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ロスチャイルド財閥-135 ナチスとシュローダー男爵そしてダレス兄弟

2022-12-18 03:29:37 | 国際政治・財閥

(左)アレン・ダレス (右)ジョン・フォスター・ダレス

弟アレン・ダレス(Allen_Dulles)第一次大戦ドイツ賠償問題など多数の軍事外交に関与。のちに長年にわたってドイツのシュローダー男爵の銀行「J・H・シュタイン銀行」の理事を務め、さらにアメリカの「スタンダード石油」の顧問弁護士も務めていた。「ITT」のベーン会長とアメリカ軍との間をとりもち、ベーン会長を背後から操っていた。戦後も「ITT」との深い関係は続いた。

兄のジョン・フォスター・ダレス(John_Foster_Dulles)も、同じくハーバード大学出身の優秀な弁護士として鳴らし、ウォール街の法律顧問を務め、「BIS(国際決済銀行)」の創立者の1人として活躍。アメリカが参戦する前はドイツの「I・G・ファルベン社」の重役陣に名を連ね、アメリカきってのドイツ通の1人であった。パリ講和会議では叔父の国務長官ロバート・ランシングの秘書官を務め、ジャネット・ポムロイ・エーヴリーとの結婚によりロックフェラー家の一員となり、ロックフェラー財団の理事長も務めた。

1936年に誕生したニューヨークの新会社「シュローダー・ロックフェラー商会」の法律顧問には、アレン・ダレスとジョン・フォスター・ダレスの兄弟が、コンビを組んで就任した。





ヒトラー政権が誕生する26日前の1933年1月4日、シュローダー男爵はケルンにある自分の豪華な大邸宅にヒトラーとパーペン元首相を招いて、重要な秘密会議を開いていました。 主要出席者は、ヒトラーとパーペン元首相以外に、ニューヨークの法律事務所「サリヴァン&クロムウェル」のジョン・フォスター・ダレスとアレン・ダレスのダレス兄弟で、彼らは「シュローダー銀行」を代表していました。

 
ロスチャイルド財閥-124  シュローダー家 と ナチス
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fe5d4427abcd2f7c3c994679a322ea66
ロスチャイルド財閥-125 サウンド オブ ミュージック
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/4247901bb716c22c6e307a39fd959079


この日、ダレス兄弟がヒトラーと会談した目的は、ヒトラーをドイツ首相に就任させるために必要な資金を確実に提供する確約を与えるためでした。こうして巨額の政治資金を得たヒトラーは、その資金力を使って選挙に勝つことができたのです。ヒトラー政権が誕生する26日前に、シュローダー男爵の大邸宅で重要な秘密会議が開かれ、アメリカ人のダレス兄弟は、ヒトラーが選挙に勝つための財政支援を約束しています。

ダレス兄弟はしばしば重要な会議に姿を現しました。彼らは、パリ講和会議(1919年)ではアメリカを代表しています。ダレス兄弟は、ヒトラーが第二次世界大戦を起こすまで、ナチス・ドイツとアメリカを結ぶ資金ルートに深く関与していたのであります。



興味深いことに、当時、ロンドンで、イギリス情報機関が秘密作戦を駆使してアメリカのメディアを操り、「スタンダード石油」と「I・G・ファルベン社」との提携関係を暴露し始めた時、ダレス兄弟は両社を擁護する行動に出ていました。


ロスチャイルド財閥-132  IG-Farben と Auschwitz
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2f5ec2833756e94a071f19f25085fa4c


その時の様子を研究家のロフタスとアーロンズは、次のように記しています。

「イギリスの機密文書によれば、ダレス兄弟はアメリカのメディアの動きを阻止すべく、即座にイギリス情報機関に手をまわした。アメリカのメディアの口を封じたその手法が、機密文書にこう記されている。『ダレスともう1人の同僚が、I・G・ファルベン杜に関する暴露を中止するよう要請してきた。その根拠は、このまま続ければスタンダード石油などの大企業をも巻き込むことになり、ひいてはアメリカの戦争遂行能力に支障をきたす恐れがある』、というものだった。」

 


ドイツの巨大企業「I・G・ファルベン社」(1935年)

 


ダレス兄弟の弟アレン・ダレスは、1942年11月に、スイスのアメリカ大使補佐官という外交上の地位を与えられ、アメリカのスパイ組織である「戦略情報局(OSS)」のベルン支局長に就任しました。彼に課せられた任務は、ナチス・ドイツ内における反ヒトラーの動きを探り、その進展具合を分析するという広範なものでした。そのため、彼は第二次世界大戦中のスイスで活動する多くのスパイ組織とパイプをつくる機会に恵まれ、スイスに彼の情報帝国が誕生することになりました。

アメリカが「戦略情報局(OSS)」のベルン支局長に軍人ではなく、ウォール街の敏腕弁護士であるアレン・ダレスをあてたことはとても意味深い、と語るのはスイス人歴史家ジャーク・ピカールであります。

「これはとても重要なことである。軍人ではなく弁護士を派遣したのだから。それも頭がきれて腕の立つ弁護士である。物事の裏を見抜く目を持った男で、資金や物資が戦争を引き起こす仕組みを知り尽くしていた。スパイたちに混じって彼もゲームに参加したのである」

 
アレン・ダレスが弁護士時代に築いたナチス・ドイツとのコネは彼にとってきわめて有利に働きました。そんなコネの1つがドイツの「シュローダー銀行」とのパイプで、彼は開戦時までナチス・ドイツとの商取引を公然と続けていたのであります。また、アレン・ダレスは、部下の諜報員たちの多くとは異なり、ナチズムを嫌う反ファシストではなく、むしろ反ユダヤ主義に染まっており、ユダヤ人にあまり好感を持っていませんでした。


アメリカ人歴史家マーク・マスロフスキーは、アレン・ダレスについて次のように語っています。

「彼は非常に自己中心的な男で、スイス(ベルン)から戦争を指揮しようと考えていた。企業弁護士としての実績は相当なもので、ドイツの実業界や法曹界の友人は数えきれないほどであった。親ナチスではないものの親ドイツで、保守派の抵抗運動にかなり肩入れしていて、無条件降伏を画策していた。ヨーロッパ各地の社会の奥深くまで潜入して情報活動を展開し、人脈を築いていたのである。終戦後に予想される冷戦時代に備えて、彼のアンテナははっきりソ連の方向に向けられていた」


ダレス兄弟によって結ばれていた「シュローダー銀行」、「BIS(国際決済銀行)」、「戦略情報局(OSS)」、「I・G・ファルベン社」の間の黒い関係は、大戦中のヨーロッパ全土に拡がっていたことになりますが、このダレス兄弟とナチスとの黒い関係が、彼らの終戦後の政治活動に支障を及ぼすことはありませんでした

その証拠に、アレン・ダレスは終戦時には在イタリア・ドイツ軍を降伏させる「サンライズ」作戦を指揮し、その後に3代目CIA長官に就任しています。一方、ジョン・フォスター・ダレスもアメリカ国務長官に就任していたのです。


【イルミナティ悪魔の13血流シリーズ】ロックフェラー家
https://www.youtube.com/watch?v=tkH62fXLRxI



  
 


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