ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

娘が初めて巫女さんのアルバイトをした頃の思い出-子どもがおとなになっていく時を見守ること

2024年12月31日 | ひとりごとを書く

 12月に入り、ニュースを見ていると、時々、巫女さんの出てくるニュースを見かけます。

 巫女さんのニュースを見ると、じーじの娘が高校生の時に、初めてのアルバイトで巫女さんになった時のことを思い出します。

 その時の親子してのドタバタを以前、ブログに書かせていただきましたが、今年も再録します。  

     *   

 年末のニュースを見ていたら、神社の巫女さんのニュースが出てきました。

 それを見て、じーじの娘が初めて巫女さんのバイトをした頃のことを思い出しました。

 今から10数年前、娘が高校1年の冬です。

 朝早く、暗いうちからのバイトということで、親バカのじーじが車で神社まで送りました。

 大みそかの日、お昼のニュースを見ていると、なんと娘が映りました。

 いっちょまえの格好をして、熊手を渡しています。

 娘の渡す熊手でご利益があるのかな、と思いながらも、そういう娘の姿を見て、ふと、この子はじーじに何かがあっても、もう自分で生きていけそうだな、と感心したことを覚えています。

 それまで、妻と二人で、娘と息子を必死で一所懸命に育て、守ってきていましたので、少し安心した感じでした(実際には、娘はその後、私立の大学に進んだので、さらにたくさんのお金がかかったのですが…)。

 高校生のアルバイトには賛否両論があると思いますが、社会性をはぐくむという点ではいいのかもしれません。

 そんな娘も今は2人の女の子の母親。時々、孫娘たちと一緒に遊びに来ます。

 そういう時、正真正銘のじいじいになるじーじは、2人の孫娘たちを相手に遊戯療法のお稽古をさせてもらっています。

 孫娘たちも10年後、巫女さんのバイトをして、テレビに映るでしょうか。  

 二人とも美人ちゃんだからひょっとすると映るかもしれません。

 じーじの夢は果てしなく広がります。        (2014?記)

     *

 2019年12月の追記です   

 今日のお昼のニュースを見ていたら、娘がバイトをした新潟の神社で、高校生のバイトらしき可愛い巫女さんが映りました。

 寒い中で高校女子は今も頑張っているようです。         (2019.12 記)

     *

 2024年のご挨拶です

 本年もたいへんお世話になりました。

 ありがとうございました。        (2024.12 記)

 

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河合隼雄『子どもと悪』1997・岩波書店-「いい子」が自立をするために必要な「悪」を考える

2024年12月31日 | 河合隼雄さんを読む

 たぶん2016年ころのブログです

     *   

 ユング派の河合隼雄さんの『子どもと悪』(1997・岩波書店)を再読しました。

 もう何回目になるでしょうか。

 1997年の本ですから、かれこれ20年くらい読んでいることになります。

 何回読んでも、いろいろと考えさせられる本ですし、河合さんの本の中でもじーじが大好きで重要な本の一冊だと思います。

 内容は、悪と創造、盗みの意味、暴力と攻撃性、うそと秘密、秘密と性、いじめ、子どもをとりまく悪、などなど。

 いずれも、子どもの成長や自立をめぐって、「悪」の大切さを考察しています。

 ここでいう「悪」とは、人間が自立をする際に、ギリシア神話の中で、神さまから「火」を盗んだことに象徴されるような意味での「悪」です。

 そして、それは、子どもが神さまならぬ親から自立をするときに必要なものを意味するようです。

 そういえばかつて「いい子」だった(?)じーじにも、いろいろと心当たりがあります(?)。

 河合さんは、「いい子」のさまざまな問題を指摘し、「いい子」が親や教師などにとっての「悪」を経験することで、本当に成長し、自立をすると述べます。

 そして、「悪」の重要性と、おとなが「悪」を排除せずに、それらを見守る大切さを説きます。

 なかなか難しいことですが、じいじになったじ-じにはとてもうなずける点です。

 おとなが子どもに、じぶんたちにとって「よい」ことだけを求めすぎると、弊害が大きいことは、ようやく世の中の人々もわかりかけてきたのではないかと思います。

 おとなが理解をもって、長い目で子どもたちのいろいろな試行錯誤をゆったりとした気持ちで見守っていけたらいいなと思います。        (2016?記) 

     *  

 2018年秋の追記です 

 子どもの自立、おとなの成熟には、「悪」の問題と同じくらいに「秘密」の問題も大切だと思われます。  

 このことは精神分析でも重要なテーマで、土居健郎さんや藤山直樹さんなどが魅力的なお考えを述べられています。

 いずれご紹介できればと思ってます。        (2018.10 記)

     *

 2022年秋の追記です

 精神分析の藤山直樹さんが『続・精神分析という営み』の中で、「秘密」と「はにかみ」について述べていて、おとなへの道を理解する参考になります。       (2022.10 記)

     *

 2024年のご挨拶です

 本年もたいへんお世話になりました。

 ありがとうございました。        (2024.12 記)



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田中千穂子『ひきこもりの家族関係』2001・講談社-「ひきこもる」ことは、そんなに悪いことなのか!?

2024年12月30日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2018年のブログです

     *

 遊戯療法の田中千穂子さんの『ひきこもりの家族関係』(2001・講談社+α新書)を再読しました。

 これもかなり久しぶりの再読です。

 田中さんは(じーじが勝手に尊敬し、大ファンである)本当に信頼できる力のある臨床家。

 子どもの遊戯療法などの本をこのブログでも何回かご紹介していますが、その臨床場面のていねいさと細やかさはすばらしいものがあります。

 その田中さんの「ひきこもり」論。

 本の帯には、「ひきこもる」ことは、そんなに悪いことなのか!?とあって、なかなか刺激的です。

 今回もいろいろと示唆を受けたのですが、その一つめは、ひきこもりは「対話する関係」の喪失、という視点。

 個人の病い、というとらえかたでなく、家族や友人らとの間で、対話をする関係が不十分なために、傷つき、人間関係から撤退している状態、ととらえます。

 二つめは、ひきこもったあとの親への試し。

 親からの安全感が十分でなかったという感情を抱きがちな人が多いので、親がどれくらい本気で心配をし、考えているのかを試す、といいます。

 これについては、田中さんは、無駄を承知で、無駄なことを繰り返して、行動で心配していることを示すのが大切、と述べます。

 三つめは、本人がひきこもりから脱出しようとする際に、うまくいけば吉、失敗すれば死、という極端さの傾向。

 そうではなくて、必要なことは、少しずつ徐々に成功と失敗をくり返していくことである、と説きます。

 田中さんは、本書では、ひきこもりの本人との心理療法ではなく、親ごさんとの心理療法をいくつも提示しています。

 いずれのケースでもその面接の中で細やかでていねいな関わりを示し、そのことが親子関係のありかたの見本やとらえ直しになって、回復に結びつく様子を見ることができます。

 難しい治療ですが、ていねいで確かな心理療法の一端を垣間見ることができると思います。       (2018 記)

     *

 2021年秋の追記です

 同じ遊戯療法家で、精神科医、心理療法家の山中康裕さんが、お得意の「窓」論のほかに「内閉論」ということを述べられています。

 蝶が成長する時に、さなぎという、一見成長していないように見える時期があることに比して、人間も若い時に「内閉」の時期があり、実はそこでちからをたくわえているという視点で、ひきこもりにも有効な見方だと思います。       (2021.9 記)

 

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椎名誠『孫物語』2015・集英社-孫たちと,のんびり,ゆったり,遊ぶことの豊かさ

2024年12月30日 | シーナさんを読む

 2015年のブログです

     *

 シーナさんの最新作『孫物語』(2015・集英社)を読みました。

 とっても面白かったです。

 シーナさんはじーじよりちょうど10歳年上の71歳。

 じーじは昔から10歳年上の先輩を見習うような感じでシーナさんの小説を読んできました(シーナさんは迷惑だと言いそうですが…)。

 シーナさんのお孫さんは3人,じーじの孫は2人で,孫とのつきあいかたがこれまた参考になります。

 シーナさんのお孫さんシリーズも,『大きな約束』(2009),『続大きな約束』(2009),『三匹のかいじゅう』(2013)と続いて,本書が4作目。

 シーナじいじいが静かに,しかし,大活躍をして,あいかわらず素敵な小説です。

 じーじは2人の孫娘たちが遊びに来ると,遊戯療法の練習(?)のまねごとをさせてもらっていますが,シーナさんは自然体でとてもいい接し方をしていると思います。 

 まさに宣伝コピーどおり,「イクジイ」です。

 じーじも対抗して「イクじーじ」をめざして頑張ろうと思いました。        (2015.4 記)

     *

 2019年春の追記です

 4年ぶりに再読をしました。

 やっぱり面白かったです。

 孫たちの相手をすることは、シーナさんの場合は、お孫さんたちに三人三様の個性があって、それを大切にされていることがよくわかり、とてもいいです。

 弱い者をきちんと守り、楽しく遊び、そして、尊重をしていく姿が心地よいです。

 じーじの孫たちの場合も、それぞれに個性があって、発見と驚き、感心の連続ですが、とても面白いですし、相手のしがいがあります。

 孫たちが、頼ってくれたり、相手になってくれるうちが花、もうしばらく楽しみながら、つきあっていきたいと思います。        (2019.4 記)

 

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じーじの公園カウンセリングや訪問カウンセリングを再考する

2024年12月29日 | カウンセリングをする

 2023年1月のブログです

     *

 じーじのカウンセリングを少し再考したい。

 公園カウンセリング、あるいは、海岸カウンセリング、里山カウンセリング。

 公園や林や森、海辺などのベンチなどでカウンセリングをする。

 ベンチの配置によっては90°対面で面接をするが、普通はベンチに横並びに座って、同じ景色を眺めながらクライエントさんのお話を聴く。

 たまにベンチの後ろを散歩中の人が通ることもあるが、イメージとしては何か空気のカプセルの中でお話を聴いているような感じで、秘密も保持されている印象を受ける。

 精神科医の神田橋條治さんが、ベンチに座ってのカウンセリングの有用性を述べておられるので、悪い方法ではないと思う。

 赤ちゃんやちびっ子も一緒だと、彼らの様子を見ながらのカウンセリングになり、クライエントさんがあまりに急激な退行をせずに、現実感覚を保ってお話をすることが多いと思う。

 訪問カウンセリング。

 クライエントさんのお宅やお近くの施設などでカウンセリングをする。

 クライエントさんのお宅では、お部屋の構造にもよるが、ちゃぶ台などをはさんで、可能な時は90°対面で、無理なら180°対面でお話を聴く。

 お近くの施設などでは、90°対面、180°対面、あるいは、横並びに座って、お話を聴く。

 カウンセリングの時間は公園カウンセリングも訪問カウンセリングも1回50分。

 カウンセラーが面接に集中できる限界が45分から50分と言われており、それを守っている。

 クライエントさんがいっぱいお話をしたいことがある時は、翌日、あるいは、翌週に面接を予約してもらう。

 カウンセリングの頻度は、隔週1回か月1回。

 心理療法の世界では、週1回の面接で効果があるかどうかが議論されているのが現状で、可能ならばじーじもそうしたいが、いろいろなご事情でそれが難しいかたも多く、困難な事例はベテランにおまかせし、じーじは軽めのクライエントさんのお話をお聴きしようと思っている。

 月1回の面接でも元気になられるクライエントさんも少なくなく、それは心理療法ではない、といわれれば、それまでだが、じーじのしているのは心理的援助、あるいは、心理的支援という程度のものなのかもしれない、とも思う。

 料金は1回3,000円。

 悩むところだが、いろいろ考えて、現在はこの料金。

 ただし、低所得のかたやいろいろなご事情があるかたには配慮を考えたいので、ご申し出をいただけばご相談に乗りたい。

 以上が現時点でのじーじのカウンセリングについての再考である。      (2023.1 記)

     *

 2023年12月の追記です

 きたやまおさむさんとよしもとばななさんの対談を読んでいると、きたやまさんが、映画の小津監督を例に挙げて、日本人は横に並んでいっしょに同じ方向を見ることが愛の形になる、という指摘をされている。

 ひょっとすると、日本人は、大切なことは、横並びで話したり、聴いたり、あるいは、胸に秘めたままにしているのかもしれないな、と思ったりもする。       (2023.12 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 1954年、北海道生まれ  

 1977年、家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

 2014年、放送大学大学院(臨床心理学プログラム)修了  

 2017年、臨床心理士

 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の相談・援助などを研究

 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006、『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011、『遊戯療法学研究』)ほか 

 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 連絡先 メール  yuwa0421family@gmail.com    

 

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佐々木譲『憂いなき街』2015・ハルキ文庫-札幌が舞台のおとなの男女の恋愛を描く警察小説です

2024年12月29日 | 北海道を読む

 2016年のブログです

     *

 北海道在住の小説家,佐々木譲さんの小説です。

 おとなの小説です。

 おとなの愛と哀しみの小説です。

 いい小説です。

 久しぶりにおとなの心が揺さぶられました。

 北海道警察を舞台にした人気シリーズの一冊。

 覚せい剤の前科があるものの再起をはかるジャズピアニストと寡黙な刑事の愛と哀しみの切ない物語です。

 そこにもう一組,おとなの男女の刑事のぎこちない恋愛が絡みます。

 切なく,哀しいけれど,なんとなくにっこりできる,そんなしみじみとした小説です。

 若い頃,職場の先輩から,心理の勉強も大切だが,同時に,いい小説をいっぱい読みなさい,と言われたことがこころに残っています。

 人間が生きるということ,哀しみや苦しみ,喜び,愛すること,などなど,さまざまなことが学べます。

 学ぶというより,体験できるというほうが正しいでしょうか。

 人生の哀しみと喜びがわかるカウンセラーでいたいなと思います。        (2016.8 記)

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 2020年1月の追記です   

 再読しました。

 東直己さんの後、今度は佐々木譲さんの世界にはまっていて、またまた北海道物を読んでしまいました。

 やはりいい小説です。

 哀しくて、涙が出そうになりました。

 男の辛さと女の愛おしさが伝わってくるようです。

 じーじにはこんな切ない恋愛の経験はありませんが(?)、物語を読むことで少しは追体験ができるのかもしれません。

 カウンセラーとして、という前に、一人の男として、あるいは、一人の人間として、大切にしたいことに出合えたように思います。        (2020.1 記)

     *

 2023年12月の追記です

 信ずることのむずかしさとすばらしさを考えさせられます。

 盲目の愛情ではなく、合理的な疑いの中にあっても、愛する人をどれだけ信じられるのか、その人のこころの大きさと器の大きさがためされるのだろうなあ、と思います。

 そういう人になりたいです。        (2023.12 記)

 

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クリストファー・ボラス(館直彦ほか監訳)『精神分析の経験-事物のミステリー』2004・岩崎学術出版社

2024年12月28日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

     * 

 アメリカの精神分析家であるボラスさんの『精神分析の経験-事物のミステリー』(館直彦他監訳・2004・岩崎学術出版社)を再読しました。

 これもかなり久しぶりです。

 ボラスさんの本については、何冊かはこのブログにも感想を書いていますので、ご承知のかたもいらっしゃるかもしれません。

 アメリカ人ですが、イギリス独立派の精神分析を学んだ人で、ウィニコットさんやビオンさん、クラインさんなどの名前がたくさん出てきます。

 本書はその書名のとおり、精神分析という経験をていねいに描写して、その中で起きていることを学問的に考察しています。

 精神分析の経験がない人でも精神分析というできごとを想像できるような細やかな本だと思います。

 じーじも精神分析そのものの経験はなく、精神分析的心理療法の経験から想像をするしかないのですが、それでも精神分析の重要な概念や考えが多少は理解できるような内容になっていると思います。

 今回、勉強になったことの一つめは、ウィニコットさんのいう、二人でいて、一人でいる能力、の考え。

 じーじはこれまで、これは母子関係の中で、子どもが徐々に自立していく様子と単純に理解していました。

 しかし、これについては「本質的孤立」といって、成熟したおとなが、他者のいるところで一人でいるという能力に通じる大切な概念のようです。

 二つめは、破壊性の創造的側面ということ。

 これも基本は、母子関係の中で、母子分離のために、子どもが母親の(心理的)破壊を通して開放や自発性が起こる、と考えているようです。

 三つめは、これとも関連をしますが、母親が思いやりの中で子どもの(心理的)破壊を是認することで、子どもにすまなさや罪悪感が育ち、子どもがそれまでの万能感からの脱出や成長が可能となる、という考えです。

 いずれも、母子関係の中から、母親の愛情のもとで子どもがどう自立していくのかを考察し、成熟したおとなになる条件を考察していて、参考になります。

 今後も、臨床現場での経験をさらに積み重ねて、こういった概念を参考にし、確認をしながら、力のある臨床家になりたいと思いました。       (2018.5 記)

     *

 2020年11月の追記です

 よく考えると、ここでも、生き残ること、がテーマになっているようです。

 親が子どものわがままに耐えて、生き残ること、が子どもの自立や精神的成熟に大切なようです。        (2020.11 記)

 

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ドイツのサンタクロースって、なまはげさんみたいです-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年12月28日 | じいじ日記を書く

 2022年4月の日記です

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 テレビを見ていたら、古民家再生で有名なカールさんが出ていた。

 ご存じのかたもいらっしゃると思うが、カールさんはドイツ出身の建築家で、新潟の田舎に住み、古民家再生の仕事をされている。

 時々、カールさんやそのお友達が登場するテレビ番組が放映されていて、そのほのぼのとした雰囲気が好きで、見ることが多い。

 今回は冬の巻。

 新潟の雪景色の美しさと人々の温かさがとてもいい。

 そんな中でのカールさんの奥さんへのインタヴューの答えに驚く。

 ドイツでは、サンタクロースは怖い存在だと。

 知らなかった。

 日本と違って、ドイツのサンタクロースは、クリスマスイヴにプレゼントを持って現われ、その時に、いい子でいたか?と、まるで日本のなまはげさんのように聞くらしい。

 これは子どもにとって、とても怖い存在だ。

 いいお話を聞けた。

 世界には、国は変わっても、同じような存在がいるようだ。

 われらがなまはげさんが、ドイツのサンタクロースと同じような存在だと教わって、とてもうれしかった。

 なまはげさんはやはり世界基準のようだ。        (2022.4 記)

     *

 2022年12月の追記です

 先日、BSでドイツのサンタクロースの番組をやっていた。

 みんなのお尻を叩いて、とても怖そうなサンタクロースだった。

 世の中に怖いものがいることは大切なことだと思う。 

 怖いものがいないと、人間はおごり高ぶって、謙虚さを忘れてしまう。

 ねえ、プーチンくん。        (2022.12 記)

      *

 2024年1月の追記です

 ニュースを見ていたら、大みそかに秋田のなまはげさんが大活躍をしていた。

 悪い子はいねか!いい子にしてたか!とこわい、こわい。

 子どもたちもたいへんだ(?)。

 しかし、いいもんですねぇ!

 なまはげさんには、ぜひ、ロシアにも出張してもらいたいものだ。         (2024.1 記)

 

 

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田中千穂子「プレイセラピーとことば-つながるチャンネルをさがすこと-」2016・『遊戯療法学研究』15巻1号

2024年12月27日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2016年のブログです

     *   

 遊戯療法学会の学会誌である『遊戯療法学研究』の最新号が届きましたので、パラパラとめくっていたところ、新潟でいっしょに勉強をさせてもらっている研究会の先生やメンバーさんのお名前が二、三あり、うれしくなりました。

 そして、さらには、じーじがプレイセラピーの世界で一番信頼をし、尊敬をしている田中千穂子さんの文章がありました。

 遊戯療法事始め、というリレーエッセイで、田中さんは「プレイセラピーとことば-つながるチャンネルをさがすこと-」という文章を書かれています。

 とっても、いい文章です。

 論文なのですが、読んでいて、ふと涙が出てきそうになりました。

 田中さんの学生時代、サークル活動で公園で子どもたちと遊ぶ活動の時に、みんなと遊べないでいる子どもたちと少しずつつきあっていけるようになる経験が綴られます。

 気にはなるけれども、すぐには飛びつかずに、見守ることの大切さ。田中さんの臨床の真骨頂だと思います。

 そして、その後も、コミュニケーションが取りにくい子どもたちと、ていねいに慎重につきあっていく田中さんの姿が描かれます。

 まさに、ことばを使わない、しかし、確実なコミュニケーションができていくプレーセラピーの原点がそこに描かれます。

 ていねいに慎重で、しかし、時に大胆で、遊びごころ満載の田中さんが目に浮かぶようです。

 さらに、サブテーマの「つながるチャンネルをさがすこと」という言葉からは、山中康裕さんの「こころの窓をさがすこと」という言葉が連想されます。

 田中さんの臨床の魅力は、慎重なていねいさと大胆な遊びごごろがダイナミックに展開し、それを冷静にみることができる点にあるのではないか、とじーじは考えています。

 じーじも遊びごころだけはあるのですが(?)、ていねいさや冷静な理解力はまだまだ苦手で不十分だなと反省の毎日です。

 これからもていねいな臨床をこころがけて、田中さんのようなすてきな文章を書けるような人になりたいと思います。       (2016.5 記)

     *

 2019年5月の追記です

 明日から東京で2019年遊戯療法学会があります。

 田中さんが実行委員長。楽しみです。        (2019.5 記)

  

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じーじ、あやとりできる?-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年12月27日 | じいじ日記を書く

 2019年11月の日記です

     *

 週末で孫娘たちが遊びにやってきた。

 二人の誕生日が近いので、パパとママに新潟のおもちゃ屋さんで誕生日プレゼントを買ってもらうことが目的だったらしい。

 下の孫娘はアナと雪の女王のタブレット(?)、上の孫娘は電子ドラム(?)。

 (?)が付いているのは、説明を聞いてもじーじにはよくわからないためだ。

 二人で、ピューン、ピューン、ドンドンドン、とにぎやかなことだ。

 それでも新しいおもちゃにあきると、二階のじーじの部屋にやってきて、おりがみや粘土で遊んでいるところがおもしろい。

 そんな中、下の孫娘は、あやとりをやりながら、じーじ、あやとりできる?と聞いてくる。

 残念ながら、あやとりだけは苦手な(?)じーじが、あやとりはわからないな、教えてよ、というが、孫娘は、じゃあ、ばーばに教えてもらおう、と行ってしまう。

 今どきのじーじは、あやとりくらいできないとだめか、と思うが、しかし、ばーばにいろいろ教わるのもいいことだ、と自分を納得させる。

 にぎやかな中にも、いろいろと考えさせられる週末である。         (2019.11 記)

 

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クリストファー・ボラス(館直彦監訳)『太陽が破裂するとき-統合失調症の謎』2017・創元社

2024年12月26日 | 精神分析に学ぶ

 2017年のブログです

     *

 ボラスさんの『太陽が破裂するとき-統合失調症の謎』(舘直彦監訳・2017・創元社)を読みました。

 楽しみにしていた本で、すごくわくわくしながら読みました。

 ボラスさんはアメリカの精神分析家で、じーじもこれまでに何冊かの本を読んでいます。

 『精神分析という経験』(2004・岩崎学術出版社)という本はとてもいい本ですし、『終わりのない質問』(2011・誠信書房)もすごい本です(いずれもブログに感想文を書いていますので、よろしかったら読んでみてください)。

 今回の本は、統合失調症の患者さんへの精神分析的アプローチについて、多くの事例をもとにていねいに論じている本で、表題の、太陽が破裂するとき、はある患者さんの言葉です。

 内容は、事例が中心ですので読みやすいのですが、中味を理解するのはなかなかたいへんです。

 少なくとも、数回、自分の経験などとも照らし合わせながら読み深めていかないと、理解できないのではないかと思います。

 それでも、今回、勉強になったことは、まずは、患者さんの論理構造、思考構造をていねいになぞることの大切さ。

 なぞる、というと、精神療法家の下坂幸三さんの、言葉ですが、同じような細やかでていねいな作業をされているような印象を受けました。

 そういえば、下坂さんも精神分析の勉強から精神療法に入られたかたです。

 何か共通点があるのかもしれません。

 ボラスさんのなぞりはかなり徹底的で、そこに精神分析的な手法や考えが使われます。

 患者さんの一見支離滅裂な言葉から、つながりを見つけ出すその技はすごいですし、感動的です。

 そして、そういう作業を患者さんと一緒にやっていくことが、精神分析の、もの想い、につながり、情緒的体験を可能にするといいます。

 ここまでくると、もう完全に精神分析の世界になりそうです。

 なかなかたいへんな作業ですが、じーじも少しずつでも勉強し、努力をしていきたいと思いました。           (2017 記)

     *

 2019年4月の追記です

 「精神分析研究」63巻1号に東中園聡さんが本書の書評を書かれています。

 さすが東中園さん、というすばらしい文章で、読み応えがあります。

 じーじがよく理解できていなかったところもわかりやすく説明されていて、勉強になります。

 こんなふうな文章が書けるようになりたいなあ、と思いました。

 まだまだ勉強を深めていく必要があります。         (2019.  4 記)

 

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ブログは匿名の日記のようなものだから何を書いてもいい、という人について考える-じーじのひとりごと

2024年12月26日 | ひとりごとを書く

 2024年12月のブログです

     *

 以前、ブログは匿名の日記のようなものだから何を書いてもいいんだ、という人に出会ったことがある。

 認知症のお母さんが部屋中にうんこをして、その後始末が大変だが、頑張っている、という内容のブログだった。

 介護は大変だな、と思うと同時に、ふと、お母さんのプライドについて考えてしまった。

 それで、介護で大変なのはわかるが、お母さんのプライドはどうなるのだろう?とコメントを書いたら、表題のようなリコメントが来た。

 加えて、認知症の老人が排泄に失敗するのは当然のことで、母も理解しているから、ということだった。

 なるほど、と思う一方で、しかし、やはりお母さんが可哀そうではないか、という想いが消せなかった。

 お母さんが直接読まなくても、まったくの他人の老人がこういう内容のブログを読んだ時に、将来、自分も子どもに似たような内容のブログを書かれてしまうのでないか、という不安を与えてしまいそうに思ったからである。

 確かに、匿名なら、個人の情報は洩れないし、個人の尊厳は守られるのかもしれないが、しかし、だからといって、それでいいのだろうか。

 日記を書きたいのなら、日記帳に書くか、パソコンに書いて保存をすればいい。

 しかし、それを、匿名とはいえ、公開するとなると、誰かが読むわけで、公開をした責任が生じるのではないかと思う。

 家族や親族の悪口を匿名で書いているブログを時々、散見するが、じーじいつも悲しい気分になる。

 内容もそうだが、そういう行為が悲しい気がする。

 匿名のブログの悪い面や欠点がもろに出ている例だと思う。

 思わず愚痴をこぼしたい気持ちは十分にわかるが、匿名とはいえ、悪口やプライバシーの侵害に当たることを公表していいのだろうか。

 そういうことが許されるのだろうか。

 それも言論の自由の範囲内なのだろうか。

 いろいろと考えさせられられる最近のじーじである。        (2024.12 記)

 

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サンタさんの贈りものを孫娘たちといっしょに不思議がること-遊ぶことのちから

2024年12月25日 | 遊ぶことのちからを考える

 クリスマスのサンタさんをめぐる孫娘たちとのやりとりが数年前にあって、それがけっこう面白かったので、以下に再録します(2014年ころ、上の孫娘が4歳、下の孫娘が1歳ころのことです)。

     * 

 久しぶりに孫娘たちが遊びに来ました。

 上の孫娘が、サンタさんがプレゼントをくれたの、といって、赤い水玉の洋服を着たシルバニアを見せてくれました。

 下の孫娘も、ウーウー(そうだよ!)、といいます。

 じーじが、サンタさんは煙突から入ってきたのかな?と聞くと、上の孫娘は、うちにはえんとつはないの、といいます。

 じーじが、それじゃあ、窓かな?と聞くと、上の孫娘は、まどにはかぎがかかっているし‥、といいます。

 じーじが、不思議だね、といいますと、上の孫娘も、ふしぎだね、といいます。

 下の孫娘も、ウーウー(そうだねぇ)、といいます。

 サンタさんを何歳まで信じられるかが、幸せのバロメーターだという説があります。

 夢はできるだけ持ち続けたいものだと思います。

 また、おとなにわかることはきちんと伝えたほうがいいと思いますが、わからないことはどうすればいいでしょうか。

 人生、おとなにだってわからないことだらけです。

 じーじは、わからないことは、わからないねぇ、不思議だねぇ、でいいと思うのです。

 そして、子どものわからないことに丁寧に付き合うこと、それが大切ではないかと思います。

 わからないんだけれど、突き放さずに、丁寧に寄り添うこと、それが大切だと思います。

 子育てでも、カウンセリングでも、そこが大きなポイントかもしれまをせん。

 わからないことだらけでも、じっくりと付き合っていける生き方をしていきたいと思います。              (2014. 12?記)

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 2020年12月の追記です

 この時は知らなかったのですが、人生のわからないことやあいまいさに耐えること、これを詩人キーツさんはシェイクスピアさんをひいて、ネガティブ・ケイパビリティ(消極的能力・負の能力)と呼びました。

 精神分析でも、ビオンさんがこのことにふれて、その大切さについて述べています。

 これについては、「居心地」さんのブログが、2020年6月に、精神科医で小説家の帚木蓬生さんの『ネガティブ・ケイパビリティ』(2017・朝日新聞出版)という本をていねいにご紹介されていて、とても参考になります。         (2020. 12 記)

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 2024年12月の追記です

 キーツさんのネガティブ・ケイパビリティの考え方を、精神分析の土居健郎さんが『新訂・方法としての面接-臨床家のために』 (1992・医学書院)で紹介されています。

 日本では初めてだったのではないでしょうか。

 じーじはこの本で土井さんがキーツさんのことを紹介していることをおそらくは理解できずに、全然覚えていなくて、2019年頃にネガティブ・ケイパビリティが話題になった時に初めて気づきました(おそまつですねぇ)。

 土居健郎さんはやっぱりすごい臨床家です。        (2024.12 記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 1954年、北海道生まれ  

 1977年、家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

 2014年、放送大学大学院(臨床心理学プログラム)修了  

 2017年、臨床心理士

 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の相談・援助などを研究

 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006、『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011、『遊戯療法学研究』)ほか 

 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 連絡先 メール  yuwa0421family@gmail.com    

 

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わからないことに耐えることやあいまいさに耐えることの大切さについて考えてみる-精神分析に学んだこと、一つ、二つ

2024年12月25日 | 心理臨床を考える

 2024年11月のブログです

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 わからないことに耐えることやあいまいさに耐えることの大切さについて考えてみる。

 精神科医の中井久夫さんは、シェイクスピアさんの『ハムレット』を引用して、世の中には人間の力ではわからないことがいっぱいあること、そして、わからないことに耐えることの大切さについて述べている。

 人はわからないことがあると不安になるが、そこで安易に結論を急がずに、わからないことに耐えて考え続けることの大切さに言及し、それが希望を失わないためにも大切なことだと述べる。

 一方、精神分析のビオンさんは、詩人キーツさんがやはりシェイクスピアの作品の中にあいまいさに耐えることの大切さについて述べていることに触れ、早急に結論を出すことに消極的な能力、負の能力(ネガティブ・ケイパビリティー)の重要性について述べている。

 わからないことやあいまいなことに耐えて考え続けることは、成熟をした人格には不可欠な要素の一つであるようだ。

 人格が未熟な人は、早急な結論を求めて、考え続けるということが苦手だ。

 白か黒か、右か左か、イエスかノーか、などと二者択一の答えを求めがちだ。

 しかし、おそらくは、正解はその間のグラデーションの中のどこかにあるのだろうと思う。

 社会的には、自分の考えを主張し続けて、対立をあおるのではなくて、話し合いの中で、妥協点や一致点を見出していく作業が成熟した社会である。

 十分な話し合いをせずに自己の正義のみを主張するような人は、社会を分断し、差別し、違う意見の人を排除することになるだろう。

 多数決の原理は、一見、民主的に見えるが、話し合いが十分でない社会では、数による支配、力による支配になり、それは、独裁や全体主義、ファシズムの一歩手前の危険性をはらむ。

 ヒトラーだって、当時、最も民主的と言われたワイマール憲法のもとで合法的に政権を獲得し、その後は数と暴力でナチズムを推し進めたことを忘れてはならないだろう。

 わからないことに耐えることやあいまいさに耐えて考え続けるという成熟した人々が行なう政治が、こういった危険性を防ぐことになるのではないかと思われる。       (2024.11 記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 1954年、北海道生まれ  

    1977年、浦和、新潟家庭裁判所で家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

    2014年、放送大学大学院修了(臨床心理学プログラム・修士) 

    2017年、臨床心理士

 仕事 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを研究しています

 学会 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006、『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011、『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 mail  yuwa0421family@gmail.com    

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きたやまおさむ『みんなの精神科-心とからだのカウンセリング38』1997・講談社

2024年12月24日 | 心理療法に学ぶ

 2016年ころのブログです

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 きたやまおさむさんの『みんなの精神科-心とからだのカウンセリング38』(1997・講談社)を再読しました。

 この本もずいぶん久しぶりです。

 きたやまおさむさんの本名は北山修さん。学者としては本名を名乗ります。

 そんなきたやまさんが一般向けに書いた精神科の本です(その後、文庫本も出ているようです)。

 もともとは雑誌・話の特集に連載された精神科についての連載。

 精神科の病気についてやカウンセリング、文化論、映画、などなど、多岐にわたって、気楽に読める文章が並びます。

 今回もいくつか印象に残った箇所がありました。

 ひとつは、子どもがおとなになることについての文章で、秘密をもつことと嘘をつくことの意味。

 子どもがおとなになるのはなかなかたいへんだなと考えさせられます。

 もうひとつは、サンタクロース。

 サンタクロースを信じられることは、子どもに楽観的な感覚を持たせてくれるといいます。

 そして、幻想が幻滅に至る過程にていねいにおとながつきあうことの大切さを述べます。

 以前、サンタさんについてのブログにも書いたように思いますが、やはりサンタさんをどれくらい信じられるかが子どもにとってはとても大切なことになるようです。

 さらには、きたやまさんお得意のつるの恩返しのお話。

 きたやまさんは、つるが逃げ去ることで終わらないで、つるの国まで追っかけて行って、つるを連れもどすことから、悲劇ではない、新しい物語が始まるかもしれない、といいます。卓見です。

 最後は、映画「マディソン郡の橋」。

 小児科医で精神分析家のウィニコットさんが、子どもが母親と二人でいて、一人でいることの大切さを述べていることに触れ、最後に出ていかない母親の大切さを指摘します。

 最近は、出て行ってしまう母親も増えていますが、深い考察が述べられています。

 軽い読み物ながら、考えさせられたり、刺激されることの多い本だと思います。               (2016?記)

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 2020年12月の追記です

 つるや母親が出ていかないで、ボロボロになりながらも、その場に「生き残ること」の大切さを精神分析では考えます。

 子育てはたいへんなことですが、周りの協力も得て、子どものそばで「生き残る」親が重要なようです。         (2020. 12 記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 1954年、北海道生まれ  

 1977年、家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

 2014年、放送大学大学院(臨床心理学プログラム)修了  

 2017年、臨床心理士

 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の相談・援助などを研究

 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006、『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011、『遊戯療法学研究』)ほか 

 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 連絡先 メール  yuwa0421family@gmail.com    

 

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