ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』2007・医学書院-希望を失わないちから

2024年10月31日 | 精神科臨床に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 中井久夫さんの『こんなとき私はどうしてきたか』(2007・医学書院)を再読しました。

 たぶん、数年前、大学院の精神科実習の頃に購入したのではないかと思いますが、その後、2種類の付箋が貼られていますので、読むのは今回で3回目だと思います。

 本の帯に、希望を失わない力、とあって、統合失調症の患者さんへの細やかで、丁寧で、それでいて、実践的な配慮が綴られています。

 もともとはある精神病院の医師と看護師の研修会での講義をまとめた本で、とてもわかりやすく述べられている点が特色です。

 今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、妄想を語れる時期や独り言を語れる時期は、それまでの形のない恐怖に直面していた時期を抜け出した時にあたる、という指摘。

 とかく、妄想や独り言は否定的にとらえがちですが、肯定的な見方も提示していて、すごいな、と思います。

 二つめは、回復の度合いを、精神面でなく、身体面の診察で診るという視点。

 ともすると、患者さんは焦りもあって頑張りがちですので、それよりも、睡眠、寝起き感、食事(特に、味わえるかどうか)、口の渇き、便通、などなど、体の調子を細やかに検討することで、病気の回復具合がわかる、と述べています。卓見です。

 そして、三つめ。

 すごくびっくりしたのですが、中井さんも、シェイクスピアさんの『ハムレット』を引用していました(3回目でようやく気づくとは、自分のどんくささにあきれますが…)。

 それは、『ハムレット』にホレイショさんという誠実な家来が出てきますが、ハムレットさんとホレイショさんのあいだで、わからないことがいっぱいある、という命題が話題になるところを挙げて、中井さんは、ホレイショさんの原則となづけて、わからないことがいっぱいあるけど、でも、命にかかわるとはかぎらないよ、と話す、といいます。

 まさに、わからないことに耐える、わからないことを尊重する、というシェイクスピアさん、キーツさん、ビオンさん、メルツアーさんなどのさまざまな人たちの知恵の再現だと思います。

 考えれみれば、わからないことがあっても、それに動揺をしなければ不安にもなりにくいわけで、精神衛生は悪くなりにくいでしょう。 

 シェイクスピアさんはもっともっと大きなテーマも語っているような気もしますが、わからないことに耐える能力というのは、いずれにしても生きていくうえで、大なり小なり大切なことのようです。

 遅まきながらの大きな驚きにおおいに喜び、さらに勉強をしていこうと思いました。       (2019.2 記)

     *

 2021年1月の追記です

 中井さんも、わからないことに耐える、ことの大切さを挙げておられることに、この時にようやく気づいて、本当にびっくりした記憶があります(勉強不足を反省です)。

 あいまいさに耐えること、ネガティブ・ケイパビリティ(消極的能力・負の能力)の大切さです。

 さらに勉強をしなければ、と思います。      (2021.1 記)

     *

 2022年9月の追記です

 庄司薫さんの『さよなら怪傑黒頭巾』(1973・中公文庫)を再読していたら、なんとこのハムレットさんとホレイショさんの場面が引用されていました。

 大学1年生だったじーじは1回読んでいたのですが、素通りしてしまったようです。

 それでも、50年後に気づいただけでも偉いかな?      (2022.9 記)

     *

 2024年1月の追記です

 久しぶりに本書をぱらぱらと読んでいると、わからないことがいっぱいある、ということは、患者さんには新鮮な情報である、という記載に気がつきました。

 患者さんの妄想の一つに、みんなわかられている、というのがあって、それが否定されるのがホレイショの原則だというのです。

 中井さんはやはりすごいです。      (2024.1 記)

 

コメント (8)

竹田津実『オホーツクの十二か月-森の獣医のナチュラリスト日記』2006・福音館書店-北海道を読む

2024年10月31日 | 北海道を読む

 2015年のブログです

     *    

 竹田津さんの2006年の本です。

 先日,ご紹介した竹田津さんの『北の大地から』を読み返して,とても良かったので,さっそくこの本も購入して読みました。

 この本も『北の大地から』と同じく,落ちついた文章と美しい写真が印象的です。

 文章はユーモアの中に静かな怒りがこめられていて,自然を愛する竹田津さんの素朴で素直な思いが伝わってきます。

 12か月の文章の中で私が一番印象に残ったのは,やはり子ギツネのヘレンのお話。 

 ヘレンは目,耳,鼻などの障害で,一人では(一匹というべきか?)生きていけない状態で竹田津さんがお世話をしますが,味方と敵の区別がつかず,竹田津さんご夫婦にもはむかいます。

 しかし,竹田津さんの奥さんが,ヘレンを抱いて子守唄をうたってあげると,なんと落ちついて眠ります。

 このエピソードは,子守唄と母性のすごさを感じさせらた一瞬でした。

 人間のすごさかもしれません。 

 しかし,こんなすごい人間が,竹田津さんが怒るような自然破壊もしてしまいます。

 冷静に,温かく,賢く,ゆったりとなどなど,バランスよく生きていきたいなと考えさせられる一冊でした。         (2015 記)

 

コメント

村澤真保呂・村澤和多里『中井久夫との対話-生命、こころ、世界』2018・河出書房新社

2024年10月30日 | 中井久夫さんを読む

 2019年のブログです

     *

 村澤真保呂さんと村澤和多里さんの『中井久夫との対話-生命、こころ、世界』(2018・河出書房新社)を読みました。

 お二人のお父さんが中井さんと大の親友で、お二人は子どもの頃から中井さんのことを、ナカイのおじさん、と慕っていた間柄とのことで、そういうこともあってこの本が書かれたようです。

 すごく面白かったです。そして、刺激的でした。

 第一部は、中井さんとの対話。

 中井さんの本音トークが久しぶりに聞けますが、その丁寧な語りは貴重です。

 治療とは患者さんの内なる自然を回復すること、とか、治療には遊びが大切、などなど、意味深い発言がなされています。

 中井さんの発言から、深い思索が導かれるようで、なんとなく襟を正して読むような感じになりました。

 第二部は、中井さんの思想を村澤さんたちが解説を試みています。

 中井さんの、寛解過程論、を中心に中井さんの世界が解読されます。

 中井さんが翻訳をされたサリヴァンさん、その世界に近い量子力学のボーアさん、免疫学の多田富雄さん、生物学のユクスキュルさん、小児科医の松田道夫さん、などなどの思想が紹介されます。

 いずれも、じーじも以前から興味のある方々で、その偶然に驚きながら、本棚を改めてチェックしました。

 じーじが中井さんに魅かれるのも、このあたりに理由があったのかもしれません。

 無理のない、患者さんに優しく、患者さんを信頼しているその姿勢には、本当に頭が下がります。

 今後も折にふれて読んでいきたいな、と思いました。          (2019.1 記)

 

 

コメント

竹田津実『北の大地から』1993・恒文社-北海道・道東・ポンヤンベツ川

2024年10月30日 | 北海道を読む

 2015年のブログです

     *  

 竹田津さんは北海道在住の獣医で写真家,エッセイスト。

 映画<キタキツネ物語>を作った人でもあります。

 その竹田津さんの22年前のエッセイと写真の本です。

 特に,写真は秀逸で,もっと大きな写真集で見てみたいようなすばらしいものばかりです。

 舞台は道東を流れる一本の川。

 その変わりざまとそこに関わる農家や漁業,林業の人たち,そして,そこに生活をする人々を冷静な文章で描きます。

 その文章は冷静ながらも,抑えた怒りがにじみます。

 あからさまな怒りにならないのは,誰もがそこで生きているせいでしょうか。

 自分も加害者であるという事実が筆を抑えるかのようですが,しかし,なんとかしようよ,なんとかしなければ,という熱い思いが伝わります。

 批判は簡単ですが,堅実な変革は痛みを伴い,ゆっくりとしか変わらないようです。

 今度は道東の小さな川を眺めに訪れたいと思いました。        (2015 記)

      *

 2020年春の追記です 

 コロナがなかなか収まりません。今年の夏、じーじは北海道に行けるでしょうか。少し心配になってきました。       (2020.4 記)

     *

 2023年秋の追記です

 なんのかんのといいながら、ここ4年の間も北海道におじゃましました。

 フェリーの会社はおかげさまでコロナにそれほど神経質ではなく、あやしいじーじとタントくんを運んでくれています。感謝です。

 今年の夏も東川の図書館では、ブログの作成や更新などでお世話になりました。こちらもおおらかで助かっています。

 一度、机の目の前に中国人のすごい美人ちゃんが座って、じーじの美人恐怖症が悪化しそうになりましたが、困ったのはそれくらいでした(それと、アメリカ人の美人ちゃんに写真を撮られそうになったピンチ(?)もありましたが、今となれば笑い話です)。        (2023.10 記)

 

コメント

大騒ぎのJアラート(?)-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年10月29日 | じいじ日記を書く

 2022年10月の日記です

     *

 今朝、Jアラートがなる。

 北朝鮮からのミサイルが北海道や青森、伊豆諸島などに落下する可能性があるという(なんという広い範囲)。

 地下室や建物内に避難するようにとのこと。

 しばらくして、ミサイルは上空を通過して、太平洋に落下した模様と出る。

 人騒がせな通報だ。

 ミサイルが日本に落下するのか、通過するのかも識別できないとは…。

 こんなことで、本当にイージスで迎撃できるのだろうか?

 なさけないなぁ。

 太平洋に落ちるミサイルは前にも確かあったような?

 大騒ぎのわりに不確かな情報で、国民を不安にした事案だったと思う。

 そういえば、政府が内政で危ない時に、外に敵を作り、不安をあおり、内政の失敗から目をそらせるのは、政府の常套手段。

 統一教会の問題で支持率を下げている自民党政府にとっては格好の材料だったかもしれない。

 さらには、おそらく、敵基地攻撃能力の議論がまた高まるのだろう。

 いやな世の中だなぁ。       (2022.10 記)

     *

 2023年10月の追記です

 ちょうど1年前の日記。

 落下予想の範囲が広すぎて、自衛隊の防空体制の不備と政府の発表のいいかげんさが露わになった日だった。

 その後、各地で避難訓練の話が出ていたが、どれほどの効果があるのか。

 北朝鮮の怖さをあおって、敵基地攻撃能力の容認に結び付けようとしているように思える。

 それよりは、もっともっと北朝鮮の人々の生活支援などを含めた外交努力に力を注ぐべきだろうと思う。       (2023.10 記)

     *

 2024年10月の追記です

 その後は迷惑なJアラートがなることはだんだん減ってきたが、2024年5月に一度、Jアラートがなり、しかし、しばらくして、北朝鮮のミサイルは発射に失敗したらしい、ということがわかる。

 あいかわらず、おそまつ。

 こんなことで、なにかの間違いで(?)、本当にミサイルが日本に飛んできた時に、ミサイルの位置を把握できるのだろうか?と心配になる。

 日米韓のレーダーが協力をすることになったらしいが、軍事協力が進むだけだ。

 ミサイルが本当に東京や大阪、あるいは、日本各地の軍事基地、原子力発電所などに飛来した時に、その位置を正確に把握できるのか心許ない。

 特に、原子力発電所に飛来した場合には、通常のミサイルでも核ミサイルと同等、あるいは、それ以上の被害が予想される。

 日本の誇る技術力を戦争にではなく、国民の安全を守るシステムの構築に全力を傾注してほしいと切に思う。      (2024.10 記)

 

コメント

横山知行「『正しさ』の向こうに」2012・遊戯療法学会ニュースレター

2024年10月28日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2012年のブログです

     *

 精神科医で新潟大学教授の横山知行先生のエッセイ「『正しさ』の向こうに」を読みました。

 いいエッセイだと思いました。

 ある意味、痛快な文章です(横山先生は温厚なかたですから、じーじのように過激な表現はなさっていませんが…)。

 エビデンスの必要性に触れながらも、エビデンスだけでは測れない大切なもの、実証的な「正しさ」だけでは測れない大切なものの存在、それを忘れないことの大切さを述べられていると思いました(間違っていないと思うのですが…)。

 そして、遊戯療法における「間」の重要性を指摘され、ホイジンガさんを引いて遊びの時空間の中で展開される豊かな世界を掬い取ることの大切さを述べておられます。

 ホイジンガさんは以前に読んでいたのですが、大切なところを読み落としていました。

 もう一度、じっくりと読み直そうと思いました。

 いい課題をいただけたと思いました。

 改めて、遊戯療法の、そして「遊び」の奥深さを知らされた一文でした。     (2012.12 記)

     *

 2023年11月の追記です

 今から11年前の文章です。

 ホイジンガさんはまだきちんと再読をしていません。勉強不足です。

 できればカイヨワさんとウィニコットさんもきちんと再読をしようと思っているのですが…。頑張ります。     (2023.11 記)

     *

 2024年10月の追記です

 横山先生はじーじの放送大学大学院の修士論文の指導教員をしてくださった方。本当にお世話になりました。

 初めてお会いした時に、面会交流や幼児のこころの発達について質問をすると、本棚から数冊の参考文献をさっと出してきてくださって、じーじは、大学院の先生というのはすごいな!とびっくりさせられました。

 同時に、横山ゼミの卒業生や在学生でやっている勉強会に誘っていただいて、そこには博士課程で勉強している臨床心理士さんや大学教員の方々もいらして、とてもレベルの高い勉強会で本当に役に立ちました。

 じーじの臨床心理士としての基礎はこの勉強会で養われたと言っても過言ではありません。

 横山先生には遊戯療法学会や県の臨床心理士会の研修会でも、勉強になるお話をたくさん聞かせていただきました。     

 最初は全くの偶然の出会いだったのですが、すばらしい指導者に出会えたことを本当に感謝しています。      (2024.10 記)

 

 

コメント

樋口有介『雨の匂い』2007・中公文庫-おとなへの愛憎に冷静に対峙する青年を描く

2024年10月28日 | 樋口有介さんを読む

 2018年のブログです

     * 

 なにか面白そうな小説はないかな?と本棚を眺めていたら、隅っこのほうに樋口有介さんの『雨の匂い』(2007・中公文庫)があったので、再読しました。

 2007年の本で、読むのはかなりしばらくぶりなので、たぶん2回目です。

 当然(?)なかみもほとんど忘れていたのですが、読んでみるととてもおもしろく、2日で読んでしまいました。

 少し暗い小説なので、60歳を過ぎた今のじーじにはちょうどいい小説なのですが、11年前のじーじには少し暗すぎて、本箱の隅に置いたのかもしれません。

 暗い小説です。

 有介版『悪霊』かもしれません。

 主人公の男子大学生が、癌で入院中の父の看病と在宅療養中の祖父の介護をするという、それだけでも暗い設定ですが、しかし、主人公はそれを淡々とこなし、そういう中でも女友達らと淡々とつきあって、有介ワールドの青春物語が進行します。

 しかし、父親と別れた母親が登場をして、金を無心するあたりから物語は暗転してきます。

 母親だけでなく、バイト先のいいかげんなおとなやその他のいやなおとなも登場して、淡々と生きている主人公を脅かします。

 そして、物語は『悪霊』の世界に。

 もっとも、こういう暗さは、今の年取ったじーじにはなじみのある(?)世界で、違和感はありません。

 むしろ、こんな中にこそ、人生の真実はあるのだろうな、と思います。

 生と死、生きることの苦しさと辛さ、切なさ、そして、生きる意味、などなど、考えることや感じることはたくさんありそうです。

 ストーリーを追うだけでなく、余白に漂うものを丁寧に感じることに意味があるのかもしれません。

 今、この時、この年齢で、この小説を再読できてよかったな、と思います(主人公は男子大学生ですが、若い人はもう少し年を取ってから読んだほうがいいのかもしれません)。      (2018.10 記)

 

コメント

エディプス・藤山直樹さん・小此木啓吾さん-2019年精神分析学会・その3

2024年10月27日 | 精神分析に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 昨日は学会3日目、最終日。

 午後からシンポジウムがありました。

 テーマはエディプス・コンプレックス。

 フロイトさんの時からの精神分析の大事なテーマ。

 藤山直樹さんが指定討論をされるので、楽しみに参加しました。

 藤山さんが初めて精神分析学会のシンポジウムに登壇した20数年前もテーマがエディプス・コンプレックスだったそうで、その時の論文は藤山さんの『精神分析という営み』に収録されているとのこと。

 帰ったらさっそく読みなおそうと思いました(ブログもあるので、よかったら読んでみてください)。

 その時のスーパーヴァイザーとのやりとりや小此木啓吾さんとの討論を懐かしそうにお話されているのが印象的でした。

 さて、エディプス・コンプレックス。

 重要な概念で、藤山さんの説明でもそのことは伝わってくるのですが、なんせ経験不足でもどかしい感じもします。

 もっともっと、経験と勉強を深めなければと思いました。

 しかし、藤山さんの精神分析にかける熱意を感じられただけでもよかったとは思います。

 やはりすごいです。

 今回は3日間とも藤山さんのお話を聞く機会があって、贅沢でした。

 それだけでも、札幌まで来た甲斐がありました。

 今後も、もっともっと、勉強を深めていきたいと思います。       (2019. 10 記)

 

コメント

新潟のじーじのおうちは孫娘たちも大好きなかくれんぼランド(?)-遊ぶことのちから

2024年10月27日 | 遊ぶことのちからを考える

 たぶん2017年ころ、孫娘たちが6歳と3歳のころのブログです

     *  

 またまた、孫娘たちが遊びに来てくれました。

 つい最近、ディズニーランドに行ってきたとのことで、上の孫娘はアナの光るペンダント、下の孫娘は光る魔法のつえを自慢そうに見せてくれます。

 ペンダントやつえからは不思議な音まで聞こえてきて、最近のおもちゃはすごいです。

 その後、じーじのお部屋で、上の孫娘はリカちゃんのぬり絵を上手にぬり、下の孫娘ははさみでアンパンマンのぬり絵を切っています。

 ぬり絵は切るものじゃあないんだがなー、と思いながらも、楽しそうに切っているので、うまいなあー、と思わずほめてしまいました。

 さらに、いつもは近くの公園に遊びにいくのですが、この日は雨。

 そこで、家の中でかくれんぼをすることにしました。

 いつもは広い公園でやっているかくれんぼをせまいじーじのおうちでできるか心配でしたが、そこはじーじの孫たち、うまく隠れるところを探しては、もーいいよ、と合図をします。

 1階の納戸や洗面所、2階のばーばのお部屋やママの弟のおじさんのお部屋、洗濯物干場などなど、うまく隠れています。

 ポイントは、すぐには見つからないけれど、少しすると見つかるような場所、ということ。

 子どもたちの遊びごころはすごいです。

 じーじのせまいおうちは、たちまちかくれんぼランドに変身しました。

 孫娘たちの遊びごごろに触発されて、じーじの遊びごころもどんどん大きくなるようです。

 小さな孫娘たちに感謝、感謝のひとときでした。       (2017.2?記)

     *

 2020年9月の追記です

 かくれんぼは精神分析でも時々取り上げられるテーマです。

 なかなか見つからないはずという遊びごころと、見つけてもらえなかったらどうしようという不安と、見つけてもらえるはずだという信頼感の間で、揺れ動く子どものこころの遊びでしょう。

 きっと見つけてもらえるはずだという安心感があってこその遊びなのでしょうね。       (2020.9 記)

     *

 2021年12月の追記です

 今、読み返してみると、ぬり絵は切るものじゃあないんだがなー、と思いながら、というところは、おとなの都合ですね。

 楽しそうにしているところを見て、余計なことを言わないで済んでいますが、子どもの創造性や工夫ややる気を優先すべきでした。まだまだ勉強不足ですね。       (2021.12 記)

 

コメント (2)

精神病・生き残ること・藤山直樹さん-2019年精神分析学会・その2

2024年10月26日 | 精神分析に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 昨日は学会2日目。

 午前中は精神病の分科会に参加。

 みなさん、すごいケースのご紹介で、いろいろと考えさせられます。

 たくさんの学びがあったのですが、じーじとっての再確認は「生き残る」ことのテーマでしょうか。

 患者さんの攻撃性に、報復をせずに「生き残る」ことがまず出発点のような感じを持ちました。

 そのことだけでも、患者さんには大きな意味がありそうです。

 午後は終結症例の分科会。

 司会が藤山直樹さん。

 司会だけでなく、結構、自由に発言をされるので、面白いですし、とても参考になります。

 個人的には、発表者と司会の藤山さんの対談でもいいように思うほどでした。

 発表者がだんだんと率直になっていく様子が見られて、藤山さんの力量に改めて感心させられました。

 力のある臨床家は本当にすごいなと思います。

 もっともっと経験を積み重ねていきたいと切に思いました。       (2019. 10 記)

 

コメント (5)

宮下奈都 『静かな雨』2019・文春文庫-一所懸命に生きる二組の男女を描く

2024年10月26日 | 小説を読む

 2019年のブログです

     *

 宮下奈都さんの『静かな雨』(2019・文春文庫)を読みました。

 表題作の「静かな雨」は雑誌『文学界』2004年6月号に掲載されたなんと宮下さんのデビュー作。

 それから15年しか経っていませんが、宮下さんは今や本屋大賞を受賞するような作家さんです。

 デビュー作とはいえ、「静かな雨」は完成度の高いいい小説です。

 交通事故で記憶力を失った女性とそれを支える男性の物語ですが、特に、女性の姿がすばらしいです。

 おおらかで、生き生きとしていて、もちろん、哀しみを抱えていますが、めそめそはしていません。

 静かな、静寂の中に、しっかりと生きています。

 男性やその家族も温かいです。

 びっくりしたのは男性の行助という名前。

 彼のお父さんが立原正秋さんの『冬の旅』のファンという設定ですが、宮下さんも立原正秋さんファンなのかな?

 さらに、併録の「日をつなぐ」は2008年の作品ですが、こちらも若々しい小説。

 若い夫婦に子どもが生まれて、その子育ての苦労をうまく書いていますが、なかなかリアルです。

 苦闘の末に、希望を見出したように見えますが、はたして二人の行方はいかに?という感じです。

 いい小説を二つも読めて、幸せな10月です。        (2019. 10記)

 

コメント

助言・明確化・藤山直樹さん-2019年精神分析学会・その1

2024年10月25日 | 精神分析に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 昨日から札幌で開催されている2019年精神分析学会に参加しています。

 昨日は藤山直樹さんが助言者の研修症例の分科会に出てみました。

 藤山さんはあいかわらずのきれの良さで、ポイントをズバズバと指摘されます。

 久しぶりに元気な藤山節を聴かせてもらって、こちらまで元気になりました。

 しかし、同じ資料を読んでいるのに、藤山さんの気づきの豊かさは驚きです。

 すごいな、と感心するとともに、少しでも近づきたいな、と思います。

 ポイントの指摘だけでなく、明確化のための質問の例示もていねいにされて、初学者にもとても勉強になりました。

 今日は一般演題。

 じーじは精神病の分科会などで、統合失調症の患者さんへの面接などを学びたいと思っています。      (2019.10 記)

     *

 2024年10月の追記です

 この時はリタイア後だったので、札幌までは飛行機ではなく、フェリーでのんびりと行きました。

 夏のようにデッキでビールを楽しむということはできませんでしたが、暖かな船内で呑むサッポロクラシックの味も格別で、いつものように船酔いの前に酒酔いでダウンして熟睡でした。

 どさんこのじーじですが、秋の札幌はおそらく初めて、初雪間近で、さすがに寒かったですが、道路の落ち葉がきれいでじゅうたんのようでした。

 学会後に、ホテルの暖かな部屋で呑むビールも最高でした(子どもの頃にはわからなかったもんなあ)。

 年を取るのもなかなかいいもんだな、と思うじーじでした。      (2024.10 記)

 

コメント

立原正秋『きぬた』1976・文春文庫-凛としたこころの父親を描く

2024年10月25日 | 立原正秋さんを読む

 2018年のブログです

     *    

 またまた本棚の隅っこに古い小説を見つけ出して、読んでしまいました。

 立原正秋さんの『きぬた』(1976・文春文庫)。

 じーじがまだ大学生の頃の本です(当時からこんな暗い小説を読んでいたんですから、やっぱりかなりネクラの大学生だったんでしょうね)。

 内容を一言で紹介するのはとても難しい小説で、あらすじもあえて書きませんが、生きる道に迷った男性とそれに翻弄される女性たち、そして、それらを静かに見守る主人公のこころの父親を描く、といったところでしょうか。

 もっとも、端正で、正確で、美しい日本語で知られる立原さんの小説ですので、登場人物の造形や内面描写はしっかりしていますし、男女の愛憎や親子の確執が描かれていても、底流には美しさへの希求が流れていて、読後感は悪くありません。

 立原さん独特の醜いものへの容赦のない切り捨てはありますが、一方で、弱きものへの心温かさも厳然として読み取れます。

 この小説、今回、久しぶりの再読でしたが、とてもおもしろく読めて、2日で読んでしまいました。 

 若い頃にはおそらく読めていなかった箇所も、この年になってようやくわかるようになったというところが結構あったように感じました。 

 凛としたこころの父親、というのは、主人公が育ったお寺の寺男をしていた老人のことで、この小説の真の主人公ではないかとじーじには思えます。

 お寺経営に走る実父とは対照的に、生きる道に迷った主人公を温かい眼で見守り続ける姿はとても素敵です。

 こういう男性像に若い時に憧れてしまうと、じーじのようにその後の人生で苦労をすることになりかねませんので、要注意です。

 しかし、きっと、こんな道を求めて、じーじはこれからも歩んでいくのだろうな、という悪い予感(?)もしています。

 この年になっても、そう思えるくらいのいい小説を再び読めて、幸せな2日間でした。           (2018. 10 記)

 

コメント

成田善弘『治療関係と面接-他者と出会うということ』2005・金剛出版-ていねいな精神療法に学ぶ

2024年10月24日 | 精神療法に学ぶ

 2019年のブログです

     *

 成田善弘さんの『治療関係と面接-他者と出会うということ』(2005・金剛出版)を再読しました。

 こちらも久しぶりで、なぜか付箋もアンダーラインもなくて、前回、どんなふうに読んだのか、やや不明です。

 白いページにアンダーラインを引いたり、付箋を貼ったりすると、いかにも、読んだ、という感じで、何か達成感がありますが、これは幻想ですね。

 感じたことを二つ、三つ。

 まずは、最近の(といっても2005年当時ですが)青年の病像が、「恥ずかしい」から「怖い」に変わってきている、という指摘。

 内面が脆弱で、傷つきやすく、内省型より行動型で、むかつく、きれる、という形になりやすい、と述べられます。頷けます。

 二つめは、心的外傷の問題。

 大切な視点だが、一方で、その過剰な流行は他罰傾向を強める危険性があるかもしれないと危惧されます。

 特に、心理療法においては、自分の内なる悪に気づいて、それを引き受け、それらの上で不幸を克服することが大切になる、と述べられ、精神分析の事後性という概念を説明されて、心理療法で物語を書き換えられる可能性を示唆されています。大事な点だと思われます。

 三つめは、面接において、簡単に納得をせずに、よりきくことの大切さ。

 丁寧にきくことで、わからないことがわかり、理解と共感が進む、と述べられます。

 ここはすぐ早わかりをしてしまうじーじの欠点を指摘されているかのようで、反省させられます。

 最後に、山中康裕さんの著作集にふれ、山中さんの心理療法のいろいろな技法がクライエントを理解するための「たましいの窓」になっている、と述べられています。

 「窓」論はいろいろ聞いてきましたが、「たましい」の窓というのはなかなかの表現で、でもよく考えると、すごいな、と思いました。

 いい本を読めて、明日からさらに丁寧な面接を実践しようと思いました。         (2019.1 記)

     *

 2022年秋の追記です

 「たましいの窓」という表現は、やはりすごいですね。

 それも、山中さんがおっしゃるのは当然(!)という気がしますが(山中さん、ごめんなさい)、精神分析の成田さんがおしゃっているところがとても面白いと思います。       (2022.9 記)

 

コメント

加賀乙彦『海霧』1992・新潮文庫-北海道の大自然の中の精神病院で働く心理療法士を描く

2024年10月24日 | 北海道を読む

 2018年のブログです

     *  

 加賀乙彦さんの『海霧』(1992・新潮文庫)を再読しました。

 久しぶりでしたが、いい小説で、いい物語を十分に堪能しました。

 加賀乙彦さんはご存じのように精神科医で小説家、その加賀さんが描く心理療法士はなかなかリアルです。

 描かれるテーマは恋愛、精神科医療、精神病院のあり方、精神病、心理療法、加えて、漁業、貧富の問題、そして、信仰、などなど、多様で多層的です。

 さらには、北海道の自然も魅力たっぷりに、しかし、自然の厳しさも含めて、美しく、確かな日本語で丁寧に描かれます。

 思わず引き込まれてしまい、ボランティアの最中にも読んでしまい(メンバーさん、ごめんなさい)、あっという間に読みおわりました。

 読後感はいいです。

 とても充足した感じです。

 結末は明るくはなく、幸せでもありませんが、なにか満たされたものを感じます。

 あらすじはあえて書きませんが、あらすじより行間にただようものを感じるのがいいのかもしれません。

 美しく、確かな日本語の合間から豊かな世界が垣間見れるような感じがします。

 精神的に少しだけ豊かになったような錯覚を覚えます。

 そう、おそらくは錯覚なのかもしれません。

 しかし、その錯覚があれば、しばらくはこころ豊かに過ごせそうな予感がします。

 そんないい小説です。

 どさんこのじーじは、小説の舞台となった自然豊かな道東の森や海にまた行きたくなりました。

 来年の夏が楽しみです。      (2018. 10 記)

 

コメント