ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

宮内勝『増補・精神科デイケアマニュアル』1997・金剛出版-丁寧で親切な精神科臨床に学ぶ

2024年08月11日 | 精神科デイケアで考える

 たぶん2017年ころのブログです

     *

 宮内勝さんの『増補・精神科デイケアマニュアル』(1997・金剛出版)を再読しました。

 数年前に精神科デイケアで大学院の実習を受けた時に買った本ですので、5年ぶりくらいです。

 このところ、精神科デイケアについて少し考えていて、デイケアの本棚(いつも見ているコラージュ用の絵本や雑誌の本棚ではなく、メンバーさんの読書用の本棚のほうです)に置いてある統合失調症についての本やデイケアについての本を読んでいるのですが、自分の本棚にあったこの本も読んでみました。

 例のごとく、あちこちにアンダーラインや付箋があるのですが、内容はかなり忘れてしまっていて、またまた新鮮な気持ちで読みました。

 ただし、二回目の読書となると、この間の経験も加味されるのか、以前とは違ったところに付箋をはったり、アンダーラインをひいて、勉強になりました。

 今回、勉強になったのは、居場所としてのデイケアというところで、新人は少しずつ時間を増やしていけばいい、というところで、もちろん現場ではそういう配慮が慎重になされていますが、実際に今もそういうメンバーさんの姿を目の前で見ているので、とても参考になりました。

 また、スタッフがあまり焦ってプログラムを楽しいものにしないで、少しだけ楽しめる程度のほうがメンバーさんにはいい、との指摘も重要と思われました。

 ともすると、ついつい、楽しいことはいいことだ、と思いがちですが、それよりも、メンバーさんが主体的に少しずつ楽しんでいける場を援助することが大切になるのだな、と再確認ができたように思います。

 メンバーさんのペースを尊重して、楽しみすぎやはじゃぎすぎでメンバーさんが疲労することに配慮をする必要もありそうです。

 さらには、適度な休息や昼休みの休憩の確保も課題になりそうに思います。

 他にもいろいろと考えさせられるテーマが目白押しの本です。

 具体例を踏まえて、ていねいな検討やこまやかな記述がなされていますので、とても参考になります。

 今後も経験を重ねて、読み深めていきたいと思いました。       (2017?記)

 

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迷うこと・付き合うこと・待つこと-精神科デイケアで考える

2024年08月09日 | 精神科デイケアで考える

 2019年のブログです

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 先日、精神科デイケアにお邪魔した時にケース検討会があった。

 その時に、あるスタッフさんが、メンバーさんから、調子が悪いので休んでいます、と言われた時に、無理をしないで休んでね、と言うべきか、それとも、もう少しだけ頑張ってみない?と言うべきか、あるいは、他に言い方があるのか、すごく迷う、との発言があった。

 無理を重ねて病気になったメンバーさんが多いだけに、難しいところだ。

 その時はうまい話ができなかったが、ずっとそのことを考え続けている。

 今、考えていることは、スタッフさんの迷いをそのまま返してみてはどうか、ということ。

 無理をしないで休んでほしいと思うけれど、少しだけ頑張ってみることも大切かな?とも思うんだけど、迷うね、とでもお話をすればいいのかな、と思ったりする。

 いずれにしても、スタッフが、性急に結論を出してしまうと、メンバーさんはそこで考えることをやめてしまうので、スタッフは結論を保留して、結論はあくまでメンバーさんが考え、決めることが大切になりそうだ。

 それが、メンバーさんの成長や自立に繋がるのだろうと思う。

 スタッフに求められるのが、ここでもキーツさんのいう消極的能力(負の能力)になるようだ。

 考えてみれば、これはカウンセリングでも同じことだ。

 カウンセラーが、焦ることなく、早わかりをしないようにして、じっくりと、丁寧にクライエントさんに付き合うことが大切なんだろうと思う。

 つい早わかりをしてしまうく悪い癖のあるじーじには、大切なことになりそうだ。     (2019.2 記)

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 2022年5月の追記です

 拙い経験だが、わからないことに耐えることやあいまいさに耐えることの実践バージョンの一つの例のような文章かなと思う。

 経験を積み重ね、さらに考えを深めていければと思う。     (2022.5 記)

 

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電話相談や面接相談に頼りすぎることからの自立をめざして-精神科デイケアで考える

2024年08月08日 | 精神科デイケアで考える

 たぶん2016年ころのブログです

     *

 精神科デイケアでボランティアや勉強をさせてもらっています(メンバーさん、スタッフさん、ありがとうございます)。

 メンバーさんとお話をさせてもらったり、メンバーさんの相談ごとに耳を傾けさせてもらったりしながら、一緒にいろいろなことを考えさせてもらっています。

 スタッフのみなさんも、毎日のプログラムのほかに、メンバーさんからの相談ごとや悩みごとをお聞きしたり、それらへの助言などで、毎日忙しそうです。

 そんな中でひとつ気になったのが、メンバーさんからの頻回の電話相談や頻回の面接相談の依頼です。

 メンバーさんがとても不安な時に、気軽に電話で相談をしたり、面接相談を依頼できるということはとても大切なことだと思うのですが、一方で、それがあまりに過度になると、本当にメンバーさんの自立や成長につながるのだろうか、と少しだけ心配になります。

 昔、じーじが家庭裁判所で働いていた時にも同じようなことがあって、頻繁に電話をかけてくる人や予約なしに頻繁に訪ねてくる人たちがいて、対応に苦慮しました。

 その時には、頻回の電話には、時間を指定したり、通話時間を決めるようにして、約束の中での安定した電話相談にするように工夫をしたり、また、突然の面談についても、時間を指定したり、面接時間を決めさせてもらって、やはり、約束をした中での安定をした面接相談にするように工夫をしたりしていました。

 これらは、不安にかられて行動化をしてしまう人たちに、時間や方法をできるだけ「構造化」をして安定をしてもらい、不安をおさめてもらうというじーじなりの工夫だったと思います。

 不安をしずめることや行動化をおさめていくことはそう簡単なことではないでしょうが、少しずつでも約束の中での安定をした「相談」にしていくことが大切ではないかと思っています。

 これからももっともっと勉強が必要です。       (2016? 記)

     *

 2023年6月の追記です

 じーじがメールカウンセリングを始めた時にも、頻繁にメールをしてくるかたがおられて困ったことがありました。

 中には、今、手首を切ってしまいました、というメールも入って、混乱したりしました。

 最初は特に無料で、規則も決めずに始めてしまったので、クライエントさんを混乱させてしまったと反省しています。

 その後、メールカウンセリングでも、メールの間隔などを決めて、守っていただくようにしています。

 カウンセリングの構造や決まりがしっかりすると、それを守ることで、クライエントさんの耐性も向上するようです。

 そういう中でクライエントさんの力がついていけばいいな、と考えています。      (2023.6 記)

 

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尾崎新『対人援助の技法-「曖昧さ」から「柔軟さ・自在さ」へ』1997・誠信書房

2024年08月07日 | 精神科デイケアで考える

 2014年のブログです

     *

 尾崎新さんの『対人援助の技法-「曖昧さ」から「柔軟さ・自在さ」へ』(1997・誠信書房)を読みました。

 尾崎さんのことはボランテアでおじゃまさせていただいている精神科デイケアの本棚で偶然,尾崎さんの『臨床・精神科デイケア論』(1992・岩崎学術出版社)を見つけて読んでみたところ,これまでにいくつか読んだデイケア論の中で一番おもしろく読めてファンになりました。

 ウィニコットさんを中心に「ほどよさ」を論じているところが新鮮でした。

 続けて読んだこの『対人援助の技法』も,対人関係の「援助」について丁寧な論考がなされていて参考になります。

 精神分析の考え方も参考に深い考察がなされており,援助者が陥りがちな陥穽に警告をしていると思います。

 今後に大切な一冊になりそうだと思いました。       (2014.4 記)

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 2023年12月の追記です

 尾崎さんのこの本、久しぶりにパラパラとめくってみました。

 なかなか難しい本で、今のじーじの力でもまだまだ理解が十分とは言えない感じです。

 当時、よくチャレンジしたものだと感心します(?)。

 サブタイトルにあるように、曖昧さや多様さは奥の深さや幅の広さに繋がり、柔軟さや自在さに繋がるようです。

 そして、そのしなやかさを支えるものがゆとりや自由さのようであるとおっしゃっています。

 おそらく、そこには、ウィニコットさんのいう、遊ぶこと、の大切さがあるようにじーじには思われます。

 もっと、もっと、勉強をせねばなりません。       (2023.12 記)

 

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精神科デイケアで絵本を読んでみました-精神科デイケアで考える

2024年08月06日 | 精神科デイケアで考える

 たぶん2015年ころのブログです

     *      

 精神科デイケアで勉強をさせてもらっています。

 今日は「絵本」のお話です。

 最近、精神科デイケアで絵本を読んでいます。

 疲れている時などには、絵本がこころを癒してくれます。

 絵本を読むようになったきっかけは、コラージュ用の本棚にあったたくさんの絵本。

 デイケアにはコラージュ用にかなりの本が本棚に並んでいて、じーじは暇な時に登山雑誌や旅行雑誌、そして、子ども向けの絵本などをよくお借りして読んでいます。

 特に、子ども向けの絵本は、「こどものとも」という知る人ぞ知る、うちの子どもたちも子どもの頃にお世話になった絵本がたくさん並んでいて、飽きることがありません。

 本棚から絵本をお借りしてきて読んでいると、「絵本ですか…」とか「面白いですか?」と、やや軽蔑の色のお言葉があったりしますが、心理学的に「生き残る」ことの大切さを学んだばかりのじーじは、決してめげずに、「なかなか楽しいですよ」とお話をします。

 デイケアのメンバーさんには真面目なかたが多いので、いいおとなが絵本なんかを読んではいけない、という雰囲気があるのかもしれません。

 しかし、そのうちに、興味を持ったメンバーさんがたまに寄ってきて、「面白いですか?」「ちょっと読ませてください」とおっしゃって、読書の輪ができたりすることもあります。

 子ども向けの絵本は、子どもだけでなく、おとなが読んでも面白く、楽しく、読むと元気をもらえる本がたくさんあります。

 いわばこころの栄養素です。

 これを見逃す手はありません。

 いろいろとあってくたびれた時には絵本が一番です。

 今後もデイケアの本棚から絵本をお借りして、こころに栄養を補給しようと思います。           (2015?記)


 

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精神科デイケアでお昼寝をしてみました!-精神科デイケアで考える

2024年08月05日 | 精神科デイケアで考える

 2015年のブログです

     *

 精神科デイケアでボランティアと勉強をさせてもらっています。

 今日は、お昼寝!のお話です。

 デイケアでは昼食のあと、お昼休みの時間があります。

 みなさん、お話をしたり、リラックスをしたり、買い物をしたり、あるいは、和室でお昼寝をしたりして、午後からのプログラムにそなえます。

 じーじも年寄りなので(!)、午後にそなえて、のんびりとしていることが多いです。

 ところが、メンバーさんを見ていると、一部のメンバーさんですが、お昼休みでも、とてもお元気に、休み時間中、おしゃべりをしている方々がいらっしゃいます。

 それでリラックスができればいいのですが、どうも過度に張り切りすぎて、おしゃべりをしすぎている印象を受けます。

 昼休みいっぱい、おしゃべりをしていて、それで疲れてしまい、午後からのプログラムに出られなかったり、午後はソファーで居眠りをしていたり、さらには、途中で帰宅をしたりする人もいます。

 それでは何のための昼休みかわかりません。

 昼休みは午後にそなえて、ゆっくりと休まなければなりません。

 それが社会復帰の第一歩にもなります。

 そういうわけで、昼休みに、じーじは率先をして(?)、自分の席でお昼寝をすることにしました。

 考えてみれば、じーじは裁判所で働いていた時も、年を取ってからは、昼休みは電話番をしながら、自分の席でお昼寝をしていました。

 その成果が今、発揮されます(?)。

 はたして、みなさんのお手本になれるでしょうか。

 今日もまた、じいじいのじーじは、張り切って(?)、自分の席でお昼寝に頑張ります。       (2015 記)

     *

 2023年6月の追記です

 その後、おしゃべりが楽しみで、それで元気になるメンバーさんもいらっしゃるので、午後のプログラムへの出欠のことはあまりこだわらなくてもいいのでは、というご意見をいただきました。

 そういうご意見をいただき、今も時々考えています。

 メンバーさんが元気になることやその過程や方法などなど。

 なかなか難しい問題を含んでいるなあと思います。

 ともあれ、メンバーさんが元気になってくださることが一番です。      (2023.6 記)

 

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精神科デイケアの音楽鑑賞の活動に参加して考えたこと-悲しみをこころから悲しむこと

2024年08月04日 | 精神科デイケアで考える

 たぶん2014年のブログです

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 精神科デイケアでの活動を続けさせてもらっています(メンバーさんやスタッフのみなさん、ありがとうございます)。

 最近、音楽鑑賞の活動に参加していて、ふと考えました。

 メンバーさんは楽しい歌やにぎやかな歌、恋愛の歌など、さまざまな歌を選んでいらっしゃいます。

 しかし、じーじはなぜか、別れの歌が多いな、と気づきました。

 小田和正、財津和夫、かぐや姫、吉田拓郎などなど。

 なぜなのでしょう(?)。

 若いころに失恋や片想いの経験が多かったせいでしょうか(?)。

 そんなじーじが家庭裁判所で働いていた時に、離婚や親権などをめぐって争う人たちをいっぱい見てきました。

 そういう時、当事者のみなさんは、相手が悪い、相手のせいだ、と相手のみを攻撃したり、非難したり、恨む姿ばかりでした。

 その姿は幸せからはとても遠いものでした。

 精神分析では、悲しみをしっかりと悲しめないと、恨みや怒りが生ずると説明します。

 別れの悲しい時には、できれば悲しみをじっくりと味わうことが必要なようです。

 じーじたちは、別れの時に、ついつい相手ばかりを攻撃しがちですが、別れの名曲にはそういう姿はなく、じっくりと悲しみをかみしめているような歌が多いと思います。

 そういう歌に触れることで、非難や怒りや恨みの気持ちが小さくなっていくような気がします。

 よき別れの歌を聴くことは、自分の汚れたこころをきれいにしてくれるのかもしれません。

 これからも悲しみをじっくりと悲しめるような歌を聴いていきたいと思います。       (2014?記)

 

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精神科デイケアのテニスグループの活動に参加して-精神科デイケアで考える

2024年08月02日 | 精神科デイケアで考える

 2014年のブログです

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 精神科デイケアのテニスグループの活動に参加させてもらっています。

 テニスは50歳くらいからしばらくスクールに通っていたので、なんとかなるかなと思っていたのですが、何年かのブランクの影響は予想以上に大きく、ゲームでは足ばかりドタバタさせて、あやうくころびそうになったりしました。

 スタッフもそんなじーじを心配してか、最近は初心者のメンバーさんの練習相手を命じられて、毎回、初心者のメンバーさんを相手にショートラリーの練習をしています。

 しかし、ここがじーじの非凡なところ(?)。

 教えることこそ、学ぶこと、という昔のことわざを思い出して、毎回、正確なボール出しと返球を心がけて精を出しています。

 これは昔も職場の若い初心者相手に経験があるのですが、全くの初心者に返しやすいボールを打つことは自分のコントロールをつけるには一番の練習になります。

 デイケアのみなさんも若い人ばかりですので、返しやすいボールを出していると、みるみるうまくなってきます。

 その成長の速さにはびっくりさせられますし、年寄りのじーじにはまぶしいかぎりです。

 時に疲れると、若い上手なメンバーさんに練習相手を変わってもらいます。

 上手なメンバーさんも初心者のメンバーさんを教えることで、教える喜びを経験してもらえれば、それもとても大切な経験になりそうです。

 たまには、初心者のメンバーさんもゲームにも参加できるようになって、みなさん、テニスの面白さと奥深さを楽しんでいるいるようです。

 じーじもメンバーさんも、みなさんのナイスプレーにはおおいに称賛をし、惜しいプレーには本当に残念がります。

 いずれにしても、メンバーさんの輝く笑顔がとても素敵です。

 テニスがメンバーさんのこころの「窓」になっていることが実感できます。

 じーじもボランティアとして、なにができるのか試行錯誤の日々ですが、これからも楽しみながら、やっていきたいなと思っています。       (2014 記)

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 2019年1月の追記です

 新しいメンバーさんが参加されました。

 それでじーじが練習相手に。

 右へ、左へと、大変でしたが、ラケットにうまく当てています。

 あとはコントロール。

 ボールのコントロールは生活全般のコントロールに通じそうな気がします。

 だんだんうまくなるメンバーさんを見ていると、こちらもうれしくなります。

 頑張れ、メンバーさん!そして、じーじも…(?)。      (2019. 1 記)

 

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精神科デイケアのメンバーさんのこころの「窓」としての音楽・スポーツ・作品-精神科デイケアで考える

2024年08月01日 | 精神科デイケアで考える

 たぶん2014年ころのブログです

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 精神科デイケアにおじゃまさせていただいています。

 精神科デイケアでメンバーさんと一緒にプログラムに参加をしていると、ふだんはあまりご自身のお気持ちを表さないメンバーさんが、プログラムによっては、ご自分のお気持ちや感情をとても豊かに表現されるところに出会うことがあります。 

 まず多いのが音楽の時間。

 音楽鑑賞やCD紹介、あるいは、カラオケなどで、ご自分のお好きな曲やそれにまつわる思い出などをご披露されますが、ふだんのご様子からはびっくりするほどのとても豊かな感情表現をされて、感動させられることが多々あります。

 音楽がまさに、精神科医で心理療法家の山中康裕さんのいうところの、こころの「窓」になっているようです。

 また、スポーツもメンバーさんの個性の表現や意志の表現としてとても大切なようです。

 メンバーさんの目いっぱいのがんばりを拝見すると、こちらも力が入りますし、とてもうれしくなります。

 さらには、メンバーさんがつくる作品の数々。

 コラージュ、塗り絵、絵画、書道、手芸、その他もろもろ。

 いずれもメンバーさんの努力と工夫の先に個性と感動が光ります。

 下手な芸術家の作品より、こころを揺すぶられるようなことも少なくありません。

 山中康裕さんは、カウンセリングにおいて、こころの「窓」が大切であることをなんども述べておられますが、メンバーさんのこころの「窓」としての音楽やスポーツ、さらには、作品などを見ていると、本当にそう思います。

 これらのものが、メンバーさんにとって、とても大切なこころの表現手段やこころの活動手段になっていることがうなずけます。

 なかなかむずかしいことですが、これからもメンバーさんのこころの「窓」を大切にできるようなよき臨床家になりたいと思います。    (2014?記)

        * 

 2019年1月の追記です

 先日、デイケア恒例の書き初め会がありました。

 メンバーのみなさん、本当に上手!

 じーじなどは逆立ちをしても及びません。

 メンバーさんの持つポテンシャルを改めて感じました。

 この力を少しずつでも、穏やかに、粘り強く、開花させていってほしいな、と心から祈りました。      (2019.1 記)

 

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精神科デイケアでボランティアをさせていただいて-純粋さと不器用さを生きることの苦しさ

2024年07月31日 | 精神科デイケアで考える

 たぶん2014年のブログです

     *

 少し前に、大学院の臨床心理学プログラムの精神科実習の授業で、新潟市内の精神病院の精神科病棟とデイケアで勉強をさせていただきました。

 そして、その後も勉強のために、同じデイケアで時々ボランティアをさせてもらっています。

 デイケアのメンバーさんは、みなさん、ふだんはとてもお元気で、優しく心配りをしてくださいます。

 じーじなんかより(?)、よっぽど立派な社会人です。

 でも、そんなメンバーさんが、時々、突然、体調を崩されることがあります。

 原因はわかりません。

 そこが精神疾患のなぞの部分です。

 一応、ストレスや頑張りすぎなどによる疲れなどが引き金になることが多いようで、スタッフのみなさんは十分に留意をされています。

 頑張りすぎといえば、みなさん学歴や才能がすばらしい人たちが多く(東大出身の人や音大出身の人など、私などは逆立ちをしてもかなわないような人が多いです)、小さいころからいろいろと頑張りすぎて発病をされたかたもいらっしゃるようです。

 みなさん、まじめな、頑張り屋さんが多い印象を受けます。

 純粋な、努力家だからこそ、なってしまう病気なのかもしれません。 

 病気にならない我々は適当に息抜きをして生きているのかもしれないです。

 そんな自分への反省と、純粋なメンバーさんたちへの尊敬の気持ちを大切にして、今後もさらに勉強を継けていきたいと思っています。    (2014?記)

 

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電話相談や面接相談に頼りすぎることからの自立をめざして-精神科デイケアでのできごとを臨床的に考えてみる

2018年08月27日 | 精神科デイケアで考える

 たぶん2016年ころのブログです

     *

 精神科デイケアでボランティアや勉強をさせてもらっています(メンバーさん、スタッフさん、ありがとうございます)。

 メンバーさんとお話をさせてもらったり、メンバーさんの相談ごとに耳を傾けさせてもらったりしながら、一緒にいろいろなことを考えさせてもらっています。

 スタッフのみなさんも、毎日のプログラムのほかに、メンバーさんからの相談ごとや悩みごとをお聞きしたり、それらへの助言などで、毎日忙しそうです。

 そんな中でひとつ気になったのが、メンバーさんからの頻回の電話相談や頻回の面接相談の依頼です。

 メンバーさんがとても不安な時に、気軽に電話で相談をしたり、面接相談を依頼できるということはとても大切なことだと思うのですが、一方で、それがあまりに過度になると、本当にメンバーさんの自立や成長につながるのだろうか、と少しだけ心配になります。

 昔、じーじが家庭裁判所で働いていた時にも同じようなことがあって、頻繁に電話をかけてくる人や予約なしに頻繁に訪ねてくる人たちがいて、対応に苦慮しました。

 その時には、頻回の電話には、時間を指定したり、通話時間を決めるようにして、約束の中での安定した電話相談にするように工夫をしたり、また、突然の面談についても、時間を指定したり、面接時間を決めさせてもらって、やはり、約束をした中での安定をした面接相談にするように工夫をしたりしていました。

 これらは、不安にかられて行動化をしてしまう人たちに、時間や方法をできるだけ「構造化」をして安定をしてもらい、不安をおさめてもらうという私なりの工夫だったと思います。

 不安をしずめることや行動化をおさめていくことはそう簡単なことではないでしょうが、少しずつでも約束の中での安定をした「相談」にしていくことが大切ではないかと思っています。

 これからももっともっと勉強が必要です。 (2016?記)

 

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精神科デイケアでお昼寝をしてみました!-精神科デイケアをめぐる小さな冒険

2018年01月26日 | 精神科デイケアで考える

 2015年のブログです

     * 

 精神科デイケアでボランティアと勉強をさせてもらっています。

 今日は、お昼寝!のお話です。

 デイケアでは昼食のあと、お昼休みの時間があります。

 みなさん、お話をしたり、リラックスをしたり、買い物をしたり、あるいは、和室でお昼寝をしたりして、午後からのプログラムにそなえます。

 じーじも年寄りなので!、午後にそなえて、のんびりとしていることが多いです。

 ところが、メンバーさんを見ていると、一部のメンバーさんですが、お昼休みでも、とてもお元気に、休み時間中、おしゃべりをしている方々がいらっしゃいます。

 それでリラックスができればいいのですが、どうも過度に張り切りすぎて、おしゃべりをしすぎている印象を受けます。

 昼休みいっぱい、おしゃべりをしていて、それで疲れてしまい、午後からのプログラムに出られなかったり、午後はソファーで居眠りをしていたり、さらには、途中で帰宅をしたりする人もいます。

 それでは何のための昼休みかわかりません。

 昼休みは午後にそなえて、ゆっくりと休まなければなりません。

 それが社会復帰の第一歩にもなります。

 そういうわけで、昼休みに、私は率先をして(?)、自分の席でお昼寝をすることにしました。

 考えてみれば、じーじは裁判所で働いていた時も、年を取ってからは、昼休みは電話番をしながら、自分の席でお昼寝をしていました。

 その成果が今、発揮されています(?)。

 はたして、みなさんの見本になれるでしょうか。

 明日もまた、じいじいのじーじは、張り切って(?)、自分の席でお昼寝に頑張ります。 (2015 記)

 

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精神科デイケアでお昼寝をしてみました!-精神科デイケアをめぐる冒険

2017年10月29日 | 精神科デイケアで考える

 2015年のブログです

     *

 精神科デイケアでボランティアと勉強をさせてもらっています。

 今日は、お昼寝!のお話です。

 デイケアでは昼食のあと、お昼休みの時間があります。

 みなさん、お話をしたり、リラックスをしたり、買い物をしたり、あるいは、和室でお昼寝をしたりして、午後からのプログラムにそなえます。

 じーじも年寄りなので!、午後にそなえて、のんびりとしていることが多いです。

 ところが、メンバーさんを見ていると、一部のメンバーさんですが、お昼休みでも、とてもお元気に、休み時間中、おしゃべりをしている方々がいらっしゃいます。

 それでリラックスができればいいのですが、どうも過度に張り切りすぎて、おしゃべりをしすぎている印象を受けます。

 昼休みいっぱい、おしゃべりをしていて、それで疲れてしまい、午後からのプログラムに出られなかったり、午後はソファーで居眠りをしていたり、さらには、途中で帰宅をしたりする人もいます。

 それでは何のための昼休みかわかりません。

 昼休みは午後にそなえて、ゆっくりと休まなければなりません。

 それが社会復帰の第一歩にもなります。

 そういうわけで、昼休みに、私は率先をして(?)、自分の席でお昼寝をすることにしました。

 考えてみれば、じーじは裁判所で働いていた時も、年を取ってからは、昼休みは電話番をしながら、自分の席でお昼寝をしていました。

 その成果が今、発揮されています(?)。

 はたして、みなさんの見本になれるでしょうか。

 明日もまた、じいじいのじーじは、張り切って(?)、自分の席でお昼寝に頑張ります。  (2015 記)

 

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