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ロスチャイルド財閥ー130 ナチスがウィーン家当主のルイ・ロスチャイルド卿を逮捕

2022-12-11 18:45:46 | 国際政治・財閥

世界中の新聞がルイ・ナサニエル・ド・ロスチャイルドの逮捕を報じました

(左)逮捕されたルイ・ナサニエル・ド・ロスチャイルド男爵(1930年当時)


ナチス占領下のウィーンのロスチャイルド宮殿のメイン階段
1930年代、ルイ・ナサニエル・ロスチャイルドの富は20億シリング(今日の価値で100億ドル以上)という驚異的大富豪でした。



ルイ・ナサニエル・フォン・ロスチャイルド(Louis Nathaniel von Rothschild)1882-1955

ルイ・ナサニエル・フォン・ロスチャイルド 1882 年 3 月 5 日にウィーンで、(サロモン) アルバート (1844-1911) とベッティーナ キャロライン (1858-1892) の三男として生まれました。テレジアヌム アカデミーで教育を受けた後、ハンブルグとニューヨークで銀行の見習いを始め、1911 年に父親が亡くなると、ルイは家族経営の会社を経営。この会社は、ヴィトコヴィッツの製鉄所とフロリスドルフのエンジニアリング工場で積極的な役割を果たし続けました。彼はクレディアンシュタルトの会長でもありました。ルイは、ロスチャイルド家のメンバーが所有する市内の 5 つのパレ ロスチャイルドの 1 つである父アルバートの委託により、ウィーンのパレ ロスチャイルドを継承。ウィーンの第 4 区 (ヴィーデン) にある Heugasse 26 (現在の Prinz-Eugen-Strasse 20-22) にあり、美術品や骨董品の精巧なコレクションが所蔵されていました。    出所 The Rothschild Archie




ナチスに逮捕されたウィーン家当主のルイ・ナサニエル・ロスチャイルド卿


1938年3月、ナチス・ドイツはオーストリアを併合しました。 オーストリア国民は必ずしもナチスを支持していたのではありませんでしたが、第一次世界大戦の戦勝国によって阻まれた「独墺合併」の悲願を実現してくれるものとして、ドイツ軍を歓呼の声をもって迎えました。

国民投票が行なわれ、99.7%のオーストリア国民がドイツとオーストリアとの合併に賛成したのです。


当時の様子を語ると、1930年代、ルイ・ロスチャイルドの富は20億シリング(今日の価値で100億ドル以上)という驚異的な大富豪。
ウィーンにルイが所有する多くの建物の中で、パレ・ロスチャイルドとして知られる広大な宮殿が際立っていました。 その巨大さと優雅さに加えて、宮殿は絵画、彫刻、コインの膨大なコレクションで有名でした。

私(Renaissancejapan)はオーストリアに住んでいましたが、1991年にユーロが導入されるまで給料はシリングで銀行口座に振り込まれていましたのを思い出します。

1929年オーストリア政府は、ロスチャイルドのクレディアンシュタルトを破綻したボーデンクレジット銀行と合併することを強制しました。 悪い合併と1929年のウォール街の暴落が相まって、クレディアンシュタルトは崩壊してしまいました。 銀行は国有となり、ルイ・ロスチャイルド卿は銀行の負債1億6000万シリングのうち3000万シリングを支払わなければなりませんでした。

友人から警告されたものの、ルイ・ロスチャイルドはオーストリアを離れることを拒否しましたが、当主ルイ・ロスチャイルドはゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密警察)から逃れるため、イタリアへ向かう飛行機に乗ろうとしますが、飛行場を固めていたナチス親衛隊の将校に発見され、1938年3月12日、オーストリアがナチスドイツに併合されたのと同じ日に、彼はウィーンアスペルン空港で逮捕されました。 最も裕福な人物の一人の逮捕は、世界中の新聞で大きく取り上げられました。





そして、大物を逮捕したナチスは、ルイ・ロスチャイルドの屋敷に「ユダヤ人移送本部」という看板を掲げました。

それから1ヶ月が過ぎて、ルイ・ロスチャイルドの身柄はウィーンのメトロポール・ホテルに移され、ナチス・ドイツのナンバー2実力者ヘルマン・ゲーリングの使いから丁重な申し入れがありました。 それは、ロスチャイルド家の所有物でチェコにあるヴィトコヴィッツ製鉄所を提供すれば、身柄を直ちに釈放しようという取り引きでした。 ナチスは兵器生産のために鉄鋼を必要としていたからです。

しかし、ルイ・ロスチャイルドは捕われの身でありながら、ヘルマン・ゲーリングの申し入れを受け入れませんでした。老獪なロスチャイルド一族は前年にこの危険を予知して、ヴィトコヴィッツ製鉄所の株を中立国スイスなどの名義に変え、更にそれをイギリスの保険会社に買い取らせておいたのです。

そして、ヴィトコヴィッツ製鉄所の株は最終的には、イギリスのネイサン・マイアー・ロスチャイルドが設立した「アライアンス保険」の所有物になっていました。 こうして、ヴィトコヴィッツ製鉄所が名義上はイギリス企業の所有物になっていた為、ヒトラー政権がこれを接収することは国際法上、不可能。 1939年3月15日の早朝、ナチス・ドイツ軍はチェコに侵攻し、同日の夕刻には首都プラハに入城し、チェコ全域を占領しました。

同日、ナチス・ドイツはチェコを併合し、スロバキアを保護国にしました。 こうして、ヒトラー政権はヴィトコヴィッツ製鉄所を強引に手に入れましたが、ロスチャイルド一族の巧みな予防策が効いて、国際法の前には手を出すことが出来ませんでした。


ルイ・ロスチャイルドは「ルイ・ロスチャイルドの釈放」という条件付きで、300万ドルという売り値をヒトラー政権に提示しました。

2ヶ月の交渉の末、遂にヒトラー政権はルイ・ロスチャイルドの提案を呑みます。 ゲシュタポに捕えられながら、身代金の支払いを平然と拒否し、1年間もメトロポール・ホテルで起居を続け、最後にはヒトラー政権から300万ドル受け取る契約を結んで釈放されたというユダヤ人は他にいなませんでした。 さすが、ロスチャイルドとしか言いようがありません。




この事件の顛末

ルイ・ロスチャイルドと彼の相続人は、莫大な富のほんの一部しか取り戻せませんでした。 ルイは、パレ・ロスチャイルドを元従業員に年金を提供するという条件でオーストリア政府に与えました。 1954年オーストリア政府は建物を取り壊しました。

ルイ・ロスチャイルドは米国バーモンド州に定住し、残りの人生を世界中を旅して過ごしました。彼は1955年にジャマイカの海岸近くで泳いでいるときに心臓発作で亡くなりました。 享年3歳  ここに、ロスチャイルドのウィーン分家は滅亡。
 
1998年、米国の圧力を受けて、オーストリア政府はロスチャイルド家のオーストリア支部に、絵画、科学機器、フランス製家具、古い兵器など約250点の美術品を変換しました。 ほとんどのアイテムは、1999年にクリスティーズが主催したオークションで9,000万ドル以上(今日の価格で約1億4,800万ドル)で売却されました。



PS.この事件でルイ・ロスチャイルドを、ルイス・ロスチャイルドと書いている記事も見かけますが、細かいことはどうでもよいですが、読み方といてルイの方が正しいと思います。
ルイ・ビトン(Louis Vuitton)、ルイ・14世(Louis XIV)というでしょ。



(おまけ)



ロスチャイルド・ウィーン家の フェルディナンド・ロスチャイルドがロンドン郊外に建てた
ワデスドンマナー
ロスチャイルド財閥ー12 ワデスドンマナー
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ロスチャイルド財閥-129  水晶の夜(ドイツ語 Kristallnacht )

2022-12-11 05:03:55 | 国際政治・財閥

放火されるシナゴーク(ユダヤ教の教会)

暴動で破壊されたユダヤ人商店のショーウインドウ(1938年11月10日)
場所 : ドイツ国
標的 : ユダヤ人の居住地域、シナゴーグなど
日付 : 1938年11月9日から10日
概要 : 反ユダヤ主義暴動
犯人 : ヨーゼフ・ゲッベルス、突撃隊他




水晶の夜

ナチス政権下の1938年11月9日夜から10日未明にかけて、組織化された反ユダヤ主義暴動がドイツ各地で発生した。ドイツ本土のほか、併合されたばかりのオーストリア、そしてズデーテン地方とを合わせて、267のシナゴーグと7,500のユダヤ人商店や企業が破壊された。特にフランスの国境に近いドイツ西部で暴動が多発した。

暴動中、ユダヤ人は殴られたり、辱められたりした。運の悪い者はそのまま殴り殺された。少なくとも96人のユダヤ人が殺害されている。『我が闘争』を朗読させられたり、『ホルスト・ヴェッセルの歌』を暗誦できるまで歌わされた者、果ては強姦されたユダヤ人女性もいた。大多数の市民の反応は名目上の目的よりも、むしろその迫害ややり方に対して沈黙した否認という態度が示された。一方、なかには大きな危険を冒してユダヤ人を助けた者もいた。

シナゴーグやユダヤ人住宅・企業の他、ユダヤ人居住地域の墓地、病院、学校、家などが破壊された。ベルリンでは12あったシナゴーグのうち、9つまでが焼き払われた。略奪も多数発生し、保安警察長官ラインハルト・ハイドリヒはヘルマン・ゲーリングに800件の略奪を報告している。

ハイドリヒや保安警察ゲシュタポ局局長ハインリヒ・ミュラーの電報での「邪魔をしないように」との命令に基づき、警察は暴動を全く取り締まらなかった。さらに消防隊も炎上するシナゴーグを見ているだけであり、消火活動をするのは非ユダヤ人の建物に延焼する恐れがある時だけだった[25]。その最中でも、警察は多数の自殺や強姦を記録していた。

割られて路上に散らばったショーウィンドウの破片が月明かりに照らされて水晶のように輝いていたことから水晶の夜(クリスタルナハト)と呼ばれた。実際にはガラス以外にも、殺害されたユダヤ人のおびただしい血や遺体、壊された建造物の瓦礫等で、現場は悲惨なものだったという。

ナチ党政権はこのような暴動を「煮えたぎる民族精神の正当な蜂起」などと正当化した。殺人に関与した者は一応逮捕されているが、そのほとんどは不起訴になるか、無罪判決となった。一方、ユダヤ人女性を強姦した者については「ドイツ人の血と名誉を守る法律」の「人種汚辱罪」で処罰されている。

「官製暴動」疑惑
水晶の夜は自然発生した暴動ではなく、ナチ党政権による「官製暴動」であったとする説もある。特に関与が確実視されているのが宣伝相のヨーゼフ・ゲッベルスであり、彼がSA隊員や各管区の指導部を動員して行ったとされる。

もう1人、疑いがかかっているのは保安警察長官ラインハルト・ハイドリヒである。11月9日深夜には、ハイドリヒの部下であるゲシュタポ局長ハインリヒ・ミュラーが各地の秩序警察に「まもなくユダヤ人とシナゴーグに対する攻撃が始まるが、邪魔をしてはならない」と電報で命令している。さらに10日には、ハイドリヒ自身が全警察とSDに向けて次のように電報で命令した。「ドイツ人の生命と財産を危険にさらさないユダヤ人への攻撃は許すものとする」、「ユダヤ人の商店や住居はただ破壊するのみとせよ。略奪は認めない」、「商店街の非ユダヤ系商店が被害を受けないように留意せよ」、「外国籍の者はたとえユダヤ人でも被害を受けないよう留意せよ」[13][34]。この電報のために、ハイドリヒの関与が疑われている。

一方、ハイドリヒの妻リナによると、水晶の夜が発生した際に彼は自宅で寝ていたが、家の警備をしていたSS隊員に起こされて暴動事件を聞かされ、驚いて急遽出勤したという。帰宅した後、ハイドリヒはリナに向かって「ゲッベルスがやったんだ。なんでゲッベルスはこんなことをしたんだろう?」と語ったと証言している。ハイドリヒの代理官ヴェルナー・ベストも「ゲッベルスの行動であり、ハイドリヒや私にとって全くの不意打ちの事件だった」と証言している。

ゲッベルスの部下である国民啓蒙・宣伝省映画部長フリッツ・ヒップラー(de:Fritz Hippler)によると、彼は11月9日夜の暴動を目撃しており、暴動を起こしている者たちが純粋な「住民」ではないことを見抜き、11月10日朝にゲッベルスにその旨を報告したが、彼は報告をはねのけたという。

ゲッベルスがナチ党幹部の中でもずば抜けて過激な反ユダヤ主義者であった事は事実である。ただ、警察やSSの協力なしこれだけの暴動を為し得ることができたかは疑問の声もある。それを考えると、ハイドリヒの電報による助力もかなり大きい関与と思われる。

事件処理
この暴動で警察に逮捕されることになったのは、被害者であるはずのユダヤ人であった。3万人ものユダヤ人が警察に逮捕され、彼らを収容するためにダッハウ強制収容所、ブーヘンヴァルト強制収容所、ザクセンハウゼン強制収容所が拡張されることとなった[39]。ブーヘンヴァルトに1万人、ダッハウに1万1000人、ザクセンハウゼンに5,000人から1万人が送られた[29]。ただ、この際に逮捕されたユダヤ人は、数週間で釈放された者が多い。ユダヤ人が暴動で受けた被害額は、窓ガラスの交換だけでも600万ライヒスマルクに及んだという。

この損害に対して、ドイツの保険会社が損害を負担せねばならないことへの対策会議が、ヒトラーの同意を経て11月12日にゲーリング率いる空軍省で行われた。会議には四ヵ年計画責任者でもあるゲーリングのほか、経済相ヴァルター・フンク、蔵相ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク、法相フランツ・ギュルトナー、宣伝相ゲッベルス、秩序警察長官クルト・ダリューゲ、保安警察長官ハイドリヒ、また保険業界代表でヒルガルドという人物が招かれた。四ヵ年計画責任者としてドイツ経済に最終的責任を負うゲーリングは、経済への打撃という観点から、この暴動騒ぎを嫌悪しており、この会議の席上で彼は一連の暴動による破壊活動を批判した。この会議には議事録が残っている。

議事録によるとゲーリングは会議の席上、「こんなに物を破壊するぐらいならユダヤ人をものの二百人ほどバラした方がよほどよかったぞ」などと言い放っている。この一件により、ゲッベルスはユダヤ人問題から撤退を余儀なくされ、ゲーリングが責任者となった。さらに1941年には、この権限がハイドリヒに委譲され、彼がホロコーストを実行していくこととなる。

この会議で、ドイツ保険の国際的信用を失墜させぬために、一応保険金を支払うことが決定された。外国籍のユダヤ人には損害賠償請求も認められたが、一方ドイツ国籍のユダヤ人は損害賠償請求が認められず、さらに支払われた保険金も結局没収された。

ゲーリングはこの会議の後、同日の11月12日に「ドイツ国籍ユダヤ人の贖罪給付に関する命令(罰金10億ライヒスマルクをドイツ国籍のユダヤ人団体に課す)」、「ドイツの経済活動からユダヤ人を排除する命令(ドイツ企業は年末までにユダヤ人労働者をすべて解雇しなければならない。1939年からユダヤ人の小売業も禁止)」、「ユダヤ人商店・工場における街路美観修復のための命令(破壊された建物の修復はすべてユダヤ人が修復する。ドイツ国籍のユダヤ人が受ける損害保険金はすべて国が没収する)」の三政令を定めた[44]。ゲッベルスも11月23日にユダヤ人を文化生活から追放する政令を定めた(劇場・映画館・音楽会・ダンス場などへユダヤ人が立ち入ることを禁止する)。11月15日には、ユダヤ人が学校へ通うことが禁止され、その2週間後にはユダヤ人の夜間外出禁止命令も出された。12月になると、公の場からユダヤ人は完全に消されてしまった。

暴動の際に盗難や略奪も多数発生したが、この取り戻しだけは警察も「熱心」であった。11月12日の会議でも、ゲーリングが秩序警察長官ダリューゲと保安警察長官ハイドリヒに「大々的手入れで宝石類は取り戻さねばならん」、「だれか店に宝石を売りに来たら有無を言わさず取り上げねばならん。合法的に入手したと言い張っても構わん」などと無法な警察活動を命じている。これに対してダリューゲも「隣近所の者が急に毛皮を着るようになったり、指輪をするようになったら警察に届けるよう命令を出す必要があります」などと応じた。   wiki







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