Renaissancejapan

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アンナ・ストロング:赤いアメリカのジャーナリスト-2 スターリンと毛沢東の広告塔

2024-11-18 11:27:07 | 世界史を変えた女スパイたち


    Anna Louise Strong
アンナ・ルイーズ・ストロング ( 1885年– 1970年)

 

アンナ・ストロング:赤いアメリカのジャーナリスト-1  生い立ち
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0bee76a2186e149983f1bb4760f410dd
からの続き

 

よほどモスクワの生活が気に入ったようで、一九四〇年までモスクワをベースにして暮らした。毎年一月から四月には、共産主義思想礼賛の講演に帰国した。 スターリンにとっては重宝なジャーナリスト(第五列)だった。

彼女は、『ニューヨークタイムズ』モスクワ支局長ウォルター・デュランティに匹敵するスターリンの良き広告塔だった。

彼らの語るバラ色のソビエト社会を信じ、ソビエトを国家承認(一九三三年)した大統領がフランクリン・ルーズベルトであった。 モスクワに駐在する所謂『ジャーナリスト』の報告が実態とかけ離れた歪んだものであることは、当時国務省の若手外交官であったジョージ・ケナンが苦々しく警告していたが、ルーズベルトは自分の好みで構築した民間人人脈を重用した。

 

スターリンの良き広告塔となったアンナが中国共産党との接触を求めて訪中したのは一九二五年のことであった。 スメドレーのように中国を活動拠点とはしなかったが、アンナはモスクワを拠点として訪中を繰り返し、中国共産党幹部と接触した。 同党に気に入られた彼女は、毛沢東や周恩来のお気に入りになった。

毛沢東とのインタビューが報じられたのは、戦後の一九四六年八月のことである。 蒋介石を敵視し、中国に共産党政権が成立することを望む彼女の願望がよく表れた内容である。 以下がその抜粋である。

 

アンナ : 仮に米国が蒋介石への支援を止めた場合、蒋介石はどれだけ戦いを継続できるでしょう
       か。

毛沢東 : 一年以上は可能だ。 

アンナ : もし米国が蒋介石に支援の中止を伝えたらどうなるでしょうか。

毛沢東 : 米政府からそんな動きは出ていないし、蒋介石も戦いを止める気はない。

アンナ : 中国共産党はなぜ戦い続けるのかと我が国民に聞かれたら、私はどう答えたらいいでしょ
      うか。

毛沢東 : 蒋介石は国民を虐殺していると伝えなさい。生きるためには抵抗せざるを得ない。 貴女
      の国の人々も理解できるでしょう。

アンナ : 我が国がソビエトとの闘いを始める可能性については如何ですか。

毛沢東 : 確かに米帝国主義は対ソ戦争を考えているようだ。 反ソもプロパガンダが行われている
      のはそのためだ。 このプロパガンダには、米国の反動勢力が抱えている自己矛盾を糊塗
      する狙いもある。 米国民と反動勢力との間に、そして米帝国主義者と他の資本主義国家
      の間には溝がある。 ソビエトは世界平和の守り神であり、米国民の反動勢力による世界
      支配の防波堤になっている。

アンナ : もし米国が、アイスランド、沖縄あるいは中国内にある基地からソビエトに核攻撃を仕掛
      けたらどうなるでしょうか。

毛沢東 : 核爆弾は、米国反動勢力が人々を恐怖させるだけに使う『張子の虎(paper tigers)』だ。
      更に言えば蒋介石も、彼を支援する反動勢力も『張子の虎』だ。

 

アンナの毛沢東インタビューは話題となった。核兵器を『張子の虎』と呼び、核戦争を怖れない毛沢東の態度に世界は驚いた。 米国内の蔣介石支援勢力屁の牽制となる見事なインタビューをこなす彼女に、スターリンはほくそ笑んだ。

延安の洞窟での子のインタビューの『成功』以来、彼女には『Paper Tiger Lady』のニックネームがついた。 彼女は『億万人の中国:一九二七年から一九三五年の革命的闘争(China's Million : the revolutionary struggles from 1927 to 1935)』を一九三五年にニューヨークの出版社から上梓していた。 彼女と毛沢東の濃密な関係は、彼女の死(一九七〇年)まで続くことになる。

 

 

 

アンナ・ストロング:赤いアメリカのジャーナリスト-3  周恩来との蜜月

に続く

 

 


アンナ・ストロング:赤いアメリカのジャーナリスト-1  生い立ち

2024-11-16 19:11:35 | 世界史を変えた女スパイたち


      Anna Louise Strong
 アンナ・ルイーズ・ストロング ( 1885年– 1970年)

 

アンナは一八八五年、ネブラスカ州フレンド市に生まれた。 両親は会衆派教会(Congregational Church) の信者で宣教活動にも熱心であった。 

彼女は相当に切れ者だったらしく、セブンシスターズの一角を成す 名門ブリンマー大学で学び、シカゴ大学で博士号(哲学)を取得した(ニ三歳)。 

博士論文『祈る者の心理(The Psychology of Prayer)』によって当時の大学では最も若い女性による博士号の取得だった。 卒業後は児童福祉行政に熱心に取り組み、彼女の講演には多くの聴衆が押し寄せた。

しかし、次第に資本主義制度では彼女の望む児童福祉行政は達成できないと落ち込むようになる。 父親がシアトルに移り会衆派教会の牧師になると、彼女も同市に移り父親と暮らした(一九一四年)。 シアトルは、現在でもそうだが、左翼勢力が強く労働組合活動が盛んである。 それが彼女には魅力であった。

 

一九一六年には同市教育委員に選出された。 徴兵制に反対し米国のヨーロッパへの戦いへの介入を批判した。 翌一七年にロシア革命成功の報を聞くや彼女の活動は活発化した。

一九一九年二月六日、同地の労働組合系新聞『ユニオンレコード』紙に寄稿し、労働者によるストライキを煽り、ソビエト式革命を訴えた。 これに呼応するようにシアトルでゼネストが起きた(二月六日~一一日)。 賃上げ要求がキッカケだった。 彼女の望みはボルシェビキ(過激派共産主義)的革命だったが、意に反して五日で終息した。

 

意気消沈する彼女に再び活力を与えたのは、この翌年にシアトルで行われたリンカーン・ステフェンズ(Lincoln Steffens、一八六六~一九三六)のスピーチだった。 彼はロシア革命を強烈に支持する社会主義ジャーナリストであった。 革命後のロシア訪問から帰国したばかりで、自らの眼でみてきた『労働者の楽園』を語った。

その公演に触発されたアンナはただちにロシア行きを決めた。 当時の米国は赤いロシアを国家承認していなかっただけに、同地の情報は民間人(ジャーナリスト)によるレポートだけが頼りだった。 

米国の新聞はそうした情報を欲しがり、彼女には数少ない西洋人ジャーナリストとしての需要があった。 それが彼女のモスクワ生活を支えた。

 

 

 

 

 

アンナ・ストロング:赤いアメリカのジャーナリスト-2  スターリンの広告塔https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/3cf026605349c36fbd68a6a2bcd0b3e5
に続く

 


アンナ・ストロング:赤いアメリカのジャーナリスト

2024-11-16 05:40:50 | 世界史を変えた女スパイたち



アンナ・ルイーズ・ストロング
(1885-1970)

 

1885年11月24日、米国ネブラスカ州生
1970年3月29日、北京・中国で死亡(享年84歳)

埋葬地   : 八宝山革命墓地(*アグネス・スメドレーと同じ)

母校  : プリンマー大学、オバリン大学、シカゴ大学

 

 


アグネス・スメドレー 中国共産党に尽くした女スパイ  全記事

2024-11-11 11:04:53 | 世界史を変えた女スパイたち

アグネス・スメドレー(1892-1950)

 

 

①アグネス・スメドレー 中国共産党に尽くした女スパイー1: 生い立ちhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/99da503f67a7ab05933d0308c10c061b

➁アグネス・スメドレー 中国共産党に尽くした女スパイー2: ゾルゲとの出会いと別れhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0ca79bdb97a935f6072417e5ead77af6

③アグネス・スメドレー 中国共産党に尽くした女スパイー3: 西洋人共産主義者とのプロパガンダ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/f5191256ae9c9e00515142bea52f9479

④アグネス・スメドレー 中国共産党に尽くした女スパイー4: 中国共産党幹部との接触https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af2ab0ab3afcd5d6d7c7e419e685b696

⑤アグネス・スメドレー 中国共産党に尽くした女スパイー5: スメドリーを支援していた米国務省
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0de36463345568f460480f294e3c3223

⑥アグネス・スメドレー 中国共産党に尽くした女スパイー6: スメドレーの死https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/3454290d5d7d58ccce7f785eb1bbc4b6