2019年のブログです
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中井久夫さんの『こんなとき私はどうしてきたか』(2007・医学書院)を再読しました。
たぶん、数年前、大学院の精神科実習の頃に購入したのではないかと思いますが、その後、2種類の付箋が貼られていますので、読むのは今回で3回目だと思います。
本の帯に、希望を失わない力、とあって、統合失調症の患者さんへの細やかで、丁寧で、それでいて、実践的な配慮が綴られています。
もともとはある精神病院の医師と看護師の研修会での講義をまとめた本で、とてもわかりやすく述べられている点が特色です。
今回、印象に残ったことを一つ、二つ。
一つめは、妄想を語れる時期や独り言を語れる時期は、それまでの形のない恐怖に直面していた時期を抜け出した時にあたる、という指摘。
とかく、妄想や独り言は否定的にとらえがちですが、肯定的な見方も提示していて、すごいな、と思います。
二つめは、回復の度合いを、精神面でなく、身体面の診察で診るという視点。
ともすると、患者さんは焦りもあって頑張りがちですので、それよりも、睡眠、寝起き感、食事(特に、味わえるかどうか)、口の渇き、便通、などなど、体の調子を細やかに検討することで、病気の回復具合がわかる、と述べています。卓見です。
そして、三つめ。
すごくびっくりしたのですが、中井さんも、シェイクスピアさんの『ハムレット』を引用していました(3回目でようやく気づくとは、自分のどんくささにあきれますが…)。
それは、『ハムレット』にホレイショさんという誠実な家来が出てきますが、ハムレットさんとホレイショさんのあいだで、わからないことがいっぱいある、という命題が話題になるところを挙げて、中井さんは、ホレイショさんの原則となづけて、わからないことがいっぱいあるけど、でも、命にかかわるとはかぎらないよ、と話す、といいます。
まさに、わからないことに耐える、わからないことを尊重する、というシェイクスピアさん、キーツさん、ビオンさん、メルツアーさんなどのさまざまな人たちの知恵の再現だと思います。
考えれみれば、わからないことがあっても、それに動揺をしなければ不安にもなりにくいわけで、精神衛生は悪くなりにくいでしょう。
シェイクスピアさんはもっともっと大きなテーマも語っているような気もしますが、わからないことに耐える能力というのは、いずれにしても生きていくうえで、大なり小なり大切なことのようです。
遅まきながらの大きな驚きにおおいに喜び、さらに勉強をしていこうと思いました。 (2019.2 記)
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2021年1月の追記です
中井さんも、わからないことに耐える、ことの大切さを挙げておられることに、この時にようやく気づいて、本当にびっくりした記憶があります(勉強不足を反省です)。
あいまいさに耐えること、ネガティブ・ケイパビリティ(消極的能力・負の能力)の大切さです。
さらに勉強をしなければ、と思います。 (2021.1 記)
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2022年9月の追記です
庄司薫さんの『さよなら怪傑黒頭巾』(1973・中公文庫)を再読していたら、なんとこのハムレットさんとホレイショさんの場面が引用されていました。
大学1年生だったじーじは1回読んでいたのですが、素通りしてしまったようです。
それでも、50年後に気づいただけでも偉いかな? (2022.9 記)
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2024年1月の追記です
久しぶりに本書をぱらぱらと読んでいると、わからないことがいっぱいある、ということは、患者さんには新鮮な情報である、という記載に気がつきました。
患者さんの妄想の一つに、みんなわかられている、というのがあって、それが否定されるのがホレイショの原則だというのです。
中井さんはやはりすごいです。 (2024.1 記)