者に迷惑をかけるパーソナリティ障害の人の病態の底に、表面とは違う悲しみを帯びたような傾向があることを指摘されるのはすごいと思います。

 また、松木さんは、パーソナリティ障害の人は悲哀の過程を維持できずに、行動化している病いではないかと述べます。

 ここでも、悲哀の体験の重要さが出てきましたが、悲哀をいかに体験するかは人生の大きな課題のようです。

 さらに、鈴木智美さんの事例では、治療者が生き残ることの大切さ、岩倉拓さんの事例では、治療者が患者と「共狂い」することの大切さや逆転移の大切さについて語っています。

 あるいは、日下紀子さんや早川すみ江さん、その他のかたがたの事例もすばらしくて、とても勉強になります。

 今後、さらにいい援助ができるよう、勉強と経験を積み重ねたいと思いました。            (2017?記)

     *

 2020年11月の追記です

 人生において悲哀は避けることができないことです。

 別れ、死など、いくつもの悲哀を経て、ひとはおとなになります。

 その悲哀を何らかの事情でこころからかなしめない時、ひとのこころは成熟することができずに変調をきたす、と精神分析では考えます。

 かなしい時にこころからかなしむことの大切さを改めて思います。         (2020. 11 記)

 

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岸良範さん・サリンジャーさん・村上春樹さん-2018年秋の県臨床心理士会の定例研修会で学ぶ

2024年10月06日 | 心理療法に学ぶ

 2018年のブログです

     *  

 昨日の日曜日に新潟大学で開催された県臨床心理士会の定例研修会に出席しました。

 土曜日から孫娘たちが遊びに来ていたのですが、たまには真面目に勉強しているじーじの姿も見せようと思い(?)、「じーじは勉強会に行ってくるね」といって、出かけました。

 孫娘たちはじーじの予想に反して、なぜか笑顔で(?)、お見送りをしてくれました。

 研修会の講師は福島学院大教授の岸良範さん。

 お名前は以前から存知あげていましたが、お話をお聞きするのは初めて、楽しみにしていました。

 テーマは、思春期・青年期と彷徨い歩く力。

 岸さんは大学の先生らしからぬ(?)ユーモアたっぷりのお話で、会場はまたたくまに岸さんのお話に引き込まれました。

 岸さんが、サリンジャーさんの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の中から、村上春樹さんの訳した、寄る辺ない「うら淋しさ」という言葉を引用して、思春期の心性を巧みに表している、とほめられ、村上フアンのじーじもおおいに頷けました。

 岸さんは昔、山王教育研究所にいらしたこともあるということで、学者さんというよりは臨床家という雰囲気が強く、とても参考になるお話をたくさんうかがうことができました。

 じーじの好きなウィニコットさんのお話も聞けて、勉強になりました。

 午後は事例検討。

 若手臨床家のケースに助言をいただきました。

 ある箇所で、岸さんが、自分なら、ここでは発言はできない、哀しみを一緒に味わうことで精一杯かもしれない、と発言をされ、その素直で率直な姿にこころをうたれました。

 ちからのある臨床家は本当に自分に正直で、クライエントさんのことを考えるのだな、と改めて感動しました。

 10時から16時半まで、久しぶりに学生用の固い椅子に座って、体も頭もクタクタになりましたが、こころはすがすがしく、充実した感じになれました。

 いい講義をしてくださった岸さん、そして、いい企画をしてくださった心理士会に感謝します。        (2018.  10 記)

     *

 2023年4月の追記です

 このブログをどこかで目にしてくださった岸先生から、この時の講演のもとになった論文などのコピーを4本も送っていただきました(岸先生、ありがとうございました)。

 思春期の彷徨いやゆらぎなどについて、深い考察がなされていて参考になります。

 藤山直樹さんも引用されていました。

 そして、事例がすばらしいです。

 女子高校生の内界での彷徨いとそれへの岸先生のより添いが素敵です。 

 勉強になりましたし、感動しました。

 臨床は大変だけど、すごいです。       (2023.4 記)

 

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